Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

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2010.12.24
 今日はクリスマスイブだというので、かみさんが奮発してケーキを買ってきた。糖尿持ちとしては特別も特別。ケーキを丸ごと1個食える機会なんて、年に数回しかないのである。

 しかも今日はテレビでマイケル・ジャクソン特集をやるという。このところBSで連日のようにいい音楽番組をやっており、サラ・ブライトマン、バーブラ・ストライサンド、カーペンターなどをつづけざまに見たところだ。
 おかげで仕事が全然はかどらない。それで昨夜のジュリー・アンドリュースは割愛して見なかった。しかしM・ジャクソンとなればべつ。『THIS IS IT』はこの先、何度でも見たくなる映画だと思う。

 このところ毎晩1時間半ほど走っている。ところが今夜のTVは7時から11時までぶっ続けでやる。となると健康のほうを犠牲にしても、TVを選ぶしかないことになる。
 唯一の気がかりは、キー局が民放だったこと。愚にもつかないタレントが出てきて、中味をぶちこわしにするんじゃないかと怖れていたところ、まさに図星。なんとも見るに堪えないはじまり方をした。
 そうなったらなったで、こっちもあきらめがつく。こんなものを見るくらいだったら走ってきたほうが増しとすぐ頭を切り替え、ジョギングに出かけた。今夜もかっきり1時間半走ってきたのだ。

 紅葉シーズンが終わり、京都の町もすっかり静かになった。しかし今夜はクリスマスイブだったせいか、それとわかるくらい人出が多かった。
 ふだんの夜はやって来ないタクシーが、八坂の塔がある小路へつぎつぎに入ってくる。見ると必ず若いふたり連れが乗っていた。ライトアップされているから、それを見に来たものらしい。
 車から下りての観光はしなかったから、ライトアップされているところだけ回っているのだろうか。なるほど、そういう思い出づくりもあったのかと、ひとまず感心した。
 しかし同じことだったら、ちょっと車から下り、夜間でも自由に立ち入ることができる建仁寺辺りを散策したら、昼間とはちがう印象が得られてもっといい思い出になるのではないかと、お節介なことも言ってみたくなる。

 イブにふさわしい凍てついた夜になった。東山に昇った十六夜の月に見送られながら帰ってきた。
 そしたらテレビが佳境に入っていて、以後はフィルムを心から楽しむことができた。一度生の舞台を見てみたかったと、あらためて痛感したものである。
 考えてみると、わたしはプレスリー、ビートルズ、M・ジャクソンなど、20世紀を代表するスーパースターと同じ時代に生まれ合わせている。

 しかし当時の自分の関心はそういうところになく、ファンとは言えないまま終始した。時代を共有していたとはとても言えないのである。
 かれらの偉大さに気づいたのは、いずれも失われてからなのだ。なくなってはじめて気がつくなんて、いかにもわたしらしいといえばいえるだろう。

 しかしよくよく考えてみると、自分の人生なんて、いったいどの程度のものだったのだろうかと、いささか鼻白む思いもするのである。


2010.12.18
 今週は5日間温泉に籠もって仕事をしていた。5泊もの自主カンヅメをやったのははじめて。おかげで予定していた以上に仕事ははかどった。

 今回行ったのは初めてのところ。前回失敗したからネットで慎重に選び、電話でたしかめて出かけた。
 これまでたいてい素泊まり宿だったが、今回は2食付き湯治プランというのにした。湯治プランなら簡素な食事だろうと、勝手に早合点したのだ。
 結果は大失敗。1泊8000円たらずという宿泊費でありながら、毎回刺身、てんぷら、鍋がつくという、まったくのワンパターン料理。コースのグレードが落ちるというだけだった。
 それで途中から朝食は断り、5日分用意して行ったパンを、後生大事に食い延ばしながら最後まで持たせた。おかげで体重まで減らして帰ってきた。

 だが食事つきのおかげで外へ出る必要がなくなり、その分仕事に集中できたことはたしか。素泊まりだと今日はなにを食うか、思案しながら外へ出る手間と時間がばかにならず、エネルギーロスも大きいのである。

 それと今回はネットのできない宿だった。できる宿を探したが、なかったのである。しかしこれも予想外。つまりそれだけ気が散らなかった。
 ネットができると調べものはできるし、メールも使えるしで、この商売には欠かせない。だが一方で1日に何回もニュースをのぞいたり、ブログをのぞいたり、相当な時間を費やしている。
 今回あらためて気づいたが、中毒症とはいえないまでも、依存症くらいにはなっていた。それができないということで、はじめからあきらめ、気が散らなかった。

 5日間新聞もテレビも見ず、風呂と寝る時間を除いて、すべてを仕事に回せた。これくらい効率よく時間を使ったら、仕事ははかどる。
 はじめのふつか、不眠不休で書きつづけたから、神経が高ぶって眠れなくなった。そこで睡眠薬を飲み、ひと晩爆睡した。これもよい中休みになった。

