Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2020年12月までの「きのうの話」目次へ

 

2019.12.30
  また1年が過ぎてしまった。
 変わり栄えのしない、だらだらとした時間を送ってきたが、それでも今年は、これまでとやや趣のちがう年末になった。
 来年のいまごろも、今年と同じ感慨にふけっていられるだろうかという自信が、なくなってしまったのだ。
 これまではそんなことなど、考えてみたこともなかった。
 今日が昨日のつづきであるように、明日も今日のつづきだと、頭から信じ切っていた。
 あと十年ぐらい、このまま行くだろうと確信していたのだ。
 そういう自信がなくなってしまった。
 11月に、たった1回見舞われた発作が青天の霹靂、以来肉体に対する認識が根底から変わってしまった。
 つまりこれまで健康と信じていたものが、なんの根拠もない、幸運と無知の上に築かれた思い込みでしかなかったと、思い知らされたのである。
 体力に対する自信が根底から揺らいだ。
 今日は明日の保証にならないのである。
 なにが起こっても不思議はない年齢に達した自覚を、はじめて持ったというべきか。
 いまは来年もなんとか、このまま無事に生きながらえますようにと、願うだけである。

 つぎはちょっと恥ずかしい話だが、この前から何度か取り上げて前宣伝してきた新蔵シリーズ第3作の着手を、しばらく延期することにしました。
 べつのものを書くということです。
 理由は、いまの段階では、どんなに足掻いてみたところで、面白くなりそうもないからです。
 いくらプロットをいじくり回そうが、ストーリーを複雑にしようが、すこしも盛り上がらない。
 退屈、陳腐、感情移入できない、読んでわくわくするような興奮も、カタルシスも覚えない。
 書いてる作者がこれだから、読んでる人が面白がれるはずはない。
 はっきり言えば、力みすぎなのだろう。
 それでこの際ひとまず対象から離れ、時間を置いて、冷ましてやるのがいちばんということになり、次回作から外すことにしたのです。
  気分転換を兼ねて、来年は現代物を書くつもりです。なんとか年内に仕上げます。
 ということで、今回はこれで、年末のご挨拶にさせていただきます。
 今年も1年おつき合いくださり、ありがとうございました。
 来年もよろしく。
  あたらしい年がみなさんにとって、よりよい年となりますように。


2019.12.19
 何人もの方から、誕生日のお祝いメールをいただいた。
 83になりました。
 気分としては全然おめでたくないのだが、とりあえず健康だし、ほかに思い煩うこともない。
 年から言ってもありがたいことだし、これもみなさんのおかげと、心からお礼を申し上げます。
 弱音を吐くと、このブログ、もうやめたくてたまらないのだ。
 疲れた。
 面倒くさい。
 独り相撲でしかない。
 今年こそやめようと、年の初めにはいつも思っている。
 それがこういうふうにお便りをいただいてしまうと、そうか、読んでくれている人がいるんだ、とついやめようという決意が鈍ってしまう。
 だから今回も、仕方がないからもうすこし、つづけてみますと言うほかないのである。

 先週は人と会う機会があり、久しぶりに都心へ出かけていた。
 人と会ったり話したりする機会が、このところますます減っており、なにもかもが後向き、すっかりじじむさくなっていた。
 出不精がいちばんいけないと、頭ではわかっているつもりなのだ。
 それがいざとなると、なんだか面倒くさくなって、動くのが億劫になってしまう。
 なにもしない方が、楽なのである。
 早く言えば年寄りの横着、巣穴に籠もっておだを上げている限り、傷つくこともないし、尊厳が損なわれることもない。
 年寄りの典型的な生態だろう。
 とにかくなんとか出かけて行くと、思いもよらぬ収穫があったり、刺激を受けたりして、いつも出てきてよかったと思うのだ。
 あたらしい発想やヒントが突如として湧いてくるのも、日常からほんのすこしはみ出した、こういう機会からのことが多い。
 今回も、つまずいていたプロットづくりの見直しアイデアが忽然と浮かんできて、あ、今度こそうまく行くかもしれないと、ほくほくしながら帰って来たのだった。

