Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      



2007.3.31
 歩道の雪がほとんど消え、戸外を自由に歩けるようになった。待ちかねた春の到来。早速今週から本格的なウォーキングをはじめた。

 あいにく豊平川の河川敷はまだ雪が深い。それであきらめていたのだが、偵察してみると、サイクリング道路の一部がなぜか除雪されている。これは歩けるかもしれないというので、そこもとりあえず歩いてみた。
 残念ながら除雪されている区間は2キロたらずしかなかった。左右はまだ深い雪。ところによっては冠水している区間もあり、ウォーキングには時期尚早だった。あと1週間もしたら、だいぶちがってくると思うが。

 それよりもっと驚いたことがある。春になってわずかに芽吹きはじめた河川敷の雑木が根こそぎ刈り払われ、ほとんど丸裸になっていたのだ。昨年の秋、わたしを驚喜させてくれたあのグミの木の群落も、それこそ1本残さず刈り取られていた。
 スッカラカンになった川原を見たときは腹が立ってならなかった。一体全体、なぜ、邪魔にもならなければ美観を損ねているわけでもないこういう雑木まで切り払い、川原を丸裸にしてしまわなければならなかったのか。素人目にはどう考えても、理由らしいものが見つからないのである。
 大きな木は残してあるのだ。そういえば秋の終わりごろ、市の職員らしいのが、川原に潜り込んできては、なにかごそごそやっているのを何度か見かけている。どうやら木の幹に、赤いビニール紐を結びつけているみたいだった。
 あれは残す木を選り分けていたのである。ビニール紐を巻きつけた木は、伐らずに残してあったからだ。いずれも比較的大きな木ばかりである。

 しかしなぜこんなことをしたのか、重ねて言うがどう考えてもわからない。河川敷の一部には、野鳥のためと称して、手を入れずに残してある原っぱもあるのだ。そっちはよくて、人も犬ももっと入ってこない川原の群落はどうしてだめなのか。野鳥だったら川原のほうが、もっと安心できると思うのだが。
 げすの勘ぐりで言うと、出入り業者のために、公園課かあたりが、むりやり仕事をつくってやったとしか考えられないのだ。北海道というところは、どう見ても不要不急、だれも困ったり不便を感じたりしていない土木事業を、ほんとうに感心するくらいせっせとやってくれるところである。それとも地方公共団体というのは、全国どこでも同じなのだろうか。

 つぎの仕事が一進一退、すこしもはかどっていない。先週構成を立て直して1から再出発したばかりなのに、今週またご破算にしてしまった。いままたプロットの練り直しをしている。今度こそ最終稿にしようと思っているのだが。

 それやこれやで、あくせくしていたせいもあって、今週は一度も本屋へ近づかなかった。行くのが恐いのである。行けばどかっと積んである本がいやでも目に入るし、それがすこしも減っていなかったら、気が滅入るばかりだからだ。
 信じられないことに、その一方でまだ増刷はつづいている。


2007.3.24
 この数日めっきり暖かくなり、今日も7度近くまで気温が上がった。この分だと、日中の気温が氷点下になることはもうなさそうである。
 しかし週の前半までは連日のように雪が降った。延べにしたら20センチは降ったと思う。しかしさすがに春の雪、朝は一面の銀世界でも、昼にはほとんど消えていた。
 おかげで、ありがたいことにふつうの靴で外出できるようになった。裏通りや北側の道路に入るとまだたっぷり残っているが、それも表面はざらめ状。日中ならまずすべる心配がなくなった。

 今日は用件があって札幌駅の近くまで行った。ちょうど昼どきで、あっちこっちのビルから、サラリーマンが昼飯を食いに外へ出てきたところだった。これがみな、オフィスにいたときと同じ格好、つまり軽装なのだ。
 その姿や足取りを見ただけで、春が来たなとわかる。長い冬が間もなく終わる、そういう喜びみたいなものが、街のどこを歩いても感じられるようになってきた。

 今週は切符があったので、道の近代美術館で開かれているペルシア展に行ってきた。この手の催しものは、混むからほとんど行かない。ところが、さすが地方都市というか、客の絶対数がまるでちがった。がらがらだったのにびっくりしたくらい。
 それこそ気に入ったものを、好きなように、いつまでも見ていることができる。美術展というのは、もともとこうでなくちゃいけない。だいたい東京のあの混雑はなんだ。というので、東京の催しものにはますます行けそうになくなってきた。

 見終わったあと、売店で面白い本を見つけた。「明治の洋画」と題したカタログである。
 明治初期に洋画を学んだ日本人画家の作品が網羅してある本で、高橋由一の有名な「鮭」などの絵が収めてある。
 だがそれよりわたしには、当時の日本人の顔が、ふんだんに出てくるのがもっと魅力的だった。それぞれ味のある、いい顔なのである。そういえば、昔はこういう人がいっぱいいたなあ、とながめて見飽きないのだ。
 といって、これはわたしにとっていい顔ということで、いまの若い人が見たら「どこの国の原住民か」と思うかもしれない。この5、60年ぐらいを境にして、昔と今の日本で何が変わったといって、顔くらい劇的に変わったものはないからだ。
 体つきも根底から変わった。ほんのこの前まで、日本人のプロポーションというと、ほとんど6頭身だったのである。晩年の黒澤明が「顔が変わってしまったから、もう時代劇は撮れない」と言って嘆いたのも無理はなかった。

