Shimizu Tatsuo Memorandum


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きのうの話      

Archive 2002年から2021年6月までの「きのうの話」目次へ

 

2021.6.15
 かみさんが古い眼鏡を処分するという。
 そういえば自分にも、使わなくなった眼鏡がかなりあった。
 探してみたらあっちこっちから10個出てきた。
 日野にも5、6個あるし、現在使っているものが3個、合わせると20個くらいになる。
 約50年の歳月とはいえ、3年足らずで買い換えてきた計算になる。
 物書きにとって、読み書きするための目はいちばん大事な商売道具、その目を十二分に働かせるための眼鏡だから気を遣うこともひとしお、惜しみない費用を投じてきた。
 度が合わなくなって引退させてからも捨てられなかったわけである。
 使い道がなくなった以上処分するしかない。
 だがその前に、試しにひとつかけてみた。
 たしかによりクリアには見えなかったが、使いものにならないほど視野がぼやけて見づらくもなかった。
 80パーセントの満足感は得られないにしても、62、3点くらいならやれる。
 実用ならこれでいい、というレベルなのだ。
 なんだ、まだ使えるじゃないかと思い、いまの眼鏡と比べてみた。
 ほとんど差がなかった。
 10個すべての眼鏡を試してみた。
 7個までが、いまの眼鏡と遜色なかった。
 見えづらくなってきたという理由で、つい先月、眼鏡を買い換えた。
 その眼鏡とこれまでの眼鏡をかけ比べてみたところ、たいしてちがわなかった。
 強いていうなら1パーセントくらいよくなったかなという程度。
 つまり実質的には変わっていなかった、ということをこのブログでも書いた。
 もう何十年もまえに引退させた眼鏡にも同じことが言えたのだ。
 つまり古い眼鏡といまの眼鏡で、見え方はほとんど同じだった。
 べつな言い方をすると、どれほど眼鏡を変えてみたところで、いま以上の視力は取りもどせない目になっていたということだ。
 わが視力はとっくに衰え切り、矯正不能となっていたのである。
 それをすこしはよくなるかと思い、眼鏡を取っ替え引っ替えしては、少なからぬ費用を投じてきたと思うと、ただただおのれの無知と不分明を恥じるほかなかった。
 全部の眼鏡を試し、4個を現役としてカムバックさせることにした。
 要するにもう眼鏡は買う必要ないということだ。
 一生分の眼鏡が買いそろえてあった。
 先月買った新しい眼鏡はまだ一回も使っていない。
 多分これからもかけることはないだろう。


2021.6.1
 年のせいか、躰の不調が増えてきた。
 このごろは胸痛に悩まされている。
 今年初めからちょっとおかしかった。
 右胸の鎖骨の下辺りが痛みだしたのだ。
 心臓、肺、筋肉、骨といった臓器とは関係ない痛みである。
 思い当たることはひとつもない。
 なにかに当たったり、打ったり、腕や肩を使いすぎたりしたこともないのだ。
 それなのに打ち身のような痛みが消えない。
 そのうち息をするだけで痛くなってきた。
 深呼吸をすると、とくに痛い。
 ネットでどういう理由が考えられるか、調べてみたがわからない。
 だんだん、意気が上がらなくなってきた。
 これまで病気らしい病気をしなかったのが不思議、なにが起こったっておかしくない年に達している。
 年齢相応、80余年のつけが回ってきたと考えたら納得が行く。
 重大な病か、健康的疾患が露わになった。
 ひょっとしたら余命いくばくもない身、ということもあり得る。
 そう思いついたら慄然とした。
 にわかに心身が引き締まった。
 生きているうちに、約束した仕事はしておかなきゃと、俄然仕事をしはじめた。
 その夜は朝の五時過ぎまで、緩みなく仕事していささかも疲れなかった。
 翌日、医者に電話して事情を話し、飛び入りで診てもらうことにした。
 寝不足で朦朧としながら病院へ行った。
 1時間近く待たされた。
 その間に躰の方が変化した。
 小ずるいというか、日和ったというか、躰が状況を察してこりゃやばいと症状を一変させたのだ。
 あれほど痛かったのが、あれっ、あれっと言っている間に消えてしまった。
 診てもらったときはなんともなくなっていた。
 だからレントゲンも異常なし。
 心電図に至っては寸毫の乱れもなし、きれいなものだ。
 医師が首を傾げながら、どこも悪いところはないみたいですがというから恥ずかしくなった。
 結局うやむやにして帰ってきた。
 それで治ったのなら問題ない。
 帰ってきたら、また痛みがぶり返しよった。
 いまでも症状は変わっていない。
 患部の辺りを掌で押さえ、揉むようにすると痛みがやわらぐことを、わたしのほうが覚えただけ。
 ネット診断の結果、肋間神経痛の一種だろうと、自分で勝手に判定した。
 崇高にして引き締まった夜は、ひと晩にして終わった。
 わたしになにか書かせたい編集者がまだいるとしたら、医師と結託して余命1年宣言をしてもらうのがいいと思うなあ。


