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2011.6.25
今日は熊谷で39・8度を記録したらしいが、京都もこのところ猛暑、昨日今日ともさりげなく34度を記録して、うだるような季節に突入した。
このところ糖尿病の定期検診に備え、せっせと歩いていた。木陰の少ない鴨川河畔のウォーキングは、この時期になるとつらい。それでもっぱら東山と、西陣にある船岡山などへ足を延ばした。
船岡山へ上ったのははじめて。標高40メートルあまりの小丘だが、木立が鬱蒼として深山の趣がある。応仁の乱のとき西軍がこの山に陣を敷いたため、以来ここを西陣と呼ぶようになったなんて、今回はじめて知った。
西陣へは、ライター時代に何度か取材で訪れている。間口の狭い町屋の中は意外と奥行きがあり、そこに織機が据えてあって夫婦で機を織っている光景が、当時はごく当たり前に見られた。
いまはどこを通りかかろうと、織機の音を聞くことはない。世界に冠たる伝統産業が絶滅寸前。廃れかけたものが甦ることは、残念ながらもはやないと思う。
以前なにかでもらったコーヒーの木の種を埋けておいたところ、このほど芽が出てみずみずしい苗に育った。それで大きい鉢に変えてやったが、その腐葉土は、知恩院の裏山からもらってきた。
糖尿病検診のほうは、HbA1cの数値が予想外によく、おかげでしばらくようすを見ようということになった。とりあえず薬は免れたわけだ。
野菜をたくさん食い、しかもよく噛むこと。それを1ヶ月つづけたくらいで、これほど簡単に効果が現れるものかどうか、うれしいけれど半信半疑である。
講演でしゃべる話の中味も、なんとか粗筋がまとまった。思いついたことを手当たり次第パソコンに打ち込み、それを順序立てて構成するのにほぼ1ヶ月かかった。原稿用紙にして30枚を越える。
来週上京して仕上げにかかります。
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2011.6.17
甲子園球場へナイターを見に行ってきた。高校野球なら見たことはあるが、タイガースのゲームを見に行ったのははじめてだ。
若いとき大阪にいたことがあり、南海ファンや、阪急ファンならやった。しかし阪神ファンにはなる機会がなかった。阪神電車にはほとんど乗る用がなかったからだ。
いまでも阪神ファンとは言えない。それがなぜ行ったかというと、札幌以来ずっと応援している日ハムが、交流戦の対戦相手だったからだ。
日本ハムは交流戦で勝ちつづけているし、阪神は元気がない。今回の日ハムの先発予定は武田勝。だったら99パーセント勝てるというので、いそいそと出かけたのだ。
外野の切符しか買えなかったから、阪神ファンのただなかでの見物になった。おかげで回りがうるさいのなんの。
試合は予想した通り、日ハムが負けるはずのない展開になって、阪神ファンのぼやく声ばかり聞いていた。
ところがこの日は日ハムの打線もさっぱりだった。スクイズは失敗するし、肝心のところであと1本が出ない。これは延長戦必至だと思っていたら、9回の裏にあっさりうっちゃられてしまった。
いい当たりではなかったが、飛んだコースがよかった。ええっ、という声しか出ない、まさかのさよなら負けだ。
阪神ファンは狂喜乱舞。こっちは狐につままれた気分で呆然。スタンドは六甲下ろしの大合唱となって、だれも席を立たないから、しばらくは出ることもできなかった。
なんだかなあ、とぼやきながら帰ってきたが、2時間近くかかった帰りの電車の長かったこと。くたびれ果てて帰ってきた。
悪いことは重なるもので、翌日は大黒柱のダルビッシュで負けた。前日のサヨナラ勝ちで気分をよくした阪神が、のびのび戦って、ダルの無失点記録までつぶしてしまった。
われわれが見に行ったからいけなかったのかなあ、といましゅんとなっているところである。
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2011.6.11
今週はかみさんの姪が来たので、鴨川河畔へめしを食いに行った。鴨川にテラスを張り出した、いわゆる川床に行ったもの。じつをいうと、はじめてだった。
あそこ、実際は見た目ほど涼しくないのである。京の夜は風が止まるし、虫も多い。真夏はなおさらのこと、蒸し暑いだけなのだ。
だがいまの時期はべつ。気温は高くないし、湿度も少ない。しかも混んでいないから、開放感が格別。たそがれ時分の爽やかさが抜群だった。
