Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

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2013.6.29
 今月いっぱい東京にいるつもりだったが、かみさんの腰痛がにわかに悪化、立ち居振る舞いもままならなくなったというので、あわてて帰ってきた。

 2年ぶりの発症ということになるのだが、いまのところ一進一退。はたのものはなす術もなく、ようすを見守っているほかない。
 前回はその後どういう風に推移したか、日記で調べてみると、日常生活ができるようになるまで、約2週間かかっていた。
 すると今回も、あと1週間我慢しなければならないということになるが、痛みが前回とちがうというから、すこし気にかかる。

 日本へ帰ってきて1ヶ月。旅の疲れが出たのかもしれないし、調子がよかったので油断して、その後のケアがおろそかになっていたのかもしれない。
 いずれにせよ、よくぞ旅の最中で出なくてよかったと、いまあらためて、胸をなで下ろしているところである。

 今回の旅行は鉄道での移動が多かったため、8日間のレールパスを、組み込んで行った。
 その切符を使う日は、1日列車に乗り放題。これには船のクルーズ代まで組み込まれていたため、ドナウ川、ライン川の船旅も楽しんできた。

 写真は、ライン川下りならぬライン川上りの一景。川幅が百メートルくらいしかない狭いところに、中世風の木造橋がかかっていた。
 写真は船がその橋の下を潜りぬけたところ。
 写真には写ってないが、このベンチの日除けテントの支柱が、そのときはひとりでに倒れて、橋を潜った。


 ドナウ川下りクルーズの光景。
 ご覧のように、低い橋の下を通り抜けようとしている。
 写真中央の枠のなかに、赤い線が2本入ったものが見えると思うが、これは煙突。橋の下へさしかかると、倒れて引っ込んだのである。


2013.6.22
 毎年春になると、いち早く花を楽しませてくれた庭のハクモクレンが、去年、急に枯れた。
 隣に植えてあったアンズが先に枯れたから、そのとばっちりを受けたのかもしれない。
 それで仕方なく切ってもらったのだが、すると庭が、いかにも淋しくなった。
 3本しかなかった木の、2本がなくなったのだから、これは淋しい。

 あとになにか植えましょうか、と植木屋が言うから、例によってわたしは、成りものを希望した。
 花には、なんの興味もないのである。食えるものの成る木、つまり果樹が欲しい。
 数坪しかない庭なんだから、そんなものを1本や2本植えたって、ちゃんとした実が成るわけがない。
 これまで植えた柿、桜桃、グミ、アンズ、全部失敗している。
 それでも懲りず、成りもの!

 その結果、ブルーベリーを植えてもらうことになった。正しくはブルーベリーの一種。
 果実はもちろん食えるし、春の新芽、秋の紅葉も楽しめ、最近庭木として人気が出ているという。
 ということで、やってきたのは、高さが2メートル近くある、かなり大きな苗。
 以後順調に育ち、先月、ヨーロッパへ行くときは、手が届かない高さになっていた。いったいどこまで延びる気か、心配になったくらいだ。

 20日あまり留守にして、月末に帰ってきたところ、黒い実がたくさんついていた。
 おそるおそる口に入れてみると、甘い。立派なブルーベリーだ。
 通常のブルーベリーより、1ヶ月以上成長が早いせいか、実はやや小粒。その分みずみずしさに欠け、種も大きい。だが甘味は、むしろつよい。
 おおよろこびで、以後半月ぐらい、生食に、ヨーグルトソースにと、楽しませてもらった。ざっと2リットルぐらい採れたと思う。

 ただしかみさんには、種の大きいのが不評だった。それで刺激されたか、京都に帰ると、本物のブルーベリーの鉢植えを買い、ベランダで育てはじめた。
 ところが先日、友だちとの間でそれを話題にしたところ、すでにブルーベリーを育てている人がいたのである。
 そして言うことには「鳥が食べに来るから大変なのよ」
 鳥除けの、ネットが必需品だという。かみさんも、あわててネットを買ってきたそうだ。