 次回からは、ネットなしの宿という選択肢も、重要なポイントになると思う。
 あれやこれやを考え合わせると、今回の自己採点は80点くらい。自宅で仕事した場合の2週間分くらいの量を、5日でこなせたと思う。
 では次回もその宿へ行くか、と言われたら返事はノー。毎日献立を変え、中味を変え、工夫してくれていることは認めるが、ああいう食事そのものが性に合わない。
 うまいものを食わせろとは、これっぽっちも望んでいないのだが、こういう客はやはり少数派なんだろうな。多くの人にとって、温泉へ行くことは、晴れの日であることに変わりはないみたいだから。

 行きは大阪始発の直通特急を利用した。しかし便数が1日1本。帰りは時間帯が悪くて利用できなかった。それで仕方なく普通列車にしたところ、いまどきの普通列車は短い区間を結ぶ細切れ運転ばかり。
 美濃太田、岐阜、大垣、米原と4回も乗り換えて、ようやく帰ってきた。行きは3時間弱、帰りは5時間40分。これではやはりもう行きたくなくなる。


2010.12.11
 かかとが痛くなった。原因は、おそらく、走りすぎだろう。このところ天気さえ許せば、毎晩1時間半は走っているのだ。

 足腰を鍛えるという意味では、清水寺の坂が頃合いなのだが、まだライトアップがつづいて、観光客も減っていない。あとしばらくはだめだろうと思われる。
 その後ひところは、平安神宮から蹴上げの上へと走っていた。この道もゆるい坂がつづき、ジョギングコースとしてはわるくないのだが、坂にかかってから車が爆走する道となるため、排気ガスを吸わされてひどく不快である。

 もっといいところはないか探していたところ、ようやく東山で、1キロほどのゆるい上り坂を見つけた。とくに後半の半キロぐらいは、車の通行量がきわめて少ない直線路。このところ毎日そこへ通っている。
 着くまでに30分。坂を数回往復して30分。帰るのに30分で、合計1時間半。相当ハードみたいだが、息も切れない程度のスロージョギングだから、けっして無理はしていない。

 坂道を取り入れたのは、足にいくらか負荷をかけたかったからだ。路上のステップ運動ということ。平地をだらだら走っていたのでは、すこしも運動にならないからだ。
 おかげでこの間まで、腿とふくらはぎが張って、しこり気味だった。それがなんとか気にならなくなってきたら、今度はかかとが痛くなってきたというわけ。

 原因としていちばん考えられるのは、やはり躰の老化だろう。年を重ねるにつれ肉体から弾力が失われ、地面の固さがじかに足へ響いてくるようになった。
 まるでピノキオだな、とこのごろの自分の足をそう思う。力をいなすというか、足に伝わってくる地面の固さを、ソフトに受け止めるという力がもうないのである。

 もっと底の厚い、地面の固さが足に伝わってこないシューズがあれば防げると思うのだが、これが探してみるとまったくない。
 ジョギングシューズであれ、ウォーキングシューズであれ、色とりどりのかっっこいいシューズなら選ぶのに困るくらいあるにの、地面の固さが伝わってこない、底の厚い、足にやさしい靴というのはただの一足もない。
 市場に氾濫しているのは、アスリートになったような気分にさせてくれる、見た目本位の、えせプロ仕立てみたいなシューズばかりなのだ。たしかに履いた感じは、ものすごくいい。しかも羽みたいに軽い。
 だがこの手のシューズは、躰が柔軟で、弾むようなバネを持っている若い人向き。老人には無用というより、錯覚させるだけむしろ害が多い。膝を痛めるか、かかとを痛めるか、行き着く先はいつも同じなのだ。
 わたしなどこれまで、何回だまされてきたことか。べつにシューズを悪者にするつもりはないのだが、本当に欲しい、老人向きのいいシューズはない、ということぐらいは言っていいと思う。

 今年スイスへ行くとき買ったウォーキングシューズは、まことに歩きやすくて、これまで買った靴の中では最高の履き心地だった。ところがやはり、底が薄いのである。
 地面の固さがびんびん伝わってくる。長時間歩いたら疲れるのではないか、という不安を感じさせずにはおかない。これでは靴として失格ではないか。

 わたしはとにかく、底の厚さが5センチもあるような、地面がどんなだかわからないような、信頼できるシューズが欲しいのだ。同じような年寄りはたくさんいると思うのだが、メーカーにそういう声は届いていないのだろうか。


2010.12.4
 まる2ヶ月かかった雑誌の仕事がようやく終わった。約200枚と、シリーズ最長の作品になったから無理もないのだが、ほんとは先月中に終わっていたはずの仕事だった。
 締め切りが1ヶ月延びたとわかった途端、頭が手抜きして、きちんと働かなくなったのだ。
 つぎの仕事がひかえているからさっさと片づけ、そっちにとりかかろうとするのだが、できない。やっても中味はすかすか。使いものにならない。

 結局持ち時間を全部使い切り、最後はやっと間に合って終わった。明日はゲラが出て、月曜日は校了だというから、いつも通りぎりぎりの仕事になったわけだ。

 毎度毎度同じことを言い、まことに恥ずかしい。
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 ところで昨今評判になっているゴパン。わが家もとうとう買うことにした。