今日はかみさんと、タルトタタンという菓子を食いに、平安神宮の近くまで出かけた。女性観光客にものすごく人気の高いスイーツで、名前はまえから聞いていた。だがこういう店は、じいさんひとりではなかなか行きにくいのである。
今日はかみさんが平安神宮へアヤメを見に行くというから、ではついでに寄ってこようか、ということになったもの。要するにアップルパイなのだが、わたしの大好物なのである。
で、タルトタタンの評価だが、なかなかうまかったものの、わたしにはちょっと濃厚すぎ、甘すぎた。なにしろ糖尿病持ちなのだ。
それで食後はかみさんと別れ、わたしのほうはウォーキングに。ハイカロリー、ハイスイートなものを食った以上、その分歩いて帳消しにするほかないのである。
北上して京大構内をふたつ通り抜け、鴨川河畔に沿って、北山まで2時間近く歩いた。前から気になっていたパン屋の本店を訪ねて行ったのだが、途中で道をまちがえたため、だいぶ無駄に歩かされた。結局疲れて帰りはバスになった。
昨日は5月のはじめにもどしたゲラの再校が出た。今回も手を入れていいというから、来週もう一回入念に読み直してみるつもりだ。
同じ日、世田谷文学館からもなにか送られてきた。開けてびっくり、講演会のチラシだ。おいおい、こんなものを、貼ってくれるな。醜いアヒルの子みたいな顔写真つきではないか。
それではっと気がつき、世田谷文学館のホームページをのぞいて見た。やはり同じ写真が使われていた。
悪夢じゃー。顔写真だけは、絶対に出すまいとしているのだが、いつ撮られた写真だろう。事前に釘を刺しておかなかった、こちらの落ち度である。
見るなー。
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2011.6.4
鴨川にヌートリアがいた。
カワウソみたいなものが泳いでいたから目を疑った。ニホンカワウソはもう絶滅しているからである。
その動物は人を恐れる気配もなく、上陸してくると、岸に生えているギシギシの葉を悠々と食いはじめた。1メートルしか離れていないすぐ目の前だった。
よくよく見たらヌートリアだ。毛皮を取るために南米から輸入されたものが野生化したもので、後足に水かきがあって外見はカワウソに似ているが、実際は齧歯類、ネズミの仲間である。
繁殖力が旺盛だから各地で増え、一部の地域では農業の大敵になりつつある。ほかにもう1尾泳いでいたから、つがいで棲息しているということか。まさか4条大橋のそばまで、こういう動物が出てくるとは知らなかった。
帰ってネットで調べてみると、けっこう大勢の人が見かけていた。出没しはじめてもう数年になるみたいなのだ。
この分だと、実数はもっと多くいるのかもしれない。人を全然恐れなかった、というのが妙に気になるのである。
今回は携帯を持っていたから、写真を5枚撮ってきた。ところがちゃんと撮れた写真は1枚もなかった。
日光の下で撮影したから、画面に光が反射して、実際はなにも見えなかった。仕方がないから適当に構えてシャッターを押したところ、自分の指と、足下の地面しか写っていなかったのである。
携帯のカメラがこれほど役立たずだとは思わなかった。腕のことは棚に上げ、とりあえず携帯のせいにしておく。
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先週からかかりきりだった蓬莱屋シリーズのゲラチェックがようやく終わり、今週はじめに送り返した。
本来だと一息ついているところだが、それが必死になって、つぎの仕事をやらなければならなくなっている。
じつをいうと7月の2日に、東京の世田谷文学館で講演をやることになっているのだ。
大藪賞の関連から話がもちこまれたもので、選考委員を6年やった以上、それくらいのことは引き受けなければならないだろうと思って承諾した。
それまで世田谷文学館なるものがあることすら知らなかった。図書館に毛が生えたようなものとだろう勘違いし、それなら読書サークルみたいな、せいぜい2、30人くらいの集まりだろうから、雑談でお茶を濁せるだろうと思ったのだ。
なんとあとから、入場料を500円取ると聞いてびっくり。そんなこと、はじめに聞いていたら絶対引き受けなかった。わたしの話など、金を払って聞くような代物か、考えてみたらわかるだろう。
