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きのうの話 |
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2008.3.29 京都へもどってきたら花粉症が嘘みたいにやわらいだ。外出するときは一応マスクをするが、くしゃみの出方がちがう。目のかゆみはほとんどなくなった。こんなことならもっと早く帰ってきてもよかった。 だが東京でいい加減な食生活をしていたため、今月の定期検診では血糖値がだいぶ上がっていた。体重も落ちるどころか、ふえる一方である。 病院からの帰りはいつも歩く。東山界隈には車の通れない細い路地がまだ残っていて、人間が歩いて用を足していた時代の暮らしが忍ばれて好きなのだ。 下がりきったところが鴨川である。おどろいたことに河畔の桜が満開だった。東京から帰ってくるとき、市ヶ谷界隈のお堀端の桜がまだつぼみだったのを見ている。京都の桜の開花情報を見ても、ここの桜はひところも触れられていない。 同じ鴨川河畔でも、五条から上流の桜はまだつぼみが堅いのである。五条と七条の間だけが、ほかより格段に早い。しかもすべてしだれ桜である。根元には雪柳が植えてあって、これもすべて満開なのだ。 かみさんに知らせてやったら見たいという。それで翌日散歩がてら一緒に出かけてみた。まだ10年ぐらいの若い木だが、しだれ桜の並木というのは華やかでいい。観光コースから外れているし、知られていないせいか、人はちらほらしかいない。歩いて数分のところにこういう道があるのは得した気分になる。 一方わが家には、しだれ桜ならぬしだれ梅がある。高さ50センチくらいの鉢植えの梅だが、つぼみがいっぱいついていたので年末に買った。正月中花をつけ、目を楽しませてくれた。 ところが散ったのちは、それっきりなのだ。そろそろ葉っぱが芽生えてきていい季節なのに、こうもり傘の骨組みみたいな枝を拡げたきり、うんともすんとも言わない。 2月になって、ようやく下のほうから小さな芽が出てきた。それではじめて気がついたのだが、下の幹と、上のしだれ梅とでは木がちがっていた。つまり接ぎ木してあったのである。 芽は接ぎ木のほうから出ていた。肝心のしだれ梅のほうはまったく変化なし。しかもあたらしく出てきた芽は、どうも梅ではなさそうなのだ。 「ひょっとするとちがう木じゃないかなあ」 と首をひねりながら東京へ出て来た。 今回は20日ぐらい東京にいたが、その間にも芽はぐんぐん伸び、ほかにも2箇所、あたらしい芽が出てきたという。それもすべて元の木からだ。 どうしようと言うから、帰るまでそのままにしておけと答えた。台木になにが使われているか、知りたかったからだ。 帰ってみて、あきれた。傘のように枝を広げたしだれ梅の上へ、新芽が真っ直ぐ30センチも高く突きだしていた。ほかのふたつの芽も下のほうで葉を拡げはじめている。梅のようでもあるし、桃のようでもあるし、なんの芽だかまだわからない。 一方しだれ梅はというと、おまえはプラスチックでできているのか、と毒づきたくなるような枝のまま。針で引っ掻いたほどの芽も出していない。庇を貸して母屋を取られるという話はあるが、庇が母屋に呑みこまれかけている。 気になったから調べてみた。すると接ぎ木には梅系の木が使われているとわかった。だが台木から出た芽をそのままにしておくと、栄養分をすべて取られ、上の接ぎ木が枯れてしまうこともあるそうだ。そうか、これは家主と借家人の熾烈な生存競争だったのだ、とようやくさとったから新芽はすべて摘みとってしまった。 しかし借家人はいまだに眠りこけたままである。 |
2008.3.22 漏水にきりきり舞いさせられた1週間だった。先週の土曜日、天井に溜まった水を抜いたばかり。それで一旦はおさまったのだが、数日するとまた漏れはじめた。 量はそれほどでもないが、位置が前回とちがう。数十センチ移動して、階段に当たりはじめたから受けることができない。 このときになって、はじめて、これは雨漏りではないみたいだ、ということに気がついた。小生の家はトイレや洗面所が2階にある。天井は石膏ボードを張り、化粧用の天井紙で仕上げてあるから見ただけではわからないのだ。 試しに天井に触ってみると、ぶかぶかしている。あれっ、これは腐ってるんじゃないか、と思った途端、ぼこっと音がしてボードがくだけ、穴が空いたらしい。そして天井紙の継ぎ目からタタタタッと水が落ちてきた。 このときはあわてた。先日の22リットルの水が頭にあったからだ。さいわい量はたいしたことなかったが、漏水そのものは何時間もつづいた。 こうなってはもう天井を剥いでみるしかない。それで春分の日にせがれに来てもらい、天井を剥ぎ取った。大型の脚立を買い、ノコギリはじめ工具、バケツ、雑巾までそろえて、大工事になるつもりだった。 なんの、道具なんかまったく必要なかった。完全に腐っていた石膏ボードは、しけった煎餅でも割るみたいに、なんの力もいらず簡単に剥ぎ取れた。 天井裏をのぞくと、案の定、塩化ビニールパイプを伝って水滴がしたたり落ちていた。水漏れのもとを突き止めてみると、2階洗面所の給水パイプからだとわかった。 元栓を閉めたら、漏水は止まった。しかしこんなことで簡単に止まっていいのか、まだ半信半疑である。今日1日ようすを見てきたが、パイプにはまだ水滴がにじみ出している。まる24時間たっても消えていないのだ。 第一あのときの22リットルもの水は、どこから湧きだしてきたのか、説明がつかないのだ。前日まで漏水はもちろん、なんの異状もなかった。洗面所も手を洗うときぐらいしか使っていないのである。 