 せがれがそれこそ毎日のようにうるさく言ってくるからで、かみさんが根負けし、先月京都へ進出してきたヨドバシカメラへ行って前金を払い、予約してきた。
 わたしもいずれは買おうと思っていた。その後も、情報収集はやっていたのだ。すると米をミルにするさいの音が、かなりうるさいということがわかった。

 そういう家電製品を買わされるのは、はなはだ気に入らない。どうせ1年もすれば、初期の問題点を解決した改良型が出てくるに決まっている。それから買っても遅くないし、満足度も高い。
 そういう考えだから、これまで第一号商品なるものは、ただの一度も買ったことがなかった。そんなものに飛びつくのは愚の骨頂、人生のポリシーに反することなのだ。

 したがっていくらせがれがやいのやいの言ってこようが、第一号製品は見送るつもりだった。しかし米をすこしでも多く消費してもらいたいせがれは、うるさい、うるさい。毎晩電話してくる。
 それでとうとうかみさんが根負けして予約しに行ったのだが、そのときはもう、商品の引き渡しは1月12日になっていた。

 予約受付中止という騒ぎになったのは、そのほんの数日後だ。予約が殺到して生産が追いつかず、とりあえず3月末までの予約受付を中止して、時間を稼ごうということらしい。

 しかもつぎの日には、わが家へも販売店から電話がかかってきた。
「まことに申し訳ありませんが、1月じゅうのお引き渡しはできなくなりました」
 いつになるかというと2月。それも何日になるか明言できないという。
 こちらはただただあきれるばかり。発売前からこれくらい人気になった家電製品も珍しいのではないか。

 ところがおどろいたことに、ネットではこのゴパンが、プレミアムつきでいくらでも売られていた。5万円の製品に、はなはだしいものになると10万円以上の値がつけられている。

 いったい世のなか、どうなっているんだ。われわれのような黴の生えた老人家庭まで騒ぎに巻き込まれてしまい、なんだが釈然としないのである。


2010.11.27
 糖尿病の定期検診で、なんとか及第点を取ることができた。HbA1cの数値も、前回よりわずか0・1だが下がった。

 自分ではもっと下がっているだろうと思った。この1ヶ月せっせと歩いたり走ったりして、肉体の改造に努めてきたつもりだからだ。11月に入ってからは、1日に最低1時間半は走っていた。

 札幌にいたとき、MBTシューズというのを買った。靴底が丸くなっているシューズで、はくだけでエクササイズになるという触れ込みだ。
 札幌ではもっぱらジムで用いていたが、京都にきてからはジムへ行かなくなったので、その後出番がなくなっていた。
 その靴を引っ張り出し、またはきはじめた。床に立つだけでぐらつくような靴だから、道路に出ると、しょっちゅうつまずいたり、よろめいたりする。ちょっとしたでこぼこや段差でも、バランスがくずれるのだ。
 これでスロージョギングをすると、かかとから着地してつま先から離れる、という動作を忠実に繰り返すため、脚の運動量が大きくなる。ふくらはぎやももが確実に痛くなってくるのである。

 それだけエネルギー消費量も多くなるわけで、春先から増えっ放しだった体重も、ときどきだが、ようやく五十四キロ台になりはじめた。
 とくにこの1週間ばかりは、連日2時間以上もジョギングをしていたから、きっと医者がびっくりするような数値が出るだろうと、大いに期待していた。
 それがたったコンマ1だったから、がっかりである。そしたら医者に、それほど簡単に結果が出ることはないといわれた。今後も引きつづき運動しろということだ。
 それで仕方なし、いまも毎日1時間ばかり走っている。

 ただいま京都は紅葉の盛り。どこも連日大賑わいで、有名な寺や庭となると、ライトアップされて夜も観光客を集める。
 毎日同じコースを走っていると、単調すぎてどうしても飽きてくる。それでこの際、清水寺の夜景でも見てくるかと思い、先日出かけた。
 わたしの家の辺りが標高35メートル、清水寺がだいたい100。この間ゆるい坂なので、躰をしぼるためのジョギングコースとしては絶好なのだ。
 それに清水寺は、清水の舞台に上がらなければ拝観料がいらない。舞台の下を通って奥の石段をあがり、奥の院から市内や舞台を見るのはまったくただなのである。

 と思ってのこのこ出かけてみたところ、なんとライトアップ中に限り、寺の入り口に関門ができて入場料を徴収していた。
 茶碗坂を上がって行ったから、そういうときは境内に入らず、道路をぐるっと回って清水坂から帰ってこようと思っていたのだが、道路がすでに境内の一部。
 400円也を支払わないと、道路も回れない。結局入ったが、そうなると口惜しいから、寺の中もひと回りしてきた。
 夜の8時半から9時にかけてという時間帯だったのに、なかは満員。昼間と変わらない観光客が詰めかけていた。