世田谷の友人が、寝ぼけ眼で区の広報を見ていたら「志水辰夫講演会」なる文字が目に飛びこんできたからびっくり、とメールで知らせてきた。こっちもびっくりだ。世田谷文学館て、世田谷区の施設だったのね。
引き受けた以上、あと1ヶ月以内に関東大震災でも起こらない限り、義務は履行しなければならない。いったいなにをしゃべったらいいか、これからその台本みたいなものを、つくらなければならないのである。
えらいものを引き受けてしまった。おのが軽率と無知を悔いながら、悪戦苦闘しはじめたところであります。
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2011.5.28 このところ天気がぐずつき気味だと思ったら、いきなり梅雨入り宣言が出た。ちょっと早すぎる気もするが、その後関東にも出されたようだから、まちがいないのだろう。
まだ蒸し蒸ししないのがありがたい。今日などは梅雨寒で、一旦しまいかけていた長袖をまた引っぱり出して着た。
今週は糖尿病検診で、担当医師にだいぶねちねち言われた。糖尿病の目安であるHbA1cの数値がこのところ6・5から下がらないので、こうなったら膵臓を保護してやるためにも、薬を飲んだほうがいいというのだ。
いまは薬がずいぶんよくなっているので、躰に負担は与えないし、症状が改善されてきたら減らすこともできるという。
わたしのほうはそれをなんだかんだと言い逃れ、最後まで「はい」と言わなかった。あと1ヶ月ようすを見てもらうことにして、やっと解放してもらった。
ひところに比べて薬が格段によくなり、いまでは糖尿病が恐れるに足りない病気になってきたことは知っている。友人から編集者にも同病が少なくないから、そういう人たちと話したり聞いたりして、内情もかなり知っているつもりだ。
だがそれと、自分が飲むか飲まないかということは別物である。頑迷なようだが、わたしは薬の世話にだけはなりたくないのである。
かみさんは十数年前にかかった病気で、いま服用している薬が欠かせない躰になっている。母も晩年は透析患者になり、週に2日は病院へ通わなければならなかった。
糖尿病の投薬を受けるようになると、一生その薬から離れられなくなるとまでは思っていないが、薬という安心感に寄りかかってしまいそうで、それがいやなのである。
それくらいなら、自制しながら自分の意志と葛藤しつつ生きたほうが、まだしも納得できるのだ。
勘ぐるわけではないが、このところ病院に行く人間が大幅に減り、どこも経営は苦しそうだ。薬を熱心に勧められはじめたのも、それと軌を一にしているような気がしてならないのである。
以前は予約時間と、診察を受けられる時間とがずれにずれ、1時間も2時間も遅れるのが当たり前だった。それがこのごろはすこしも遅れなくなった。
今回などは11時半の予約が、11時には看護婦がわたしの名を呼んで、待合室を探したという。わたしはまだ時間があると思ったから、廊下で待たず、待合室のソファでのんびりウオークマンを聞いていた。
以前は昼になっても診察待ちの患者があふれんばかりにいたが、いまでは11時を過ぎるとがらんとしている。
なぜこれほど患者が減ったかというと、保険制度の見直しで、医療費が大幅に高くなったからだ。
わたしも今回、内科と眼科の検診を受け、血液検査をしてもらって約4000円の自己負担だった。年金暮らしのお年寄りだったら、この負担はけっして安いと言えないはずだ。
とりあえず1ヶ月の執行猶予をもらったものの、来月はどんな言い訳をするようになるのだろうか。この分だとそのうち行かなくなるかもしれないなあ。
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2011.5.21
今週は天候に恵まれ、家にいるのがもったいない快適な日々がつづいた。それでほぼ連日出歩いていた。
まず大阪へ2日。これは次作の調べもののために出かけたもので、主に図書館を回っていた。ほんとは翌日も出かけるつもりだったが、疲れたので次週回しにした。
毎度言うが、梅田の地下街がわたしにはラビリンス。行くたびに道をまちがえ、余分に歩かされて、ひどく疲れる。かといって地上へ出ても、人間の歩いて横切れる道路がろくにないのである。
これほど大勢の人間を地下に追いやり、しかもろくな案内図すらなくて平然としている都市は、日本でもここだけだと腹立ちまぎれに断言しておく。
