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きのうの話 |
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2020.6.27 北海道旅行に行ったかみさんが、昨夜遅く、元気に帰ってきた。 道内だけで5泊という大旅行だった。 ただしコロナが怖いから、感染する危険性の高い札幌は素通り、旧友に会うことも今回は遠慮した。 県外旅行が解禁されたとはいえ、人は動きはじめたばかり、フェリーもふくめ、道内はまだどこもがらがらだったそうだ。 ほかのどこの地域でも得られない解放感と、ひろびろとした空間を独り占めできる贅沢感を存分に味わったそうで、この時期に行けてよかったと本人も満足している。 今回はお国からいただける、10万円を当てにして出かけたものだ。 こういうお金はできるだけ早く使い、景気回復の一助にしてもらおうと、金を使うことに大義名分が立つのだから、満足感もそれだけ大きくなるのである。 で、留守を預かっていたわたしの方も、女房夫子供のいない解放感を存分に味わっていた。 この際いろんなところに出かけ、食いたいものを食ってやろうと張り切っていたのだが、あいにくみすぼらしい軽トラしかないようでは出かける気にならず、とうとう一度も外食はしなかった。 しかしスーパーの買い物ならできるから、毎日好きなものを買ってきて食っていた。 父の日の特売ではステーキの2切れパック。 1回では食い切れず、2日食った。 じつを言うと脂身が大好きで、ひとりで肉を食うときは、絶対取り除かない。 すき焼きに入れる脂身だって、最後のお楽しみとして必ず食う。 バラ肉の炒めものも2回食った。 こういう不健康きわまりない献立、ふだんの食卓には出てこないから、この際とばかり、脂でぎとぎとの料理を堪能した。 お断りしておくが、わたしのコレステロール値は全然高くないのである。 一方野菜もふんだんに食い、昨日はわが家で採れたナスを3つ、焼きナスにして食った。 一昨日は、屋根の修復工事のための足場屋が来て、足場を組み立てていった。 屋根まで上がり下りする、足がかりをつくる程度かと思っていたら、大ちがいだった。 資材を満載したトラックが2台がやって来て、建築現場で見かけるような、四方をぐるりと囲んだ、本格的な足場をつくっていった。 見積もりをしてもらったとき、このくらいの修繕工事にしてはずいぶん高いなあと思ったのだが、工事に来た人数と、組み上がった足場を見たら、これでは高いのも当たり前と、はじめて納得したのだった。 明日は本修理に来て、さらに後日、足場の解体工事が行われる。 |
2020.6.21 県外旅行が解禁になって、だいぶ人が出て来はじめた。 わが家でも昨日から、かみさんとせがれが北海道へ出かけた。 このあとしばらく休みが取れそうもないからと、せがれがかみさんを口説いて連れて行ったのだ。 わたしも誘われたが、今回は固辞して留守番をすることにした。 あんまり遊びに行きたい気分ではなかった。 そんな時間があったら、パソコンの不具合を直したり、多摩の家の草引きをしたりするほうがもっと優先する。 もうひとつぶちまけた話をすると、せがれが一緒だと、車の運転をさせてくれないから親父は不満なのである。 北海道なら道が広いから、ときどきは運転させてやるよ、などと言われてだれが一緒に行くか。 北海道へはいずれもう一回、かみさんを連れて行き、思いっきりドライブしてやろうと目論んでいるのだけど、もう無理だろうか。 とにかくふたりが出かけたから、早速パソコンのお助けマンを呼ぼうと思った。 ところが在宅勤務が増えて注文が殺到しているのだろう、いつもならすぐかかる電話がどうにもつながらない。 さんざん待たせて、いま電話が混雑しているからまたかけ直してください、と失礼なアナウンスが返ってくる始末だ。 あきらめてちがうところに電話したところ、こちらもようやくつながったけど、行けるのは最短で月曜日になるという。 おかげで週末から多摩へ出かける予定が狂ってしまい、時間が足りなくなった。 結局どこへも行かず、家でごろごろしている。 いつもだと、かみさんの目を盗んで、本屋に行ったりコメダに行ったりするのだが、いなくなったらそういう気持ちが起こらなくなった。 第一車は、ふたりが乗って行ってしまったのだ。 家に残っているのはおんぼろの軽トラ。 買い物ならともかく、遊びやレジャーで使いたくなるような乗り物じゃない。 それで昨日はスーパーで買ってきたカルビ肉を炒め、わが家の家庭菜園で穫れたキュウリとトマトのサラダをつくってたらふく食った。 これはこれで、けっこうな週末になった。 |
