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2013.9.28
秋の奈良路を歩いてきた。
今回出かけたのは葛城古道。
御所市を起点に、葛城山や金剛山の麓にひろがっている史跡や、伝説地を巡ってきたもの。
距離があるので、前後のところはタクシーでカットさせてもらったが、それでも3時間以上、総計2万歩を超える思いのほかの強行軍だった。
山辺の道のような、平坦なところを想像していたのだが、とんでもない。最高500メートルのところまで登らされた。
しかし景観はまことにすばらしかった。
とげとげしい色彩や看板がまったくない、日本の故里のような風景がどこまでもつづくのだ。
歩いてこれほどほっとするところは、奈良をおいてほかにはないと、いつも痛感させられる。
その代わり不便。おにぎりと大福を1個用意しただけだったので、最後は空腹でへばった。
歴史的建造物の残る、古い町並みも通り抜けているのだ。それでいて蕎麦屋の1軒、コンビニの1軒すらないのだった。
柿はまだ色づいていなかったが、彼岸花は満開。写真は一言主神社の参道付近にひろがっている田園の風景だ。
もう1枚は高鴨神社。
ここはなんと上賀茂神社、下鴨神社の元宮、日本最古の神社のひとつなのである。小さいが品のあるいいお宮だった。
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2013.9.21 台風18号は、自然災害が少ないと思っていた京都のイメージを、根底から覆してしまった。
嵐山の浸水など、だれも予想していなかったことなのだ。
わたしも朝のTVで知ったときは「これは見に行かなきゃ」とおおいに逸った。しかし行くに行けなかった。
朝のうち雨が残り、ふつうの靴での外出は無理。長靴が必携だったのである。
ところが札幌から京都へ来るとき、こんなものはもういらないや、というので捨てて来ちゃったのだ。
雨が止み、午後から陽射しも出たので、手近の鴨川へ出かけた。濁流がまだ渦巻いてはいたが、水位は1・5メートル以上下がっていた。
遊歩道や河川敷に水没していた跡が残っており、打ちあげられたゴミのなかに、逃げ遅れた魚が何匹も干物になっていた。
南禅寺は裏山から流れてきた土砂で境内が埋まり、19日まで拝観を中止していた。
地下鉄は湧水だか漏水だかで駅が水没。ろくな排水設備がなかったとみえ、開通したのは、やっと昨日夜のことだった。
一方鷺には、この濁流がかきいれどきとなるようだ。
ふだんのアオサギは、カメラを構えて待ってたって、なかなか肝心の場面が撮れないのだが、このときは見ている間に3匹も仕留めた。
魚の注意力が、濁った水と強い流れで散漫になってしまうのだろうか。
いつもは魚などいない川床の下の流れにも、この日は無数の小魚が取り残され、子どもたちに追い回されていた。
その手からなんとか逃れた小魚も、翌朝までにはすべて鷺の餌食になったことだろう。
写真は当日の丸太町界隈。右手橋の下から濁流が流れ込んでいるが、これは何ヶ所かある琵琶湖疎水の吐きだし口。ふだんは閉鎖されている。
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2013.9.14
久しぶりに大阪へ行ってきた。本屋へ出かけたのだ。
京都にはいい本屋がないので、これまでもときどき大阪へ出かけ、本屋巡りをしていた。だが、ここなら、という本屋はなかった。
こぎれいな本屋なら、たくさんあるのだ。しかし現代文化の発信基地などという店は、もうわたしには用がないのである。
今回は阪急梅田駅のガード下にある古書店街と、すぐ近くにできた丸善・ジュンク堂をあてにして出かけた。
7階建てのビルが、まるごと本屋なのである。新宿の元三越にあったジュンク堂の再来かと思って期待していた。
しかし、丸善と一緒のせいか、どっちつかずになって、本屋としては物足りなかった。そういえば多摩センターにもこの書店があるが、中味はいまいちだ。
わたしが探したい本の棚は、わずかしかなかった。つまり本の数が、圧倒的に少ないのである。
それより腹が立ったのは、エスカレーターで流れているエンドレスのアナウンス。
全フロアが本棚。本以外の商品は売っていない。