ちゃんとした案内図があるというかもしれないが、あれは地理のわかっている大阪の人間には役だっても、不案内なものにはただの符牒のようなもの。わかる仕掛けは施されていない。一度根底から考え直してもらいたいと思う。
昨日は久しぶりに東山を歩いてきた。いまの時期、わが家から見上げても、全山がむくむくと黄色に盛りあがり、春たけなわ、こんな時期に来なくてどうする、とばかり誘惑してくれるのだ。
この黄色の正体、ほとんどはスダジイ、ツブラジイなどシイ類の花である。シイやカシの花は穂のような長い茎を樹上に突きだして咲くから、遠目で見ると黄色が盛りあがって、ほかの木々ではつくり出せない深みのある山相になるのだ。
いつものように清水寺から山へ入ったが、清水寺が修学旅行生でごったがえしていたのに対し、山中は静寂そのもの。1時間ほどかけて知恩院へ抜けた間、まったく人に出会わなかった。
ただこの数年、カシがキクイムシにやられて枯れてしまう例がものすごく増えており、東山も例外ではなくなっていた。数カ所被害にあった木が伐採してあり、そこだけ木立にぽっかり穴が空いていた。
東山を歩きはじめた当初、檜皮葺き用の皮を剥がれたヒノキが何本か道筋にあった。皮をそっくり剥がれ、素人目にはいかにも痛々しいような眺めだったが、3年たったいまは、それがもうわからないくらい、すっかりもとに復していた。
自然の復元力のすごさに感心すると同時に、そのころなかった病虫害の脅威が生まれてくるなど、自然のサイクルがだんだん狂ってきたみたいな気もする。
知恩院から円山公園へ出ると、時間がやや遅かったせいもあるだろうが、まったく人がいなかった。なにか警備上の都合で、観光客を追い出したのかと一瞬思ったくらい、がらがらだったのだ。
八坂神社から祇園を通って帰ってきたが、祇園の狭い歩道を、これくらいすいすい通り抜けられたのもはじめて。
今日はかみさんを連れて、南禅寺から吉田山を歩いてきたが、吉田山など都市のまん中にある丘くらいの山にしては、まるで深山幽谷だ。
本当に気持ちのよい京都を満喫しようと思ったら、いまの時期がいちばん空いてておすすめです、とあらためて力説しておきます。
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2011.5.14
今週は友人夫婦が遊びに来るはずだった。それに合わせてかみさんも東京から帰ってきたのだが、思わぬ春嵐の襲来で延期になった。
そのほうがよかったことはたしか。まる2日、土砂降りの天気がつづいたから、これでは遊びに来たところで、どこへも行けなかったことだろう。
昨日からやっと晴れてきたが、今度は黄砂。この招かれざる客の来訪も、年々回数が増えてくる。今日は東山もかすみ、花粉症がぶり返したかと思えるくらい目がかゆかった。
今日は鴨川河畔を歩いてきた。すると暑いのなんの。今週は一気に30度まで気温が上がった。今日は26度くらいだったが、それでも夏日、歩いただけで汗びっしょりになった。
河畔の風景も一変。緑が黒々としてきて、もはや夏景色である。花もあらかたなくなり、いま咲いているのは白い花ばかり。コデマリやシロツメグサことクローバーしかなくなった。
大雨のせいで鴨川は増水し、音を立てて豪快に流れていた。流れが速すぎるのだろう、水鳥も所在なげで、鴨などは岸辺でうずくまっていた。
おどろいたことに三条大橋のすぐそばで、長さが150センチはある大きなシマヘビに出会った。京都でははじめてだ。
水辺から岸へ這い上がってきたようだが、どうやらこの雨で流されてきたらしい。あいにくコンクリートの護岸しかないところで、蛇が身を隠したり潜り込めたりするような場所はどこにもない。
人間はもちろん、自転車が頻繁に走り抜ける危険きわまりないところだ。蛇もびっくりしたらしく、見るからに必死になって、どこかへ潜り込もうとするのだが、護岸が急だから草むらまで上がることができない。
このままでは自転車に轢かれてしまう。かわいそうだけど水の中へもどしてやるほかなかった。といっても手で握るのは嫌だから、靴の先で蹴り込んだのだが。
蛇は鎌首を持ち上げて流されて行った。その後どうなったか。上陸できそうなところというと、まだ何キロも下流へ行かなくてはならないはずなのだ。
この日はカメや、鴨川でははじめて見かける小型カモの親子にも出会った。カモのほうはなんという名か、帰って調べてみたがわからなかった。
携帯を持っていたのだから、写真を撮ってくれば調べられたのだ。ふだん使ってないものだから、こういうとき、気がつかないのである。