今日は風呂とシャワーを使い、こちらの影響はないものか、いまようすを見守っているところだ。明日になってもまだ水滴が消えないようだと、やはり業者を呼んで調べてもらうしかないだろう。 天井は石膏ボード1枚分を剥ぎ取っただけにした。こちらは相当大がかりに張り替えないとだめだろう。 それをいつやるか、すべてはこれから。とにかくあしたも水が漏れてこないようだと、ひとまずよしとして京都へ帰ろうと思っている。疲れた。仕事で疲れたのではないから、こういう疲労は腹が立つ。 花粉のほうは相変わらず。鼻水とくしゃみがひどいので、気休めかもしれないと思いながら、鼻の洗浄器なるものを買ってみた。携帯用の一種の注入器である。 塩水を鼻の中へ注入して、鼻孔を洗い流す仕組みだ。そういえば子どものころ、母親がゴムチューブ製の鼻洗浄器を使っていた。出がらしのお茶で洗っていたと思うが、わたしも鼻が悪かったから何度かやってみたことがある。 どんなひどい鼻づまりも、洗浄直後はすっきり通って気持ちがよくなった。ただしすぐ元にもどる。治療具というより、一時的な爽快感をもたらしてくれる道具でしかなかった。 最先端の洗浄器だけあって、ゴムがシリコンになって使い勝手は格段によい。外出から帰ってくるたびに使っているが、効果のほどはというと、これが微妙。なにもしないよりはよいような気がする、としかいまのところ言いようがない。 ただし欠点がひとつある。そのあと、どうかした拍子に、鼻の中に残っていた水が、突如としてタタタタッと7、8滴落ちてくることだ。突然すぎて避けようがない。使用説明書に注意事項として書いてあるから、文句も言えない。外へ出かけるまえは使えない道具である。 |
2008.3.16 伊豆に行っていた。花粉症がだんだんひどくなってきたから、東京を逃げだしたのだ。伊豆だったら海風が吹いているだろうから、まだしも楽だろうと思ったのだが、見事なまでの思惑外れだった。 とくに最初の夜は、いままでこれほどひどい一夜は過ごしたことがないというくらい最悪だった。くしゃみと鼻水が止まらないのである。ティッシュでは間に合わないから、洗面所のドアを開け放しにして、数分おきに駆けこむ始末。仕事になんかなりはしない。 翌日はすこし楽になったし、昼間や外では、それほどでもないのだ。宿へ帰るとだめ。ひょっとすると暖房の吹き出し口から、花粉がまき散らされているんじゃないかと疑い、暖房を止めることまでやってみた。 木曜日には編集者がようすうかがいにやって来たのだが、これが同病。独身の妙齢女性なのに、話しているときも、めしを食っているときも、ティッシュでぐじゅぐじゅと鼻をかみっぱなし。色気もなにもあったものではなかった。 金曜日は雨が降ってくれたおかげでようやく楽になった。めしを食いに外へ出たら、鼻がすーっと通って気持ちがよかった。宿にもどったら途端に鼻がむずむずしはじめる。今回の宿がいけなかったとしか思えないのだった。 場合によっては延泊するつもりで出かけていたが、結局土曜日に引きあげてきた。仕事は予定の半分もできず。なにをしに伊豆まで行ったのかわからない結果に終わってしまった。 帰ってみると、家がひどいことになっていた。雨漏りしていたのである。金曜日の大雨がいけなかったのだ。 じつをいうと、前から雨漏りの気配はあった。南側からの風雨は平気なのだが、北側からの風雨に弱かった。それで留守にするときは、雨漏り箇所へ盥をあてがうことを忘れないようにしていた。それがこのところ雨漏りした形跡がないから、ほっとしていたのだ。 幸か不幸か、今回の雨漏りは、じかに流れ落ちたものではなかった。かといってよろこぶほどのことでは全然なく、天井に溜まって、壁紙(天井紙)を太鼓腹みたいにぼよーんとふくらませて垂れ下がっていたのだ。 それもかなりの大きさ。縦横が1メートルと80センチくらい。垂れ下がり高が5、6センチはあるだろうか。触ってみると、氷の溶けた氷枕みたいにぶよぶよしている。よくぞ破れも、したたり落ちもしなかったものだと感心するくらいだった。 しかしどうしてこんなところへ、水が溜まるようになったのか、まったく見当がつかない。場所も最悪。1階の居間、食卓の上なのだ。 こうなったらこちらで穴を開け、水抜きをするしかない。というので盥とバケツを用意し、千枚通しで穴を開けた。間髪をおかずタタタタッと落ちてきたから、すかさず容器に受けた。 それが本日午後3時過ぎのこと。それから10時間ぐらいたつのに、まだ水漏れは止まっていない。これまでバケツ2杯分の水を受けて捨てた。念のために量ってみたら20リットルあった。大きなペットボトル10本分である。 よくよく考えてみると、どうも昨夜漏った水ばかりではないようなのだ。これまで漏った水がどこかに溜まってしまい、溜まりすぎて天井紙のところへ集まってきたということだろう。そういえばいかにも古そうな、黄ばんだ水だった。昨夜の雨は、天井紙のところへ集まってくる引き金となったにすぎなかったのだ。 しかし20リットル水抜きをしたおかげで、天井のふくらみも、触ってみるとだいぶ空気が入ってきた。さっきまではゆっさゆっさと水音までしていたのだ。あと10リットルも抜けば、ほぼ干上がるのではないだろうか。とはいえ、天井裏に30リットルもの水が溜まるなんて、法外にもはなはだしい。 それにしてもこんなに雨漏りを溜めて、きょうまで気がつかなかったほうもひどい。いまもパソコンを打っている脇で水音がしているのだが、その音を聞いていると「温泉へ行く暇があったら雨漏りの修理ぐらいしろよ」と家がぼやいているみたいだ。すまん、すまんと頭が上がらないのである。 |