それなのに甘ったるい女性の声が「ベビーカーをご使用の方は……」とか「「よいこのみなさん……」とかいった耳障りな声を、えんえんと繰り返すのである。
本を探していて、いらいらしてきた。
帰りにカウンターで文句を言ったら「安全確保の上で、それは……」とかなんとか抜かしおった。
思わずかっとして「テープさえ流しておけば安全なのか」と怒鳴りたくなったが、小うるさいじじいと思われるのが落ちだろうから、黙って帰ってきた。
こういう店には、二度と行かないだけである。
このまえ、コーヒーチェーン店の人気調査があり、スターバックスが1位、ドトールが2位、タリーズが3位と出ていた。
わたしのご贔屓はここ、ベローチェ烏丸店。
理由は、なんといっても近いこと。
角を曲がって、表通りまで出ると、目の前にあるのだ。200メートルとない。
店内がゆったりしているうえ、座席も多く、居心地がよい。学生が長時間勉強していても、文句を言わない。
ごらんのように吹き抜けで、2階の回廊にも座席がある。180円で冷房つき。学生の自習室になるわけである。
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2013.9.7
あれほどの猛暑が嘘みたいに去り、一昨日からとうとう冷房を止めた。
このわたしが、日中でも、クーラーなしで過ごしているのだ。
それも、これも、猛威を振るった大雨のおかげ。京都も例外ではなく、月、火、水と3日間降りつづいた。
あんまり降ったので、カメラを持って、鴨川まで写真を撮りに行ったところ、そのときは降りやみだったせいか、期待したほどの、水嵩ではなかった。
だいたい鴨川というのは短い川で、下鴨神社から分かれる高野川の場合、その水源までわずか13キロしかない。だからよほど降りつづけないと、水嵩はすぐ減ってしまうのである。
昭和の初めに大洪水を起こし、三条大橋から五条大橋まで、すべて流失したというのが信じられないような、安定した川なのだ。
写真は先週と同じところ。
一昨日までは濁流に水没していたが、2日後の今日は、もうごらんの通り。
いちばん手前の石はまだ水をかぶっているものの、水はきれいに澄んでいる。水源のある森が、よほどしっかりしているということである。
なお前回、飛び石が3箇所あると言ったが、正しくは4箇所。このさらに上流の、植物園の近くに、もうひとつある。
ただこちらは、同じかたちの石を等間隔に並べただけ。風情にはやや欠ける。
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2013.8.31
今週は家のなかに籠もりきりだった。
唯一の例外が昨日。
非常ベルの点検があったからで、部屋のなかに係員が入ってきて、天井に取りつけてあるベルが、緊急時に作動するかどうか、鳴らしてたしかめる。
ほんの30秒で終わる点検だけど、100戸以上あるマンションを順繰りに回るから、各戸にはいつ来るかわからない。
真っ昼間、万年床で、暢気に寝ているわけにいかないのである。
それで仕方なく、寝る時間をずらして外出してきた。
といって、行くところはないから、鴨川河畔を、1万歩ほど歩いてきただけ。
昨日も34度の暑さだったが、先週に比べたら、空の色や雲がちがい、比叡山も引き寄せたみたいにくっきり見えて、気配がすこし変わってきた。
赤とんぼが飛びはじめていた。
秋がそこまで来ているのだった。
写真は下鴨神社前の鴨川にある飛び石。
三条大橋の上流に3箇所あり、それぞれすこしずつデザインがちがう。
このところまとまった雨が降っていないので、水が少なく、幼児の格好の遊び場になっていた。
だが、これほど水の少ない鴨川が例外。ふだんはもっと水嵩も多く、流れも速い。幼児が安心して遊べるようなところではないのである。
これを飛び越え、向こう岸へ渡るのは楽しいが、最近は以前ほど、身軽に飛べなくなってきた。
石の間隔がけっこう空いているからで、大きいところでは、80センチくらい開いている。
いつか孫娘が遊びに来たら、けんけんしながら、一緒にここを飛んで渡ろう、と考えていたのだが、それまでこっちの体力が持つかどうか、だいぶ自信がなくなってきた。
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2013.8.24