 150ページもあるその豪華な本が、たった1,050円とある。あまりに安いから、まちがいではないかと値段を何回も見直した。
 よくよくたしかめてみたら、1993年の発行とあった。どうやらその年に開かれた催しものの、カタログとしてつくられたようなのだ。その売れ残りを、いまだに売っていたということだった。このおおらかさ、いい加減さ。残り物には福がある。喜んで買ってきた。

 わたしのほうの1993年の残りもの、いまや福の神となった「行きずりの街」は、ありがたいことにまだ売れている。今週は「青に候」も版を重ね、3刷りとなった。
 用足しをすませた帰り、札幌駅周辺にある3つの書店をのぞいてみたところ、いずれも新しい本が平台に積んであった。開いてみるとみな2刷りだ。1刷りは全部売れてしまったのだろうか。
 疑り深いけど、まだ信じられない。

 とにかく、なにもかもはじめて尽くしである。


2007.3.17
 2週間ぶりに北海道へ帰ってきた。この数日雪が降りつづいたとかで、新雪が30センチくらい積もっていた。ぴりっと引き締まった冷気と、真っ白な雪、やっぱり冬はこうでなくっちゃいけない。と思うようになったから、いつの間にか道産子になりかけているようだ。
 まだ24時間しかたっていないせいか、相変わらず鼻水は出る。しかし目のかゆみはまったくなくなった。これだけでもありがたいありがたい。避難することもできず、日々のつとめを果たしている人々に、心からのお見舞いを申し上げたい。

 帰ってくる前の日、今回の本の担当編集者に会った。すると「札幌でも本が売れているみたいですよ」と言う。嘘だろう、と例によって本気にしなかった。これまで自分の本が売れた試しのないのは、身にしみて知っているからだ。

 しかし「行きずり…」のほうは今週さらに増刷され、累計が21刷りになった。今年に入って5回目の増刷である。
 それで今日、地下街にある紀伊国屋までようすをうかがいに行った。するとたしかに、2月末までは平台に積んであった「青に…」がどこにもなくなっていた。探したら棚に1冊だけあった。もう引っ込めたとは思えないから、あとは売れたと考えていいのだろう。
 嬉しくなって文庫のコーナーへ行くと、こちらはどこにもない。やっぱりな、と思いながら外へ出ようとしたら、入り口のいちばん手前、つまりいちばん目立つワゴンに本が積み上げてあって、これがなんと全部「行きずり…」。心臓が止まるかと思った。
 だって尋常な量じゃない。積み上げてある山を数えてみたら全部で30あった。ひとつの山が低いもので10冊。全体では400冊を軽く超えるだろう。いったいこれだけの本、だれが買うんじゃー。絶対無理無理。顔が赤くなるくらい恥ずかしくなって、こそこそと逃げ帰ってきた。

 そのとき気がついたのだが、立ててあるPOP広告も東京で見たのと同じだった。一見いかにも素人っぽい手書き、と見せかけているが、そこまで計算した印刷だったのである。
 本の売り方が変わってしまったのは知っている。つまり話題になり、一旦売れそうだとなったら、大量に印刷してどどっとばかり市場へ流す。ブームが終わって返本の山になったら、即断裁。在庫にはならないし、かかった費用より売り上げのほうが多かったら、それが利益、万々歳というわけだ。
 マスセールスとしては当たり前の手法だろうが、まさかそれに、自分が巻き込まれるとは思いもしなかった。そういう対象からは、もっとも遠いところにいると思っていたのだ。宝くじが当たったようなものだろうか。それとも交通事故に遭ったようなものだろうか。当分本屋へは近づかないようにしよう。

 ひとつ書き忘れていたことがある。
 先月出た北方謙三の文庫版「水滸伝」第5巻の解説をわたしが書いている。本来だと北方みたいな流行作家の解説まで書いてヨイショするいわれはないのだが、Sというこの本の出版元は、解説を書いた人にも部数が10万部を超えたときは、印税をくれるのである。それで絶対売れそうな作家の本の解説には、書きたい人が殺到するのだ。で、わたしも殺到して割り込んだというわけ。

 北方本の売り上げに協力する必要はないから、興味のある人は立ち読みでもしてください。わたしという人間の根っこみたいなものがわかります。


2007.3.10
 花粉症がボディブローみたいにじわじわ効いてきた。おかげで外出禁止。この3日間家に閉じこもっている。昨日など家の外へ出たのは、生ごみを出したときの十数秒だけだった。

 鼻の方は、先に受けた手術が利いているのかそれほどでもないのだ。しかし目のかゆいのだけは、どうにもならない。緑内障の初期症状が出て、眼圧を下げる薬を常用しはじめたときだからできるだけ刺激を与えないようにしているのだが、かゆいのに負けて、一旦こすりはじめたらもう止まらない。げんなりしている。