2021.5.24
 本が読めなくなった。
 文字がぼやけ、かすれ、どうやってもはっきり見えなくなった。
 年々目が悪くなっている実感は数年前からあった。
 それを決定的に思い知らされたのは、去年12月の運転免許証更新のときだった。
 高齢者講習を終え、府中の運転試験場へ免許証をもらいに行ったとき、最終段階で顔写真の撮影と視力検査があった。
 視力検査というのは、視力表のひらかなを読んだりCの字の向きを当てたりする例の検査である。
 その視力表のほとんどが見えなかった。
 愕然としたが、現実に見えなかったのだから隠しようがない。
 検査官があきれて、えっ、見えないの? それはやばいよ、と言ったから真っ青になった。
 レベル以下の視力だったら、どんなけちをつけられるかわからない。
 と思ったから必死も必死、全精力を振りしぼって、目を細めたり身を乗り出したり、当てずっぽうで読める振りをした。
 それでなんとか事なきを得たのだが、半分は検査官が温情で目をつむってくれたのではないかと思っている。
 そのとき、つぎの免許更新のときは絶対眼鏡を新調しなければと思った。
 更新は3年後だが、3年どころか年が変わってからも視力はどんどん落ち、とうとう本まで読めなくなってきた。
 いまではパソコンに向かうときも、大型拡大鏡が手放せなくなっている。
 なによりも本が読めなくなったことくらいショックはなかった。
 老眼鏡も、眼鏡型のルーペもだめ、拡大しても焦点が合わず、文字がダブって、ふたつに見えてしまうのだ。
 学習や情報の取得、社会的接触のほとんどを活字媒体に求めてきた人間としては、本が読めないというのは目が見えないも同然のことなのである。
 こうなったら3年後どころか、すぐあたらしい眼鏡を買うしかない。
 と決意して眼鏡屋に行った。
 検眼して適切なレンズさえ選べば、視力1・0は無理としても0・8ぐらいは見えるだろうと思った。
 ところが現実は非情だった。
 どんなレンズを試してみようが0・8は無理、0・6が精一杯だと宣告されたのだ。
 それ以上の視力は、もう望めないということである。
 レンズさえ変えたら視力は取りもどせるだろうという夢はもろくも砕け散った。
 仕方なく、いまの段階で最強と思われる眼鏡を新調したのだが、かけてみると、いま使っている眼鏡とたいした差はなかった。
 つまり3、4年前につくった眼鏡がすでに最強だったわけで、もはやどんな眼鏡をかけようが、いま以上の視力は取りもどせないということだった。
 眼科の定期検診にも行き、眼底血圧から視野検査まで一通り検診してもらった。
 視力検査もしたが、これまでと変わらないと言われた。
 数値の上では変化していないのである。
 だが実際には本が読めなくなり、長時間の読書ができなくなっている。
 本が読めないくらい悲惨で悲しいことはない。
 これから先どうやって生きていけばよいのか、いま途方に暮れているところである。