2008.3.8 4日に東京へ出て来た。今回もバス。花粉の飛散がピークを迎えている関東へやって来たわけだから、じつのところ戦々恐々としていた。ところが意外、初日はくしゃみひとつ出なかった。 これはひょっとすると、治ったんじゃないかと、はかない期待に胸を躍らせたのだが、やはりぬか喜びにすぎなかった。翌日存分に思い知らされた。 外に出るときは鼻をガーゼでおおい、その上にマスクをして出かけたのだが、なんともなかったのははじめの1時間だけ。 そのうちくしゃみが出はじめ、鼻水が出はじめ、あっという間に止まらなくなった。鼻をかむときは力一杯かみ、鼻腔内の異物をすっかり出したはずなのに、ものの数分もするとまた出てくる。ガーゼもマスクも役に立たないから捨てた。ハンカチを当てるのがいちばん有効だったのである。 ほうほうの体で逃げ帰り、シャワーを浴びてからだじゅうの花粉を洗い流した。それでもよくならない。1日じゅうくしゃみと鼻水が出っぱなし。もちろん仕事にはならない。 眠っているときは止まっているのである。起きた途端に出はじめる。とにかく翌日は家から1歩も出なかった。 というのもその明くる日の今日が、文学賞の授賞式だったからだ。選考委員だから前のひな壇に並び、衆目にさらされなければならない。鼻水ずるずるでは格好がつかないというものだ。 自信がなかったから、服やコートのポケットというポケットにティッシュを詰め込み、重装備で出かけた。するとありがたいことに午後から気温が下がり、雨が降りだした。まさに天の助け。雨が降ると空中の花粉が叩き落とされ、少なくなってしまうのである。 おかげで二次会までつき合って帰ってきたが、この間1回も鼻をかまずにすんだ。しかしまだ10日くらい滞在する。一喜一憂する日がつづきそうだ。 今週は先月買った電話機兼ファックス兼コピー機兼プリンターの複合機にもすごく手こずらされた。 いま取りかかっている作品が500枚を越えたので、ここらで読み直し用にプリントアウトしようとしたところ、インクがかすれてすごく汚いのだ。読めなくはないものの、新品のプリンターにあるまじき印刷である。いろいろやってみたがどうしてもよくならない。 思いあまってメーカーにも電話してみた。ところが電話が混んでつながらない。仕方なくもう1回マニュアルを読み直し、ゼロからはじめてみた。 セットしてあったインクを取りだし、セットし直す。そのときはじめて気がついたのだが、インクのひとつにびらびらしたテープのようなものがついている。 保護シールの切れっ端が残っていたらしいのだ。とにかくそれを取りのぞき、印刷してみると、今度はすんなりきれいな印刷ができた。 こちらの見落としだったとはいえ、こんな些細なことを突きとめるのに2時間もかかった。あたらしいものをだんだん使いこなせなくなるのが、なんとも情けない。 |
2008.3.1 暖冬といわれている割に今年の冬は寒波がよくくる。今週もうっすらと雪が積もり、これで屋根が真っ白になるくらいの積雪は4度を数えた。 水曜日に定期検診を受けに行ったが、病院の庭にある梅林も紅梅がやっと2、3分咲きになった程度。白梅にいたってはまったく花をつけていなかった。東京よりだいぶ遅いのである。 おかげでスギ花粉の飛散量は少なく、いまのところ花粉症の自覚症状はない。東京はすでに真っ盛りになっているらしいが、その東京へ来週はまた帰らなければならない。 それでせめて髪くらい短くしておこうと、昨日散髪に行ってきた。前回気に入らなかったから今回はインターネットで調べ、わざわざ大阪のホテルまで出かけた。 結果は前回よりだいぶ増し。しかし満足するまでにはいたらなかった。それだけ札幌でかかりつけだった店の親父が気に入っていたのである。 代わりが見つからない以上、次回もそこへ行くしかないかと思い、帰りに名刺代わりのマッチをもらってきた。ところがそれを見ると、京都にある同じ系列のホテルにも同じ理髪店が入っているではないか。こちらの調査不足だったわけで、わざわざ時間と電車代をかけて出かけることはなかった。早とちりは高くつくのである。 早とちりといえば、ものすごく恥ずかしいことをひとつ白状しなければならない。このまえオーバーを買ったところ、ポケットがなかったということを、とくとくと書いた。ところがじつは、あったのだ。 今週もそのオーバーを着て出かけていた。ポケットがないため、寒い日だったのに手袋をして出かけられない。外したとき、しまうところがないからだ。 なんとも腹立たしい思いをしながら、そのいまいましさがつい未練となって、ありもしないポケットをまさぐり、無意識に手が縫い目のところを触りつづけていた。 そのうち、縫い目になんとなく隙間ができたみたいで、なおもいじっていると、びっくりしたことに指が1本ずるずると入ってしまった。破れたのか、縫い目がひろがったのかよくわからなかったが、そのときはぎょっとした。 指を動かしてみると、なかは空洞になっている。以下あれ? あれ? あれ? の連続。指が2本入り、3本入りして、いくらでも穴がひろがる。あわててたしかめてみると、しっかり空洞がひろがっていて、手に1本黒い糸がすーっと取れてきた。 要するにしつけ糸できっちりふさいであっただけだったのだ。それにしても隙間がどこにもないくらい、これほどしっかり綴じ合わせてしまわなきゃいけないものか、とうらめしく思ったが、考えてみればオーバーにポケットのないことがそもそもおかしかった。それを簡単に、ポケットがないと思いこんでしまったほうがアホなのだ。 要するにわたしは70年も生きて、オーバーひとつ着られるレベルに達していなかったのである。それにしても恥ずかしいったらない。こんなことなら書かなきゃよかったのだ。 この原稿もふくめ、最近はすべての仕事をノートパソコンでこなしている。