今日のウォーキングは下鴨神社まで往復10キロ。この辺りまで行ったときは、出町柳の近くにある餅屋に寄って名物の豆餅を買ってくる。
帰り道、河畔のベンチに腰を下ろし、上空のトビに気をつけながらよもぎ大福をいただいてきた。隠れ食いではなく、昼めし代わりです。かみさんの分はちゃんと買ってきた。
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2011.5.7
あっという間にゴールデンウイークが終わった。この間なにをしていたかというと、ひたすら仕事をしていた。
先に出たゲラの直しをやっていた。もらったのがひと月まえで、そのあと怠けていたわけではないが、時間があるとどうしてもだらだらになってしまう。連休明けにもどす約束だったから、その時間が迫ってきて、やっとエンジンがかかったというわけだ。
ありがたいことに2日から、かみさんが東京へ行ってくれた。
せがれが月末に引っ越したので、その手伝いに行く予定だったのだが、腰痛が出たのであきらめていた。それがやや小康状態になったというので、手伝いは無理でも、せめて様子見ぐらいはしてくると出かけたものだ。
おかげで以後のこちらは完全解放状態。それこそ好きなように時間が使えるというので、たちまちめちゃめちゃな生活になってしまった。何時であろうが起きているときが昼で、寝ているときが夜なのだ。
たとえばただいま7日の朝5時という時間帯だが、昨日は夕方の5時過ぎ、眠くなったからすこし寝ようと横になった。つぎに目が覚めてみると、あきれたことに午前3時だった。
あわてて起きてきて、残りものでめしを食い、いまこの稿を書いている。昨日は午前11時に、朝めしとも昼めしともつかぬものを食ったが、食ったのはそれ1回きりだ。
かみさんさえいなくなれば、あれも食おう、これも食おう、頭のなかで思い描いていたものが無数にあった。しかし実際には、ただの一度も外食をしなかった。
買い物も、昨日たりなくなったものを買い足しに行っただけ。この間ずっと、ぱさぱさになった2種類のパンを食いつづけ、めしは1回炊いたきり。生命維持用としての餌を、胃の中へ送りつづけていたにすぎなかった。
なんとも悲惨な生活みたいだが、本人はこれで、けっこうにこにこ過ごしてきた。ひとりで気ままに暮らしていると、腹を立てることはまずないのである。
明日はもうかみさんが帰ってくる。というのでぶちあけた話をすれば、いまからもう仏頂面になっている。
おかげで仕事は9割方終わった。明日最終チェックをして、送り返そうと思っている。
かくて今年のゴールデンウイークは終わった。せめて明日の昼くらい、外でなにか食って来よう。
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2011.4.30
パンの耳があったので、散歩がてらそれを持って鴨川へ出かけた。花粉症の終結宣言が出たからやれうれし。鴨川河畔は二週間ぶりである。
桜並木がすっかり青葉になっていた。木屋町ではトサミズキが花をつけはじめ、河畔のヤマブキは散りかけていた。
中洲では菜の花もどきのキガラシがただいま満開。遠目では菜の花と見分けがつかないから、けっこうきれいである。
この数日、強い雨が何度も降った。おかげで鴨川は増水。水鳥も少なければ、観光客もほとんどいない。遠くにマガモやコサギが見えるものの、パンの耳は1枚しかないから、どうしてよいかわからない。
迷いながら岸辺に近づいて足を止めると、はるか遠くにいたマガモ2羽が、ばたばたと羽音を響かせながら飛んできた。つづいてコサギが3羽。
こちらはびっくり。だってどうみても、餌をくれると見て、飛んできたとしか思えなかったからだ。
そのときパンはポケットにあり、手に持っていたわけではない。またこれまで、鴨川の鳥には一度も餌をやったことがない。だからカモに顔を覚えられているはずはないのだ。
それなのに、年寄りがひとり岸辺にたたずんだだけで、必死の形相で飛んできた。気のせいだろうとは思うが、じつに切なさそうな顔をしていた。
耳をちぎって与えると、カモとコサギが目の色を変えて奪い合いはじめた。そればかりか、スズメとハトまで寄ってきた。川が増水しているため、この数日餌が取れなかったのではないだろうか。
とはいえパンはたった1枚。細かくちぎって、スズメからハトへも行き渡るように与えていると、いきなり後から、なにかが首筋にどんとぶつかって、前へ飛び抜けた。トビだった。