2021.5.16
 快適だった春が一瞬で終わり、蒸し暑い夏がはじまった。
 今週中には関東も梅雨入りすると思われるが、例年より20日以上早いなんて、ますます季節が狂ってきたとしか思えない。
 一方でコロナは猖獗。こんなもので苦しめられるのは真っ平だから、ひたすら我慢して家に引き籠もっている。
 先週はメーカーの主催するスマホ教室に2回行った。
 なんとか使えるようになったが、それはYouTubeで予習していったからだ。
 教室で教えてもらったことはそれほど多くない。
 というのもマニュアル通りの講座を消化するだけで、素人が直面する疑問や問題を、納得するように教えてくれる類のものではなかったからだ。
 たとえば受信音が出ないとか、ネットに接続できないとか、知っている人にはわかり切っている問題でつまずいてしまうのが素人というものなのである。
 その疑問にきちんと答え、教えてくれるほど、講師のスキルが高くなかった。
 わたしの場合2回とも受講者はわたしひとりだった。
 ずぶの素人に1時間かけて、マンツーマンで、無料で教えるというのは、大変な贅沢である。
 経済的に引き合うはずがないサービスなのだ。
 当然教えてくれるのはプロの正社員ではないらしく、派遣会社からやって来たバイトクラスのお兄さんお姉さんだったのではないかという気がした。
 マニュアル通りにしゃべり、させることが決まっていて、一歩道を外れてしまうと、たちまち対応できなかったからだ。
 それにスマホ自体が発展途上、まだまだ不十分なツールであることもよくわかった。
 今回最新鋭のスマホを欲しいと思ったのも『Googleレンズ』というアプリに惹かれたからで、その性能を楽しみにしていた。
 名前のわからない植物や花、読めない外国語などにレンズを向け、シャッターを押すとたちどころにその名を答え、外国語を日本語に翻訳をしてくれるというのだ。
 わが家の庭にいま、黄色い菊の花が咲いている。
 家庭菜園として植えたシュンキクが野生化して花を咲かせたもので、知らない人が見たらふつうの菊と思ってしまうほど見事な菊花である。
 この花にレンズを向けてシャッターを押してみたところ、一瞬にしてシュンキクと答えたからびっくりしたのだ。
 それでいろいろな植物、花にレンズを向けて調べてみた。
 正しく言い当てたのは、ブルーベリー、茶の木、コウヤマキ、柿、ヤマモモなどだった。
 不正確だったのはツツジをサツキ、ミカンの花をジャスミン、キンカンの実をタチバナ、アジサイのつぼみに至ってはワサビと答えた。
 外国語の文章、見出し等も、意味はわかるが試験の答案としたら落第的な解答が少なくなかった。
 一方で商品名がはっきりしているもの、たとえばティファールの湯沸かし、ビクトリノックスのアーミーナイフ、アラビアのマグカップなどは値段まで表示した。
 得意な分野と不得意な分野はあるが、驚異的なツールであることに変わりはない。
 ただで教えてもらえる教室にも、まだ通ってみる必要がありそうだ。


2021.5.4
 スマホにはじまりスマホで暮れ、10日ほどたった。
 ようやく使い方をマスターしたかというと、全然なのである。
 電話がかかってくるたびあわてふためき、出るのが間に合わない。
 メールは、こちらから出す分には問題ない。
 受けたときの処理が、いまもってよくわからない。
 読めるときと読めないときがあり、どうしてそんな差ができるのかわからないのである。
 いちばん困るのは、まちがえて出した画面を消して、元にもどすことができないことだ。
 ひとつ前にもどすという操作が、何回やってもできない。
 とうとう都内に住んでいる次男に助けを求め、1日あれこれ教えてもらった。
 ラインなるものまで設定してくれ、親子でチャットする方法など教えてくれた。
 次男がいるときはできた。
 帰ったらまったくできなくなった。
 第一こんなもん、面白くもなんともない。
 こんな意味もない会話を楽しむほど、わが家のじいさんばあさんは純朴じゃないのだ。
 数日来の風雨が収まり、今朝は穏やかに晴れたからダムへ散歩に出かけた。
 スマホだと時刻と歩数がわからない。
 初期設定をしてもらったとき、パスワードも設定してくれた。
 そのため毎回4桁の数字を入れないと、初期画面が出てこない。
 初期画面では、時刻はわかるが歩数はわからない。
 万歩計がどのアプリにあるのか知らないのである。
 おかげで使えなくなったガラケーが息を吹き返した。
 時刻と歩数だけはいまでも表示できるからだ。
 言いたかないがガラケーの方が、はるかに便利で使いやすかった。
 ゴールデンウイークが終わったら、メーカー主催のスマホ教室へふたりして行こうと思っている。