今日は久しぶりに、早朝の京都の街を、かみさんと歩いてきた。
昨日も38度という猛暑だったから、日中はとても出歩けたものではない。
それで、せめて早朝にと思うのだが、これがなかなか容易でない。わたしの時間帯が、ひとさまと逆だからである。
寝るのはだいたい朝の5時から7時ごろ。
それくらい起きていると、いざ寝ようとしても、なかなか寝つけるものではない。それで今週はずっと、睡眠薬のお世話になっていた。
すると目が覚めるのは、午後の1時から3時ごろ。これではなにもできない。
じつは今朝も、就寝前だったのだ。
5時すぎに、かみさんが暑くて眠れないと起きてきたので、それなら散歩でもしてこようか、と誘ったもの。
当たり前のことだが、早朝の街は車が少なく、空気も爽やかで、快適に歩ける。御池通のような大きな通りを、信号無視して横切れるのも、ささやかながら痛快だ。
京都は街が碁盤目に仕切られており、道路は真っ直ぐである。ところがいざ歩いてみると、街区ごとに微妙なずれがあって、けっして一直線ではない。
しかも微妙な高低差があり、けっこう波打っている。車が通っていない朝は、1キロぐらい先まで見通せる。だからこそわかることである。
今日は御苑をひと回りしてきた。
帰り道、堺町通りを歩いていたところ、イノダコーヒの本店前を通った。
見ると、客らしい人がなかへ入って行く。まさかと思って聞いてみると、もうやってますという。
まったく知らなかった。
イノダは京都でいちばん有名なカフェだから、いつも混んでいる。人を案内して行くことはあっても、ふだんは滅多に行かないのである。
おどろいたことに、7時直後だったにもかかわらず、テーブルはもう9割方ふさがっていた。
ほとんど観光客だったろうと思うが、みんなよく知っているなあと感心した。
メニューを見たら、朝食セットがあった。京都に4年住んで、そんなことも知らなかった。
写真がその、朝食セットであります。これにコーヒーがつきます。
早起きは3文のとく。おかげうまい朝食にありつけた。
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2013.8.17
今夜は五山の送り火の日だったのに、気がつかなかった。
夜のテレビ番組表を見て知ったのが、8時まえ。それから出かけるには、遅すぎたのだった。
暑さのピークは過ぎたものの、日中はとても、出かける気にならない。今週はろくに、外出しなかった。
出かけたのは、ジムか、スーパーぐらい。帰りにお茶を飲んできたとしても、2000歩に満たない範囲で、すんでしまう。
1回だけ、1万歩歩いた。すると、サンダル履きだったせいか、足の皮が剥けた。
サンダルは底がフラットなので、長い歩行には向かないのである。
かといって、一度素足で出かけてしまうと、夏はもう靴が履けない。
先週土砂降りがあってからは、ずっと晴天つづきである。
加茂川河畔があまりに暑かったから、せめてもの木陰を求め、下鴨神社に行ったら、古本市をやっていた。
そういえば毎年、お盆のこの時期には、糺の森で古本市が開かれていた。
関西では最大級の古本市だと思うが、一度行って、あまりの暑さに辟易し、以後近づいたことはなかった。
今回は知らずに遭遇したもの。とはいえ、古本どころでなかったのは、今回も同じ。
なんせこの日の京都の気温は、38度だったんでっせ。
境内の茶屋で、かき氷をやっていたから、干天の慈雨とばかり列に並んでいたら、30分待ちだといわれた。
かき氷で30分でっせ。
結局抹茶アイスだけ飲んで帰ってきた。
古本も3冊買いましたけど。
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2013.8.10 ものすごい暑さがやってきて、36度、37度ではもうおどろかなくなった。
あと数年もすると、40度という数字が登場するようになり、10年もすると、それがふつうの数字になっているかもしれない。
その一方、各地で猛烈な雨が降り、記録を取りはじめて以来という大雨が報告されている。
とくに今回、最初の豪雨禍に見舞われた山口県、島根県のあの一帯は、わたしが小学校から中学校へかけて過ごしたところなので、気の毒でならなかった。
その間数回引越もしているから、あの辺りの山や、川や、海には、親しんだところも多く、ある意味では高知以上に、いろいろの思い出が残っているところなのだ。