 それを聞いて、びっくりしたのは、わたし。あわてて庭に出てみた。
 取り残した実、そのまま立ち枯れていた実、落ちた実など、数日まえまで、そこらじゅうにあった実が、1粒もなくなっていた。
 きれいさっぱり、ただの1粒もない。
 犯人はヒヨドリだろうと思うが、これまで一度も来たことがなかったのだ。
 それをいつ知ってしまったのか、味を覚えた途端、1粒も余さず、食い尽くしてしまった。
 こんな高い木に、ネットをかけるわけにはいかないし、来年からは鳥と人間の、早食い競争になりそうだ。


 今回尋ねたオーストリアやドイツでは、市街地のいたるところでブナの木を見かけた。
 ヨーロッパブナというらしいが、日本のブナとはすこしちがう。葉はほぼ同じ。
 びっくりしたのは、日本にはない(と思う)枝垂れブナの大木が、大事に保護されていたこと。
 樹齢百数十年はありそうなブナの枝垂れとなると、1軒の家をまるまる呑み込んでしまうくらいの大きさで、残念ながら、どうにもカメラに収めることができなかった。
 これはドイツ・バーデンバーデンで見かけた枝垂れブナ。樹齢数十年程度の、ごく小さな枝垂れです。


2013.6.15
 3日降りつづいた雨が、ようやく今朝止んだ。

 そのまえに一度、28度まで気温の上がった日があった。
 それくらい暑くなると、さすがの風邪も退散する。やれやれと思ったら、たちまちこの長雨だ。
 気温は梅雨寒の23度に逆もどり。治りかけていた風邪までぶり返し、まさに右往左往だった。
 家のなかにいるときは、なにを着たらいいのか、着てみるまでわからなかったのである。

 このところだいぶ雨が降らなかったため、近くの程久保川に住みついているカルガモが、かわいそうなくらい、水が干上がっていた。
 それが雨のおかげで、すっかり元気を取りもどした。
 清流みたいな水がさらさらと流れ、脇を歩いていても、まことに気持ちがよかった。

 途中1箇所、半野生みたいな、枇杷の木の生えているところがある。
 その木が大きくなって、今年は枝もたわわに実をつけた。
 しかもいま、格好に色づいてきたところ。ところが、持ち主はいなさそうなものの、道端にあるから手を出しにくいのか、いまのところ、手を出したものがいない。もいだ形跡がないのだ。
 果物に目がなく、枇杷大好き人間のわたしとしては、いつもだと、心おだやかに、そこを通り抜けられないはずなのだ。

 それが今日は余裕綽々、横目でにらみながらも、ふむふむと、寛容な顔をして通り抜けた。
 一昨日妹が、自分とこの庭に生えている枇杷の実をもいで、ひと箱送ってきてくれたからだ。
 栽培したものではないから、見栄えはよくないが、味は上等。
 うれしくて、うれしくて、一昨日はたっぷり冷やし、1回に10個おいしくいただいた。

 ところがこともあろうに、昨日はそれを、食い忘れていた。
 箱に入れたまま、冷蔵庫の棚にすっぽり収まったから、中味が見えない。
 それで忘れたのだろうが、せっかくの果物を食い忘れるなど、わたしからすれば、考えられなかったことだ。
 いったい、頭がどうなってしまったのか。記憶の回路が、おかしくなっているとしか思えないことばかり、最近つづいている。


 今回の写真は、ハンブルク市内の高台にあるビスマルクの肖像。大きすぎて、カメラに入らなかった。
 ビスマルクがどういう人物であるかは、いまさら言う気もしない。写真を見ればおわかりのように、落書きだらけ。いまどきの市民に、愛されているとは思えない仕打ちを受けている。
 今回は3カ国を回ったが、どこの国へ行ってもこの手の落書きだらけ。まっとうな壁は、ひとつとして見なかった。
 世界から、秩序と品位がどんどん失われつつある。


2013.6.9
 日本へ帰ってきて以来、躰の調子があまりよくない。微熱がつづいて、風邪気味なのである。

 食慾もまったくなく、今日は朝から、ラーメンを一杯食ったきりだ。おまけにこのところ、前歯のぐらつきが大きくなって、ものがろくに噛めない。ラーメンの麺を、噛み切るのがやっとなのである。

