Shimizu Tatsuo Memorandum
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きのうの話 |
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2021.3.28 日帰りで多摩へ行ってきた。 再発行してもらったキャッシュカードを、銀行まで受け取りに行ったのだ。 いつもだと2、3泊してくるのだが、日帰りになったのは、せがれが1枚余っていた青春フリー切符をくれたからだ。 高速バスを使うと片道2000円近くかかる。 フリー切符だと往復300円少々ですむ。 だったら日帰りしようということになった。 午前10時、木更津を横須賀線直通快速列車で出発した。 錦糸町まで行って総武線に乗り換え、お茶の水で中央線快速、三鷹で特別快速に乗り換え、立川へ12時過ぎに着いた。 立川からモノレールにすると1本ですむが、料金が若干高くなる。 それで南部線に乗って分倍河原で乗り換え、最後の1区間だけ京王線に乗った。 おかげで片道160円ですんだ。 ただし高速バスだと2時間弱で行けるところが2時間40分かかった。 帰りも分倍河原から南部線に乗った。 ただし立川へは向かわず、川崎行きに乗り、途中で横須賀線に乗り換えるつもりだった。 しかしこのところ出歩いていないし、電車にも乗ってないから、完全な交通弱者に成り下がっていた。 どこで乗り換えたらよいかわからなかった。 車掌が案内してくれるだろうと思っていたけど、いまどきのJRはそういうアナウンスをしないのである。 ずるずると川崎まで行ってしまった。 結局京浜東北線に乗り、品川でようやく横須賀線をつかまえた。 だが来た電車は外房線上総一ノ宮行き。 それでもう1回内房線蘇我で乗り換え、やっとこさ木更津へ帰ってきた。 帰途はなんと3時間半かかった。 3000余円節約するのにまる1日費やしたことになる。 房総の人間にとってアクアラインがいかに偉大な交通機関なのか、改めて思い知ったのだった。 |
2021.3.18 キャッシュカードの暗証番号を思い出した。 前回のコラムを書いた夜のことだ。 寝ながらいろんなことを考えていたら、まえにも暗証番号を忘れ、同じ苦労をしただれか、という話を思い出した。 男は現金を引き出すことができず、判子を持って銀行に行き、払い出し用紙に記入して、やっと引くことができた。 そのとき二度と忘れないようにと、今度はもっとわかりやすい、パソコンでいつも使っているパスワードに暗証番号を変更した。 ということが、自分の記憶であったということを、まるっきり忘れていたのである。 自分のことだったような、人の話だったような、肝心のところがはっきりしなかった。 日記帳をめくって、調べてみたのだ。 だが読むのに苦労するような、汚い字で走り書きしてあるから、それらしい箇所を見つることができなかった。 だからこの話も、だれかから聞いた人の話だうということにした。 翌日スーパーに行くと、なにはさておきATMへ駆け寄った。 ちゃんと現金が引き出せた。 うれしかったなあ。 しかし複雑な気持ちでもあった。 他人の話どころか、まちがいなく自分の記憶、去年やっていたことだったのだ。 それを見事に忘れ、まったく同じことを、また繰り返したのである。 こうなったら仕方がない。 備忘録ノートに、暗証番号を書き留めた。 他人に見られたときのことを考え、フェイク入り番号にした。 この備忘録が必要になったとき、フェイクが正しく見破れるか、そういうことはあまり考えないようにしよう。 日曜日にかみさんとせがれが出かけたので、駅まで送って行った。 束の間とはいえ、しばらく独りだ。 帰り道、解放感を噛みしめながら、モーニングを食いに行った。 最近はコメダをご贔屓にしているのだが、時間が早かったから開いていない。 ちがうファミレスにした。 そしたら朝にもかかわらず、駐車場が満員ではないか。 え、どうして? と思いながら店内に入って行くと、正真正銘の満員、席が空くまで5分くらい待たされた。 日曜日の朝7時半という時間に、ファミレスがモーニングを食いに来た客で満員だったのだ。 それも、9割方ジジイ。 みな黙々とモーニングを食い、新聞を読み入っている。 そりゃ年寄りが金を使わないから日本経済低迷の一因になっているわけで、たとえワンコインそこそことはいえ、金を使ってくれるのはありがたいお志だとは思うが、よりによって日曜日の朝7時半だぞ。 ジジイがのさばりすぎている世のなかというものに心を乱しながら、もうひとりのジジイは小さくモーニングを食い、声もなく引き揚げてきた。 |