高知同様、山陰のあの辺りも、いまや日本有数の過疎地帯となり、往年の面影は忍ぶべくもない。
その後何回か足を運んでいるが、そのたびに、懐かしさ以上のさびしさ、哀しさを味わったものだ。
当時は終戦の前後だったから、国土は荒れ、自然災害が多かった。そのころの水害の跡地は、その後も荒れ地のまま放置され、もとの美田にはとうとう返らなかったのである。
つぎはいつ、再訪できるかわからないが、草木がもとのように生えそろっていたとしても、景観が変わっていたらまちがいなくわかると思う。
国土の荒廃は、人間の哀しみの根源を揺さぶるのである。
夕方になって、暑さがいくらかやわらいできたので、すこし歩いてこようと出かけたところ、鴨川の手前でにわか雨に遭った。
今日は、雨の心配がないはずと、天気図でたしかめてから出てきたのに。
はじめのうちはぱらぱらだったが、そのうちどーっと降りはじめた。
三条大橋を渡るまえだったから、橋のたもとにあったスターバックスに避難した。
運がよかった。間もなくものすごい土砂降りになったからだ。
写真がそれ。これはかなり強くなってきてから撮ったもので、はじめは対岸の、東山がくっきり見えていた。
いちばん強いときは、向こう岸そのものが、けぶってほとんど見えなくなった。
その日のローカルニュースでは、このとき降った雨は、10分間で20ミリに達したと報じていた。
ここは晴天だったら、前のテラスでお茶が飲める。昼間は暑いけど、夜になるとカップルで賑わいます。
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2013.8.3 一緒にヨーロッパ旅行をした友人が、自分たちの撮った写真を、CDにして送ってくれた。
双方が別行動をとった日もあるから、すべての記憶が重なるわけではないが、日づけ順になっているので順に見てゆくと、いながらにしてだいたいのことはわかる。
こういう写真の整理、編集が大の苦手な当方としては大助かり。いやー、ありがたいというので、自分たちの写真は、パソコンに移したきり、いまだに、ほったらかしだ。
もっとも今回のわが家の写真は、それほど多くない。というのもかみさんが、ミュンヘンでカメラをなくしたからで、行程のほぼ半分の写真が、あまりないのである。
わたしのカメラで撮ったものもあるから、それほど困りはしなかったものの、わたしはカメラより、主として双眼鏡を使っていたから、写真はそれまで、それほど撮ってなかったのだ。
それで日本へ帰ってから、かみさんにあたらしいデジカメを買ってやった。
ご承知のようにデジカメは、レンズを出してから、シャッターが下りるまでのタイムラグが大きい。
車窓からいい風景を撮ろうとしても、タイミングが遅れるから、電柱が真ん中に来たり、立木が入ったりで、もどかしい写真のできることが多い。
そういうタイムラグをなくしたデジカメができた、という話を聞いていたから、今回ははじめから申し出て、それを買った。
メーカーはカシオ。いつでも、どこでも、さくさくとシャッターが切れる、というのを売りものにした機種である。
たしかに使ってみると、素早くシャッターが切れる。
ところが、その分バッテリーが大型となり、通常の倍くらいある。前のカメラと比べたら、30グラム以上重いのだ。
かみさんはそれがお気に召さなかったようで、こんな重いのはいやだと言いはじめた。
結局わたしが使っていた軽いものをかみさんにやり、あたらしいカシオは、わたしが使うことになった。
最近この欄で紹介している写真は、すべてこのカメラで撮ったものである。
ビルのまっただ中にあるこの畑。いったいどこにあると思いますか。
わが家から、5分足らずのところにできたスーパーの2階。その屋上につくられている畑なのだ。
木が見えるが、土を50センチ入れ、小川が流れ、ミツバチの巣箱まで設置した本格的な農場になっている。
ここでつくられている賀茂茄子の揚げ煮などが、2階のレストランで供される。
このスーパー、八百一といって、知る人ぞ知る店。京都では、高島屋や伊勢丹の青果を受けもっており、東京でも日本橋高島屋、東武池袋店、丸井北千住店などの青果を扱っている。
その八百一が、このような農場を持つスーパー本館を、この春誕生させたものだ。以来高級スーパーとして、女性客の人気を集めている。