デスクトップは印刷したり、写真を収納したり、保存用に使ったりするだけ。いまや完全にサブマシンとなっている。 ノートはもっぱら電源を使い、バッテリーを使うことはまずない。重くてかさばるバッテリーなど、不要以外のなにものでもないから、最近はもっぱら外して使っていた。 今週はじめ、4時間ばかり仕事をしたあと、一息ついてインターネットでニュースを見ていた。するといきなり画面が消えた。電灯まで消えたところをみると停電だ。なにもしていないのにブレーカーが落ちたのだった。 ブレーカーさえ上げたら元通りついたが、もし仕事をしている最中だったらと思うとぞっとした。4時間分の仕事が、一瞬にして消えたはずだからだ。バッテリーがあると電源が切り替わるから、それは防げる。外していたバッテリーをあわててまた取りつけたのだった。 しかし気になりはじめたことは、このような原因不明の停電が、この家にきて2度目になることだ。まえのときもふつうに使っていて、あらたな電気器具のスイッチを入れたわけでもなし、使い方に原因があるとは思えない停電だった。 これでは安心して仕事ができない。と不安をおぼえはじめた矢先の今夜、また停電が起きた。今週2度目、合わせて3度目だ。今回はバッテリーをつけて使っていたからことなきを得たが、これでは困る。あすにも調べてもらうと思っている。 |
2008.2.23 毎年この時期になると、郷里から文旦というザボン系の蜜柑を送ってくる。わたしの大好物なのだが、みんなの善意がかち合うと2軒も3軒も送ってきて、うれしい悲鳴を上げることになる。それが今年はなんと5軒から送ってきた。 1箱に20個ぐらい入っているから、ざっと計算しても100。このごろはふたりで1日に1個もあれば十分だから、いくら何でも食いきれない。というのでくれた人にはわるいが、2箱ぐらいはせがれたちのところへ送ってやろうと思っている。 重なるといえば、つい昨日、書棚の本を探していて、いま読んでいる本とそっくりなものがあることに気づいた。あわてて読みかけの本と比べてみると、まったく同じ本ではないか。 すでに一度読んでいるのだ。それも最近。京都へ来てから買った本なのである。それを今週また買ってきて読みはじめ、まだ20ページぐらいしか読みすすんでなかったとはいえ、読んでいることに全然気がつかなかったからショックだった。読んだはしから忘れているのである。 とにかく最近の記憶力の衰え方はひどい。それを実感するのは、いま読んでいる本でちょっと引っかかるものがあり、前のほうへもどってそれを探し出そうとするときだ。なかなか見つけられないのである。 また時代小説を書いていると、ある事項について事実関係を調べたいときが必ずある。それがどの本の、どこに載っていたか、見つけだすのに毎回うんざりするほど時間を取られている。 何千冊も蔵書があるわけではなし、よく参考にする本というとだいたい決まっている。通常の仕事の9割くらいは、せいぜい3、40冊の本を手元に置いておけば用が足りるのである。 しかしそれがどこにあるかとなると、毎回迷宮をさまようことになる。見つけだすまでにエネルギーを使い果たし、仕事をはじめる気力までなくすことが少なくない。 とくに最近出てくる本は、ますます専門化、細分化されているから、自分の知りたい内容となると、ほんの10数行しかないことだってある。だからあとになってそれを探そうとするのは、容易なことではないのだ。 むしろそれくらいなら、多少古くても名著といわれる概説書を繰り返し読んだほうがはるかにましである。細部よりアウトラインを頭に叩きこむほうが、小説の場合はより重要だからだ。 若いときは、あたらしい本あたらしい本に目が奪われ、読める本のあまりの少なさに絶望的な焦燥感や挫折感をおぼえたものだが、最近ようやく、そんなものを追い求めるより基本的な本を読み返したほうがはるかに有益だということに気がついた。読まなければいけないという呪縛から、やっと解放されたのだ。 負け惜しみを言うわけではないが、まちがえて2度も買ってしまうような本は、たいした本ではない。なにか発見があるかもしれないから、一応目を通しておこうといったくらいの動機で買っている。そういう本にあたらしい発見があった試しはまずない。だから読んだことすら忘れてしまうのだ。 ポケットミステリに読みふけっていたころは、重複して買った本が何冊もあって、ひどい場合は3冊も同じ本を買っていた。評判になった本はほぼ読んでいたから読むものがなくなり、ひょっとすると掘り出し物かもしれないと思って、未知の本に手を出したということだ。結果はすべて外れ。読んだけど記憶に残ってないから、また買ってしまったのである。 だいぶ暖かくなってきたので気がゆるんだか、体重が増えているのに愕然とした。このところパンツが妙にきつくなっていたから、腹が出てきたのではないかと思っていたのだ。しかし2ヶ月で2キロも増えていたとは思わなかった。今週からあわてて節食をはじめたところである。 |
