Shimizu Tatsuo Memorandum


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きのうの話      

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2024.3.28
 前回、本年初の大雪の写真を掲載した。
 その直後、外出しなければならない用ができ、ノーマルタイヤで大丈夫かなあと、おっかなびっくり出かけた。
 わずか100メートルほど行くと、えっというほど小雪になった。
 200メートル先まで行ったら市道に出る。
 おどろいたことに、そこまで行ったらまったく降っていなかった。
 わが家って、こんな豪雪地帯だったのか。
 わが家はだらだら広がっている丘陵の上に位置しており、標高は70から90メートル、わが家近辺で85メートルぐらいだ。
 周辺はまったくの農村地帯。
 下の平地とは20メートルくらいしか標高はちがわないのだが、気温差はけっこうあるらしい。
 下の農家の爺さんから、おたくら山の上はミカンが実るけど、この辺はできないんだ、という話を聞いたことがある。
 ミカンはある程度小高いところが生育には向いているようで、日本のミカン栽培の北限は筑波山とされている。
 筑波山に行ったとき、標高400メートルくらいの山腹にミカン畑があるのを、実際にこの目で見ている。
 しかし大船渡の人間から、うちだってミカンはできるよ、と言われたことがある。ただし酸っぱくて、とても食えない。
 この家に越してきたとき、庭に前の住人が植えた甘夏、伊予柑、柚子の木があった。
 柑橘類大好きのわたしとしては嬉しかった。
 甘夏はごていねいにも2本あった。
 甘夏と名づけられているくらいだから夏ミカンにしては甘いのだが、2本は多すぎる。
 それで1本は切り倒し、代わりに金柑を植えた。
 ところが2019年の台風15号で、屋根が剥がれたりプレハブの作業小屋が倒壊したり、予想以上の被害が出た。
 柑橘類は風に弱かったらしく、甘夏、伊予柑、柚子の3本が横倒しになった。
 金柑は倒木の巻き添えを食らって幹が折れ、その後枯れた。
 伊予柑も2年ぐらい持ちこたえたが、とうとう枯れた。
 甘夏はほぼ横たわっていたからまずだめだろうと思い、代わりに土佐文旦、小夏を2本ずつ植えた。
 ところが甘夏、柚子とも、横倒しになったまま、いまでもしぶとく実をつけている。
 土佐文旦と小夏は、3年ほど前から実をつけはじめた。
 しかしどうやら日照時間が足りないらしく、味はいまいちだ。
 今年は小夏の実を大量に間引き、糖度を上げたつもりだったが、それでも甘さは増えなかった。
 酸っぱい小夏なんて小夏じゃない。
 それで負け惜しみになるが、食用はあきらめることにした。
 見て楽しむだけの観賞用ということにしたのだ。
 毎年秋から冬になると、黄金色の実を枝もたわわにつけてくれる柑橘類は、見ているだけで豊かな気分にさせてくれる。
 これはこれでありがたいことではないか。

