Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2020年12月までの「きのうの話」目次へ

 

2020.12.17
 週末に多摩へ行ってきた。
 運転免許証の更新をやっと終えたのだ。
 ずいぶん手間がかかったわけで、事実疲労感がどかっと残った。
 自動車教習所で講習を受け、翌日府中の運転試験場で免許証を更新してもらったのだが、先月受けた認知症検査からすると1ヶ月以上たっている。
 なぜこれほど間が空いたかというと、教習所が満員で、なかなか順番が取れなかったのだ。
 いちばん早く受けられるところで、1ヶ月以上先だったのである。
 当日教習所に行ってみたところ、受講者は4人しかいなかった。
 教室にはデスクが4列並んでいたから、ふたりずつ坐われば8名が受講できる。
 それが密を避けるためだろう、長デスクの端にひとりずつ、交互に坐らされた。
 1回たった4名では、そりゃなかなか順番が取れないわけだ。
 今回の講習では、動体視力と暗闇での視力検査があらたに取り入れられた。
 これがまったくといっていいほどできなかった。
 動体視力はまだしも、暗闇での視力は実質ゼロだった。
 年齢相当以下、かなり劣ると評価された。
 最近パソコンの文字が読みづらくなり、視力がとみに低下してきたのは自分でも実感していた。
 それを数値ではっきり突きつけられたから、ショックだったのだ。
 雨の日や、夜は乗らないと決めていたのは正解だった。
 次回の更新は3年後になるが、目がいまよりよくなっているとは考えられない。
 ひょっとするとこれが最後の更新になるかもしれないと思うと、あたらしい免許証がすこしも嬉しくないのだった。
 久しぶりの新宿だったが、バスと電車を乗り換えただけで、街の空気もろくに吸わなかった。
 一見そこそこ人が出て、そこそこ賑わっているように思えた。
 しかし電車やバスはがらがら、店や食いもの屋はすかすか、これでは商売人はたまったものじゃないだろうと同情した。
 だがいまはなにをさておき我慢するしかないとき、そう思えばじいさん独りふらふらするわけにいかず、用が終わったらさっさと帰ってきた。
 年内に出かけることはもうない。


2020.11.29
 コロナの感染者数が連日記録を更新し、医療現場はますます圧迫されている。
 検査数が増えたから感染者数も増えたということのようだが、いまや根本的な施策を施さなければ事態は打開できそうにない。
 政府が全力を挙げて取り組んでいることは認めるのだ。
 しかしそれで多少なりと事態が好転しているかというと、首を傾げてしまう。
 わたしごとき素人が口を出すべきことではないかもしれないが、いま国がやっていることは、小手先の対症療法に過ぎず、それも後手後手に回って、空いた穴ふさぎに追われているとしか思えないのである。
 国民に自制をうながし、事態が好転してくると規制をゆるめ、するとたちまち感染者が増大してあわてふためく、という繰り返しなのだ。
 国民の良識に訴えるだけでは、もう事態は終息できないと、いい加減腹をくくるべきなのだ。
 20世紀のはじめ、全世界を恐怖のどん底に陥れたスペイン風邪は、事態が収束するまで2年かかっている。
 現代の医療技術をもってすれば、これほど長くはかからないだろうと思うものの、相手が未知のウイルスだけに、この先なにが起こるかだれにもわからない。
 ここは国民に大きな犠牲を強いることになるとしても、全面的ロックアウトのような、思い切った手段に訴えるべきではないのか。
 日本ほどの人口と経済力を持った国は、これほどの大ナタはなかなか振るえないものだが、ほかの有効手段がない以上ためらっているときではあるまい。
 数ヶ月から半年、すべての経済活動と移動を停止し、なにがなんでもコロナの息を止めるのが先なのだ。
 そのために苦しんだ国民に対する補償としては、終息後一定の現金を漏れなく支給する、つまり一種のベーシックインカム(最低限の所得を国が保障する制度)を採用すればよい。
 現にいま行われているゴーツートラベル、ゴーツーイートなどというばら撒きは、形を変えたベーシックインカムに他ならないではないか。
 わたしが住んでいる木更津市でも、感染症対策支援金というビラが先日配られてきた。ざっと目を通してみたがものすごく煩雑で、わかりにくく、最後まで読み通す気にならなかった。
 市の職員はみな、この内容を正しく理解しているのだろうか、そしてこの制度を施行し、受けつけ、処理するための膨大な事務費はどこから出ているというのか。
 ベーシックインカムというと、頭から否定する人が多い。しかしどのような制度か、きちんと理解している人の意見は少ない。
 ほとんどは単なる感情論、知ったかぶりや聞きかじりの私情なのである。
 その根底にあるのは、努力しないで金だけもらう所為に対しての嫌悪感、現行の生活保護制度に対する反感や妬みなのだ。
 生活保護制度そのものは、生活困窮者を救済するための制度だが、真に救済されるべき人がもらえず、ずるく立ち回っている人ばかり得をしているという風評が、広く浸透しているのである。
 ベーシックインカムと公言して全員に支給すればそういう不公平感はなくなるし、国民だれもがその恩恵に預かれるということでなによりもわかりやすい。
 いったいその財源はどこから出るのだ、と反対する人はすぐ言うだろうが、申請者を審査したり書類の処理をしたりする事務費が不用になるだけでも、かなりの部分まかなえるはずなのだ。
 たとえ多額の財政負担が必要になったとしても、恒久的なものではなく今回一度だし、それくらいの赤字は、いまの日本の国力をもってすれば数年で補填できると思う。
 要は思い切ってやること。
 こういう非常時だからこそ世界に先駆け、大胆かつ細心な荒療治が必要なのである。
 たとえ失敗し、より大きな傷痕が残ったとしても、恥じることはない。
 同じコロナ禍で苦しんでいるほかの国が、日本の失敗を見て学び、より有効な施策を見出してくれるならそれで十分、日本としては世界へのそういう貢献の仕方もあるのだ。
 失敗を怖れず、バンデミックの手本となる施策の採用をいまこそ望みたい。