2021.3.8 文筆業だから頭はまだ正常に働いていると思っていたが、だんだん怪しくなってきた。 記憶力減衰、注意力散漫、集中力つづかない、信じられないミスが出はじめた。 食いものはこぼす、コーヒーを入れたら湯を注ぎすぎてカップからあふれ出す。 先月のことだが、銀行で現金を下ろそうとしたら、キャッシュカードがなかった。 忘れてきたと思い、帰って探したがない。 かみさんに渡したろう、と言ったら預かってませんという。わが家のカードなのだ。 ひょっとしたら、落としてしまったか。 冗談じゃなくなって、それから本気になって探しはじめた。 置いた可能性がある場所はしらみつぶしに当たり、部屋中3回は探した。 それでもない。 こうなってはもう放置できない。 銀行に電話し、カードを紛失したということで、無効にしてもらった。 数日後銀行まで出向き、手数料を支払い、再発行してもらうことにした。 さいわい預金は引き出されていなかった。 とにかくこれで一安心と、ほっとしながら帰ってきた。 「案外これで、どっかからひょっこり出てくるかもしれないね」 と冗談を言っていたら、なんと、その日のうちに当のカードが出てきた。 こんなところには絶対入れるはずがないからと、一度も探さなかった引き出しの中にあった。 2ヶ月に1回、糖尿病の定期検診を受けている。 終わって帰るとき、次回はいつがよいか聞かれ、検診日と時間とをプリントアウトして渡してくれる。 帰ったらそれを自分のカレンダーに記入し、念のためかみさんのカレンダーにも記入して、遺漏がないようにしている。 3月の検診日が先週だった。 時間通りに行き、健康保険証と通院カードを提出して受けつけてもらった。 そしたらすぐ呼ばれた。 えらく早いなと行ってみたら、日時をお間違えになっていますと言われた。 それも1日や2日ではない。20日もまちがえていた。 そういえばなんとなく、今回は間隔が短いなと思ったことは思った。 それで出かけてくるとき、もう一度確認しようとしたのだが、もらった紙片がどこへ紛れ込んだか見つからなかった。 恥をかいただけ、すごすごと帰ってきた。 つぎは昨日のことだ。 今度は自分用キャッシュカードの暗証番号を忘れてしまった。 手許現金が少なくなっていたから、スーパーへ行ったついでに引き出そうとした。 するとATMが「暗証番号がちがいます」と引き出しを拒否した。 打ちまちがえたと思い、再度入力した。 やっぱりちがいますという。 そんなはずがない。 思わずかっとなって、頭に血が上ったか、わけがわからなくなってしまった。 3回まちがえると、正しく入力しても受けつけてくれなくなる。 最近の度重なるミスで自信をなくしかけていたから、3度目の挑戦はする気になれず、昨日もすごすごと帰ってきた。 その日1日、ずっと考えていたがどうしても思い出せない。 どこかにメモしてないの、とかみさんに言われたが、メモの類は一切残してないのだ。 命のつぎに大事な数字を、簡単に忘れるはずがないからである。 今日も朝から、ひょっとして思い出しはしないかと、インスピレーションが閃いてくれるのを待っていたが、ちっとも閃かなかった。 ますます自信がなくなってきた。 |
2021.2.15 昨夜の地震、揺れましたねえ。 しかもかなり長い間つづいた。 書棚の本はなんともなかったが、並べてあった小物はばらばらと落ちた。 テレビでは福島の人が、先だっての東北大震災のときより揺れが大きかったと言っていた。 そうかもしれないと思う。 だがその割りに被害は少なく、死者が出なかったのはなによりもさいわいだった。 それにしても震度6強の地震だったのに、死者ゼロ、倒壊家屋もなければ停電、断水等の被害も軽微ですんだというのは、考えてみるとものすごいことではないだろうか。 日本人が過去の地震から多くのことを学び、その経験を生かしていまの暮らしをつくりあげているということだからだ。 いまの日本の技術力やインフラの整備は世界の最先端にあり、それだけでも大いに誇ってよいことだろうと思う。 