知らない方にはわかりにくいかもしれないが、手前から文旦、甘夏、小夏と、3種類の実が稔っている。いたずらに地の肥やしとなっております。

2024.3.8
 書くことがなくて困っていたら雪が降りました。





2024.2.11
 白内障の手術をしたお陰で世界ががらっと変わった。こんなことならもっと早く手術すればよかったと思っている。
 なによりも裸眼で本が読めようになったことが、これほど素晴らしかったのかと嬉しくてならない。
 喜びのあまり、本を読みはじめたら止まらなり、朝まで起きっぱなしということがしょっちゅうになりはじめた。
 夜中の3時までは仕方がないと思っている。それでようやく本を置き、さて寝ようとしても目が冴えて眠れない。
 それであきらめてまた本を読みはじめる。気がついたら6時か7時になっている。
 そうなると翌日がめちゃめちゃになる。
 仕事もできなければ、外へ出かけることもできない。頭がぼうっとして注意力散漫になるから、車の運転も怖くてできないのだ。
 昨年秋、目が悪くなって本が読めなくなってきたとき、考えた末にキンドルの電子ブックを購入した。
 電子ブックはやめたほうがいい。たいていの人が途中で使わなくなる、という声が気になったのだが、活字の大きさを変えられ、パソコンやスマホとはちがう目に優しい光だという魅力に勝てなかった。
 まだ数冊しか読んでいない。
 だから結論を出すのは早すぎるとは思うが、ちょっと早まったかなという気がしはじめている。
 まず電子ブックには、読みたい本の絶対数が明らかに足りなさすぎる。
 電子ブックで読める本というとほとんどがエンターテイメント、わたしは作家だが、小説は義務や仕事で必要なときしか読まないのである。
 それに電子ブックは、読みたい本を探すのにうんざりする。
 本屋の棚に並んでいる本の背を見て選ぶのではなく、デジタル画面を取っ替え引っ替えして探し出さなければならない。
 本だと手にとってぱらぱらとページをめくり、拾い読みして内容の見当がつけられる。デジタル案内だとそういう操作も不向き、なによりも本を探し出す喜びがない。
 やはりわたしは根っからのアナログ人間なのである。
 それともうひとつ気がついたのは、電子ブックと紙の本では読んでいるときの没入度がちがう。
 紙の本では何度も読み返して熟読できるが、電子ブックではなんとなく流し読みになってしまう。
 これはまだ慣れていないせいかもしれない。もうすこしたてばちがってくるかと期待して、しばらく我慢するしかないだろう。


2024.1.11
 明けましておめでとうございます。
 新年早々ろくでもないことがつづき、正月気分どころではなかったことと思います。
 せめてこれからは、穏やかで平和な日々がつづくよう祈らずにいられません。
 当方、正月は白内障手術後の感染予防ケアで終わってしまった。
 なにしろ1日4回も目薬を差さなければならなかった。しかも間隔を開けて。
 年末に最終の検眼をしてもらい、眼科医の方はそれで終了した。
 本日眼鏡屋に行き、あたらしい眼鏡を発注してきた。
 できてくるのは20日後、それまではいまの眼鏡(古い眼鏡の中でいちばん使いよかったもの)で我慢しなければならない。
 とはいえ裸眼でパソコンが使え、本が読めるようになったのは、なにものにも代えがたい喜びだ。
 術後の心得なるものを読んでいたら、寝転がって本を読むのはよくないとあった。
 そんなもの、読まなかったことにした。
 正座やデスクで本を読んだことはないからである。
 それともうひとつ、予期していなかった障害が生まれた。
 年末に補聴器を購入してしまったのだ。
 耳は年々遠くなっており、いずれ聞こえなくなることは覚悟していた。
 100近くまで健在だった叔父が、90を過ぎたころは完全に聞こえなくなっていた。母方の遺伝なのである。
 自分では納得していたから、それほど困っていなかった。
 かみさんとせがれからは、補聴器をつけろと早くからやいのやいの言われていたが、その気は全然なかった。
 にわかつんぼで、都合の悪いことは聞こえないことにしてとぼけられるからだ。
 ところが『負けくらべ』刊行後、いくつかインタビューを受けたとき、はたと困った。
 テーブルを隔てて向かい合うと、相手の声がほとんど聞き取れないのだ。
 それでコーナーを挟んだ隣に来てもらって話した。
 そのとき同席していた編集者が、わたしより若いのに補聴器をつけていた。
 冗談半分その補聴器を借りてみたところ、聞こえ方が全然ちがった。
 それまで補聴器とは、ただ音量を大きくする装置だと思っていたのだが、そうではなかった。
 音声にくっついている濁りや垢のようなものを取り除き、すっきり、シンプルにして伝えてくれるのである。
 思っていた以上に聞きやすかった。
 それで見直して、自分も補聴器を導入することにした。
 とはいえ内心では、嫌がる気持ちもあった。
 都合が悪いときの、聞こえないふりができなくなるからだ。
 補聴器のできてきたのが年末、耳に架けるタイプである。
 あいにく白内障手術と重なってしまった。
 2週間ほどゴーグルをかけていたし、病院に行くときはマスクもかけていたから、この間は使うことができなかった。
 正月明けも、なんだかんだで今日まで使っていない。
 眼鏡ができれば外出する用もなくなる。
 家でごろごろしはじめたら、もうつけざるを得なくなる。
 聞こえないふりも通用しない。
 こんなの買うんじゃなかったなあ、と密かに後悔しているのである。




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