2020.11.21
 昨日はついに木更津も25度の夏日を記録した。
 このところ暖かい日がつづいていたので、体力回復のための運動をはじめた身としては、なんともありがたかった。
 今週は買い物に行った2日間をのぞき、毎日ウォーキングに出かけた。
 コースはいつものダム。
 暑くなってからは1回も出かけていない。
 日記で調べてみると、7月4日にお隣袖ケ浦の公園まで歩きに行ったのが最後だった。
 つまり4ヶ月ぶりのウォーキングということになる。
 足の状態を考え、コースを一部省略したから、7000歩に満たない距離になったが、歩けるようになっただけでうれしかった。
 一方で春先、あれほど毎日、おおらかに啼いてくれていたウグイスが、姿はおろか、ただの一言も声を聞かせてくれなくなっていたのはなんとも心外だった。
 ここは鶯の森かというくらい賑やかな藪があって、毎回われわれが鳴き真似をして声を競っていたのだが、あの小鳥たちはいったいどこへ消えてしまったのだろう。
 またダムの堰堤内で、ときおり呼び交わしながら餌を探していたつがいのキジも、姿が見えなくなっていた。
 わずか4ヶ月、まさにむかしの光、いまいずこである。
 光陰矢のごとし。
 まして生きものの盛衰など。
 人間さまは、ついつい自分の人生を重ねてしまうのである。
 今日は気温こそ24度と高温だったが、10メートルを超える強風が吹きつのり、土埃で視野が霞んだ。
 スーパーに行ったときの、昼前後の風がいちばん強かった。
 駐車場に隣接した工場の広場でつむじ風が渦巻き、木っ葉が巻き上げられていた。
 終日どよんと曇り、とうとう陽が射さないまま終わった。
 朝方若干降ったからこれくらいですんだ。
 そのお湿りがなかったら、いまごろは家の中がざらざらになっていたことだろう。


2020.11.14
 膝治療がやっと終わった。
 転んだのは9月末のことだったから、ざっと1ヶ月半かかったことになる。
 完治というほどではなく、ふつうに歩ける状態にもどったということで、まだ正座はできない。
 また急な勾配も苦手だ。
 階段のある下りだと、手すりにつかまったり、周りに人がいなかったりしたら、なんとか下りられる。
 上りはふつうに上がれる。
 ウォーキングも、スクワットもやってよろしいと許可が出たから、今日は早速、ダムへ歩きに行ってきた。
 暑くなってから一度も出かけていなかったので、ほぼ半年ぶりだ。
 風のない穏やかな日で、快晴、気温も18度と、文句のつけようがない好日だったから、約7000歩、さほど疲れることなく1周してきた。
 これからすこしずつ運動量を増やし、できるだけ早く元の脚力を取りもどそうと思っている。
 とにかく今週は、なんと3日も病院へ行った。
 月曜日が糖尿病、水曜日が眼科、木曜日が整形外科、前ふたつは定期検診だったが、結果はすべて良好、その上膝の怪我まで治ったのだから、なんともうれしい週になった。
 となると、あとは仕事だ。
 これから気分を一新して、精進しようと思っている。