 数日後、今度は9時半の閉門時間を見計らって出かけた。ゲートの係員はいなくなるが、帰る人がいるから門はそのまま、道路は回れるだろうと思ったのだ。
 ところが門そのものが、もう閉められていた。お帰りの人は清水坂のほうへ、ということだったらしい。結局すごすごと引き返した。以来清水寺には近寄っていない。

 ジョギング用の坂は、その後もっといいところを、べつのところで見つけた。それについては、また今度ということに。


2010.11.20
 かみさんが泊まりがけで同窓会に出かけたため、こちらもこれさいわいと、パソコン持参で温泉へ出かけた。

 今回行ったのは六甲山の裏側にある有馬温泉。じつをいうとはじめて。まえから行ってみたかった温泉のひとつだが、残念なことに、宿選びをまちがえた。
 風呂が夜11時までしか入れなかったのである。
 一晩中仕事をしているのだから、夜中に、だれも入っていない温泉に浸かってほっとする、というのが宿選びの絶対条件だったのに、ネットで選んだためつい確認を怠ったのだ。
 すっかり興ざめしてしまい、3泊の予定を2泊で切り上げた。

 有馬温泉そのものは狭い谷間にあり、それほど広くない範囲に、大小の宿がこれでもかとばかりひしめいている。
 街なかはすべて坂道。1時間もあればひと回りできるし、紅葉の盛りでもあったから、何日か滞在して、仕事したり散歩したりすれば、それなりに楽しめただろう。宿をまちがえたのがかえすがえすも口惜しい。

 昨今の温泉街はどこも寂れがちだが、ここは京阪神から近いこともあって、けっこう客がいた。東京で言えば箱根に当たるだろうが、れっきとした神戸市内なのである。
 3日目、帰りがてら、六甲山へ上がった。温泉街からロープウェイに乗ると、そのまま頂上まで運び上げてくれる。じつは六甲山もはじめてだった。

 ところがあいにく、その日は寒波が襲来していた。標高900メートル近い山上は、気温3度。風があったから、体感温度はもっと低かっただろう。
 薄いハーフコートで出かけていたから、寒くて震えあがった。
 地理はかいもく知らないし、歩行者用の案内図もあんまり出ていない。第一そんな天気だから、ろくに人がいないのだ。

 かといって、同じロープウェイで引き返すのは、性分が許さない。
 とにかく2キロぐらい先まで行くと、神戸市街のほうへ降りるケーブルカーがある。その駅めざして、ひたすら歩いた。
 じっとしていると寒いから、早足でひたすら歩いただけ。したがって眺めも、ところどころ見えたという程度。楽しんだところまで、とてもいかなかった。

 機会があればまた行ってみたい気はするが、上のほうは開けすぎて、わたしの好みに合う山ではなかった。調べてみたら、もっといいハイキングコースがあるのかもしれないが。

 結局今回は温泉にも、2泊3日で4回入ったきりだった。


2010.11.13
 このごろタジン鍋にはまっている。これほど野菜がうまく食える調理道具は、これまでなかった。

 わが家ではこのところ、2日に1回ぐらいこの鍋のお世話になっている。味つけはたいていぽん酢。それですこしも飽きない。この分だと今年の冬は、和風鍋料理が大幅に減りそうだ。
 春に一度タジン鍋を買った。それはそれでよかったのだが、少々早まった感がしないでもなかった。鍋が小さすぎて、ふたり用としては使いものにならなかったからだ。
 それでこのまえ東京へ出かけたとき、宅配便の荷に混ぜて送ってもらった。東京で独身生活をするときの、専用鍋にしてしまったのだ。

 おかげで今回、晴れてあたらしいものを買う口実ができた。
 2、3人来客があったときでも使えるようにということで、直径25センチの標準型を買った。
 いまではLサイズでもよかったかな、と思っている。大きいほうがより万能だからだ。
 使用はほとんどガスコンロの直火。電子レンジで調理するより、うまいような気がするからである。
 とくに野菜がうまくなることは、おどろくばかり。風味があって、味が濃密。和風鍋の水っぽさとは比べものにならない。

 鍋料理に欠かせない白菜が、じつをいうとそれほど好きでなかった。葉はまだいいとして、根元の白いところは「包み紙」と呼んで、調理するときごっそり切り捨てていた。
 それがタジン鍋にかかると、芯までとろとろになってしまい「えっ、白菜ってこんなにうまかったの?」と、いくらでも食えるのである。
 豆腐はたぶん、合わないだろうと思っていた。鍋料理でも汁物でも、煮すぎるとスが入って、風味が落ちる。高温で蒸すタジン鍋だと、なおさらだろう。
 ところがものは試しでやってみたところ、スは入っても、味はすこしも損なわれなかった。豆腐本来ののみずみずしさがそのまま保たれ、へたな湯豆腐よりはるかにうまいのだ。

 ただしかみさんのほうは、あまりに簡単で手間いらずだから、すこし忸怩とするらしい。手抜き料理の最たるものとして、主婦としては複雑な気持ちになるという。
 それでもっぱらタジン鍋料理のときは、わたしが受け持つことになっている。ふだんなんにもしないくせに、このときばかりは買い出しにも行く。