 外に出ないものだから、食生活がなんとも貧しいものになってきた。買い置きもので食いつないでいるのだ。それで一念発起、常備菜として根菜の煮しめをつくった。ところが肝心の味付け段階で焦がしてしまい、おかげで焦げ臭い里芋やレンコンを3日間も食わなければならなかった。
 青物では芹を3束買ってあった。安かったからだが、こういう半野草類はけっこう好きなのだ。これをラーメンにまるまる1束入れ、芹ラーメンにして食ってみたら思いの外うまかった。両者の品のなさや、あくの強さがぴったり合うのである。
 今日の昼もラーメンにした。大量のネギと、残り物のソーセージ、豆腐、油揚げを入れて、煮込みラーメンにした。なに、ほんとは残飯整理なのだ。賞味期限が切れそうになったから、まとめて食ってしまったということ。今夜のメインディッシュも冷凍もののハヤシライスである。

 車があるのだからそれで出かければ簡単なのだが、花粉の舞っているところへは一歩も出たくない。帰ってきて1週間もたつのに、今回はまだ1回も車に乗っていないのである。

 「青に候」が少部数ではあるが増刷になった。いろんなメディアに取り上げられ、発行後これほど短期間に、これほど集中的に紹介されたのははじめてのこと。来週も月曜日に毎日新聞の取材を受ける。
 一方で「行きずりの街」が売れているという話は、未だに半信半疑。というのも立川と聖蹟桜ヶ丘の本屋をのぞいてみた限りでは、小生の文庫など1冊も並んでいなかったからだ。いずれも地区では代表的な大きな書店である。

 都心に勤めているせがれも気になるのか、このところ神田の書店をときどきのぞいているとか。先日三省堂の本店へ見に行ったところ、数日前に行ったときより14、5冊は減っていたそうだ。しかも本人が見ている前で、現に1冊売れたのを目撃したとか。
 悔しい。わたし自身はこの年になるまで、自分の本が目の前で売れたところを見たことがないのである。

 5月に山形のカルチャー教室で一席ぶつことになった。評論家の池上冬樹が主催している小説講座に招かれたもので、気楽にいいよと答えたところ、だんだん大げさなことになりかけている。詳細が決まったらまたお知らせしよう。


2007.3.4
 東京へもどってきて3日目である。難儀なことにたちまち花粉症がはじまり、今日は朝からくしゃみと鼻水が止まらない。おかげで雨戸も開けないまま、家の中に閉じこもっている。

 昨日は大藪賞の授賞式があったので、夕方から出かけていた。選考委員だから式典の間じゅう正面に並んでいなければならない。それでマスクはして行かなかった。
 それでもぼろが出なかったのは、ずっと室内にいたからだろう。2次会から3次会までつき合い、自宅へもどってきたのが夜中の2時前。そのあとすぐシャワーを浴び、頭を洗って全身を洗い流したのだが、どの程度効果があったか。朝起きてからずっとこの症状がつづいている。

 困るのはめしである。今朝は昨日のパンが残っていたからとりあえずそれを食った。しかし夕方には、外へ食いに出かけなければならない。食料の買い置きも必要だ。出かけるときは、せめて一駅くらい歩きたいのだが、この分だとあきらめたほうがよさそうだ。

 今回の本、おかげさまで好評である。昨夜のパーティの席でも、いろんな人から声がかかり、それぞれ好意的なことばをいただいた。書評もぼつぼつ出はじめたみたいなので、それがなによりの励みになる。
 それともうひとつ、びっくりするような出来事が起こりはじめている。10数年前に出た「行きずりの街」の文庫本が、いまになって売れはじめているみたいなのだ。
 「行きずりの街」は91年度の「このミステリがすごい」でベスト1になった作品。文庫になってからもときどき増刷がかかり、わたしにとっては定期的に配当が入ってくる株券みたいなありがたい作品となっていた。ところが本の売れない時代となって、最近はその増刷がなかなかかからなくなってしまった。昨年は一度も増刷されなかったのである。

 それが今年に入ってどういう風の吹き回しか、にわかに増刷がかかりはじめた。先月までに何と4回も増刷通知が来たのだ。それもはじめのうちは3000部くらいの部数だったのに、回を重ねるにつれ刷り部数が増え、先週きた通知では15000部と信じられない数字になっていた。わけがわからなくて、何かの間違いではないかと思ったくらいである。
 それどころか。たったいま、かみさんから電話があって、本日5回目の増刷通知が来たそうなのだ。それもなんと20000部。これほど立て続けに、これほど大部数が増刷されるなど空前絶後、わたしにとってもはじめてのことである。

 先日送られてきた見本本を見て、その理由の見当はついた。新しい帯がつき、それに麗々しくベスト1の文字が大書されていたのだ。そそっかしい人だと今年度のベスト1と思うかもしれないが、ちゃんと年度が書いてあって、いまのベスト1と読み比べてみよう、と書き添えてある。なんかあざといなあ、という気がしないでもないが、これは、作者のまったくあずかり知らぬことなのである。いちばん驚いているのは本人なのだ。