わたしが経験した初めての大地震は、昭和21年の南海大地震だった。 小学生だったから具体的な記憶はそれほどなく、ひたすら怖かったことだけ覚えている。 わが家は被害なしだったが、知り合いの人の家が潰れ、下敷きになった奥さんが亡くなったということはあった。 それから70年、いろんなところで暮らしてきたが、地震らしい地震には遭うことなく今日に至っている。 このまま震災を経験せずに人生が終えられたら、それはそれで仕合わせなことだろうと思うが、そうは問屋が卸してくれるかどうか、こればかりはなんとも言えない。 今日は暖かかったので、ミカン類の木の剪定をした。 もとからあった甘夏、伊予柑、柚子のほか、ここに来て植えた小夏、文旦が2本ずつある。 柑橘類は意外と根が浅いのか、風に弱いのか、一昨年の台風では甘夏、伊予柑、柚子の3本とも倒れてしまった。 完全な横倒しになったから、果樹としてはもうだめだろうと思った。 ところが3本とも思いの外しぶとく、生き残って今年もそれぞれ実をつけた。 小夏と文旦は、今年は不成年なので文旦が2個実をつけたきり、小夏は1個も実らなかった。 その4本の木を、来年に備え枝を間引き、葉を透かして刈り込んだのである。 大きくなり過ぎると収穫が大変だから、丈はわたしの背ぐらいで止めてある。 ものの1時間で素人目にもすっきりした枝ぶりとなった。 昨今はYouTubeでたいていのことは教えてくれるから、素人には大変ありがたい。 数日前、外で妙な音がするからのぞいて見ると、大型作業車が2台入ってきて、森の木の枝を切っていた。 ひろがりすぎた枝が送電線の邪魔をしはじめたので、東電が剪定しに来たのだった。 ついでにわが家の木も伐ってもらいたかったが、ほかのことには目もくれないとばかり、邪魔になる枝だけ切り捨てると、さっさと帰って行った。 |
2021.1.25 コストコへ行ってきた。 昨年木更津店ができたとき、1年以内の退会なら前納した年会費を返還してくれるという特例に惹かれ、せがれが入会した。 そのときアメリカ式スーパーはどんなものか、面白半分見物に行ってきた。 行ったのはそのときだけ。 スーパーの買い物は嫌いじゃないのだが、コストコは全然楽しくなかった。 だだっ広い倉庫の底をうろついているばかりで、買い物をする楽しさにほど遠かった。 肝心の商品が、わが家の経済や家族規模には大きすぎ、買える品、買いたい品があまりないのだった。 要するにわが家向きの店ではないということがわかり、以後誘われても行く気がしなかった。 それに店内へ入れるのは2人までという制約がある。 親子3人では入れないのである。 せがれが会員証を貸してやるからふたりで行ってきたらと言ってくれるのだが、そうまでして行きたいとは思えない。 というわけで寄りつかないまま1年近くが過ぎてしまった。 それがこの非常事態宣言だ。 家でくすぶっているほかないとあきらめてはいても、これほど長くなるとさすがに欲求不満が高まってくる。 今回はその鬱憤晴らし、ものは試し、もう一度見てこようとすすんで出かけたのだった。 平日だから混んでいなかった。 意外に年寄りは少なく、若い夫婦者が多かった。 だがやはり年寄り向きの施設ではなかった。 商品の陳列がわかりにくいし、カートが大きすぎて、扱いに難渋する。 そしてはじめて、来るんだったらどういうものを買うべきか、下調べくらいはしておくべきだったことに気づいた。 予備知識もなければ予習もしないまま出かけたのだから、戸惑って当然だ。 もとよりアメリカの消費生活には縁がないので、商品名にも馴染みがない。 われながら情けないと思ったのは、カルビーのポテトチップ、ブルボンのクッキー、ナビスコのクラッカーなど、ありふれたものばかりカートに放り込んでいたことだった。 ずしりと重いドイツ製のパンがあったからライ麦パンだろうと思って喜んで買ったところ、レーズンを砂糖で押し固めたみたいなクリスマス用ケーキだった。 甘くて甘くて、せがれは1口食っただけで手を出してくれない。 仕方なく毎日自分で食っているが、なんせ1キログラムという大きさだから食っても食っても減らない。 結局今回買ったものは失敗だらけだった。 帰ってネットで調べてみたら、けっこう買いたいものがあったのだ。 それで心を入れ替え、このつぎは敗者復活戦、詳細な買いものリストをつくって出かけようと思っている。 しかし今回買ったものだけで、段ボール箱まるまる一杯あるんだよなあ。 全部食いもの。 カルビーのポテトチップスだけで500グラムの大袋、ガス充填してあるから枕かと思うくらい大きいのだ。 |