 今週はあたらしいものに挑戦してみようということで、肉団子のトマト煮をつくってみた。
 結果は、失敗。肉団子が縮んで半分以下の大きさになってしまい、しかもうまみが全部抜け出して、トマト風味が全然染みてなかった。その分スープがうまかったから、まあよしとしたが。

 とにかくこれまで、いろんな台所用品を買ってきたが、タジン鍋くらい有益で、ありがたい道具はなかった。まことに女房いらず、亭主いらずの鍋である。
 年を取ってくると、いちいち料理するのは面倒になってくるものだが、そういう人には絶対おすすめしたい。

 タジン鍋は、伴侶に先立たれた老人の、あたらしい伴侶となる道具である。


2010.11.6
 仙洞御所と修学院離宮へ行ってきた。ともに紅葉の名所として知られるところだが、あいにくどちらも早すぎた。

 仕方がないのである。見頃の時期は申し込みが殺到し、受付開始初日で、いっぱいになるとか。後からのこのこ行くと、こういう外れの時期しか空いていないのである。
 指定された時間の10分まえに行き、待合室で待ち、それから引率されてぞろぞろ出かける仕組みは、桂離宮と同じだ。
 1回に50名。うち10名が外国人枠とかで、今回はどちらも西欧系の人たちだった。

 仙洞御所というのは、名前くらい聞いたことはあるが、詳しいことはなにも知らなかった。京都御所内の、大宮御所と同じ敷地にある。
 この大宮御所。天皇はじめ、皇族が来られたとき宿泊される、といったことすら今回はじめて知ったのだ。
 仙洞御所は、いま建物がなく、庭だけ。この庭園が、大宮御所と共用。つまり天皇家が来られたとき散策される庭を、こちらも歩かせてもらうというわけだ。

 回遊式庭園で、1周およそ2キロ、1時間の行程。季節ごとにいろいろな花が眺められるよう、植物が配置してある。
 あいにく花は終わり、紅葉も早く、いちばんつまらない時期だった。
 ところが意外にも、池の小島に柿の木があって、色づきはじめた実が成っていた。こういう庭で柿の木を見るのは珍しい。
 せいぜい数十年くらいの大きさだったから、もちろん当初からあったものではない。鳥の運んできた種でも落ちて、それが芽吹いて大きくなったということだろうか。
 手入れをしている庭師が、生えてきた木を見逃すはずはないから、なんの木か承知で、あえて摘み取らなかったということになる。それを想像すると、なんとなく楽しかった。

 見学が終わり、外に出てきたのが昼。ただちに昼めしを食い、午後から修学院離宮へ。1日に2カ所というのは、けっこうハードスケジュールなのだ。
 修学院離宮のほうは1周3キロ、1時間半の行程。つけて行った万歩計のメーターが、家に帰ったときは22000歩を越えていた。

 修学院離宮は大文字山の北方にあり、高度の異なる3つの離宮からなっている。各離宮はそれぞれ百メールぐらい離れ、相互には田のなかの道を歩いて行く。
 この道は、いま松並木になっているが、かつては田んぼのなかのただの畦道だったとか。つまり左右の田園風景を借景にしているのである。
 いまでもここの田畑は、近在の農家の人によって耕作されている。

 修学院離宮の目玉は、上離宮だろう。いちばん高いところにあるため、風景がまことにすばらしい。
 標高150メール。下離宮との高度差が40メートルと、かなり上がる。北を望めば八瀬から岩倉、南には京都市内を一望するこの景観は、おそらく京都市内でも一番と言っていいだろう。

 ただしここへ行くまでの、ゆるいとはいえ階段のつづく道は、慣れないものだと相当きつい。
 今回五、六名で来ていたドイツ人グループのなかに、とびきり太めのご婦人がひとり混じっていたが、その人は途中で上がるのをあきらめ、下でみなが帰ってくるのを待っていた。
 ここはちがう季節、ちがう時間帯に、もう一度行ってみたい。それくらい値打ちのある景観だと感じ入った。

 これで京都御所、桂離宮、仙洞御所、修学院離宮、公開されている皇室の施設は、一通り見せてもらったことになる。
 といっても京都御所は、中学生のとき修学旅行で行っただけだが。


2010.10.30
 東山で転落して大怪我をしたのが、2年まえの昨日だった。日記をひっくり返しているとき発見したもので、そうか、もう2年になるのかと、あらためてびっくりしている。

 躰はいまでも、完全に回復したとはいえない。右手の握力はまだ。というより、もうもとにはもどらないと、このごろは悲観的になっている。
 足も坐るとき、意識して正座するようにしているが、長くはつづかない。
 いちばん衰えたのは足だ。今年の夏が暑かったこともあって、ほとんど歩かなかった。涼しくなってようやくウォーキングを再開したが、これが別人みたいに情けないよたよた歩きになっている。
 足腰の衰えぶりが、自分でもはっきりわかる。ふつうに歩いていながら、しょっちゅうつまずいたり、つんのめったりする。足をちゃんと踏み出しているつもりが、上がっていないのである。