 東京へ帰ってきた翌日、新宿へ出かける用があったから、ついでに紀伊国屋をのぞいてみた。これほど大量に刷るからには、平台にでも積んであるのだろうかと、思ったのだ。
 そしたら平台どころか、いちばん目立つところにどーんと積み上げてあった。そればかりか、10数年ぶりに大ブレーク、とかいった手書きのPOP広告まで立てられていた。
 びっくりしたなあ。札幌ではわたしの文庫本など、探すのに苦労するくらい目立たない、片隅の存在にすぎないのだ。それが知らない間に、こんな華々しいスポットライトが当たっていたとは。

 いったいだれが仕掛けたのだろう。第一こんなブーム、いつまでつづくか。本人は半信半疑、というより全然信じていない。自分がベストセラー向きの作家でないことぐらい、いちばんよく知っているつもりだからだ。かみさんなどは出版社がつぶれるんじゃないかと本気で心配している。
 しかしこうなったら、ますますつぎの仕事が大事になってきた。えらいプレッシャーだなあ。


2007.2.24
 本がやっと発売になって、ほっとしている。この2年間1冊も新しいものを書いていなかったからだ。口の悪い友人は、本が着いたと電話してきたとき「もうやめたのかとばかり思っていた」とほざきおった。ぬかすな。作家という人種は生きている限り現役なのだ。

 本が届いたというメールも今日から入りはじめた。出版社のほうから送ってくれたものだ。そうなると本屋のほうも気になる。札幌も発売になったのだろうかと、買い物に出かけたとき紀伊国屋をのぞいてみた。平台に5冊くらい積んであった。藤沢周平の本の隣で、恥ずかしそうに並んでいた。

 いつものことながら、平台に並んでいる自分の本を見るのは恥ずかしい。本だってまちがいなく恥ずかしそうに並んでいる。以前旭川で列車待ちの時間に本屋をのぞいてみたところ、自分のサイン本が置いてあって、顔が赤くなるくらい恥ずかしかった。
 発売記念として、出版社で200冊ぐらいサインさせられたうちの1冊だった。とっくに忘れていたのに、こんなところで再会させられようとは思いもしなかった。しかも不意打ちだ。こういうのは心臓に悪い。

 本屋も発売当初こそのぞいてみるが、そのうち近寄らなくなる。いつ行っても減っていなかったら、精神衛生によくないからだ。そういう意味では、北海道は作家にとってあまり健康的なところではない。わたしの本など道内全体で10冊も売れたらいいほうではないだろうか。

 今日は日中の最高気温が10度と、あきれた予報が出ていた。実際はそれほど上がらなかったと思うが、雨が降って鬱陶しい1日になった。オホーツク海に面している紋別では12・5度まで上がったとかで、年寄りが気持ち悪いとぼやいていた。
 たしかにこのまま春が来たってうれしくない。春が待ちどうしい気持ちに、全然なれないからだ。一昨日北海道ではちょっとした地震があったが、そんなものまで何かの前兆ではないかといった気がしてくる。季節というものはやはりめりはりがなければならない。

 帰りに雨宿りがてら、100円ショップに寄ってみた。久しぶりにのぞいてみたのだが、中身の充実しているのにびっくりした。ビルの5フロアがすべて100円商品。2時間近くうろついてしまったかもしれない。
 そして兵庫県の分県地図と、パソコンの解説書を買った。地図は国土地理院のものと遜色ない立派なもの。いまやっている仕事の資料として、2万5000分の1地図は何枚か買ったのだ。しかし全体や、近隣を見渡せる地図もほしいと思っていたから、これは思わぬ拾い物だった。
 パソコン本のほうは「イチからはじめるWORD」。ワードを使いはじめて難渋している最中だったから、これもグッドタイミングだ。パソコンの画面で調べたって、ヘルプそのものが複雑すぎてさっぱりわからないのである。
 わずか96ページの入門書だから、基本的なことしか取り上げられてない。わたしに必要なところなどせいぜい10ぺーじくらいだろう。ところがそれが、基本をろくに知らなかったものにはなんともありがたかったのだ。漢字の検索から記号の入力など、はじめて知ったことが少なくない。ルビはこんなふうにしてつけるのかって、この年になってはじめて知ったことである。

 100円ショップ恐るべしなんて、いまごろ言ってるほうがずれているのかな。


2007.2.17
 パソコンがやっと使える状態になった。ここまで漕ぎつけるのにまる1週間かかった。一回お助けマンに来てもらい、ダウンロードをはじめ基本的な設定はしてもらったが、使い慣れた画面や入力方法をつくり出そうとすると、あとは自分でやるほかない。