鴨川のところどころに、食べ物をさらうトビがいるから気をつけてください、という立て札が立っているが、まさか自分が襲われるとは思わなかった。
しかし鴨川の野鳥が、これほど人間の施しを当てにして生きているとはおどろきだった。実情がわかると、大いに気分が悪くなった。二度と餌はやらないぞと誓いながら帰ってきたのだ。
糖尿病の定期検診を受けている病院の庭に、前身は平安時代という言い伝えを持つ池がある。時間待ちのときよく散歩していたが、あるときカメが泳いでいた。岸に立ち止まって見ていると、カメが岸へ上がってきた。
それがどう見てもわたしの方へやって来る。まさかと思いながら動かずにいると、どんどん向かって来た。
「おいおい、まさか……」
とカメに向かってしゃべっていると、まさにまさかだった。わたしの足下までやって来ると、左靴の先に前足をかけ、じーっと見上げてきたのだ。
嘘だろう、と思うかもしれないが、正真正銘ほんとの話だ。それにしてもカメに前足をかけられて、なにかねだられようとは、悪夢でしかなかった。以来、いまも病院へは行っているが、池には足を運ばなくなった。
野生の動物がこんなになってしまったのは、すべて人間のせいだ。北海道ではキタキツネが悲惨なことになっている。それを忘れて、なにげなくパンの耳を持って行ったのは、いけないことだったと深く反省している。
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2011.4.23
『わが人生最高の10冊』というテーマで、ある週刊誌のインタビューを受けることになった。
知っているライターからの依頼だったので気軽に引き受けたのだが、いざ10冊選ぶとなると、けっこうむずかしい。日にちが迫っているのに、いまだに本をしぼりきれないでいる。
というのも、これまで読んできたものを振り返ってみても、そこになんらかの傾向や、一貫性があるとはいえないからだ。要するに手当たり次第、しかもかなり偏っている。
商売柄好きな作家はだれですかとか、影響を受けた作家がいますか、といった質問をよく受けるが、そういう人がいないのである。だれかに心酔するということが、できないのだ。
それでも特定の作家の作品を、しばらく追いかけてみたことはある。
若気の至りでしかなかったことを白状すると、フランスにフランソワ・モーリャックというノーベル賞作家がいた。カソリック作家として知られ、遠藤周作や三島由紀夫らが影響を受けたとされている。
この人の作品は、翻訳されているものはほとんど読んだ。そのころ、ある狙いがあって、カソリックに接近しようとしていた。つまり必要があって読んだもので、ほかのカソリック作家のものまで手を出した。
そもそも宗教というのは、はじめに信心ありき、信じるのが先決なのだ。知ってから納得しようというのは邪道もいいところ。懸命になって読んだ割りに、なにも身につかなかった。
好きで読み、多少影響も受けたといえる作家はサンテグジュペリくらいなものだろう。しかしこれも、彼の悲劇的最期や、妻コンスエロとの葛藤みたいなことが頭にあって、それで感情移入した部分がなきにしもあらずだった。
だいたい若いときの読書は、ほぼ100パーセント見栄や背伸びが動機になっている。人前や、目をつけた女の子に一席ぶたんがための一夜漬けみたいなものだ。
ほかに秀でたものがない人間ほど、人に負けない知識や教養を身につけたくて、しゃかりきになったものだった。われわれの育ってきた時代が、そういう時代だったのだ。
それをほほえましいと思うか、貴重な時間をどぶに捨てたと思うか、考え方次第で評価は天と地ほどちがってくるが、若さとはしょせんそういうことだと思うほかない。
虚飾を捨て、ほんとうに読みたいものにしか手を出さなくなったのは、やはり40を過ぎてからだった。好きな本を読み返してみる余裕も、そのころからできるようになる。
若いときは、つぎからつぎへと数をこなすのに必死で、一度読んだ作品を読み直すなんてことはまずできなかった。
ベストセラーに手を出さなかったのは、自分という人間が万人向きではなかったからだ。
無数といっていい作品のなかから、自分のフィーリングに合ったものを見つけ出す。これこそが読書の楽しみであり、醍醐味にほかならないことは、読書普遍の法則だろう。
どういう作品がリストに上がってくるか、いずれまた発表する機会があるでしょう。