 じつをいうといま、これまで以上に歩かなければならない事情を抱えている。前回の糖尿病の定期検診の結果が、あまりよくなかったからだ。
 血糖値のほうは、採血をする前にがーっと激しく歩くと、確実によい数値が出る。つまりいくらでもごまかせる。
 ところが糖尿病進行の目安とされるヘモグロビンA1cという値は、こんな安直な泥縄ではだまされてくれない。このA1cの数値が、この半年、確実に悪化しているのだ。
 とうとう医者からは、次回も数値が悪かったら、薬を飲んでもらうかもしれない、と脅された。

 これにはめげて、しゅんとなって帰ってきた。薬を常用するようにだけは、なりたくないのだ。
 原因は、わかっている。食い過ぎなのである。
 スイスで2週間あまり、高カロリーの食事をしたせいで、躰がすっかり慣れてしまい、以前のような、軽い食いものでは満足できなくなっていた。
 夏あたりから節制をはじめ、もとの食生活にもどしたと自分では思っていたが、このチェックが甘かった。
 それが証拠に、体重が減らないのだ。1年まえに比べると、2キロぐらい増えている。
 おかげでズボンのウエストまで、きつくなってきた。もう一度緊急に、54キロ台にもどしたいのである。

 A1cを落とすいちばん効果的な方法は、運動だといわれている。とにかく歩くのが最良。ところがご承知のように、今年の夏はとても外を歩ける状態でなかった。
 やっと涼しくなってきたときは、昼も夜もない、ぐちゃぐちゃの生活習慣にどっぷり浸かっていた。
 夜仕事して朝から眠り、午後に起きて一日をはじめる、というのが規則的にできれば、まだ問題はない。その時間が、どうしてもずれ込んでしまうのだ。
 つまり朝まで起きてしまうと、これから寝ようというとき、なかなか眠れない。仕方なく、眠くなるまで起きていようとすると、昼を過ぎてしまうことが再々だ。
 すると目覚めるのは夜。翌日はさらに時間がずれ込んでしまいと、延々この繰り返し。

 なにしろこういう生活を40年つづけてきた。いまさら治らないだろう。いちばん困っているのは本人なのである。


2010.10.23
 あっという間に日が短くなり、気がついたらもう秋たけなわになっていた。
 それにしては日中の気温が高い。昼間ウォーキングをすると、すぐ汗ばんでくる。
 だからまだTシャツか、ポロシャツで十分なのだが、見回してみると、もうだれもそんな恰好はしなくなっていた。

 それで遅まきながらわが部屋も、今週衣替えをした。これまで出してあった夏物衣料を仕舞い、秋冬用と入れ替えた。しかし夜半のいまでも、室内気温は25度を超えている。未練がましいかもしれないが、半袖で十分なのだ。

 今日はパンを買いに今出川まで出かけた。すると時代祭がおこなわれていたせいか、道路がひどく混んだ。交通規制が行われていたのである。
 月曜日にウォーキングがてら、下鴨神社の近くまで出かけたときも、似たような光景を見た。警察官が大勢動員されていたのだ。

 喫茶店の2階でパソコンを叩きながら見ていると、1時間ほどして、ものものしいパトカーに先導された1台の車が走り抜けて行った。
 皇族か、どこか国の高官でも来ていたのだろう。帰ってから調べてみたが、だれが来ていたのかわからなかった。京都は賓客が多いので、マスコミもあまり騒がないのだ。

 先週はいたずらによる爆弾騒ぎで、河原町周辺が大混雑をした。2台のヘリが1時間以上も上空を飛び回り、なんともうるさかった。
 かみさんが鴨川で水難事故でもあったのかしらというから、こっちも野次馬根性丸出しになって、わざわざたしかめに行った。
 札幌ではときどき、豊平川に落ちる事故があり、そのたびにヘリが飛んだ。川岸の要所要所には、ロープをつけた救難ブイが備えてあった。
 だからその手の事故を想像したのだが、行ってみたら、おだやかそのもの、なんにも起こっていない。考えてみたら鴨川は、浅くて、水難事故など起こりようがない川だった。
 その代わり道路が大渋滞して、身動きがとれないありさまになっていた。河原町周辺の交通が、全面的にストップしていたのである。

 よせばいいのにかみさんは、その間わざわざ警察に電話して、なにがあったのか聞いてみたそうだ。
 そしたら空とぼけた応対しかしてくれなかったそうだが、どうもあれは、いたずらを仕掛けた犯人が、警察の反応を知りたくてわざわざ電話してきたのではないかと、疑われたのではないかと思う。
 『大阪のおばちゃん』という言い方をわれわれはよくするが、かみさんなどはこっちへ越してきて「大阪のおばちゃんは楽でいい」と人生観が変わったようなことを言いはじめた。