2008.2.16 月曜日に京都へ帰ってきた。帰りは新幹線。のぞみに乗ったのは久しぶりだが、妙に落ち着かなかった。このスピードでは、外をながめて漠然ともの思いにふける習慣が成り立たなくなってしまう。まだ飛行機のほうが向いているのである。 帰ってきた途端、京都も雪の降る日がつづきはじめた。屋根が一面白くなったこともある。しかし街のなかの低層住宅だから、それ以上の雪景色は望めない。 新聞には南禅寺の雪景色が載っていた。木々も建物も真っ白に雪をかぶり、まるで山水画のようだ。しかしこの光景が見られるのはせいぜい数十分。雪の寿命が短いから、降ってから出かけていたのでは間に合わないのである。 今週は九州の郷里へ帰っている友人と十数年ぶりに会った。そのとき、この冬新調したオーバーを着て行った。 これまで長いコートを持っていなかった。この年になるまで、オーバーコートなるものを着たことがなかったのである。年からいってもいまやブルゾンよりコートだろう、というのではじめて新調したのだ。 とはいえ既製品を買い、袖の長さを調整してもらっただけ。東京へ行くとき着るつもりだったが、結局今回は持って帰らなかった。煙草臭くなってしまうのがいやだったからである。 かつてはロングピースを1日60本も吸っていたくせに、いざやめてしまうと、すっかり煙草嫌いになってしまった。外で煙草の臭いが漂ってきても不快になる。 喫煙者の多い席へ出るとあとがたいへん。帰るなりシャワーを浴び、全身にしみこんだ煙草の臭いを洗い流さなければ気がすまないのだ。 からだの臭いは洗えば消えるが、衣服にしみこんだ臭いはなかなか取れない。それを考えただけで、パーティなどには行きたくなくなってしまう。 おかげで買ったもののそれっきりになっていた。この分だと着ないまま、冬が終わりそうだ。それで友だちと会うとき、ようやく着たのである。 ところが袖に手を通し、キーや財布などをポケットに入れようとすると、手が入らない。てっきりしつけ糸で縫いつけてあると思い、縫い目をこじあけようとしたが開かないのだ。しっかり縫い込んである。 よくよく見たらポケットがなかった。一見それらしいものはついているのだが、見せかけのお飾りで、実際はポケットなしのコートだったである。 それを着てみるまで気がつかなかったとは。買ったとき、着たり脱いだりためつすがめつしたりして、身に合うかどうか調べたつもりだが、ポケットにまでは手を入れてみなかった。それらしいものがついているから、なんの疑問もおぼえなかったのである。 どうやらわたしみたいな人間にはもっとも不相応な、ニュータイプのコートを手に入れたらしい。と、わかったときはあとの祭り。それにしてもいままで気がつかなかったとはなあ。ポケットなしのコートとわかっていたら、万にひとつ買いはしなかったと思うのである。 |
2008.2.10 1泊旅行で箱根湯本に行ってきた。もちろん温泉。総勢12名で、女性がひとり。40年来の旧友との同窓会のようなものである。 今回は30年ぶりという顔にも会ったし、岡山から駆けつけてくれた友人もいて、例年にも増して賑やかな夜になった。 糖尿になってからほとんど飲まないのだが、各地のいろんな酒が持ち込まれたので、味見と称してすこしずつなめていたら、最後はそこそこ酔っぱらってしまった。 翌朝、このまま帰るのは惜しいというので、岡山の友人もまじえて3人で、ざっと箱根を一巡りしてきた。 それはいいが、朝の10時まえという時間に、塔ノ沢から乗った強羅行きの登山鉄道が超満員だったのには恐れ入った。車掌に後から押してもらわなかったらとても乗れなかったのだ。 真冬の、箱根で、こんな朝っぱらから、なんで満員電車に乗らなきゃならんのだ、とぼやいていたら、聞こえてくる声が日本語ではないのである。中国語なのだ。旧正月だから、中国の観光客が大挙してやって来ていたのだった。 そういえばまえの晩、ホテルの食堂にも中国人の家族連れの一団がいた。へー、こんな宿にも来てるんだと思ったことだが、これはまだ序の口にすぎなかった。 箱根じゅう、行き着く先々で、中国人観光客があふれていた。帰ってくるときの登山電車すら、午後2時という時間に、上り電車は朝に負けないほど混んでいた。こんな時間に登って行くからには宿泊客だろうと思うが、3連休の初日だったとはいえ、とにかく予想以上に中国観光客が来ているようだ。 こちらも負けずに箱根を楽しんできた。冬ははじめてだが、車が少ないからオンシーズンよりいいかもしれない。ただし上のほうはまだかなりの雪、気温ときたら北海道並みに低かった。 箱根の関所が復元されていたからのぞいてきた。飛脚問屋を扱った小説を書いているから、一度見ておきたいと思っていたのだ。いい資料がそろえられていて、けっこう見応えがあった。 ほんとはもっとじっくり見たかったのだが、あいにくとびきり寒い日だった。30分以上我慢できなかったのだ。しかし冬の箱根で、入場料だって取るのだから、暖房ぐらいはすべきだろう。 多摩の電話機がおかしくなり、留守録ができなくなった。留守電にしておいても、テープが一杯ですという音声が出てまったく使えないのだ。マニュアルを読んでいろいろやってみたがすべてだめ。思いあまってメーカーに電話してみたら、本物の故障だった。テープが回らなくなっていたのである。 修理はできるということだったが、かえって困ってしまった。修理にだれが持っていくか、どのようにして受け取るか、その方法がないのである。 あたらしいのを買ったほうがましかもしれない。というので、とにかく品物を見に行ってきた。おどろいたことに、電話機がすっかり様変わりしていた。 電話、留守録、FAXはもちろん、カラー印刷からコピー、スキャナまで、なんでもできる。プリンターに電話機能がついているようなものになっているのだ。 しかしプリンターは、このまえ京都で買ったものと方式は同じ。つまり4色のインクがセットされており、ブラック単色で使うことはできない。 文書しか印刷しないんだけどなあ、とぼやいたら、じゃレーザープリンターにしたらどうですかと言われた。そういう手があったのだ。 早速のぞいてみたら、レーザープリンタでもシンプルなものはずいぶん安い。それですっかり迷ってしまって、その場で決めることができなかった。パンフレットをいくつか持ち帰り、読み比べてみたが、まだ迷っている。年に1、2回しか使わないけど、コピー機能もあると便利だしなあ。 |