  一方でパソコンの不調感が収まらない。
 前回ディスクの空き容量を33まで増やしたと書いたが、それが数日で25GBまで減ってしまった。
 思い当たることはないし、できる対策はすべて施した。それでも元にもどらない。
 仕事が順調に進展していないから、半分パソコンのせいにしているところはある。パソコンに罪はないのである。


2019.12.9
 現在3台のノートパソコンを使っているが、このうちもっとも古いWindows7を、このほど引退させることにした。
 文章を書く上ではなんの支障もないのだが、ネットにつながらなくなってしまい、何度も修復を試みたがうまくゆかない。
 750グラムと軽量だったから持ち歩く分には重宝で、旅先にはいつも携行していた。
 だが画面サイズは11インチとやや小さめ、いまの13インチに比べたら、もうもどる気になれないくらい使いにくい。
 しかも去年からバッテリーがだめになり、以後電源直通。
 さらにディスプレイと本体をつないでいた留め金まで壊れてしまい、いまやコード1本でかろうじてつながっているありさまだ。
 十分に働いてくれたから、もう引導を渡してやってもいいだろう。
 このまえ中古で予備用を1台購入したのも、このWindows7の代役を務めさせるつもりだったからである。
 Windows7に収納してあったファイル類は、すべて外付けハードディスクに移した。
 問題は写真。2013年からの写真がすべて納めてあったから、ざっと4000枚あった。
 これをすべてコピーするとなると、けっこう時間がかかる。
 もっと高速にコピーできる方法があるかもしれないが、わたしは知らないのである。
 それで時間をかけ、延々とやっていたら、大失敗をした。
 気が緩んで、うとうとしてしまった。
 抱えていた膝の上からガシャンと落としてしまい、これまでの苦労がすべて水の泡になった。
 そういえばこのWindows7の調子が狂ったのも、ディスプレイが外れかけたのも、わたしが居眠りして落としたからだった。
 それで懲りているはずの同じミスを、二度も三度も繰り返している。
 また、はじめからやり直しだ。
 結局すべての写真を移し終えるのに、半日以上かかってしまった。
 ハードディスクに移したからといって、整理も分類もしていないから、役に立つことはまずないのだ。  せっかく撮ったものだから、むげに捨てられないというだけのこと。
 この際ついでに、最近動きが鈍くなり、しょっちゅうフリーズを起こしはじめたいまのパソコンも、ネットで探し出したアドバイスを元に、手作業で修復をやってみた。
 予備のパソコンがこういうとき役に立つ。
 画面に提示された修復の具体的なやり方を見ながら、操作できるからである。
 なんとそれだけで、Dドライブの空き容量が、33・1MBから33・9MBに増えた。
 その結果、びっくりするぐらいさくさく動くようになった。
 ただしその感激も数日、いまではもう元にもどりかけている。
 まことにパソコンというのは、時間を浪費させるツールである。


2019.12.2
 今年は秋の長雨が多かった。
 先日屋根屋に調べてもらったが、そのとき剥がしたブルーシートの後処置がよくなかったらしく、水漏れがひどくなった。
 強い雨よりも、長く降るときの方が水漏れは大きくなる。
 とうとう土間の天井にしみができてしまった。
 そればかりか、一昨日は、天井に貼ってあった壁紙がベローンと剥がれてしまった。
 照明器具がぶら下がっているから、それに引っかかって、全面的に落ちはしなかったけれど、半分くらい剥がれた。
 水漏れもひどく、半日でバケツに2センチあまり溜まった。
 昨日せがれが屋根に上がって再処理をしてくれたが、修理のはじまる来春まで、保ってくれるか心配だ。