 要するにわからないことがあったら、考えたり、自分で調べたりせず、すぐ人に聞くのだ。恥ずかしいとか、体裁が悪いとかいったことは考えない。わからないことは聞く。まことに適切、かつ実利本位の処世術だ。

 聞くばかりではない。教えてくれることもある。
 今年の春だったか、東京へ向かうため、いわゆるキャリーバッグを引っぱって京都駅の改札へ向かっていた。
 すると向こうから来たおばさんが、いきなり地下を指さして「あんた、いまごろ行ったって、ロッカーどこも空いてぇへんよ」と親切に教えてくれた。

 よっぽど困った顔をしているように見えたのだろうか。おおきにと、とりあえず礼を言ったが、その日はなんとなく楽天的な気分で過ごすことができた。


2010.10.16
 地下鉄烏丸駅に『コトチカ』という商業施設ができて2週間になる。クリスピーとかいうドーナツが大変な人気で、駅の乗降客が大幅に増えたそうだ。

 今日も近くを通ったのでのぞいてみたところ、整理員つきの行列がまだつづいていた。開店当初に比べたらだいぶ落ち着いてきたようだが、それでもまだ30分待ちとある。
 ドーナツは食わないからどうでもいいが、食品スーパーの成城石井が、京都へはじめて出店してきたのはありがたかった。多摩には割合多くの店があり、品ぞろえがユニークなので重宝していたのだ。
 これまで2回買い物をしている。コーヒー紅茶をはじめ、フリーズドライのタマネギスープなど、お気に入りの商品が何点かあるのだ。

 夜中に仕事をすることが多いから、飲み物はいつも必要だ。喉が渇いてなくても、口はときどき湿らせたいのである。
 ひところはコーヒーしか飲まなかったが、嗜好が変わったのか、それとも体調が変わったのか、ちびちび飲むもののほうがありがたくなった。

 それでこのごろは、紅茶を入れることが多い。凝りはじめたわけではないが、その気になってみると、紅茶にはおびただしいバリエーションがある。そのときの気分次第で、あれこれ飲んでみるには恰好なのである。
 いまティーパックだけで7、8種を常備している。はっきりいって、それほど微妙な味がわかるわけではない。カップを口許に運んだときの、香りを楽しんでいるだけだ。

 そういう好みからいうと、イギリス産よりフランス産紅茶のほうが、香りの種類も豊富なら、味も濃厚だ。この香りというやつは、一旦魅せられてしまうと、より強い刺激を求めるようになるから困るのである。
 デパートに行けば、さまざまな香料をブレンドした紅茶が売られている。だが残念ながら関西は、東京に比べてこの分野がやや弱い。地域のメーカーしかないからである。
 コーヒーもそうだ。わたしのいちばん好きなコーヒー豆は、京都では手に入れることができない。
 ほかにうまいコーヒーがあるから困りはしないものの、東京へ行くたびに買ってくる。嗜好品というのは、なんとも厄介なものである。

 と、のんきなことばかり書いて、余裕しゃくしゃくみたいだが、それも道理、いま取りかかっていた原稿の締め切りが、1ヶ月延びてしまった。
 はじめ12月号という約束で書いていたのだが、新年号が通算800号なので、大々的な特別号にしますとかで、そっちへ入ることになったのだ。

 なんであれ、締め切りが延びるのは大歓迎。まことにありがたい変更だったが、一方ですっかり気が抜けてしまった。以後緩みっぱなし。こういうときは、なかなか元にもどらないのである。
 それではいけないというので、今週からウオーキングを再開することにした。
 そのさいパソコンを持ち歩き、出先でよさそうな喫茶店を見つけたら、そこに入って何時間か仕事をしてくる、ということにしたのだ。

 いまのノートパソコンは、軽いのでその点便利。一方バッテリーのほうは大して保たず、このまえは2時間足らずで切れた。携帯と同じ。蓄電がなくなると、いきなりぱっと暗くなる。
 さいわい中味のほうは、切れる間際までの文章が、きちんと残っていた。家でだらだらしているより、外で仕事したほうがよほど勤勉になれる。

 というので、いつまでつづくかわからないが、これからしばらく、パソコン持参で市内をうろつくつもりである。


2010.10.9
 奈良の薬師寺へ行ってきた。奈良時代に創建された東塔が、近くはじまる解体修理のため、10月いっぱいで見られなくなるというから、あわてて見に行ったのだ。

 修理が終わるまで10年かかるというから、それまでこちらが生きていられる保証はない。『凍れる音楽』として有名なあの美しさが、二度と見られなくなるかと思うと、万難を排しても見ておくべきだと、勝手に盛り上がって出かけたのだった。

 むろん再建されたら、もと通りの姿を眺めることができるわけだが、部材のおおかたは取り替えられてしまうだろうから、いまのあのもの寂びた、シンプルで、清楚な美とは無縁なものになってしまう可能性が高い。
 1300年間保たれてきたあの類いまれな美しさを、この際しっかり目に焼きつけておきたかったのである。