 下の前歯3本は、数年前からぐらつきはじめた。それで以後、取扱いには最大の神経を使ってきた。
 親からもらった歯を、まだ、1本も欠かしていないのが、唯一の自慢。あとはこの状態を、最後まで維持していきたいと願っていた。
 だから歯間ブラシを当てるときも、この3本には極細を使い、できるだけ負担をかけないようにしてきた。

 それがほんの数日まえ、かりかりに焼いたパンを、うっかり、この前歯で噛んでしまった。
 ぐらっときたから、あわてて食い方を変えたが、遅かった。歯のずれ具合がまえより大きくなったみたいで、以後なにを食っても、障る。
 京都へ帰ったら、歯医者に行ってみるつもりである。

 それはそうと、梅雨入りしたはずだが、いっこう雨が降らない。
 気温もそれほど上がらず、冷夏とまではいかないものの、けっこう寒い。京都などは暑くて、昨夜は眠れなかったそうだが、わたしのほうは多摩で、夜はちゃんちゃんこを着て、パソコンに向かっている。
 帰ってきて、一度だけ、28度の日があった。そのときは、じんわりと暖かくて、微熱のある身としては、ほっとする温もりだった。
もわっとするほど気温が上がったら、ずいぶんしのぎやすく感じるはずなのだ。


 写真はミュンヘンの科学博物館に展示されていたジェームス・ワットの蒸気機関第1号。本物。
 同館の目玉のひとつなのだそうだが、こういう貴重な科学遺産を流出させてしまったイギリスとしては、さぞ心おだやかではないだろう。
 同館には、ドイツ海軍の第1号潜水艦など貴重なものが数多く展示されていたが、なかに第二次大戦当時、ドイツ空軍の主力戦闘機だったメッサーシュミットがあった。いまでは、ほかにもう1機あるだけだとか。
 メッサーシュミットといえば、当時片田舎の小学生に過ぎなかったわたしでさえ、その勇名は知っていたもので、ニュース映画くらいでしか片鱗をうかがう機会はなかったが、日本の零戦と同じくらい、記憶のなかにしっかりこびりついた名前だった。
 その実物だというから、夢中になって何枚も写真を撮ったのだが、日本に帰り、パソコンに移し替えて、いざあらためて見ると、その写真が1枚もない。
 前後の写真を調べてみると、全体の通しナンバーは合っている。
 そのなかに、肝心の写真がないということは、撮り忘れたからだとしかいいようがないのだが、そんなことって、あっていいものだろうか。
 不可解としかいいようがないのである。


2013.6.1
 旅行期間が長かったから、まだ躰が日本に順応していない。

 とくに天候。今日は雨こそ降らなかったが、気温26度と蒸し暑かった。
 26度は、ウイーンに行ったとき経験しており、暖かすぎるのに戸惑ったものだ。
 しかし半袖のポロシャツが着られたのは数日。後半になるほど天気がくずれ、風雨が強く、気温が低くなって、毎日服装を合わせるのに大変だった。

 最終地のスイスでは、みぞれが降ったり粉雪がちらついたり、真冬並の気候になったのだ。気温も最低5度まで下がった。
 なにしろ5月25日に、モミの木が真っ白に雪をかぶった、ホワイトクリスマスの光景が見られたのである。

 しかし今回の旅行で最大の収穫だったのは、かみさんの体調に異常がなかったことだ。いったいあの腰痛はなんだったの、と言いたくなるような日々で、これには本人がいちばんおどろいていた。
 それより、毎日右往左往していたのはわたしのほうだ。方角をまちがえてばかりいた。
 これまで、地理感覚や方向感覚には、絶大な自信を持っていた。その誇りがずたずたになってしまったのである。

 またこれまで、外国で食いものを苦にしたことはなかった。それが今回は、単調きわまりない食事内容に、後半になるほど負担を感じた。
 野菜といえばトマト、キュウリくらいしか出ない。ニンジンすら、特別にサラダを頼まない限り出てこなかった。
 味覚の100パーセントを日本食で育ってきた人間としては、もっと野菜を食わせろよと言いたくなる。