2020.6.12 木更津もとうとう30度の真夏日を記録しはじめた。 風が強いため、この数日は窓もほとんど開けられなかった。 吹き込んでくる土砂で、家のなかがざらざらになってしまうのだ。 さらに蒸し暑くなってきたので、今日ははじめて冷房を入れた。 ところが久しぶりにリモコンを操作したせいか、使い方がわからなくて、暖房がどうやっても冷房にならない。 あわてて取説を引っ張りだし、1から読み直してなんとか冷房に切り替えたものの、10分以上かかった。 わかりきっている手順、慣れ親しんでいる機器の操作に、このところ手こずったり苦労したりすることが多くなった。 パソコンも毎日使っているくせに、ちょっと変わったことをするとたちまち調子が狂い、元の状態にもどせなくなってしまう。 エディターやワープロも、以前は新製品が出たりバージョンアップされたりするとすぐ試してみたものだが、このごろはそんな意欲もなくなった。 下手に手を出して失敗すると、ほかの具合まで悪くなってしまうからだ。 元通りにしようという努力や、根気よく直そうとする意欲が尽きかけきた。 今月あたらしいデジカメを買った。 これまで使っていたカメラのバッテリーが尽き、充電できなくなったからだ。 連続してシャッターを切ることができる、特殊な大容量バッテリーだったから、量販店にも在庫はない。 ネットで調べたら純正品が15000円した。 サードメーカーの類似品だと4000円代で手に入る。 よっぽどそれにしようかと思ったが、なかなか踏み切れなかった。 型番が合っているからといって、絶対に作動するかどうかは保証の限りでないと、ただし書きがついていたからだ。 サードメーカーの品物に手を出し、安物買いの銭失いになったことは、プリンターインクで何回か経験しているのだ。 するとやはり純正品ということになるが、それにしても15000円は高すぎる。 入門用のコンパクトデジカメなら、新品がそれ以下で買える。 ということで、あたらしいデジカメをほぼ同じ値段で手に入れた。 さすが新製品、一層軽くなっている。 旧型機にはなかったWi-Fiボタンつきだ。 写した写真をパソコンに取り込むとき必要な装置である。 それでパソコンにダウンロードしたのだが、なぜかこれが、どうしてもできない。 それほどむずかしい操作なわけはなく、ごく簡単にできるはずで、事実途中まではなんの苦労もいらなかった。 最後の瞬間になって、いきなり『ダウンロードできませんでした』という表示が出て、画面が固まってしまうのだ。 ほかのやり方を試したり、できることはすべてやってみたが、どうしてもできない。 どうやらパソコンの方に、それを邪魔するなにかがあるらしいのだが、それがなにかはわからないのだ。 こうなったらお助けマンを呼び、設定してもらうしかないだろう。 おかげでいまのところ、新品カメラはなんの役にも立っていない。 Wi-Fi装置以外、ほかの機器と接触する術がないからである。 |
2020.6.5 だいぶ暑くなってきて、今日は各地で真夏日を記録したらしい。 いまのところコロナにも暑気あたりにもかからず、元気に暮らしている。 最大の日課がウォーキング、週3回くらい出かけている。 あれほど賑わっていたダム湖周辺の人出が、自粛ムードの呼びかけが解除され、閉鎖されていた駐車場も開放されて元にもどった途端、がたっと減ってしまった。 身近なところにこんないい公園があったのかと、多くの人が知ってくれたと喜んでいたのに、どうやらぬか喜びだったようだ。 自然よりは盛り場の方がよいということか。 今日は1時間かけてコースを1周する間、数人しか見かけなかった。 昨夜は蛍見物に出かけていた。 といってもわが家のすぐ近く、車で数分行ったところにある田んぼだ。 田に水を引くための小川だが、毎年この時期になると蛍が飛びはじめる。 数はそれほど多くない。 あっち、こっちで、ひらっ、ひらっと舞っている程度だ。 毎年気にかけている見ているが、とくに増えているようすはないし、かといって減っているようにも思えない。 生息域にしたら、せいぜい100メートルくらいの狭い範囲なのだ。 