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2011.4.16
話題の製パン機、ゴパンがわが家にやってきて1ヶ月あまりになる。これまで5、6回、米パンを焼いたり餅を搗いたりした。なかなか便利だし、つくるのが楽しい。
一方でけっこう面倒くさい。手順が複雑だし、材料や水の量を厳密に量らなければならないからだ。
材料は米、水、グルテン、ドライイースト、これに調味料として塩、砂糖、ショートニングが加わる。
すべてをグラム単位で計量しなければならないから、そのための秤をわざわざ買ったくらいだ。
これを手順通り整え、スイッチを入れるわけだが、米パンができあがるまで4時間以上かかる。
できあがるまでの行程は、米に水を吸収させる「浸水」、米をペースト状にする「ミル」、生地を捏ねる「こね」、「発酵」、「焼き」と5段階に分かれる。
容器の上面はガラスになっているから、途中の行程はすべて上からのぞける。とはいえ、こねのとき生地の動くのが見えるくらいで、ほかの段階ではほとんど動かない。
だからはじめのうちは、いつまでたっても米粒がそのまま残っているから、羽の取りつけ方が悪かったんじゃないかとか、量目をまちがえたんじゃないかとか、不安になって何度ものぞきこむ。
ミルの段階では、米粒を削るわけだからかなり大きな音がする。しかし30秒削って5分間を置き、これを10回繰り返すだけだから、耐えがたいというほどではない。マンションなら近所迷惑というほどでもないだろう。
朝8時半にできあがりのパンを食べようとすると、まえの晩にセットしておく。あとはマシンが勝手にやってくれる。朝方になってなにやらごそごそしはじめたかと思うと、やがて香ばしい匂いが漂ってくる。これはちょっとした感激である。
問題は味。よい意味でもわるい意味でも、まぎれもなく米のパンである。市販されている米パンより、もっと濃厚な味と思えばよい。
グルテンの代わりに上新粉を使うと、100パーセント混じり気なしの米パンになるが、これはちょっとまか不思議な味だ。
パンの中味だけつまんで食うと、まさにご飯の味なのだ。それにしては米粒がどこにもない。こういう食いものははじめてだろう。
しかし5段階ものちがう行程を、ひとつ容器で全部やってしまうのは驚異ものだ。よくぞこんな複雑なマシンをつくったものと感心する。こういうことをやってのけられるのは、やはり日本人しかいないだろうと思うのだ。
パンに比べると、餅のほうは簡単。洗った餅米と水を入れるだけで、時間も1時間あればよい。できたての餅をあんこでくるんで食うたび、よくぞ日本人に生まれたと思うのである。
最近はもっぱらよもぎ餅を楽しんでいる。よもぎの粉末が簡単に買えるからだ。スイッチを入れて50分たつと、こね行程から搗き行程に入るが、そのときよもぎ粉を入れさえすればよい。
ただ餅の場合は、搗きあがった餅を容器から取り出すのが大変。餅が粘ついてなかなか取れないし、出してからも手にくっついて形を整えるのに苦労する。これは慣れたらもうすこしうまくできると思うが。
玄米パンとか、ケーキとか、うどんの生地などもつくれるようだから、追々試してみるつもりだ。
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2011.4.9
桜が満開になった。人混みに出て行くのは嫌いなのだが、この時期だけはちがう。出かけたり散歩したりするとき、足が自然と鴨川河畔や木屋町通りへ向かってしまう。
昨日は午後から書店へ出かけ、そのあと行きつけの喫茶店で一服した。京都にはいい喫茶店がいくつもある。それだけわたしには住みやすい街なのだ。
帰り道。同じことなら鴨川河畔を通ろうと、三条大橋を渡った。するとそこでばったり、かみさんに出会った。
出てくるとき木屋町通りの桜が満開だったから、その旨携帯のメールで知らせてやったのだ。今日は出かけないはずだったのに、その一言でぐらついて、のこのこ出てきたのだった。
なにしろ家から5分も歩けば木屋町通りへ出る。鴨川河畔がさらに数分。その気になればいつでも出てこられる。
じつは前日、かみさんは醍醐寺へ桜見物に出かけ、疲れ果てて帰ってきたところだった。
毎年行っているのだからほどほどにすればよいのに、行くと欲が出るとかで、神経痛持ちの足を引きずり引きずり、あっちもこっちもと歩き回っては、とどのつまり疲れ果てて帰ってくる。