 写真はドイツとオーストリアの国境山中に残っている、ナチの総統ヒトラーの山荘。
 切り開いた岩山に、山荘があったという話なら知っていた。しかし公開されているとは思わなかったから、早速、個人ツアーを申し込んで行ってきた。

 山荘は石造り。標高1881メートルの山頂から見る、360度の景観が素晴らしい。
 ただしツアーバスが行けるのは、麓まで。そこから先は専用バスに乗り換え、これで標高1700メートルのところまで行く。
 バスを降りると、今度は岩山にうがたれたトンネル。徒歩でおよそ100メートルすすみ、エレベーターに乗り換える。
 エレベーターは124メートルの高さを一気に上がり、着いたらそこが、山荘のなかなのである。
 山荘の公開は、5月の中旬から10月まで。ひょっとすると、わたしの訪れた週が、今年の初公開だったのかもしれない。
 その証拠に、山上はまだ雪でおおわれていた。歩けるのは、せいぜい100メートルくらい。ほかの施設は、なにもないのだ。

 現在の山荘はレストランになっており、ヒトラーの愛人エバ・ブラウンの部屋も残っているそうだが、これは公開されていない。
 かつて要人を招いて会議したという大広間に、イタリアのムッソリーニが寄贈したというイタリアン大理石の暖炉が、唯一の遺構として残っているだけだ。
 この山荘ツアーは欧米人に人気があるのだろう。つぎつぎにやって来るあらたな客のため、滞在時間わずか30分で山から下ろされた。

 麓の町には旧ナチの本部もあったそうだが、こちらは完全に破壊され、いまはなにも残っていない。


2013.5.29
 3週間の旅を終え、昨日無事帰ってきました。
 しかしブログは大失敗。

 インターネットができると大見得を切っておきながら、最初のホテルしか使えなかった。
 2軒目のホテルからは、ただの日記帳。気分までめげていた。
 最初のホテルで簡単に通じたときは、うれしくて、あっちこっちメールしまくった。
 それが4日目には、つながらなくなった。なぜか、原因を突き止めようとしたが、どうしてもわからない。

 翌日、思いあまって、フロントへ相談に行った。
 すると、これが当ホテルのIDとパスワードだと言って、紙切れを渡された。
 じつは投宿した日に、同じ紙片を渡されている。
 それを入力すると、ネットにつながって、Yahoo! のホームページや、メールができるようになったのだ。

 しかしあらたにもらった紙片を見ると、前日とちがう数字が記入してある。
 どうしてか尋ねたところ、セキュリティ保持のため、72時間おきに変えているのだとか。
 それを早く言ってくれよ。おかげでこっちは、ひと晩苦労させられたのだ。

 問題は、つぎに泊まったホテル。
 こちらは、24時間いつでも使えるとかで、IDもパスワードも一切なし。
 接触してみるとFREE WAVE と出てくるだけ。簡単につながる。
 こいつはすごい、と思った途端、切れてしまう。そこから先へ、どうしてもつながらない。
 今度はすぐさま、パソコンを持参して、フロントへ聞きに行った。
 パソコンをいじっていた宿直のおにいさんが、あれこれやってくれたのだが、どうやってもつながらない。
 こちらも外国語では状況の説明ができないし、向こうのしゃべることは、ほとんどわからない。
 結局あきらめて、引き揚げざるを得なかった。

 ほんのちょっとしたことだろう、ということは想像できる。
 それを自分で突き止めようとしたのが、なんといっても大失態だった。
 それから2日ほど、毎朝、毎晩、パソコンをいじくり回し、かえってパソコンのシステムまでおかしくしてしまったのだ。

 つながるどころか、ネットへの接触までできなくなった。
 つぎのホテルへ移るまで、我慢して待っていればよかったのである。
 生兵法のあげく、回復不能の大怪我、以後まったく使えなくなってしまった。