 先週なくしたビデオカメラは、その後あちこち問い合わせてみたが、とうとう出てこなかった。どこでなくしたか、まったく身に覚えがないのだから、これ以上どうすることもできない。完全にあきらめた。
 そのおかげで、負け惜しみになるかもしれないが、カメラに収めようという他力本願の気持ちがなくなり、この目ひとつで見届けてくることができた。
 カメラがない分、感受性が強くなったような気がするのだ。

 回廊に腰を下ろし、黙って見上げているだけで、こよなく満ち足りた気持ちになった。このひとときは、生涯忘れないだろう。
 今回はとくべつに塔の1階内部も公開していた。外からのぞくだけだが、天井に描かれている蓮の花の残片を見ることができた。
 いまの美意識とは合わなくなっているが、創建当時の姿は、30年まえに建てられた西塔と同じように、極彩色のきんきらきんだったのである。
 そのあと唐招提寺を見て、さらに奈良市内の元興寺まで足を伸ばし、1日で世界遺産を3つも見るという、欲張った成果に大満足して帰ってきた。

 しかし奈良まで足を伸ばしはじめてみると、あれも見たい、これも見たいと、欲望は際限もなくふくらんでくる。こうなったら、奈良にも2、3年住んでみようか、などと言いはじめた。
 じつは先週明日香へ行ったとき、帰りに時間があったから、橿原神宮駅の前にあるマンションを見てきた。
 貸家である。間取り、駅からの近さ、環境のよさ、いずれも満点に近い物件だった。
 しかし惜しいかな、方角が西向きだった。大きな窓から西日がさんさんと入り、いまの時期だからさながら温室、暑いのなんの。
 それにめげて見送ってしまったが、数年暮らすだけなら、あそこでもよかったんじゃないの、といまでも未練たっぷりだ。

 あと10年若かったら、迷わず引っ越しを決意していたと思う。悔しいかな、それには年を取りすぎてしまった。
 引っ越しの手間と前後の煩わしさを考えただけで、気力が萎えてしまうのである。
 おそらくつぎに越すとしたら、それがたぶん、終の棲家になってしまうことだろう。
 若さと体力、老人にとって、このふたつが失われることぐらい悔しいものはない。
 こないだ10月になったばかりだというのに、なんだかんだで、あっという間に3分の1が終わってしまった。

 ただいま取りかかっている中編は、下書きがようやく30枚に達したところ。
 これ以上遊びに行く暇はなくなった。あきらめて、これからしばらく執筆に専念しよう。


2010.10.2
 友人からメールをもらい、今年の東京国際映画祭に『行きずりの街』が出品されていることをはじめて知った。

 じつは先週だったか、映画のポスターも出版社から送られてきた。かみさんが取り出して貼ろうとしたから、あわててやめさせた。恥ずかしくて、とても見る気になれないのだ。以後包装紙に入ったままである。

 自分の小説が、べつの作品に生まれ変わったのだから、よろこぶべきことなのかもしれないが、どうしてもそういう気持ちになれない。
 要するに、恥ずかしいのだ。ただそれだけ。自分の書いたものが、活字以外のものになって目の前に差し出されてくるのは、とても正視できないのである。

 小説と映画とは、まったくの別物だと頭では割り切っている。だが自分の書いた台詞を、他人の口を通して聞かされるのは、まるで自分が丸裸にされたみたいで、ものすごく恥ずかしいのである。
 だから今後とも、自分の作品は、見ないつもりだ。原作者としてはいけないことかもしれないが、人はさまざま、ごめんなさいと言うしかない。
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 今月はまた、つぎの蓬莱屋シリーズを書かなければならない。まる1ヶ月、ほかのことができなくなる。
 というので今日は特別ということにして、かみさんにつき合い、奈良の明日香村まで曼珠沙華見物に出かけた。

 石舞台から遠くない山間の棚田が、この数年彼岸花の名所として知られはじめた。年々花が増えているのである。
 それがちょうど満開だった。棚田の畦という畦が赤く染め上げられ、子どものころ見たかつての農村風景そのまま、目が洗われるような懐かしい景色を堪能してきた。

 それはいいとして、いざビデオに収めようとしたところ、肝心のカメラがデイパックのなかに入っていない。昨夜バッテリーの充電もして、たしか持ってきたはずなのに、またもや家に忘れてきたらしいのだ。
 がっかりしたものの、忘れたのではどうにもならない。そのまま一日を終えた。

 ところが家に帰ってみると、やはりないのだ。ということは、まちがいなく持って出たということになる。
 それをどこで、どうなくしたか、まったく記憶がない。バッグから取り出した覚えが、そもそもないのだ。
 家を出たときからことを、逐一思い出そうとしたが、どうしても思い出せない。唯一考えられるとしたら、京都から近鉄特急で橿原神宮まで行ったときの車内に置き忘れた、ということくらい。

 明日念のため遺失物係に問い合わせてみるつもりだが、自分ではバッグからカメラを取り出した覚えは絶対にないのである。

 いったいこの頭、どうなってしまったんだろう。ますますぼろぼろになってゆくみたいで、今夜はいささかしゅんとしている。






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