 今回はそれを、なんとかひとりでやったのである。その挙句、疲労困憊してしまった。マニュアルの類を必死になって読んだのも今回がはじめて。いつものことながら、本当に知りたいことは何も書いてない、のがマニュアルだとよくわかった。
 だいたいパソコンを替えたついでに、エディターまで替えようとしたのがつまづきの元だった。使い慣れたエディターにしておけばよかったのだ。インターネットでのぞいた意見を参考に、今回ATOKからWZに乗り替えたのである。
 といってWZははじめて、というわけではない。バージョン4までずっと購入しており、小説以外の、たとえばこういう短いものの作成にはよく使っていた。そのバージョン5を今回導入したのである。もっと正直に言うと、この上ATOKまで購入するのは金がかかりすぎるから、そっちをけちってしまったのである。

 その報いは、使い慣れた辞書が使えなくなるという結果になって跳ね返ってきた。簡単に移せるだろうと思っていたから、これは大誤算。泣く泣く一晩かけて、単語登録の主だったものを、あらたに一から入れ直した。当面必要なものだけに限ったが、それだけで、一晩にして肩が凝ってしまった。
 それがようやく終わり、さてこれでよしとばかり画面を起こしてみると、なんだかようすがおかしい。よく見ると、行の末尾が不揃いなのである。
 縦書きで、1行20字と指定してある。それなのに、19字もあれば、20字、21字もあって、行によってばらばらなのだ。しかも促音や句読点の字間を勝手に詰めてしまい、同じ20字でも行端が微妙にちがっている。入力そのものに影響はないが、見た目がひどく見苦しいのだ。

 なぜそうなってしまったか、どう考えてもわからない。何回設定し直しても同じことになる。古いパソコンで同じ場面を出してみると、行末のきちんとそろった20字詰めになるのにだ。
 どこかでまちがえたみたいだが、それがわからないのだから、どうしようもない。最後はふたつのパソコンに同じ画面を出し、両者の指定内容をひとつひとつ引き比べることまでやった。その結果、両者はまったく同じだとわかった。
 完全なお手上げだ。ここまでで、すでに2日かかっている。ただその最後になって、両者の字体がちがっていることに気づいた。正しく表示されているほうはMS明朝で、もうひとつはMSP明朝と指定してある。指定したときのしまちがいだが、といって、見分けがつかないくらいふたつはよく似た字体なのだ。
 字体がちがうだけのことで、こんな差が出てくるものだろうかと疑いながら、とにかく後者をMS明朝にしてみた。その途端、あーら、不思議、いままで不揃いだった文字数が、1行20字でちゃんと正確に表示されたではないか。
 いったい2日間もの悪戦苦闘とは何だったのだ。こういうことは、マニュアルのどこを探しても書いてないのである。

 ほかにもまだまだ混乱はつづいた。突如としてローマ字入力ができなくなったり、辞書から探し出した漢字がどうしても画面に入力できなかったり、考えられない支障が起きては、そのたびにストップした。
 わずかな操作ミスであることはわかっているのだ。そのミスをどこで起こしたか、それがわからない。そもそも余計な機能が多すぎるのである。

 とくに腹の立つのがマニュアル。すべて横書きを前提として書かれているため、縦書きにすると通用しなくなってしまう部分が多いのだ。たとえば、横書きでは横に動くカーソルが、縦書きにすると上に動いてしまう、といったことが必然的に起こるのである。
 つまり縦書きにして使用する場合は、マニュアルに書いてあることを、縦書き用に、自分の頭の中で翻訳し直さなければならないことになる。いままでのところ、縦書きの用の配慮までしたマニュアルの記述にはまだお目にかかったことがない。つまり縦書きを使用するものには、マニュアルが誤作動の原因になってしまうことが多いのである。

 第一すべてのマニュアルはパソコン用語で書かれている。わたしのような素人には、それがどういう意味なのか、まずパソコン用語辞典で調べてからでないと、文章そのものが理解できない。そうやってようやくわかった機能の95パーセントまでは、わたしなどに必要のないものなのだ。

 パソコンがまだMS‐DOSだったころまでは、必死について行こうと努力していた。config.sysの書き換えくらいまではなんとかやれたのだ。
 そのころ、VZという名エディターがあった。わたしのように、ただ長い文章を打つだけの人間には、これ以上望むところは何もない、といっていいくらいの、簡便にして快適な文章作成道具だった。しかし技術の進歩はいとも簡単にMS‐DOSを不要のものとしてしまい、VZも姿を消してしまった。

 現在のWZは、このVZの後継機として同じ会社から発売されたものだ。しかしこれまで試してみた限り、バージョン3や4の時代からそれほど進歩したとはとうてい思えない。完全に使いこなしたらさらに強力な武器になるのだろうが、すべてのユーザーにそれが必要だとは思えないのである。
 八つ当たりするわけではないが、技術の進歩とは何なのだ、と思わざるを得ない。物事を瑣末に、より複雑にするばかりで、本末転倒もいいところではないかと、いまやついて行くことを完全に放棄した人間は毒づいてしまうのである。

 拡大志向の経済が不必要な需要をつくり出し、技術がその一翼を担う。そういう商品を選ぶしかないこちらの身が、なんとも忌々しいのである。


2007.2.10
 今週もあっという間の1週間だった。あわただしかったばかりで、仕事がほとんどできなかったのだからいやになる。

 月曜日に札幌へもどってきた。そしたら札幌も暖冬の真っ盛り。その夜は寝そびれて明け方まで起きていたのだが、一晩中、とうとう気温がマイナスまで下がらなかった。いちばん低くなったときでプラスの1度。真冬の北海道ですぞ。こんなこと、はじめてである。