写真ではよくわからないが、畑の向こうにはフレンチレストランがある。昼間はティータイムとなるものの、いつも妙齢のご婦人方でにぎわっており、じいさんは恐れをなして、まだいっぺんも入ったことがない。
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2013.7.27
所用があって、数日、とんぼ返りで東京へ出かけていた。
おどろいたのは、東京のほうが、京都よりはるかに、しのぎやすかったこと。気温30度以下の日が、2日もあった。
7月の末で、これはないんじゃないのと思っていたら、ものすごい雷雨になった。
都内の限られた地域では、1時間100ミリと桁外れの集中豪雨になったそうだが、わが家の近辺もすごかった。庭に水深10センチ以上も水が溜まったのは、久しぶりである。
翌日、土が湿っているときに、庭の草引きをした。すると蝉の抜け殻がいくつも出てきた。
蝉といい、蟻といい、土のなかで、あの大雨をどのようにやり過ごしているのか。いささか同情したのである。
今回は暑い時間帯を避け、行きは朝いちばん、帰りは最終のひとつ前の列車にした。
最終のひとつ前と言っても、東京を出るのは19時台である。
この時間帯の新幹線は、ほとんど3分おきに出発する。あの長大な列車が、通勤列車並につぎつぎと発車して行くのは、壮観というより茫然とする眺めだった。
いまから50年前の昭和39年、試運転ちゅうの新幹線に、大阪まで在来線を使って、取材で乗りに出かけたことがある。あのころのことを思えば、まさに隔世の感がある。
数年後の乗客1億人達成の日には、たまたまかみさんが乗っていて、記念の絵はがきをもらって帰ってきた。わが家のどこかにまだあるはずだ。
前に京都のスターバックスを、贅沢な空間としてご紹介したが、東京にはまだそれ以上の空間があった。
新宿タカシマヤの7Fにあるこの店。なんと5フロア分、吹き抜になっているのだ。
もとは映画館だったそうだが、そのときは入ったことがないから、どういう空間だったか、知らない。
新宿で待ち合わせをするときはよく使っているが、今回利用した昼下がり、客のすべてが女性だったのには目を剥いた。男は小生以外、ただのひとりもいなかったのだ。
この店、パパスカフェといって、本来はオトーサンのための店。喫煙席まであるんだけどなあ。
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2013.7.20 祇園祭が終り、なんだか夏が終ったような気分だ。
昨年も、一昨年も、この時期は東京に逃げていたが、今年はかみさんの腰痛というアクシデントのあったおかげで、ずっと京都にいた。
暑い盛りの山鉾巡行は遠慮したが、朝夕の涼しい時間帯は、毎日のようにそこらを歩き、お祭り気分を満喫してきた。
写真1は、巡行当日朝9時の鯉山。
平安の都でありながら、なぜか泰西名画のような晴れ着を身にまとい、準備万端整っているところ。
それなのに人気がなく、静まり返っているのはなぜか。
今回の巡行には32の山鉾が参加したが、順番は籤で決められる。
ただ先頭を行く長刀鉾と、殿をつとめる大船鉾など、いくつかの山鉾は順番が決まっている。これを『籤とらず』の山鉾という。
残りは籤を引くのだが、今回の鯉山が引き当てたのは、なんと、どん尻。つまり大船鉾の前だったのだ。
だからお隣がとっくに出発したというのに、こちらは1時間以上あと。あわててもしようがないのである。
以前の、下京区に住んでいたとき、祭りの終った日の夜遅く、突然祭り囃子が前を流して行ったから、びっくりして見に行ったことがある。
実際は山鉾巡行前日のことで、翌日の好天を祈願して行われる『日和神楽』という行事だった。
この流しは、祭を物心両面で支えてくれている周辺の町町への、お礼を兼ねての巡行だった。
観光客の途絶えた夜更けの町を、華やかだが、ひっそり流して歩く囃子の一行と、それを迎える地元の人々。
ご祝儀が渡され、返礼の厄除けちまきが配られ、これぞ本物の祭りだと言いたくなるようななごやかな雰囲気が、見ていてなんとも気持ちがよかった。
あの囃子をもう一度見たいと、ずっと思っていた。
だったら調べてみればいいものを、例によって、なんにもしなかった。