2008.2.3 伊豆の温泉へ来ている。仕事と称してやって来たのだが、寒い多摩から逃げだしてきたというのが本音だ。 距離からいえば、伊豆より信州へ行ったほうが近いし、時間だってかからない。ところがいまの季節の信州へは行く気がしない。ろくな暖房がないから総体的に寒いのだ。 その点さすがに伊豆は暖かい。梅はまだつぼみなのに、彼岸桜が咲いていた。コブシも咲いていたし、柳はすっかり芽吹いてあおあおしていた。 ミカン畑では、黄金色をしたミカンがたわわだ。数ある作物のなかで、ミカンくらいハッピーな気持ちにさせてくれる果実はない。小生ミカンは食うのも眺めるのも大好きである。庭つき畑つきの家など欲しくもないが、ミカンの木がついている家なら住みたいなあと思っている。 このところ素泊まり専門宿をつづけていたので、今回は2食つきにした。いちいち外へめしを食いに出かけるのも、けっこうめんどうくさいからである。 露天風呂があって、24時間いつでも入れて、ひとりで、という条件で探したところ、バストイレ付き、冷暖房完備という温泉ホテルが見つかった。 それにしては値段が安いなあと思ったところ、やはり多少難ありというか、設備が古かった。暖房だって集中方式ではなく、部屋ごとの暖房。大きな機器が据えてあったから暖力は十分だったものの、運転音は少々耳についた。 部屋は南向き。障子を開けると全面サッシの窓で、そこそこ眺めもある。ところがサッシが薄いため、すきま風がすーすー入ってくる。障子を開けられないのである。 二日目の昼、ようやく晴れて日が差し込んできたからはじめて開けた。すると向かいの山の上に、饅頭のような山がのぞいているのに気づいた。大室山である。 双眼鏡を向けてみると、頂上を人の歩いているのが見える。うわー行きたいなあ、と思ったが、そんなことをしに来たんじゃないから以後は無視。今回はとうとう宿から1歩も出なかった。 3泊したが、結論を言うと、やはり食事つきにしたのは失敗。毎日献立を変えて工夫してくれるのだが、旅館めしであることに変わりはない。1回食ったら1ヶ月ぐらいはもうたくさんという料理なのだ。 品数を減らしてくれと1回持ちかけてみたが、わたしのような客こそ特殊らしく、向こうの受け取り方がちがうみたいだったから、以後は言わないことにした。3日目の夕飯などは、めしと固形燃料で温めた鍋物と漬け物しか喉を通らなかった。 どうして懐石料理風のものしか出さないのだろう。旅館のめしというのは、褻というものを徹底的に廃した晴の食事になりすぎている。もうそんな時代ではないと思うのだが、観光産業の体質は変わりそうにない。こういうことが、温泉街の衰退にもつながっていると思うのだが。 今回はまる1週間籠もるつもりで出かけ、素泊まり宿を後半にしようと思っていた。しかしもう1泊したところで、切り上げて帰ってきた。4日も留守にしていろいろ差し障りが出てきたうえ、パソコンが不調になってインターネットにつながらなくなったのだ。 急遽帰りかけてみると、あいにくの大雪。小田原の特急は、わたしが乗ったひとつ後の便から運転停止になった。 わが家も雪に埋もれていた。 |
2008.1.26 久しぶりに東京へ帰ってきた。ところが、寒波の真っ只中。寒くて寒くて、ふるえあがっている。冷えきっていたわが家の室内気温は4度。戸外とまったく変わらない冷たさである。翌朝は5センチほど雪まで積もった。 きのうも日中の最高気温は4度。エアコンとガスヒーターをつけっ放しにして、室温は17度以上に上がらない。鼻水は出るは、くしゃみは出るは、一足早く花粉症が出たみたいな按配である。 これでは京都のほうがはるかに暖かい。四方を山に取り囲まれているから、京都は風がないのである。その分夏の暑さが思いやられるにしても、冬のしのぎやすさは東京よりはるかに上だ。 今回はJRバスで帰ってきた。中央道経由、新宿、東京行きの昼行便である。7時間かかるのが難点だが、乗り換えなしで自宅近くまで行けるのがありがたい。この年になってみると、キャリーバッグを引きずって東京駅や新宿駅で乗り換えるのは、想像するだに気の重いことなのである。 その代わり中央道日野という、なんにもない、淋しいところでひとり降ろされる。しかも夕方。女性なら心細くなるところだが、7、8分歩けばモノレールの駅があるのだ。 羽田へ着いたときはリムジンに乗って多摩まで行くようになったから、最近は浜松町を利用したことがない。これからは東京駅の利用度も減りそうである。 しかし東京の変化の激しさには、いつも驚かされる。今回はパスネットカードが終了といわれて唖然とした。代わってPASMOカードを使いなさいと。 仕方がないから、よくわからないままあたらしいカードを購入した。編集者の話によると、私鉄ばかりかJR、ロッカー、買い物、自販機など、なんでもござれだという。 これは便利だと思っていたら、こいつがとんでもない食わせものだった。 新宿の東口から帰るときは、JRの改札口から入って京王線に乗るのだが、カードのかざし方が悪かったのか、バーがばたっと閉まってしまったのだ。 再度かざしたら開いたから、あとはそのまま、いつものように帰ってきた。京王線を下りるときは、なんの支障もなくバーが開いて通してくれたのだ。 そのとき、何気なく料金表示を見たところ、330円区間のはずが770円と出ているではないか。 びっくりして駅員に申し出ると、カードを機械にかけて調べてくれた。その結果、地下鉄から乗り継いだかたちになっていると言われた。 カードに金を戻すことはできないとかで、差額の440円は現金で返してくれた。