 どこかにがたがきはじめると、つぎつぎに悪影響があらわれるもので、電化製品までいろいろ故障が出はじめた。
 洗濯機の具合も半年前からよくないのだが、いまのところ、なんとか用は足りている。
 と思っていたら、今度はいきなりテレビが映らなくなった。
 リモコンが反応しなくなったから電池を取り替えたところ、画面が勝手に流れはじめ、どうにも止まらなくなった。
 映るのは映るのだけど、つぎつぎにチャンネルが変わってしまい、どうしても止まらないのである。   あれこれやってみたが直らない。
 マニュアルはとっくになくなっていたから、ネットで探し出してダウンロードし、必死に読んでみた。
 しかしチャンネルが止まらなくて、画面が勝手に流れるときの対策など、どこにも書いてない。
 困り果ててサービスセンターに相談し、見てもらうことにした。
 ただし数日かかる。
 このテレビは京都にいるとき買ったもので、調べてみたら2007年製とあった。
 12年たっているわけだけれど、それくらいで寿命が尽きたとしたら、コスパが悪すぎる。
 その後いろいろやっているうち、テレビ本体を操作すれば、なんとか見られることがわかった。しかしチャンネルを変えようとすれば、いちいちテレビまで行かなくてはならないし、番組表は見られない。
 何日かたって、メーカーのサービスマンが来てくれた。
 そしたらリモコンの故障だとわかった。
 おどろいたことに、これまで使っていたリモコンは、テレビ本体のものではなく、レコーダー用のリモコンだった。
 本来のリモコンがあったはずですと言われたが、全然身に覚えがない。
 なくしたか、木更津へ越してくるとき処分したか、記憶にないのだ。
 要するにテレビ操作にも使えるリモコンを、テレビ用だと思って使いつづけていたわけで、テレビ本体に異状はなかった。
 おかげであたらしいリモコンを購入しただけですみ、最低限の費用で収まってほっとしている。


2019.11.25
 先日の夜、次作のプロットやデータが、突然消えてしまった。
 思い当たることといえば、あるような、ないような。
 Yahoo! のツールバーの調子が悪くなり、お気に入りの表示色が薄くなって反応しにくくなった。
 それでネットを検索、対策というのを講じてみたのだが、うまくいかなかった。
 そのとき指示された通り、なにかの削除というのを、やることはやった。
 恐らくそのせいだったのだろうと思う。
 いつものように仕事をはじめ、ファイルを呼び出そうとしたら、それが出ない。
 出ないというより、いつも使っているエディターにあるはずのテキストファイルが、なぜかない。
 泡くって探してみたが、どこにもない。
 信じられないことに、こういうときの救いの神となるはずのバックアップファイルまでなかった。
 そんなものなど、はじめから存在していませんでしたよとばかり、なんの痕跡も残さず、消えてしまったのだ。
 新蔵シリーズの第3作として取りかかっていたものだから、すでに5か月近くいじくり回している。
 プロットそのものは、それほど重要ではない。
 毎回当初の構想は大きく変わってしまい、できあがったときは、初期の面影がどこにもないくらい激変しているものだからだ。
 大事なのは、この間に掻き集めてきたデータなのである。
 参考書から拾い出してきたものもあれば、ネットで検索して書き写したものもある。
 作家にとっていちばん大切なネタ袋である。
 ストーリーの変更とともに、もう不要になってしまったものも少なくないのだが、一朝ことあればただちに使える。
 だから作品を書き終えたとき、これらのデータは別項を立てて、すべて保存している。
 それがなくなったというのは、この数ヶ月の集積が失われたということだから、すごくダメージが大きい。
 いまとなってはなんという本から拾ってきたのか、なにを検索して見つけたデータなのかわからないものもあるから、思い出そうとしても回復不能なのである。
 とにかくどこかに隠れているはずだから、必死になって探してみた。
 考えられることはなにもかもやった。
 外付けのハードディスクから、これまでのUSBディスクまで、そんなところに保存したはずがないものまで、すべて当たってみた。
 それでもだめとわかると、最後の望みをかけ、ファイルの復元ソフトというフリーソフトまでダウンロードして、試してみた。
 それでも出てこなかった。
 9時からはじめて午前4時までやり、ようやくあきらめた。
 疲れたからしばらく寝ようと横になったのだが、明かりを消した途端、もしや、こうしたらよかったのではないか、あれを忘れていたのではないかとかいろいろ思い出され、そのたびにまた起き上がってパソコンに向かうというありさまで、とうとう朝まで一睡もできなかった。
 7時、朦朧とした頭でぼんやりディスプレイをながめていた。
 ディスプレイ上には、必要最低限のものしか置いていない。
 使用頻度の低いものとか、削除したら不具合が起こりそうなソフトは、すべて収納ファイルに納めてある。
 念のためそれを開けてのぞいて見たら、なんとなく、見覚えのあるような、テキストファイルが入っていた。
 え? と首をひねったが、もしやと思って再生してみたら、なんと、こいつが、一晩中探し回っていた当のファイルだった。
 念が入ったことに、バックアップファイルまでそこに入っていた。
 いったい、どうして?
 不可解としか言いようがなかった。
 ふたつのファイルをそこへ入れた覚えは、絶対にないのだ。
 大山鳴動して鼠一匹と、ほっと胸をなで下ろしたものの、目の色を変えてひと晩中焦りまくっていた時間は、いったいどうしてくれるんじゃー、と言いたかった。
 じつはこういう騒ぎ、今年2回目なのである。
 前回はとうとう原因がわからず、泣き寝入りして、またあらたに書き起こすしかなかった。
 パソコンは便利なことこの上ないツールだが、全幅の信頼は置けない不満足なツールでもある。