 今週は2回、病院へ行った。歯科と内科。内科は糖尿病の定期診断。若干ながら前回より数値が悪くなっていた。
 やっぱりなあ、と覚悟はしていた。2週間東京にいて、その間ろくな食生活をしていなかった。気をつけてはいたのだが、ほとんど外食だったのだから、どうしても偏ってしまう。加えて、ときには羽目も外したい。帰ってくる前の週には、トンカツも食ったし、天ぷらも食ったのである。
 トンカツのほうは、今度帰ったらトンカツを食うと、はじめから決めていた。年に2回は食うことにしているから、これはまあ許せる。天ぷらは余計だった。
 どちらもお終いのほうは衣を剥いで食ったのだが、そんなの、ただの気休め。自分で折り合いをつけているだけである。体重ももどり気味だ。帰ってきて正しい食生活にもどったから、これからすこし修正できるだろう。

 昨日待望のパソコンが届いた。今日係のものが来て初期設定をしてくれ、一応使える状態になった。一応である。昨日までの心づもりでは、今日から気分を一新してばりばり仕事をはじめている予定だったが、それが全然思うようになっていない。
 初期設定はすませたものの、文章を自在に入力できるレベルに達していないのだ。エディターがまだ入っていないからである。使い慣れた辞書を移すことができないのはつらい。あたらしいソフトを買ってくるほかないみたいだ。
 それにあたらしいパソコンというのは、なんとも使いにくい。キー配置がちがう上、これまでなかったキーまでついている。なんとかいままでの状態に近づけようと、自分で環境設定をしていたところ、ワープロの調子まで狂ってしまった。なにが原因でそうなったか、いまだにわからない。結局それを突き止めようとするだけで1日が終わってしまった。

 買い換えるたびに機種を変えている。これまで使っていたIBMはキータッチがよくて気に入っていたのだが、別会社になってしまったためなんだか信用できなくなり、今回は見送った。やっぱり同じものにしておけばよかったかなあと、いま後悔しきりである。


2007.2.3
 あっという間に2月である。今週もやたらめまぐるしく、時間のたつのがますます早くなった。

 お目にかけているカバーの装幀と帯、発売前に掲載したのははじめてである。
 じつをいうと装幀のほうは、読者から「波」に載っていると知らせていただくまで知らなかった。ひらがなのほうを大きくしてくれと注文はつけたが、それ以上細かいことは言わなかったからだ。
 帯の文案も、時間がなくなったための見切り発車。上できとまではいえないが、ありきたりのキャッチフレーズにしたくなかった結果だと思ってください。

 編集者とはメールでやりとりをしている。これにけっこう時間を取られた。というのも、札幌に置いてあるデスクトップで受けてしまうと、東京で使っているノートには入ってこないからである。
 一方でノートへ入ってくるものは、札幌のデスクトップにも必ず入っている。そういう設定になっているのか、マシンの性能でそうなってしまうのか、よくわからない。そのために行き違いが起こったことはたしかで、返事があまりに遅いから、もしやと思って家に聞いてみると、そっちのほうに入っていたということが何回かあった。
 最近かみさんが、友だちとメールのやりとりをはじめたのである。それで日に一度はデスクトップを開けるようなのだが、そのときたまたまメールが入っていると、たとえ中味を開かなくともそれで受信が確定してしまい、こっちのノートには入ってこなくなるのだ。迂闊なことにそれを今週まで知らなかったのだった。

 近くノートを買い替えるから、今度は双方で受信できる設定にしてもらおうと思っている。きょう、その購入手続きをしてきたばかりだ。
 この際メモリを増やしておこうとすると、注文仕様になるから店頭で購入しても1週間は時間がかかる。札幌へ帰ってから手続きしたのでは遅すぎる。それで帰った直後に商品が届くよう、インターネットで購入することにした。
 ところがいざ手続きしてみると、クレジットカードでは買えないことがわかった。カードに記載してある住所、つまり東京の自宅でしか商品を受け取れないというのだ。すると振り込みにして代金を先払いするしかない。で、きょう振り込みに行ってきたのである。

 ところが自動振り込みをはじめ、いざ金額を押すときになって、はたと詰まってしまった。肝心の金額をおぼえていなかったのである。振込先番号、商品予約番号とかいろいろメモしてあるのに、肝心の金額が記載してない。下3桁が410円だったか、140円だったか、自信がないのだ。
 結局その金額をたしかめるため、電車に乗って家へ舞いもどって来ざるを得なかった。そして再度手続きすると、今度は本人の身元確認が必要です、とかなんとか振込機が言いはじめた。最初に言うならともかく、手続きが全部終わり、利用明細が出てきたらそうプリントしてあって、何もしていないのだ。