しかしこれ、たまたま料金表示を見たから気がついたのであって、さっと通りぬけていたらわからないところだった。 引き落し金額がカードに印字されないから、見なかったらそれっきりなのだ。また料金を知らない区間で利用していたら、多く引き落とされてもわからないことになる。 機械が少なく引き落とすことは、まずあり得ないだろう。いったいどれくらいの頻度で誤作動を起こしているのか知らないが、使用4回目にしてこのようなミスが起きたところをみると、予想以上に多いのではないだろうか。 すると、気がつかないままかすめ取られている金額は、総額にしたら何千万、何億円になることか。これは犯罪以外のなにものでもないはずなのだ。 申し出たらすぐ機械にかけて調べてくれたところをみると、かなり頻繁に誤作動が起きているのかもしれない。それともわたしの場合が、何千万分の1というめったにないミスだったのか。引き落し金額は、毎回しっかり見届けなきゃだめですよ、と警鐘を鳴らしておく次第です。 |
2008.1.19 今年はじめての冬らしい寒気がやってきた。この数日、京都の最低気温はマイナスとなり、きのうははげしく雪が降った。 大粒のぼたん雪だった。北海道とちがったのは、いかにも重そうなぼた雪だったこと。ひらひらと舞う北海道の雪とはまるでちがい、生真面目に、一生懸命降っていた。しかし1時間でぴたりとやんだ。 今週は定期検診で久しぶりに病院へ行った。結果は良好。数値も昨年秋のレベルにもどり、医者に褒められておおいに気をよくして帰ってきた。 京都でかかっているのは民間病院である。かみさんは病気の性質上京大病院を選ばざるを得なかったのだが、懸念した通り混雑がひどいらしく、予約して行っても毎回3時間以上かかっている。 わたしのほうは内科と眼科、2科目受診して2時間あまり。これは採血の結果を1時間待っての時間だから、待ち時間としてはべらぼうに短い。 いまの病院に決めたいちばんの理由は、庭が気に入ったからである。中庭に回遊式の庭園があり、採血結果が出るまでの間、30分くらいは池の傍らでのんびりしてくる。 案内板によると、平清盛の息子がどうのこうのと書いてある。話半分としても、原型は平安時代まで遡る古い庭園なのだ。 池には鴨がいて、池のなかの岩には、はじめ見たとき鳥の置物が置いてあった。鴨を呼びよせるための模型だろうが、つまらないことをするもんだと思っていたら、その鳥が飛び立ったからたまげた。本物のアオサギだったのである。 帰りは町屋の間を10分も歩くと鴨川に出る。それでついでに河畔の散歩をして帰ってくる。これまで5、6回は歩いているだろうか。都会の真ん中の川にしては水がきれいだし、鳥も多い。散歩には頃合いの川なのだ。 バードウオッチングにはすこし寒すぎたが、今回も双眼鏡を持って行って、からだが冷え凍ってしまうくらい楽しんできた。アオサギ、コサギ、鴨、トビのほか、つがいのカワウまできていた。他の都市ではわがもの顔のカラスが、この川では端役なのである。 しかしいちばん多いのはユリカモメ。京都にユリカモメではミスマッチみたいな気がしないでもないが、目障りなくらいたくさんいる。それというのも、鴨川には魚が多いからである。橋の下の深みになると、ハヤが川底も見えないくらいうようよいる。 サギもカワウもこのハヤ目当てにやってくるのだろうが、サギは不器用なので、なかなかつかまえることができない。浅瀬に立たずんで魚がやってくるのを待つ、いわゆる待ちの漁法だから効率が悪いのだ。 その点ユリカモメは小回りがきくし、はるかに器用だ。アジサシみたいに上空から、一直線に水中へ飛びこんで狩りをするやつまでいる。アジサシほど百発百中ではないものの、それでも3回に1回くらいは成功している。 とにかくユリカモメが多すぎるせいだろう。サギのところまで魚が回らないらしく、この間から何度も見ているのに、サギが魚にありついたところをまだ見たことがない。 図体がカモメより大きいのだから、からだを維持するためにはカモメよりもっと食わなければならないはずなのに、ろくに食ってないのではあるまいか。これでは子孫を残せない。将来は絶滅してしまうんじゃないかと心配になってくる。わたしの子どものころは、糞害が問題になるくらい、もっともありふれた鳥だったのだが。 来週は東京へ帰ります。 |
2008.1.12 ここしばらく、3月並といわれる暖かい日がつづいている。おかげで寒がりのわたしは大助かり。京都は寒いぞーとさんざん脅されてきたから、なんだ、たいしたことねえや、といまでは高をくくるまでになった。 寒いときの最低気温がどれくらいまで下がるのか知らないのだが、日が差す限り、居間の暖房もガス温風暖房機ひとつで用の足りることがわかった。いまのところエアコンはまったく使っていないのだ。 わたしの部屋の暖房も、赤外線パネルヒーターひとつでこのままいけそうである。外気がマイナスになるほど冷たい夜でも、最低20度の室内気温はキープできるみたいだからだ。 さすがにこのままですみはしないだろうが、北海道に比べたら京都など常春の国。足許を気にせず出歩けるだけでもありがたい。それにしても、日中の最高気温が氷点下などという札幌の天気予報を見ると、よくまああんなところに8年間も住んだものだ、と思ようになったから人間というものは勝手なものである。 北海道の名誉のためにつけ加えておくと、札幌にいるときは「本州の人間はさぞわれわれを寒いと思ってるだろうな」と、床暖ひとつくらいであとは我慢している本州の人間を、汗ばむくらいぬくぬくの部屋に住んで見下していたのである。 今週は京都へ来てはじめて散髪に行った。どこかいいところはないか探していたが、結局見つけることができないまま、河原町にある比較的よさそうなところを選んで行ってみた。 