2019.11.11
 先々週のことだった。
 台所で朝食の用意をしていたとき、右足がいきなりがくっとなり、思わずよろけた。
 踏ん張りが利かなくなって、倒れそうになったのだ。
 つまずいたわけでも、なにかにぶつかったわけでもない。
 ふつうに立っている状態から、歩こうとして右足を踏み出した瞬間、突然そうなったのだ。
 え、なに、どうして?
 わけがわからなくて、自分でも混乱した。
 躰が自分のものではなくなっていた。
 とくに右半分の力が抜けた感じで、うまく言い表せないが、これまで一度も経験したことのない感覚だった。
 これはまずいと思ったから、すぐ傍らの椅子に腰かけ、数分じっとしていた。
 それでなんとか治まったのだが、完全にもどったわけではなかった。雲の上にいるような、ふわふわ感がつづいていた。
 とにかく横になるわ、と言って自分の部屋に引き揚げた。
 それからのことは省略するが、かみさんが心配した脳梗塞でなかったたことはたしか。
 数日たったら、どうやらよくなった。
 これまで立ちくらみとか、目眩のようなものに襲われたことなら、何度かある。
 だが生命そのものが脅かされているような、恐怖と不安を覚えたのはははじめてだった。
 それでなくても、なにが起こってもおかしくない年齢に達している。これまで平穏にこられたのは、幸運以外のなにものでもなかったと、ようやく実感したのだった。
 気になるから、その後自分なりに調べてみた。
 どうやら大元は、持病の糖尿病からきたのではないかと、いまは思っている。
 糖尿病の定期検診は受けており、薬もきちんと飲んでいる。
 糖尿病の指標であるHbA1cの数値は一応許容範囲、その数値を守るぐらいの節制はしている。
 一方でずっと、中性脂肪が高いと指摘されていた。このごろその数値がますます高くなり、医者が首を傾げるまでになった。
 原因はなんでしょう、と空とぼけて聞いたら、食生活ではないかと言う。
 脂分と、甘いものの取り過ぎではないかと。
 ぎくりとした。
 思い当たること大ありだったのだ。
 来月で満83歳になる。一昔前ならたいへんな長命だ。つまりもう十分に元を取った。
 これだけ生きりゃ十分だろう。これからは太く短く、好き勝手にやるぞ、というので最近は我慢なし、食いたいものを食うようになっていた。
 脂ものはともかく、甘いものが大好きなのだ。とくに餡子もの、大福、ぼた餅といったものには目がない。
 甘味飲料は全然飲みたいと思わないのに、和菓子系の甘いものになるとまるで抑制が利かなくなる。
 昨夜はテレビの健康番組で、中性脂肪とコレステロールをテーマにしていた。
 出てきた専門医が、卵も大敵だと言ったからびっくり。じつは卵も大好き。週1〜2個が適量だというのに、平均7〜8個は食っている。
 いくら元が取れたとはいえ、これでは躰にいいわけがなかった。
 今回のふらつきの原因がそれであったかどうかはともかく、タガの外れた昨今の食生活が、よくなかったことはまちがいないだろう。
 今週から大いに反省、いま手元にある菓子を食ってしまったら、摂生生活にもどるつもりだ。
 かみさんの知らない大福がまだ残っているんだよなあ。