 ケーブルは持参したから、有線LANの設備があるところであれば、問題なく使えたと思う。事実帰ってきてからは、この方式でなんの支障もない。
 ところが今回泊まったホテルでは、有線LANの施設を有しているところは一軒もなかった。
 いずれも古いホテルばかり。そういうところは、インフラ改装を経ることなく、一足飛びに、すべて無線LANになっていたのである。

 それにしても、それを使いこなせなかった自分が、いちばん情けない。
 すこしは勉強しすべきだろうと、深く反省しながら帰ってきた次第です。


2013.5.12
 いやー、おどろいた。ウイーンからこのブログを送信している。

 滞在しているホテルが、バスタブもない、簡素きわまりない3つ星ホテル。
 ホームページに、パソコンはロビーで使えます、と書いてあったものの、なにもかもドイツ語で、英語表示がほとんどない国だから、使えっこないと思っていた。
 それがまさか、部屋から無線LANができ、インターネットも、メールも、自由自在にできようなんて夢にも思わなかった。いや、長生きはするもんだ。

 今週のウイーンは天気が不安定で、驟雨みたいな雨に何度か降られた。
 翌日の天気がそれだけ気がかりなわけで、その天気予報を、YAHOO JAPANでたしかめている始末なのだ。

 わたしのようなIT音痴でも、まったく困らない。つまり地理的ハンデなど、ないに等しいのである。
 これではなにも、日本にしがみついている理由はないことになる。ウイーンで、仕事することだってできるのだ。
 そういう目でウイーンをながめてみると、まことに暮らしやすそうな、魅力に富んだ街なのである。
 ビジネスマンの方には、なにをいまごろ、と憫笑されるかもしらないが、この年になって、こういうことをはじめて知った老人としては、ただただ感嘆するしかないのであります。
 そういう恵まれた条件を、自分が最大限に生かせるほど若くないのが、なんとも口惜しくてならない。

 というわけで、この先も、かなりホテル事情に左右されるとは思うが、旅先からの便りを、まだ書けるかもしれない。
 心配していたかみさんの腰痛も、いまのところ支障なし。それがいちばんの収穫になっている。

 とりあえず今回は、更新できることだけをお伝えしておきます。


2013.5.4
 週のはじめに東京へ出てきた。
 じつは6日より、ヨーロッパ旅行に出かける。成田発なので、とりあえず東京へ出てきたもの。
 今回は、友人夫婦とふた組で出かける。もともとはかみさんの中高校時代の同級生だが、旦那もわたしと同い年で、同郷だ。

 知り合ったのは結婚してからだが、すでに50年近いつき合いとなり、10年くらいまえには、一緒にスイス旅行をした。
 航空券の手配から宿の選択、予約まで、なにもかもやってくれるから、まことにありがたい友人である。今回もすべてお世話になった。

 旅程はオーストリアのウイーンを振り出しに、ドイツ、スイスを巡るもので、合計22日。すべて連泊以上。ウイーンでは6泊、ミュンヘンとチューリッヒが4泊と、そこは老人同士、ゆったりした行程である。
 現地の予定も、一切組んでいない。そのつど話し合って、どこへ行くかを決めることが多く、2日に1回は、夫婦単位で行動している。

 今回いちばん気がかりだったのは、かみさんの腰痛だ。このところ気温の低い日がつづき、するとてきめんに腰が痛むとかで、かみさんの自信をずいぶんぐらつかせた。
 ずっと渋って、なかなかうんと言わなかったのだ。それを、夫婦で旅行できるのは、多分これが最後だろうからと、むりやり説得した。
 あとは出たとこ勝負。この旅行がいい結果に結びついてくれるよう、祈るほかない。

 今回はパソコンを持参する。ノート代わりだから、毎日の詳細な記録は取れるが、ブログの更新までできるかどうかは不明だ。
 インターネットカフェに行くことはまずないだろうし、宿も3つ星クラスの安価なところが多いから、ネットが利用できるかどうかは不明。
 昨年イランへ行ったとき、毎晩時間を持て余し、こんなことならパソコンを持ってくればよかった、とひどく後悔したから、今回は持って行くことにしたもの。
 ブログの更新までは期待しないでください。
 とにかくそういうわけで、しばらくお休みをいただきます。