 振り込め詐欺の防止策として、10万円以上の金額が振り込めなくなったのは知っている。キャッシュカードは適用外だと聞いていたが、それも身元確認をしておかなければならなかったらしいのだ。
 それでまたカウンターへ行き、その手続きをした。これでまた長々と時間がかかった。カードに登録してある住所と、現住所とがちがっていたからだ。カードをつくったのは池袋にいたころ、つまり独身時代の話である。多摩へ越して30数年、その間必要を感じなかったこともあって、変更手続きもなにもしていなかったのだった。

 あれやこれやで、振り込みひとつするのに3時間もかかってしまった。きょうはそれだけでくたびれ果てた。


2007.1.27
 東京へもどってきて1週間、いつものことながら忙しいばかりで、まだ新宿へも出かけていない。気がついたらもう週末だ。このページの更新にも毎週追い立てられている。

 花粉が怖いから雨戸も開けず、家のなかに閉じこもっている。食いものは買い置きですませ、ちゃんとした食事は1日に1回、外でする。それでいて、時間のたつのが速いこと。年を取るほど時間のたつのは早くなるというが、まさしくそうだと実感するのだ。
 身体はどこも悪くない。それなのに、どこか変調を来しているみたいな、バランスの悪さを感じる。寝つきがものすごく悪いし、唇が異常に乾いて、放っておいたらいくらでも皮が剥げてしまう。リップクリームなど使ったことがないのに、今年の冬は手放せなくなっているのだ。

 それで、思い出すことがひとつある。昨年糖尿病の体験入院をしたとき、同室となったある人だ。5つ年上の、糖尿病の大先輩である。
 これまで4、5回入院しているそうだったが、そんな病気など歯牙にもかけず、自分のやりたいようにやってきた感じの、いかにも昭和一桁タイプといった豪傑だった。その人が、親しくなったあと、ふたりきりになったとき、しみじみと言ったのである。
「男としても、人間としても、しょせんは70までだよ。70をすぎたら、がくっと衰えてくる」
 躰も、気力も、という意味だったと思うが、そのときの表情とか、格好だとかが、いまでも目に焼きついているのだ。おりにつけ、思い出してしまうのである。
 去年と、いまとは、同じ時間の延長線上でありながら、けっしてそうではない。肉体の微妙な変化が、雄弁にそれを証明しているように思えてならないのだ。

 今回の上京目的であった大藪賞の選考会は無事に終わり、その点ではこの数日、ほっとしている。新聞で発表されたからご存じとも思うが、今回は2名が同時受賞となった。これは選者4人の意見が一致しての結果だ。選んだ側としても、満足のゆく選考結果だったと思っている。いまその選評を書いているところだ。

 一方で、今度出る自分の本の帯では、すったもんだしている。これまでは原稿さえ渡したら、あとはまかせきり。本の装丁からキャッチフレーズまで、注文をつけたり意見を言ったりしたことはなかった。
 それをこれからはやめることにしたのだ。自分の本だから1から10まで注文をつけ、すべて自分の意に沿ったものにしてもらおうと、考えを改めたのである。
 それで今回は、表紙カバーのタイトル文字から要望を出した。漢字よりかなのほうを大きくしてくれと言ったのだ。漢字のほうをルビの扱いにするくらいでよいと。それをどうかたちよく見せてくれるかは、デザイナーにまかせるほかないのだが。
 帯のキャッチフレーズも案の段階から見せろと注文をつけ、編集者の書いてきたものに、ことごとくだめを出した。意地悪じいさんさながら、4回も書き直しさせている。

 来週はその帯がどういう結果になったか、たぶんご報告できるだろう。


2007.1.20
 先週からずっとマイナス気温がつづいている。曲がりなりにもプラスを記録したのはやっと昨日。それでもプラス1度まで上がらなかった。札幌はいまがいちばん気温の低いときである。

 そのせいもあって、今週もほとんど外出しなかった。運動しない、歩かないで、すっかり怠け癖がついた。今日ジムで1週間ぶりに体重を量ってみたところ、52キロあった。この2ヶ月で1・5キロ増えたことになる。このところ食いもののチェックまで甘くなっていたことはたしか。いかんなあ。これからまた節食だ。

 ノートパソコンの調子が悪くなった話を前にしたが、まだ使っている。わけがわからないのだが、その後支障なく使えるようになったのだ。Sキーもちゃんと打てる。このままでは捨てられると、マシンのほうで反省したのだろうか。キツネにつままれたような話である。
 とはいうものの、買い換える気持ちに変わりはない。新機種が出るまで買い控えていただけ。案の定、今週になってVista対応の新機種が一斉に発表された。これで旧型はいくらか安くなるだろう。それを待っていたのである。

 ただ一般の風潮としては、同じ買うなら新型をと考えている人が多かったらしく、年末商戦でのパソコンの売れ行きはかんばしくなかったという。それでメーカーも生産量をしぼり、出荷を控えていたか。すると今度は、旧型が品不足になることも考えられるわけだ。
 というのも今日、歯科へ行った帰りにヨドバシカメラの店内を通り抜けたところ(駅へ行くときの道筋にあるのだ)パソコン売り場がごっそり空っぽになっていたのである。品がまったく無くなっている。まさか、もう引き上げたということではないと思うが。