 先日、頼んであった屋根屋がやっと見に来てくれた。
 修理可能ということだったが、2階棟瓦の飛んだところは高くて危険なので、足場を組まなければならないという。
 まだ見積もりは出ていないが、相当かかりそうだ。とはいえ工事をしてくれるのは、来春になってから。
 順番だから、それまで待つしかないだろう。


2019.10.21
 台風19号の惨状が明らかになるにつれ、言うべきことばがなくなってしまった。
 まさかこれほど大きな被害になっていようとは、思いもしなかったのだ。
 それに比べたら、わが家の被害などかすり傷程度、大騒ぎするのが恥ずかしい。
 とはいうものの、やはり雨漏りは困るのだ。
 金曜日の夜、またかなり強い雨が降ったので、おちおち安心して寝てられなかった。
 ぽとん、ぽとんと、天井裏で雨の漏りはじめた音が、部屋の中にいても聞こえてくるのだ。
 せがれがまた屋根に上がり、ブルーシートを掛け直してくれたから量はそれほどでもなかったようで、廊下まで垂れ落ちてくることはなかった。
 天井裏まで上がる方法がないから、どれくらいの漏水なのか、たしかめて見ることができないのである。
 これから強い雨が降ってくるたび、同じ心配をしなければならないわけで、こうなったら1日も早く修繕したいと考えている。
 ところがそういう家が、県内だけで何千戸もあるわけだから、見てもらうだけでもなかなか思うようにならない。
 市内の屋根屋に電話したところ、年末までは見積もりにも行けないと言われた。
 屋根がまるまる剥がれた、といった家がどうしても優先されるから、わが家などいちばん後回しにならざるを得ないということだ。
 しようがないとはいえ、それまで不安や不自由を堪え忍んでいなければならない。
 漏水が度重なってくると、そのうち天井裏が腐ってしまうことも考えられ、雨が降るたび憂鬱な思いをしなければならないようである。

 本がようやく発売になりました。
 昨日、都内のせがれが、新刊書の広告が新聞に載ったと知らせてきた。
 見本は先週もらっていたが、いつ発売されるのか知らなかったのだ。
 改めてお知らせしておきます。
 書名は『新蔵唐行き』、発行は双葉社、1600円、まずまず面白いものが書けたと思っております。