地域以外には知られていないのだろう、見物人はまだ見たことがない。 われわれ一家3人でひっそり見物し、満足して帰って来た。 9ヶ月も待たされていた屋根の修理が、先週やっと半分終わった。 瓦が10数枚飛び、雨漏りがしはじめたからブルーシートで覆い、雨が降ったり風が吹いたりするたび、はらはらしていた。 専門家が来てくれたらたった1日で直った。 ただし、2階部分の屋根はそのままだ。 こちらも瓦が何枚か飛んだりずれたりしているが、いまのところ雨漏りは起こしていない。 破損の大方が、屋根の境目にある棟瓦だからである。 屋根のてっぺんから先端まで延びているため、足場を組まないと危険ということで、別日程、別工事になってしまうのだ。 職人も、瓦職以外に足場屋が必要となる。 今回の修理費用のなかでも、この足場の構築や解体費がいちばんかかると聞いている。 それでも雨漏りしていた屋根の修理が、梅雨の前に終わってくれてほっとした。 |
2020.5.23 昨日から梅雨を思わせる小雨がつづき、今朝は15度まで気温が下がった。 それでエアコンを入れた。 暖かい温もりに身を浸し、そぼ降る雨音を聞き、みどりしたたる森を見ながら、1日中ぼんやり過ごしていた。 雨の日は、行く末を思いながらだらだら過ごすのが好きなのである。 80を過ぎて行く末もないだろうが、いずれ残してしまう家族や国の先行きを考えると、やはり気にせざるを得ない。 せめてわれわれよりよい時代になってもらいたいのに、残念ながらそういう期待はできそうもないのだ。 子供のころは、早く大人になりたかった。 大人になったら、あれもできる、これもできる、と考えていたからだろう。 で、大人になってどうだったかというと、なにもできはしなかった。 30以降の、人生のいちばん大切な時期を無為に過ごした、という思いのみ猛烈に強い。 要するにその程度の人間だったということだろうが、いまさら後悔するのは癪だから、これ以上は繰り返さない。 せめて残り時間くらい、つぎの世代のために役立てたいと思ったところで、これもいざとなると、できることはなにもないのだ。 それでもいまの段階で、ひとつ断定的に言えることがある。 それは、今回のコロナ騒動が治まったとしても、もう元にはもどれないだろうということだ。 それくらいコロナ騒ぎは、令和という時代の行く末を決定する出来事になったと思っている。 わたしたちの年代は、昭和20年の終戦が、これまでの人生で最大の修羅場だった。 64年つづいた昭和という時代が、戦前戦後を境に天地がひっくり返るほど価値観を変えたからだ。 終戦が通過儀礼にならなかったそれ以降の人は、今回の事件、すなわちコロナ以前か以後かで、価値観が180度変わってしまう可能性がある。 それは、消費することに慣れきったわれわれの頭から、冷水をぶっかけたと同じ衝撃を与えた。 現代の社会が積み重ねてきた矛盾、積弊、停滞といった負の部分が暴露され、もう目を背けて先へ進むことができないほど、価値観の見直しを迫ってきたのだ。 経済、文化、芸能、スポーツ、これまで繁栄していたすべてのジャンルが、予想以上の打撃を受けている。 オリンピックは多分できないだろう。 今回のコロナ騒動を忘れてしまえるほど記憶が完治するには、少なくとも20年はかかるとわたしは見ているのだ。 |
2020.5.16 このところ鳴りを潜め、家のなかでおとなしくしていた。 だが昨日は眼科の定期検診を受けるため、ひとり車に乗って出かけた。 いつもだと2ヶ月置きに通院していたのだが、今年は1月のはじめに行ったきりだった。 いつ行ってもものすごく混んでいる医院なので、コロナ騒動が持ち上がると怖くなり、しばらくようすを見ようと思ったのだ。 結局4ヶ月以上間が空いた。 そろそろ来院患者も減ってきただろうということで、行ってみたのである。 毎回待合室に入りきれないほど患者が詰めかけている医院だが、今回はけっこう空いていた。 そのはず待合室のベンチが、安全距離を取って、ひとつ置きにしか座れないようテープが貼ってあったのだ。 だから一見空き空きだったのであるが、別段患者が減ったわけでないことは間もなくわかった。 待合室に入りきれなかった人は、外や駐車場の車の中で待っていたみたいなのだ。 だからいつまでたっても、つぎからつぎへと患者が入ってくる。 昼の2時に出かけ、診察が終わったのは5時半、所要時間はふだんとまったく変わらなかった。 