 昨日は快晴だったので、自宅周辺の丘陵を歩いてきた。距離はそれほどないが、歩くと気持ちのいい雑木林が、まだすこしは残っているのだ。
 最後は団地を通り抜け、梅林で有名な百草園まで足を延ばした。季節外れの梅園は、緑一色、ひっそりして、まことに気持ちがよかった。
 しかしそれよりも、隣にある八幡宮の境内に、シイの古木が鬱蒼と繁っていたことにもっとおどろいた。

 樹齢200年にも及ぶシイの木が、全部で60本もあるとかで、関東ではきわめて珍しい群落なのだそうだ。
 これまで3、4回は来ていると思うが、このような森があったことには、迂闊ながら気がつかなかった。
 写真はそのシイの森の一部。


2013.4.27
 今週も寒暖の差がはげしく、冬と初夏が日替わりのように入れ替わった。

 土曜日が終日雨。風も強くて、ひと晩荒れた。それが日曜の朝、からりと晴れた。
 わが家は緑がまったくない街中だが、それでも窓の端っこから外をのぞくと、嵐山の先の西山が、わずかに望める。

 毎朝そこから外を見て、今日の天気がどのような具合か、たしかめるのが日課になっている。
 それが日曜日の朝は、歓声を上げた。
 雨と風で大気が洗い流され、山々が手近へ引き寄せたかと思えるほど、鮮やかに、くっきり見渡せたからだ。

 京都へ来て以来はじめてという、極上の快晴だった。
 かみさんに見せると、同じように声をはずませた。そしていきなり、京都タワーに行ってらっしゃいよ、と言いはじめた。
 京都タワーなんて、お上りさんが行くところ。いままでそんなことなど、考えてみたこともなかった。
 東京でも東京タワーへは、取材で1回上がったことがあるきり。京都タワーなど、一生縁がないだろうと思っていた。

 ところがこのまえ、東京から孫がやってきたとき、かみさんとふたりで、タワーへ上がったらしいのだ。それが、思いのほかよかった、というのだった。
 京都タワーは、地上100メートル。それほど大きな構造物ではないから、上には展望台があるだけ。
 大型の双眼鏡が据えつけられている以外、ほかの施設はない。その双眼鏡が無料。のぞき放題だという。
 そう言われると、急に行きたくなった。これほどの天気は、望んでも、そうあるものではないからだ。
 日曜だから、観光客が多いのは仕方がないと覚悟して、とにかく朝のうちに出かけた。
 これがびっくりするぐらい、感激ものだった。

 雨上がりの太陽にみずみずしく照らし出された新緑の京都が、息を呑むほど美しかったのだ。
 京都という街が、ほどほどの大きさであることを、いまさらのように思い知らさせた。狭すぎず、広すぎず、人間が歩いて用を足していた時代にふさわしい、都だったのである。

 このタワー、できるときはずいぶん反対されたと記憶しているが、あらためて気づいてみると、京都の真ん真ん中なのだ。
 周囲の山々や神社仏閣など、これまでいろいろなところから京都を見渡してきたが、全景を見渡せるところというのはなかった。
 そういう意味では、京都市民に、はじめての眺望を与えてくれる場所となっているのである。
 べつにタワーの宣伝をするわけではないが、思わぬ発見をさせられたことはたしか。暇があったら、一度上がってみて損はないと思います。入場料770円。


 またまた鴨川、三条大橋からの眺め。桜はなくなったが、目を楽しませてくれる装置は、ほかにも施されています。
 燃えるように赤いのはカナメモチ。


2013.4.20
 桜のシーズンが終ったら、観光客の姿が、ばったり消えてしまった。京都が、見事なまでにひっそりと、静けさを取りもどしたのである。

 わたし個人は、日々新緑が萌え立ってくるいまの季節のほうが、はるかに好きである。
 じつはあと何日かたつと、東山を埋め尽くしている椎の木の花が、一斉に咲く。
 これが長い壜を洗う、細長いブラシのような格好をした花で、まことに地味。遠目には、花が咲いたとはとても思えない。
 しかし陽光の下で見ると、黄色い花が日を受けてきらきら輝き、山全体が黄金一色に染まって、まことに美しい。
 ただしこの黄金色も、見られるのはほんの数日。1週間もすると、嘘みたいに輝きが消え、ただの葉っぱになってしまう。