2019.10.14
 台風19号の被害が予想外に大きかったからびっくりしている。日本中がこれから先、その後遺症に苦しまなければならない。
 さいわいなことに、わが家の被害はきわめて軽くすんだ。
 屋根瓦が剥がれているところから何カ所か水漏れは発生したものの、これははじめから覚悟していたこと。ふたつのバケツに半分くらい水が貯まり、ほかにも壁がにじむ、天井や羽目板に漏水が流れるといった状況は起きた。
 水漏れの応急措置として、今回大いに役立ったのが赤ちゃん用の紙おむつだった。
 ネットを通じて知ったもので、水漏れ箇所へじかに充てたり、水が伝い落ちる壁に充てたり、手軽に使えてしかも有効だった。
 ふつうの家庭でも、漏水や湿気の多い場所の手当て用として常備しておくとよいと思います。
 とにかく前回のような目には遭いたくなかったから、今回は徹底して自衛策を講じた。
 まずブルーシート。家のなかで使う想定で予備を購入。
 長い行列ができるガソリンスタンドには行かなくてすむよう携行型ガソリンタンク。
 停電になったときの3日間氷が持つというハードタイプのクーラーボックス。
 パソコンや携帯電話のバッテリー充電用インバーター。
 応用が利く室内用ランタン。
 昨日一昨日は、このような非常用品、乾電池、ガスボンベ、保存食などを買い求める人で、スーパーや量販店がごった返していた。
 売り切れになっている店も多く、わたしも何軒もの店を回って手に入れている。
 昨日はいよいよ台風の襲来日。
 満を持して午前中に入浴をすませ、午後はその浴槽を洗い、あたらしい水をたっぷり張った。
 窓ガラスには飛散防止用テープを貼り、準備完了、10日ぐらい断水・停電生活がつづいても耐えられる備えをして台風を迎えたのだ。
 その間都内のせがれや郷里の親戚からは、避難するようにと何回もメールがきた。
 聞き入れなかったわけではないが、わたしとしてはなんとなく、今回は無事に終わりそうな気がしてならなかった。
 台風が伊豆半島へ上陸するというニュースを聞いたときは、世評とは逆に、これで千葉直撃はないなと直感した。
 それが当たったわけで、千葉に限って言えば、今回は雨、風とも前回の台風15号に遠く及ばなかった。
 台風、土砂崩れ、水害などの天災はいずれも子供のころ経験している。
 住む家を選ぶとき、真っ先にこれら災害を考えるのが習いになっていたくらいで、だからこそこれまで大きな災害には遭わなくてすんだ。
 台風19号が外れてくれたのは幸運に過ぎなかったとしても、今回の千葉の被害が比較的少なかったのは、前回の台風に懲りたみんなが、必死になって対策を講じていたからということも言えるはずなのだ。
 災厄というものは、備えがあれば来ないものなのである。
 天災など100年に1度だと思って油断すると、手痛いしっぺ返しを食らう。
 日本で生きている以上、地震、台風、洪水といった災害は避けられない。その被害をいかに小さくするかは、やはりふだんの備えしかないということである。


2019.10.1
 破損した屋根瓦に応急措置としてかぶせてあったシートが、台風17号の風であっけなく飛んでしまった。
 瓦の剥がれたところはブルーシートで覆って土嚢で押さえつけてあるから、こちらは異状なかった。
 ほかにも、瓦が1枚剥がれたとか、棟瓦が数メートル剥がれたとかいうところが3箇所あり、こちらは面積が狭いから風呂敷大のビニールシートを掛け、テープで留めていた。
 強い風が吹いたときはどうかなと思っていたところ、ものの見事に吹き飛んだ。
 強力なテープを買ってきてもう一度貼りつけたが、さて、いつまで保ってくれるか。
 それより罹災証明をもらえなかった。
 おたくは損害軽微だから、これくらいは我慢しろということらしい。
 罹災証明がないと、罹災ごみの搬入も有料になるのである。
 せがれが手続きに行ったのだが、自己主張をするタイプではないから、軽く見られたようだ。
 ほんとはわたしが行くべきだったが、あいにく仕事が滞っていたので時間が取れなかった。
 来春、短編集の文庫を1冊、復刻版で出してくれる話が決まり、それに書き下ろし短編を1本追加することになった。
 9月中に書き上げる約束で取りかかっていたところ、思わぬ台風禍でモチベーションが下がってしまい、困っていた。
 それで先週、多摩へ引き籠もりに行ったのだ。
 おかげでラグビーのアイルランド戦を見損ねてしまった。
 短編の方は数日遅れでなんとかなりそうだが、罹災証明の手続きはせがれがしたので、却下されたというわけ。
 昨日、5日ぶりに木更津へ帰ってきた。
 田舎道をバイクで走っていたら、稲刈りの終わった田の畦で曼珠沙華が咲いていた。
 季節はいつもの秋である。




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