2021.4.23
 ガラケーをスマホに切り替えた。
 いま使っているガラケーが、来年春には終了になってしまうからだ。
 だったらこの際われわれも、人並みにスマホぐらい持とうじゃないかということになった。
 じつは京都にいたころ、一時スマホを使っていた。
 しかし使いはじめてすぐ、あ、こんなものは自分にいらないなと思った。
 それほど有益なアプリがなく、物書き風情が持つ必要はとてもなさそうだった。
 それで木更津へ来てからガラケーにもどした。
 そのときこれから先、多分一生スマホなど使うことはないだろうと思った。
 この一事をとってしても、自分がいかに先見の明がなかったか、よくわかろうというものだ。
 それから10年足らずの間にAIはものすごい進化をし、いまや暮らしに欠かせない機器としてすっかり定着してしまった。
 現在のアプリの充実ぶりにはたまげた。
 スマホがないと暮らしが成り立たなくなっていたのである。
 それでまたスマホにもどろうとしたわけだが、この間にわたしのほうはすっかり老いぼれてしまい、いまやただの情弱じいさんに成り下がっていた。
 今日新しいスマホを手に入れ、喜び勇んで帰ってきたものの、家でいざやってみようとしたらまったく使えなかった。
 夫婦間で電話し合い、会話できることをたしかめるまでひと苦労、メールはいまもって相手のところに届かない。
 店では簡単スマホのようなものを薦められたのだ。
 かみさんはそれに従った。
 そんなのはいやだ、ふつうのスマホが欲しいのだと言い張り、5Gの最新機種を選んだのはわたしなのである。
 いま取説を読んで泥縄の勉強をはじめているところだが、指の使い方ひとつにしても、フリック、ピンチ、バンだとか、以前はこんな用語すらなかったよなあ、とぼやいているところである。


2021.4.11
 新緑を愛でに立川の昭和記念公園まで行ってきた。
 せがれからフリー切符をもらったのだ。
 もっと前だったら桜を見に東北まで行ったのだが、都合で使えなくなったといって、くれたのは9日。
 有効期限4月10日の切符を、9日にもらったのだ。
 無効にしたらもったいないから、ケチな老夫婦が、最終日に使いに行ったということである。
 JRしか乗れないフリー切符は、千葉の端っこにある木更津からだと、都心へ出るまでの時間ロスが大きい。
 コロナは怖いし、3密になる人混みへは出て行きたくない。
 だったらせめて新緑をということになって、立川行きになったのだ。
 ところが昨日は、霜注意報が出たほど朝の気温が下がった。
 木更津では朝方小雨まで降った。
 5時半起きして7時の電車に乗ったのだが、寒いこと寒いこと、10時前に現地へ着いたときはまだ指先がしびれていた。
 桜は終わっていたが、チューリップが満開だった。
 ハナミズキもいまが盛り、新緑も鮮やかそのものだった。
 カメラが大失敗、持って行ったのに使えなかった。
 シャッターを押したら撮影できませんという表示が出た。
 だいぶまえのこと、写真を拡大して見るため、カメラのマイクロチップをパソコンに移したことがある。
 最近まったく外出していなかったから、それをもどし忘れていたのだ。
 1万歩以上歩いたのは、何ヶ月ぶりのことだったろうか。
 帰ったときはへろへろに疲れていたが、気持ちのよい疲れだった。
 1時前には帰途につき、日のあるうちに帰ってくることができた。
 時間に余裕があったから、ふだんなかなか寄れない錦糸町で下車することもできた。
 ご贔屓の人形焼きを買ってこられた。
 フリー切符は何回でも途中下車できるから、これがいちばんありがたい。




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