 この風景、昔からあった眺めではない。東山の木が、椎に乗っ取られはじめて出現した眺めだから、最近になって見られるようになった風景なのだ。
 京都のもうひとつの名勝である嵐山も、春は桜、秋は紅葉と、ずいぶん彩り豊かになったが、むかしは松しかなかった山だったという。
 それくらい自然の風景が、変わってしまったのである。

 じつは自然の景色を、人間の審美眼に合わせ、腕によりをかけて変えてきたのが、京都の社寺なのだ。
 鴨川は、いわばその実験場。木の種類を変え、花の咲く時期をずらせ、観光客の気を逸らさない工夫が、これでもかというほど凝らしてある。
 週2回は出かけているが、行くたびに色彩がちがい、その千変万化ぶりには、毎度驚かされている。

 今週は国立博物館へ、狩野派の画家の特別展を見に行ったのだが、はっきりいうと、これは家を出るための口実。
 ほんとの狙いは、そのあと、東山に登ってみようと思ったからだった。
 ところがその日は天気がよすぎ、午後から汗ばむ陽気になった。
 標高30メートルくらいから、100メートル以上のところまで、ゆるい坂をえっちらおっちら上がって行くのは、ちょっと苦しい。
 どうしたものか、迷いながら歩道に立っていると、銀閣寺行きのバスがやってきた。
 それで、とっさに乗った。バスで行けるところまで行き、気に入ったところで下りて、あとは歩こうと目標を変えたのだ。
 適当なところで下り、歩きはじめるとすぐ、永観堂の前に来た。
 永観堂禅林寺といえば、紅葉の寺として、あまねく知れ渡っている超有名観光名所。
 ただしわたしは、一度も入ったことがない。シーズンの人出を見ただけで、恐れをなして近寄らないからだ。

 それがいまの季節である。
 訪れる人もなく、見るからにひっそりと、静まり返っている。
 こんなとき行かなく、いつ行く、というのがわたしの流儀だから、今回はためらうことなく、拝観料を払って入場してきた。
 静けさと、新緑と、古寺の静謐とを、思いきり満喫してきたわけ。
 というわけで、本日の写真は新緑の永観堂であります。




2013.4.13
 パソコンを変えた。

 先月、東京で使用中、うっかりデスクから落としてしまったのが原因。
 カーペットの上に落ちただけだから、それほど衝撃を与えたとは思わなかったのだが、打ちどころがわるかったのだろう。

 そのうち画面の左側に、1本の筋が入りはじめた。
 隅から5センチくらいのところで、YAHOOのホームページを開くと、見出しと本文のちょうど逆目にあたり、当初はそれほど目障りでもなかった。
 ところがその線が、だんだん増えはじめた。
 これが右隅だと、まだそれほど邪魔にはならなかったのだが、左側に何10本も線が出はじめたから困った。これではそのうち、文章も読めなくなる。

 いっそ、あたらしいものに買い換えようか、とも思ったのだが、いま出ている機種には、800グラムを切る重さのものはないのだ。
 この軽さは、当時でも画期的だったのだが、スペックに問題があったのか、それほどヒット商品にはならなかったみたいで、以後この機種はつくられてないのである。
 修理に出し、液晶画面をあたらしいものに取り替えたらいくらかかるか、調べてみたところ58000円とわかった。
 それ以下の値段ですませようとすると、中古品を買うしかない。