山鉾巡行の前日。つまり宵山が終って観光客が帰り、夜更けた町のどこかから、聞き覚えのある囃子が聞こえてきたから、あわてて調べてみたときは、すでに遅かった。
日時も、日和神楽という名も、そのときはじめて知ったのである。
ほかにも山鉾巡行当日の夜。八坂神社を出発した3基の神輿が、それぞれ氏子の町筋をたどり、四条河原町にある御旅所へ渡御する行事があるというから、これは見に行ってきた。
山鉾が終ったあとのことだから、ひっそり行われるのかと思ったら、何百人もの大群衆が繰りひろげる、熱気あふれる行事だった。
写真2は、上弦の月が出ている御旅所につき、気勢を上げている神輿。神輿を揺さぶるときのかけ声は「ほいとー、ほいとー」。
この神輿は、24日の夜、御旅所を出立し、またちがうコースをたどって、八坂神社へ帰る。
祇園祭というのは、はじまりから終りまで、まる1ヶ月かかる、ながいながい祭りなのである。
写真3
18日朝の、解体中の長刀鉾。小さな山鉾はもどってきたらすぐ解体されるが、大きな鉾は解体も2日がかり。
ご覧のように、芸術的に結束された縄が、ばらすときは惜しげもなく切り刻まれる。
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2013.7.13
祇園祭の季節になり、ただいまあちこちで山鉾建てがはじまっている。
といってもすべてが、下京区と中京区の、ごく一部の地域に集中しており、こともあろうに、わたしはそのまっただ中に住んでいる。
マンションの前を、南北に走っている通りを室町通りというが、ここはもっとも山鉾の多いところで、全部で7つ、鉾や山がある。町内ごとに、鉾や山を持っているのである。
(こちらはお隣の山伏山、向こうに見える高い鉾が菊水鉾。)
わたしの住んでいる鯉山町にあるのが『鯉山』。
お隣の山伏町には『山伏山』。
その先の菊水鉾町は『菊水鉾』。
祇園祭が町民の祭りだということが、このことだけでもよくわかる。
鉾建ては今週初めからはじまり、交通規制が行われて、その地域はいちはやく、車が通れなくなった。
今日からは前の通りも、通行禁止になった。
ごみ収集車も入ってこられなくなるから、しばらくは住民のほうが、決められた左右の通りの端まで、ごみを持って行かなくてはならない。
夕方、買物に行こうとして外へ出てみたところ、マンションの前に、ご覧のような骨組みができあがっていた。
これが鯉山である。
12トンもある鉾ほど巨大なものではないが、それでも0・8トンもの重量になるとか。
ご神体というか、山の主は、滝登りの鯉である。
案内板によると、装飾の一部に、16世紀のベルギーのブリュッセルで織られたタペストリーが使われているとか。
どこの鉾や、山にも、信じられないほど多様な、世界各地の織物や、文物が使われている。京都の文化が、それだけ豊かだったという証左だろう。
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2013.7.6
覚悟はして帰ってきたが、京都の暑さは耐えがたい。今週は雨が多かったから、蒸し暑いことこの上なかった。
かみさんの腰痛も、よくはなっているが、日増しによくなっている、とは言えないから厄介。明日の予測ができないのである。
こうなったら、気長に付き合って行くしかないだろうと、覚悟している。
おかげでこちらも、まことに変わりばえのしない毎日。
外出といえば買物くらい。帰りに、ちょこっとお茶を飲んでくるぐらいが関の山だ。
この間ジムには2回行ったが、風呂に入っただけ。運動はしていない。汗をかきたい気分ではないのだ。
いまは要するに我慢の時期。それにしても、暑いのがやりきれない。
京都へもどってきたから、写真もこれから京都に題材を変えます。
スターバックスといえば、便利なところにはあるが、ごたごたして、落ち着かない店が多い、というのが大方の感想ではないだろうか。
ところが京都には、立地からいうと、日本一ではないか思えるようなスタバがある。
写真の店がそれ。
3階まで吹き抜け、前は全面ガラス張りという贅沢な空間。落ち着けます。
窓の外に見えているのは六角堂。
といえば、どこにあるかもうおわかりでしょう。
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