結果は、まあ、こんなものか、という感じ。え、もう終わったの? というくらい早かったのにはびっくりした。そしたら料金も安かったから、この値段では仕方がないか、と納得して帰ってきた。 ただ終わった直後、仕上がり状態を鏡で見せられたとき、頭の後の下のところだけ、幅3、4センチくらい黒い髪が残っているのにはおどろいた。ほかの部分はほぼ真っ白なのに、後頭部の下だけ帯みたいに黒い毛が残っているのだ。 そこに黒毛が残っていることは、札幌時代に散髪屋で教えられたから知っていた。しかしそこの親父は、その毛が見えなくなるよう調髪してくれていたから、これまでかみさんも知らなかったのである。 それが今回人が代わり、しかも適当に短く、と言ったものだから後をだいぶ刈り上げてしまった。おかげでまるで色のちがう髪の層がはっきり出てしまったのである。自分には見えないとはいえ、以来気になって仕方がない。白と黒、まるでパンダではないか。 きのうは気温が14度まで上がるというから、散歩がてら清水寺へ行ってきた。かみさんを連れていたから行きはタクシーを使ったが、ひとりだったら歩いていた。わたしの足なら30分。1・6キロしかないのだ。 そのあと歩いて知恩院、八坂神社へ足を延ばしてきた。それで知ったのだが、京都市内の寺や神社には、いまでもけっこう自然湧水がある。清水寺にも八坂神社にもあったし、下鴨神社にもあった。錦市場みたいな街の真ん中にある天満宮の水も天然湧水である。お宮の水だからポリタンクを持って汲みに行くわけにはいかないだろうが、このつぎから小さなペットボトルぐらいは持っていって汲んでこよう。 |
2008.1.5 あけましておめでとうございます。 どうやら元気にあたらしい年を迎えることができました。とはいえ例によって仕事をいくつも持ち越してしまい、まことに変わり映えのしない、いつもながらの新年だった。 それでも大晦日の夜は初詣に行ってきた。行きたい神社がいろいろあっておおいに迷ったが、結局今年は下鴨神社にした。終夜運転の電車があるから行き帰りがいちばん楽だったのである。 思ったほど人出は多くなかった。京都で初詣客がいちばん多いのは伏見稲荷で、これは全国のランクにも入る別格。あと八坂神社や平安神宮がつづくが、数字となるとひと桁ちがう。下鴨神社はさらにその下位となるわけで、押し合いへし合いにはほど遠かった。その分情緒のほうは味わえたと思うが。 珍しかったのは、いまどきないほど大がかりな篝火が焚かれていたこと。宮人ふたりがつきっきりで世話をしていた。電気のなかった時代は足もとが暗かったから、参道を照らすために燃やしていた名残だとか。 じつは今日もう1回行ってきた。夜のテレビニュースでも放映されたが、神前で新年恒例の蹴鞠が行われたからで、その有料席券を買いに行ったのだ。初詣に行ったおかげで今日行われることを知り、かみさんが見たいというからメッセンジャーボーイを買って出たのである。 蹴鞠が行われるのは2時頃からだが、切符は12時から売り出すという。たまたま外出する用があったから、ついでに買ってきてやろうと引き受けた。 ところが11時半にお宮へ着いてみると、もう無料席は観客でいっぱいになっていた。有料券の売り場にも40人くらいの列ができている。これにはあわてた。 というよりこちらが迂闊すぎたのだ。こういうものをいい席で見ようとしたら、2時間や3時間は待つくらいの覚悟はしなければならないということだ。なにしろここは天下の京都なのである。 それを切符さえ買えば安心みたいに考えていたのは、いかに世間知らずかということだ。 案の定、12時に切符が発売されると、買った人はすぐさまいい席に行って坐りはじめた。これから2時間待つつもりなのである。それなのにわが家では、かみさんが切符を買ってきてくれるのをのんびり待っている。 泡を食ってタクシーに乗り、家まで飛んで帰った。やっぱりかみさんときたら、支度をはじめたところで、まだ昼めしも食っていなかった。めしなんか食ってる間があるか、と大急ぎでせかして送りだした。 むろん時間に遅れはしなかった。しかし1時すぎにのこのこ行っていい席があるわけはなく、人の頭の後から見ることになったらしい。おかげでテレビの画面にも映らなかった。 わたしのほうは蹴鞠などご辞退申し上げた。そういうものを見て楽しむ余裕がなかったからだ。持ち越した仕事がまだ終わっていなかったからである。 ある文学賞の選考委員を引きうけているせいで、その候補作を読まなければならない。25日に選考会があるのだ。 加えて年末押し詰まってから自分のゲラが3本も出た。今月下旬に発売されるある小説誌の2月号が、わたしの特集号なるものをやってくれるからだ。これに3つも記事が載るのである。 ひとつは自作を語るみたいなインタビューをまとめたもの。ひとつは昨年アメリカへ行ったときの印象記をまとめたエッセイみたいなもの。もうひとつが中編時代小説。 じつは11、12の2ヶ月、これにかかりっきりだったのである。その間に引越をしたり、怪我をしたり、風邪を引いたり、急性関節炎になったりしたのだから、なんとも忙しかったのだ。 そのゲラ直しが終わり、やっと今日送り返したところだった。文学賞の候補作のほうも、5冊あるうち1日1冊ずつ読み、あと1冊というところまで漕ぎつけた。とても正月どころではなかった、ということがおわかりいただけるだろう。 初詣のつきあいや切符の買い出しなどは、この間ほったらかしにしていたかみさんへのせめてもの罪滅ぼしだったのである。 |
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