2021.1.12 今年の冬はきびしい。 ものすごい寒波に見舞われているのは日本だけではないらしく、イタリアでは北陸並みのどか雪が降っているところがあるし、マドリッドでも50年ぶりの大雪とかで車が埋まっている。 今日は東京も雪という予報でだいぶ警戒されたが、お湿り程度の雨が降っただけだった。 気温は連日低めだ。 木更津でも氷点下4度という日があった。 屋外の水槽に張っている氷が、今日もまだ溶けていないのだ。 おどろいたのは郷里の高知、数日前にマイナス7・9度を記録している。 高知唯一の平野である空港での記録だそうだが、じつはその近くで生まれているのだ。 しかしこれほどの低温は記憶にない。 これまでの人生を思い返してみても、札幌にいたとき以外経験していない温度だ。 こんなに寒いと、年寄りは家で逼塞しているほかなく、今年家を出たのは買い物に行った2回きりである。 話題がないからユズの写真でもお目にかけよう。 一昨年の台風で倒れたのがほったらかしになっている。 根が残っているから枯れはしなかった。 翌年も実がなったものの、不成年だったせいか、数は少なかった。 それが今年は一変、ご覧のようなありさまだ。 使い道がきわめて狭い実なのである。 すまし汁に入れたり、ゆず湯にしたり、ふつうの家なら年に10個もあれば十分だ。 買えばけっこう高いけど、たくさんあっても困るだけなのである。 そういえばこの実を搾ってユズ汁をこしらえたこともあったなあ。 いまではそういう意欲すら起きない。 これが老いというものの現実なんだろうなあと、勝手に納得している。 |
2021.1.1 おめでとうございます。 みなさんは新年をどのように迎えられましたか。 恐らく大多数の方が、なにもしない、平穏なお正月を迎えられたのではないでしょうか。 わが家もそうでした。 群れず、出かけず、話さず、呼ばず、特別なことなどなにひとつない、平凡極まりない正月でした。 コロナ感染者がこれほど爆発的に増えてしまうと、年寄りは怖くてどこへも行く気になれません。 おとなしく家に引き籠もり、じっとしているのが精一杯。 これって、冷静に考えると年寄りが坐して死を待っていることに他ならないのですが、ほかにできることがないのだからしょうがありません。 正月を迎えるたび、やれ初詣だ、お年賀だと、憑かれたみたいに走り回っていたこれまでが明らかに異状でした。 半ば強制的とはいえ、こういう落ち着いた新年を迎えさせてくれたコロナに、むしろ感謝すべきでしょう。 このウエブも、できるだけ更新するのが義務だとは思うのですが、なんにもしていないから書くことがなかったのです。 毎日本を読み、ほんのすこし書いていました。 一方でだんだん度忘れがひどくなり、ふだん使い慣れていることばが、いざというとき出てこない現象が頻繁に起こりはじめました。 家族と話しているとき出てこないのは、笑ってすませられます。 作家が原稿を書いててことばが出てこない、となるとさすがにあわてます。 それでようやく、老齢の作家が書かなくなるのは、書かなくなったんじゃなくて、ことばが出てこなくて書けなくなった例が多いんじゃないかと、はじめて気がつきました。 むろん功成り遂げ、書かなくてもよいから書かなくなった作家もいるでしょう。 しかし事実はことばが出てこなくて、書けなくなったほうが多いのではないかと。 じつはいま手がけている作品が認知症を扱った内容なので、どんな人であろうが呆けることは避けられない、とはっきりわかっています。 いずれ自分も書けなくなると、覚悟しているのです。 まだ呆けはじめたとは思ってないが、わかりきったことばが出てこなくなるのはまちがいなくその前兆だ、と冷や汗が出てきたのです。 とすれば、書けるときに書いておかないと。 そう考えると怖くなり、最近は真面目に執筆しています。 春にはなんとか仕上げるつもり。 そういうわけで、今年も変わらずおつき合いくだいとあらためてお願いいたします。 |
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