いくら左右に人がいないとはいえ、2時間以上マスクをした患者の中に混じり、じっとしていたのだ。 プレッシャーが並のものではなかったらしく、家に帰ったときはげっそりするくらい疲れていた。 一昨日は朝寝をして、気持ちよく目を覚ました。 布団の中でうーんと思い切り背伸びをした途端、最近経験したことのない強烈なこむら返りが起こり、悲鳴を上げてのたうった。 治まってからもふくらはぎの痛みは残り、歩くのさえ不自由だった。 風呂に入り、手で患部をもみほぐしていると、だいぶよくなるのだ。 しかし躰が冷えてきたら元の木阿弥、なかなか回復してくれない。 治りが遅い、というのが年寄りの泣き所なのである。 |
2020.5.3 今日は25度まで気温が上がった初の夏日、あっという間に夏が来た。 わが家ではもう蚊が出て、蚊取り線香が必要になった。 昨日は風が強かったので外出できなかった。 それで半日かけて部屋の片づけをした。 衣類を夏物に入れ替え、不要になった本を中2階の納戸に移した。 今日は風が収まったから、いそいそとダム湖へ出かけた。 このところ3日に上げず通っており、しかも飲みものと食いもの持参、小1時間歩いたあと芝生のベンチに腰かけ、飲み食いしながらピクニックを楽しんでいた。 そしたら今日は、ダムの周辺にある4箇所の駐車場がすべて閉鎖され、立ち入り禁止になっていた。 ゴールデンウイークだけの措置なのか、それともコロナ騒ぎが収まるまでつづくのか、まったく知らなかった。 前日の4月30日までは開いていたのだ。 閉鎖されたのは駐車場だけのようだが、車でしか来られないところだから、公園内はがらがら、まったく人がいなかった。 コロナ騒動が持ち上がり、遠くへ行けなくなったせいで地元が見直され、このところ人が増え、子供連れや、お弁当をひろげる家族まで現れてきて喜んでいたのだ。 それでわれわれも、負けじとばかり飲食物持参で出かけるようになったのである。 しかしそういえば、このごろは駐車している車に都内ナンバーが珍しくなくなっていた。 都内の人が、喜んで押しかけて来るようになっては、千葉県としても困るのだろう。 不要不急の人は来させないようにするための駐車場閉鎖なのだ。 とんだとばっちりである。 最寄りの駐車場だと車で5分、いわばご町内の公園として独り占めしてきたわけだが、これからはそうもいかなくなった。 とはいえ公園の外れまで行けば、無人の広い路肩があって、10台やそこらは止められる。 今日はそこに車を置き、いつもとちがうコースを通って湖畔を半周してきた。 おやつもちがう公園でちゃんと楽しんできた。 地元民にはいくらでも抜け道があるのである。 |
2020.4.22 暖かくなってきたおかげでやっと水っぱなが出なくなった。 体調もよくなり、どうやら元にもどった気がしてきた。 そうなるとどこかへ出かけたくなってうずうずするのだが、あいにくこういうご時勢、年を考えたらおいそれと動くわけにいかない。 唯一のレクリエーションだった買い物も、イオンのラウンジが閉鎖されてからは買い物が終わったら帰るだけ、時間の過ごしようがなくなった。 ダム湖畔の散歩がなかったら、禁断症状を起こしていたかもしれない。 木曜日はかみさんの定期検診日。病院へ送り届けたあと市内の本屋へ行き、時間潰しのための新刊本4冊を買ってきた。 大きな本屋ではないから、選べる本はきわめて少ない。 それをなんとか見繕い、これなら読めそうだというものから、人工知能の解説書と数学の入門書を選んだ。 このところいちばん気にかけているのが、人工知能、すなわちAIの行く末なのである。 AIにできること、できないことの見極めを、自分なりにしたくてならない。 この世に未練はないけれど、AIがこの先人間の暮らしにどのように食い込んでくるか、それだけは見届けたいと思っているのだ。 その思考を得る一助として、数学の基礎知識は欠かせない。 コンピュータのできることといえば統計と確率にほかならないが、その輪郭をマスターするため、最近は数学の本ばかり重点的に目を通しているのだ。 とはいえ、これはそれほどたやすくない。 もともと理系の頭がなかった上、この年である。 いかんせん数学のおさらいをするには遅すぎた。 中学校の代数、二次方程式くらいはなんとか消化できるが、高校数学となると歯が立たない。 いつまでたっても入門書の、そのまた入門書を読みあさっているわけである。 