 22日からしばらく東京にいます。今回は所用なので小生ひとり。本来なら好きなものを食い放題のはずだったが、体重がこんなに増えてはなあ。


2007.1.13
 週末は2日間にわたって大雨が降りつづき、雪まであらかた消えた。こんな天気、はじめてだとあきれていたら、今度は一転、マイナス日つづきの真冬がもどってきた。この4日間で、いちばん高かった気温がマイナス2度。外へ出た途端、顔がこわばって引き締まってくる。
 雪も降ったが、例年に比べたら少ない、少ない。いま市内の積雪が20センチあまり。わが家の窓から、雪の量をはかる目安となっている川原のベンチが、まだそのまま雪の上に突き出している。

 少雪でいちばん喜んでいるのは札幌市だろう。除雪費が大幅な節約となるからだ。ちなみに今年度の除雪費は114億円。道路に降り積もった雪を掻き集め、ダンプに積んで捨てに行く、だけでこんな大金が使われているのである。ロードヒーティング等の費用まで含めると、毎年150億円近い金が使われているそうだ。

 その雪は、札幌市の場合、郊外にある30数カ所の雪捨て場へ捨てられる。そこらの川原へ捨てるのは禁止。そんなことをされたら、雪解け期に洪水が起きてしまうとか。雪捨て場ひとつにも、神経が配られているのである。
 初夏の郊外を車で走っていると、ところどころで、不自然に盛り上がった泥山を見かけることがある。じつはこれが捨てられた雪の残骸。真冬だとピラミッドのような白い小山ができているからすぐわかるが、春になって溶けてくるにつれ、付着したゴミや泥が濃縮され、白さのかけらもない泥山になってしまう。したがって知らない人は、見てもなかなか気がつかないと思う。だいたい7月まで残っている。

 雪が少ないおかげで歩くほうは助かっている。マイナス日がつづくと、道路の雪も溶ける間がない。周囲へ寄せられるだけ。凍らない。中途半端に暖かくなってくれるより、まだありがたいのである。

 今週はジムへ1回、歯科へ2回出かけた。歯は北大病院にかかっているが、いまの時期の北大は、構内すべてが雪一色に覆われ、人や車も少なくて、ほかのどの季節より歩いて気持ちのよいところとなっている。近ごろは行くたびに、今日はどこを通って帰ろうかと、新しい道を見つけるのが楽しみになっている。


2007.1.5
 明けましておめでとうございます。

 おだやかと言えばおだやか、変わりばえがしないといえば変わりばえのしない平凡な三が日でした。家の中にすっこんだまま。ドアの外へ出たのは、1Fへ年賀状を取りに行ったときくらいだった。

 初詣も大晦日のあと、ついでにすませてきた。ジルベスターコンサートへ行ったからである。
 はじめはそんな気などまったくなかった。ところが八時過ぎになって、かみさんが行きたいと言い出した。見ていた紅白歌合戦がよっぽどつまらなかったらしいのである。わたしのほうはもう何年も見ていない。部屋に籠もってパソコンに向かっていた。そういう亭主への不満もあったと思うから、そこまで言われたらこっちもつき合わざるを得ない。じゃ行こうかと、急遽出かけることにしたのだった。

 零時のカウントダウンが売りもののコンサートだから、開演は午後10時。当日券さえ手に入るなら、9時に家を出て、地下鉄でのこのこ出かけても間に合う。こういうところが都心暮らしのありがたい点で、2階席のいちばん後ながら当日券もちゃんと残っていた。
 このジルベスターコンサート、札幌へ来てしばらくは、毎年のように出かけていた。しかしこの3年やめていた。主催がA新聞で、北海道ではマイナーな新聞だから集客力がなく、満員になったことは一度もない。それで採算が取れないのだろう。呼ばれてくるゲストが年々小粒になり、最近は行ってみたい気も起こさせないような内容になっていた。今年もそうだったから、はなから行く気になれなかったのだ。
 しかしこれは、わたしが最近の音楽を知らなかったということだったのかもしれない。今年はほぼ満員に近い入りだったのだ。そしてゲストのひとり、ジョン・健・ヌッツオが歌うテノールには大喝采がわき起こった。観客席から「ブラボー」という叫び声が上がったのを聞いたのははじめてである。恥ずかしながらわたしはこの歌手の名も知らなかった。

 おかげで拾いもののような満足感を味わいながら帰ってきた。昼まで降り積もった雪がやんだあとで、気温が高かったこともあって家まで歩いて帰った。そのついでに、近くのお宮で初詣まですませてきたというわけだ。おかげで家へ帰り着いたときは午前2時になっていた。

 正月は小著の再校ゲラを読み直していた。今日出版社へ送り返したところ。
 刊行予定は2月19日。

 新年だし、新規まき直しの意味もあるから、このさい予告しておきましょう。
 書名は「青に候(あをにさうらふ)」。
 タイトルからもおわかりのように筆者初の時代小説です。
 これからしばらくは時代小説に専念するつもりです。

 本年もよろしく。






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