2020.11.9
 2ヶ月ぶりに多摩へ行ってきた。
 運転免許更新のための認知機能検査を受けに行ったのだが、この際1週間ぐらい巣籠もりして、みっちり仕事してこようと張り切って出かけた。
 ところが家に着き、パソコンをひろげ、電源を入れようとしてびっくり、持って行ったはずの電源アダプターがどこにもなかった。
 そればかりか、携帯の充電器まで忘れていた。
 荷造りするとき、それぞれ仕分けして、見えるところへ並べておいたのだが、リュックに詰めるとき、入れ忘れてしまったのだ。
 充電器の方は、乾電池式の充電器をコンビニで買えたからなんとかなったが、アダプターの代わりはない。
 バッテリーだと、せいぜい2時間しか使えないのである。
 とりあえず認知症検査を受け、こちらは合格証をもらえた。
 そのあと電気量販店へ行き、アダプターを探した。
 サードメーカーの製品で、一応使えると銘打ってあるアダプターが2種類あった。
 しかし適合機種として挙げてある製品の中に、小生のパソコンの型番は入っていない。
 店員が調べてくれ、電源の差し込み口さえ合えば使えるはずですと言ってくれたが、合うかどうかは、実際に試してみないとわからない。
 そのために4000円も出費するのはさすがにためらわれ、残念ながら買わなかった。
 結局全然仕事にならないまま、予定を切り上げ、今日ほうほうの体で帰ってきた。
 免許の更新は、つぎの高齢者講習が最後になるが、この申し込みも殺到してものすごく混んでいた。
 昨日予約して、いちばん早いところを探し、取れた日が来月の半ばだったのである。
 教習所の数は年々減っている上、老人の数は増えている。
 一応更新できる有効期限は、誕生日の前後1ヶ月と幅を持たせてあるのだが、この混み具合だと、そのうち講習を受けられなくて更新できない人がきっと出てくるだろう。
 年寄りをあまりなめるんじゃないよ。


2020.11.1
 ようやく車に乗ることができるようになった。
 せがれが何日か出かけ、家を留守にしたから、乗らざるを得なくなったというのが実情だが、おかげで回復力がずいぶん早められたことになる。
 膝が曲げられないから、はじめはおっかなびっくりだった。
 とりあえず交通量の少ないダム湖畔へ行き、平坦地をすこし歩いて来ることからはじめた。
 初日は3000歩も歩いたら、がっくりするぐらい疲れた。
 2日目は5000歩に延ばし、3日目は最寄りスーパーまで買い物に行った。
 このときはそこそこ車が走る一般道を行く。
 空いている時間帯を狙い、スピードは出しても50キロぐらい、後に少々車が連なろうが気づかない振りをして通した。
 昨日は医者へ行く日、はじめて自力で運転して出かけた。
 今日はかみさん同伴、11キロ先にあるイオンまで足を運んだ。
 これで一通り、従来の生活圏を取りもどしたことになる。
 痛みはなくなったものの、完治したわけではない。
 力は込められないし、歩き方だってぎこちない。
 回復度としては6割か、7割ぐらい。
 しばらくは慎重に、細心の注意を払って運転するつもりだ。
 しかし車に乗れるようになっただけで、これほど行動半径がひろがろうとは。
 目の前が急に明るくなった感じだ。
 車がないと生活できない、それだけ田舎ということですけどね。


2020.10.24
 その後の膝、だいぶよくなってきたが、完治とまではいかない。
 2回目のレントゲン写真を見る限り、膝小僧に入ったヒビがはっきり写っていた。
 腫れは引いたので、貼り薬はなしになった。
 これからはリハビリ、すこしずつ治して行くしかないだろう。
 痛みがなくなったせいで、ときどき踏み出す足の順序をまちがえる。
 例えば、階段。下りるときは傷めた左足から踏み下ろす。
 上がるときは反対に右足から踏み出し、左足を引き上げる。
 それが痛くないとつい油断して、この鉄則を忘れてしまう。
 そのたびにぎくりとくるから、あ、いけねぇとなるのである。
 今週はかみさんのお伴をして、スーパーの買い物にも行った。
 歩いたのはせいぜい30分くらいだったが、けっこう疲れた。
 寝る前に万歩計を見たら、3800歩。
 自分ではかなり歩いたつもりだったから、この数字にはがっかりした。

 11月になったら免許証更新の認知症検査を受けるため、多摩へ行く。
 そのとき背負って行くリュックサックが、パソコンや本など、毎回重いものを詰め込んでいるため、生地の一部が裂けてしまった。
 上部のファスナー部分が5センチほど裂けただけ、ほかはなんともない。
 これくらいなら縫い合わせてもらえるんじゃないかと、スーパーの鞄の修理屋に持ち込んだところ、うちではできないと断られた。
 ネットで調べると、メーカーは国内の鞄屋で、修理も受けつけるとある。
 それで裂けたところの写真を同封して問い合わせたところ、修理可能とのこと。
 ただし費用が4000円、送料が1000円。
 こちらからの送料まで入れたら6000円になる。
 これには考えてしまった。
 それほど出すくらいなら、あたらしいものが買えるんじゃないかと。
 それでまたネット。
 そしたら国内のメーカーにこだわらなければ、それ以下の値段で、30リットルを超える大容量リュックサックがいくらでもあった。
 当然宗旨替え、不本意ながら新品を買ったのだった。