 ネットで調べてみると、たまたまYAHOOのオークションに、この機種が出ていた。
 それではじめて、オークションに参加した。
 一応4万円台の前半で最高値をつけ、それが最終日の締め切り間近までつづいた。
 最後の最後に、もう一回値段を上げた方がよいのではないかと思ったのだが、なにしろはじめてだから、タイミングがよくわからない。
 そしたら案の定、締め切り間際に、500円アップした値段で、人にさらわれた。
 以後同じ品が出てこないし、つぎのオークションを待っていたら、いつになるかわからない。
 その間にも画面の劣化が進行し、文字も読みづらくなってきたから、こうなると、もう背に腹は替えられない。
 中古屋に行って、同じ品を買ってきたのだ。

 中味の移動は、いつも頼んでいるお助けマンにやってもらった。
 それでほぼ元通り使えるようになったのだが、同一機種でありながら、製作時期が1年近くずれているためか、どこか微妙にちがうみたいなのである。
 一部機能が使えない不備が出て、これはまだ直っていない。
 やや使い勝手がわるいものの、しばらくはこれで我慢するしかないだろう。
 しかしこんなことなら、液晶だけ取り替えたほうが、まだよかったかもしれない。むずかしいものである。


 水曜日に近江八幡へ行ってきた。秀吉の甥秀次が築いた城下町で、城の石垣や、堀がいまでも残っている。
 写真はその堀の一部。前方に見えている八幡山に天守が築かれていた。安土城とは目と鼻の距離である。


2013.4.6
 ただいま京都は桜が満開。春のいちばんよい季節を迎えている。

 今週は東京から孫がやって来た。
 わが家恒例の行事。小学校を卒業すると、すこし大人になったのを記念して、はじめてのひとり旅をさせる。その3人目である。

 これまでは、同じ時期でありながら、桜が満開になったことはなかった。それでじいさんと、ばあさんのどちらかが付き添い、本人の行きたいところへ出かけていた。
 それが今回は、桜が満開。というので毎日、ふたりがくっついて行動した。なんのことはない。じいさんばあさんの桜見物に、孫が付き合わされたようなものである。

 2日目に竜安寺へ出かけた。ご存じ世界文化遺産だが、こんなもの、小学校を卒業したばかりの子に、わかるわけがない。
 いま行けば、庭の借景になっているしだれ桜が満開で、さぞ見事だろうというので、じいさんばあさんが勝手に盛り上がり、行き先を決めてしまったものだ。
 朝は8時から公開するので、遅れてはならじと、タクシーで出かけた。
 残念ながらしだれ桜は、まだ5分咲き。意気込んで行ったほど華やかな光景は、見ることができなかった。
 しかし時間が時間だから、観光客はほんのすこし。これまで竜安寺には、何回か出かけているが、これほど空いている寺を見たのははじめてだ。
 おかげで、またとない、贅沢なひとときが過ごせ、これはこれで大満足だった。

 意外だったのは、こういう時間帯にもかかわらず、外国人観光客は、たくさん来ていたこと。それもほとんどが、欧米系の団体客だった。
 飛び交っているのはフランス語やドイツ語ばかり。日本人となると、数えるほどしかいないのだ。
 今年の京都は、外国からの観光客が大幅に増えている。それもヨーロッパ系の人が多く、アメリカ人はそれほどでもない。
 タクシーの運転手や、飲食関係者も同じことを言っていたから、まずまちがいないだろう。

 孫に関西の味を食わせてやろうと、お好み焼き屋へ連れて行ったら、ガイドブック片手に、いま着いたばかりと思われる家族連れが、めしつきセットものをぱくついていた。
 寿司屋のチェーン店に行ったときは、バスで何組も繰り込んでくる観光客の大半が、ヨーロッパ系だった。アメリカの団体客とは、どことなくちがうのである。
 一方で清水寺と祇園を結ぶメインコースには、和服姿の女性があふれていた。
 こちらはほとんど中国系。多分台湾の人だろうと思うのだが、ここでも日本女性の影は薄かった。

 気がかりなことに、今日はこれから低気圧がやってくる。
 今年の桜は、これでお終いだろうと言われているが、京都は山に囲まれているから、風もそれほどでなく終ってくれるといいのだが。

 清水寺と竜安寺の桜といえば、出てくる写真はいつも決まっている。そこで今日は、ちがうアングルのものを。

 竜安寺の回遊庭はおすすめです。






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