それで今日はどこへも出かけないと反省していたのに、満開だよのひと言でまたこのていたらく。桜の季節と紅葉の季節になると、まことに落ち着きのない女になってしまう。
そして今日は、雨降りだったにもかかわらず、法隆寺へ、お釈迦様に甘茶をかけに出かけた。そしたら中宮寺で足をひねったとかで、痛い痛いと引きずりながらもどってきた。
まことにそそっかしい女である。上ばかり見ているから、足下がおろそかになってしまうのだ。去年は法然院で溝に足を取られ、骨折している。
歩いて1分ほどのところにかかりつけの外科医院がある。夫婦がこれまで数回ずつお世話になっており、今回もそこへ出かけた。
さいわい骨折でも捻挫でもなかったとかで、足の骨がずれただけだそうだが、それがどういうことなのか、よくわからない。痛みは減っていないようなのだ。
しかしこれで、今年のわが家の桜は終わったことになる。もう外出ができなくなったからだ。わたしにとっては痛し痒し。かみさんの出かけてくれたほうが、家のなかが平和でありがたいからだ。
わたしのほうは、今週、先月脱稿した長編のゲラが出た。
今回の震災で紙やインクが不足気味だそうで、そのあおりで刊行がすこし遅れるという。
その分ゲラに手を入れる時間がもらえるわけで、5月はじめまで、20日以上余裕をもらった。じっくり直そうと思っている。
震災ショックでなにも手につかない時期だっただけに、毎日すこしずつでも、やらなければならない仕事ができたのはありがたいと思っている。
刊行元は文藝春秋社。題名もこれから考えるところです。
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2011.4.2
ずいぶん暖かくなった。桜が咲き、新緑が日一日と色合いを増し、快い風が誘惑しはじめた。
震災と原発ですっかり自粛ムードになっているのだが、生きている以上、いつまでも引きずっているわけにいかない。そろそろ気分転換をというので、今週から出かけることにした。
今日はその手はじめに、大山崎町のアサヒビール大山崎山荘という美術館へ行ってきた。
山崎というとサントリーで有名だが、そちらは大阪府。こちらは京都府で、県境をまたいだ天王山の麓一帯が、山崎と呼ばれているところなのだ。
天王山といえば、明智光秀と羽柴秀吉の天下分け目の合戦で有名。禁門の変で敗れた長州勢17人が、追い詰められて自刃したところとしても知られている。
もっと身近なところでは、幕府と薩長が激突した伏見鳥羽戦争で、決定的な役割を果たしたのが、この山崎だった。
山崎に陣を敷いていた幕府側藤堂藩が寝返り、対岸の幕府軍に大砲を撃ち込んだのが、幕府軍が総崩れとなるきっかけになったからだ。
日本の歴史上、これほど決定的な働きをしてきた地形はほかにない。幅1キロぐらいしかない狭いところに、その時代の動脈がすべて集まっているのだ。
それは現在でも同じ。鉄道が4本、川が3本、国道2本に高速道が、この狭間にひしめいているのである。
一度じっくり見てみたいと、まえから思っていた。昨年反対側の男山へ行ったとき期待したのだが、眺望がほとんど得られなくて失望した。
その願いが、今日は完璧なまで満たされた。美術館が、天王山の中腹に建てられていたからである。
テラスからの眺めが天下一品。3本の川の土手から対岸の男山まで、手に取るような近さで一望できたのだ。
美術館そのものは、ニッカの初代社長をつとめた人物が、自宅用として建てた家を転用したもの。それはそれで溜息が出るような洋館なのだが、それよりご本人は、まずこの景観を手に入れたかったにちがいないと、断言してよさそうなのである。
あいにく靄が濃かったうえ、双眼鏡を持って行かなかった。このごろおそろしいまで目が衰え、くっきり見えることをあきらめなければならなくなった。それで持って行かなかったのだ。
テラスでお茶を飲みながら、景観を満喫できただけに、わが目の衰えは気に入らなかった。今度機会をあらため、また行ってこようと、かたく心に誓った。
現金なもので、今日は『猛烈に多い』という花粉情報だったにもかかわらず、あまり気にならなかった。この手のアレルギーというのは、いくつもある感覚のなかで低位なのかもしれない。
すなわち気分がよかったり、楽しかったりすると、それだけかすんでしまうのではないか。むろん逆の場合は、症状も強くなるみたいだが。
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