2020.10.10
 昨日膝の2回目の診察を受けた。
 結果は順調。
 とはいうものの、あらたなレントゲン写真を見せられたって、どこが変化したか、こちらは皆目わからない。
 とにかくいまは、来週も行かなければならないというだけである。
 治療といっても毎日貼り薬を取り替え、膝をできるだけ動かさないようにするだけ。
 他力本願すぎてもどかしいが、ほかに選択肢はないみたいだからやむを得ない。
 子供のころ、年寄りが肩や背中に絆創膏をべたべた貼っているのを見て、あんなもの効くのかと冷笑していたが、まさか自分が同じことをさせられるとは思いもしなかった。
 薬は必要悪、最小限しか用いるべきでない、と盲信している人間だから、痛み止めは1回しか飲まなかった。
 貼り薬も調子がよいときは替えずに翌日まで持ち越したところ、鈍痛が出てヅキヅキしはじめた。
 貼り替えたらすぐ患部が温かくなり、痛みが引いてきたからやはり効いていたのだ。
 以来おとなしく貼り替えている。
 その後杖なしでなんとか歩いているが、一度スーパーへ行ったところ、数100メートル歩いただけでひどく疲れた。
 治るころは、足の筋力がすっかり衰えているんだろうなあ。

 運転免許証更新の認知機能検査の申し込みがやっとできた。
 いったい何100回電話したことか。
 じつは9月に一度、つながったことがある。
 やれうれしやと喜んだのも束の間、希望する会場はすべて満員と通告された。
 そして10月初めになったら空きができるから、再度電話するようにと言われた。
 仕方なく10月になるまで待っていた。
 1日を待ちかねて電話してみたところ、自動応答のアナウンスが変わっていた。
 それまでは「こちら警視庁の運転免許本部……」と言っていたのが「ただいま電話が大変混み合っています。恐れ入りますが……」という音声になっていたのだ。
 あまりにつながらないから苦情が殺到し、あわてて応接員数を増やしたのだろう。
 やっとつながった電話に出てきた女性は、こういう業務に就いたことのない、まったくの素人であることがすぐにわかった。
 受け答えがなんともたどたどしいのだ。
 名前や番号を受けつけ、復唱するだけの手間にすごい時間がかかった。
 言いたかないが、受け入れ態勢をろくに整えもせずスタートさせてしまったことはまちがいないと思う。
 国民をなめすぎている。
 責任者、出て来いよ。


2020.10.3
 かみさんの姉が亡くなったため、高知へ帰っていた。
 小生はかみさんの付き添い。
 というのも前日の夜、台所で転び、変な捻り方をしたとかで痛みがひどく、とても旅行できる状態ではなかったからだ。
 片手に杖、片手でわたしの腕につかまり、なんとか歩けたのだった。
 だから今回は1泊だけ、だれにも会わず、とんぼ返りするつもりだった。
 パソコンも持参しなかった。
 ところがかみさんのいちばん上の姉が、前夜救急車で病院へ運ばれたとかで、葬儀も欠席した。
 その姉にも会いたいし、お見舞いもしたいということになって、もう1泊することになった。
 突然空き時間ができたから、わたしもつぎの夜、弟妹と会ってめしを食うことにした。
 昼間は旧友と会った。
 そのとき電話がかかってきたから、通路まで出て話そうと、携帯片手に席を立った。
 そそっかしいから、ついあわてた。
 携帯を耳に当てたまま、前のめりに転んだ。
 肘と膝小僧をしたたかに打った。
 そのあとホテルへ帰ったときは、まだふつうに歩けた。
 ベッドで1時間ほど横になり、夕方出かけようとすると、まったく動けなくなっていた。
 立つのがやっと。
 膝が痛くて、一歩も歩けない。
 それで弟にホテルまで来てもらい、車椅子を借りて、めしを食いに行った。
 甥が貼り薬を買ってきてくれ、湿布をした。
 この湿布が効いた。
 翌朝起きてみると、なんとか歩けるようになっていた。
 それで帰ってきたわけだが、行きと立場が逆転してしまった。
 かみさんの杖を借り、よたよた、やっとこさ歩くわたし。
 一方あれほど頼りなかったかみさんが、帰りはしゃきっとして、わたしを気遣ってくれた。
 亭主の面目まるつぶれだ。
 翌日、すぐ医者に行った。
 強度の打撲と診断された。
 ひびが入っている可能性も。
 痛み止めと貼り薬をもらい、ただいまそのお世話になっているところ。
 なんとか歩けるものの、車には乗れない。
 動けるようになるまで、しばらくかかりそうだ。




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