今回買ってきた数学の文庫本は、わかりやすくて信頼している先生の本だったから、名を見ただけで買ってしまった。 ところが読みはじめてみると、なんとなく既読感がある。 あわてて枕元に積んである本をひっくり返してみた。 そのはず、去年の秋に買って読んでいた本だった。 口惜しいからそのまま読み直している。 AIの本も、数学の本も、読んだときはわかったつもりになっているが、いざ自分の頭で考えてみると、まったくなにも残っていない。 当然何回も読み直し、なかには4、5回読み直している本もある。 それくらい反復学習をして、なんとかすこし、頭の記憶細胞に刻み込むことができる。 この手の本が数冊あれば、一生読みつづけることができると、いまごろ気がついているのだ。 しかしこれって、まさに人工知能でいうディープラーニングなんだよなあ。 |
2020.4.9 今日は日中の最高気温が20度と、久しぶりに暖かくなった。 それがなによりうれしかったのは、かく申すわたくし。 暖かいと、水っぱなが出ないのである。 昨日は17度、寒いという気温ではなかったにもかかわらず、買い物に行っている間じゅう、鼻水が垂れっぱなしだった。 マスクが鼻水でぐじゃぐじゃになった。情けねえ。 今日から非常事態、スーパーはともかく、専門店街は閉鎖になった。 行くところがないからサンドイッチを買い、近くの公園でランチをしてきた。 房総の片隅の、小さな公園、ちょこっと桜吹雪を楽しんだ。 野も山も一面の春景色、萌えるような若緑がまことにきれいである。 お隣に屋根屋が来て、昨日、今日と、瓦屋根の修理をしていた。 夕方見たら作業も終わり、屋根がきれいになっていた。 これでブルーシートがかかったままの家は、この界隈でわが家一軒となった。 |
2020.4.1 鼻血騒動が起こってからというもの、躰の調子が狂ってしまったようで、先週はずっと半病人だった。 病院からもどった翌々日、朝のトイレに立って腰を下ろした途端、いきなり目の前がぐるぐる回りはじめた。 平衡感覚が狂った、といった生やさしい衝動ではない。 おかしいな、立ちくらみかな、と思った瞬間、視界がぐわーんとねじれたみたいにゆがみ、鼻先がきな臭くなった。 空へ弾き飛ばされるかと思った。 立つことも、座ることもできず、前の壁と、横の壁を両手で必死に押さえ、ゆがみが治まってくれるのを歯を食いしばって待っていた。 どれくらいつづいたかわからないが、ずいぶん長く思えた。 正確には1分足らずのことだったろうと思う。 これと同じ目眩は、じつをいうと5、6年まえに経験している。 友だちの車で、御殿場をドライブしていたとき、同じ発作に襲われた。 車には4人乗っていて、後部座席にいたのだが、ほかのものに覚られないよう、手と足を突っ張って必死に耐えていた。 治まりさえすれば、あとはなんともないのである。 どうしてそういうことが起こったか、どういう条件や状態のときだったか、あれこれ考えてみたが、思い当たることはなかった。 それまで目眩など、一度も経験したことがないのである。 今回は自宅だったので、気弱になったのか、治まってからも気分がすぐれず、以後半病人みたいに寝たり起きたりしていた。 症状が風邪と同じで、くしゃみと水っぱなが止まらず、毎日ティッシュペーパを1箱空にした。 医師の手当てを受けたとき、最後にウエハースのようなスポンジ状のものを、鼻の奥深くへ押し込まれた。 「いずれ溶けて出てきますから」 ということだったが、たしかにその後、鼻をかむたび、溶けたゼリー状のものが血の塊と一緒に出てきた。 ゆうべ夜中には、これまでで最大の半固形物が出てきた、 これで詰め物が全部出てきたなと思った。 ところが今日になってもくしゃみと水っぱなは止まらない。 温かい自分の部屋から出ると、途端にくしゃみがはじまり、水っぱながたらたら垂れはじめる。 これではみっともなくて、どこへも行けない。 一時は花粉症がぶり返してきたかと思った。 しかし花粉症だったらもう治まる季節だし、雨の日は症状が出ないはずなのだ。 するとあとは、アレルギーしか考えられない。 まだ数日ようすを見なければわからないが、余計なアレルギーを抱え込んだのでなけれがいいが。 要はもうなにが起こってもおかしくない年になっている、ということなのだ。 人間こうやってすこしずつ、老いさらばえて行くんだろうなあ。 |
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