Shimizu Tatsuo Memorandum

トップページへ                 著作・新刊案内
きのうの話      

Archive 2002年から2018年12月までの「きのうの話」目次へ

 

2018.12.25
 今年最後の多摩に来ている。
 用件はゴミ出し。
 台所に山ほど溜まっていた不燃ごみを、昨夜やっと片づけた。
 ときどきやって来て数日滞在する程度では、なかなかごみの始末ができない。
 生ゴミは週2回だが、不燃ごみは1回、そのときいないと、出せないのである。
 生ゴミはまだ溜めておける。冷蔵庫が空っぽだから、冷凍室に入れて保存しておくのだ。
 不燃ごみは腐らないから、いつまでも置いておける。
 それで段ボール箱へどんどん放り込んでいたら、とっくに箱からあふれ出し、足の踏み場もなくなっていた。
 ざっと半年分溜まっていたのだ。
 分別するだけで2時間かかった。
 ペットボトルの処理にいちばん手間がかかる。
 レッテルを剥がし、キャップを取って、踏みつぶさなければならない。
 しかもこれは資源ごみだとかで、出せる日は今日じゃなかった。またしばらく溜めておくことになりそうだ。
 ゴミ出しが終わったから、今日は立川まで本探しに出かけていた。大きな本屋が二軒あるから、新宿へ出なくてすむのだ。
 運動不足解消を兼ね、半分くらい歩いてやろうと出かけたのだが、歩き慣れていない道だったからまちがえてしまい、ずいぶん遠回りした。

 これは川の土手の下。斜面を這い上がれないようロープが張ってあって、500メートルくらい遠回りさせられた。

 これもあたらしい道。横断できないよう、バリケード代わりのガードレールが張り巡らしてある。
 信号のあるところまで延々歩かなければならない。
 横着な年寄りは横断する気満々、しばらく時機をうかがっていたが、先週82になったばかり、良識に負けてあきらめた。
 はじめはもっと歩くつもりだったが、そんなこんなで疲れてしまい、結局モノレール3駅分しか歩かなかった。
 疲れた割にたった6000歩。知らないところは歩くものじゃない。

 冬枯れの浅川。こちらは上流側。
 浅川は多摩川の支流。この先八王子、高尾山、陣馬山方面へと延びて行く。

写真C
 下流側。前方に多摩モノレールが走っている。

 これで今年は最後になります。なんにも書くことがなくなって、もう今年でやめよう、今年こそやめようと思いながら、またずるずる1年きてしまいました。
 読んでくださる人がいる限り、つづけざるを得ないのかなあ。
 ありがたいことだと気を取り直し、あとしばらくつづけてみます。
 1年間ありがとうございました。
 よい年をお迎えください。


2018.12.18
 本格的に寒くなり、窓から入ってくる日射しをありがたく感じるようになった。
 わたしの部屋は2階にあり、東と南に掃き出し窓が設けてあるから、日照がある限り日中は暖かい。
 この冬はさらに、そこそこ目で楽しめる風景になった。
 まず、東の正面。納屋の向こうに見えているのはクロガネモチだ。

 ごらんのように真っ赤な実がたくさんついて、冬とは思えない華やかさである。
 これまでにも実はつけていたが、今年は狂おしいまで実がついた。
 こちらは反対方向からの写真。日光が当たるとけっこう見栄えもする。

 つぎはユズ。昨年は不成り年でさびしかったが、今年はどかんと実った。
 これは出荷したあとの残った実なのだ。

 上のほうばかり実が残っているのは、ユズには鋭いトゲがあるから近寄ることができず、穫れないからだ。

 果実採集用の木は、収穫するとき取りやすいよう上へ延ばさず、横へ横へとひろがるように剪定して育てるのだが、この木は手入れしないまま放置されてきたから、いまとなっては手の施しようがない。
 もうひとつは、なんというミカンか、まだわかっていない柑橘類である。

 木そのものは、この家へ越してきたときからあった。
 庭の隅に押しやられた格好でぽつんとあり、日当たりも悪く、これまで実をつけたことはなかった。
 それが去年、はじめて3、4個実をつけた。夏みかんではなかったが、なんという品種かわからなかった。
 その木が今年は大量の実をつけた。

 雌伏何年、それほど日当たりはよくないし、木も大きくない。場所を移動させてやれないだけに、これから先が気の毒である。
 小夏は今年10個あまり実をつけた。

 毎年すこしずつ増えているが、成長が遅く、色もまだついていない。
 同じ年に植えた土佐文旦はまだ葉ばかり。
 気温が低すぎるかもしれないと思うが、前の木の例もあるから、もうすこし気長に待ってみよう。
 本日は誕生日だった。感想はなし。ただただ馬齢を重ねているというしかない。


2018.12.10
 新幹線が止まったり、スマホが使えなくなったり、ちょっとした事故のはずが大騒ぎになって、先週はだいぶ騒がしかった。
 べつにここで社会問題を論じようというつもりはない。そういう社会問題が、いまやわれわれにはまったく関係がなくなってしまった、ということを言いたいだけである。
 スマホは二年間だけ使ってみたが、自分には必要のない機能ばかりだという見極めがついたから、つぎの更新をするとき喜んでガラケーにもどした。
 以来ただの一度も不便や不自由を感じたことはない。こういうものだと思ってしまえば、ときどき出てくる諸雑事もすべて許容範囲として許せるのである。
 年取るということは、もろもろの社会現象から置き去りにされてしまうことにほかならないが、しようがないと割り切ってしまえば惨めにはならない。あら、これも落っこちてしまったなあと面白がるだけ、他人事みたいに笑ってしまえばいいのである。
 ポケベルが来春終了するというニュースがつい先週流れたばかり。わたしなどポケベルもとうとう使ったことがないまま終わった。かみさんにいたっては見たこともないそうだ。
 と思ったら先週のスマホ障害騒ぎで、公衆電話を使えない若者が続出したと話題になっていた。なんだよ。おれたちとおんなじじゃないか。


2018.12.3
 先週からカナ文字入力の練習をはじめている。
 これまでずっとローマ字入力をしてきて、一応ブラインドタッチもできるのだが、このごろものすごくミスが多くなって、いらいらしている。
 だいたいローマ字入力そのものがまことに腹立たしい方式で、非能率の極みだと思っている。ほかにないから仕方なく使っているのだ。
 人間老いぼれてくるほど丸くならないといけないのだろうが、現実は逆、ますます怒りっぽく、切れやすくなるばかり。とうとう頭にきて、ええい、面倒くさい、こんなのやめてやる、ということになって、時計が30年以上逆戻りしてしまったというわけだ。
 親指シフトにはじまり、これまでいろいろな入力方式を試してきたから、あたらしいものに挑戦することに迷いや、気後れはない。むしろ楽しんでいる。気分転換であり、頭の体操なのだ。
 完全に切り替えられるとは思っていないが、しばらくはつづけてみるつもりだ。1週間もしたら、かなり早く打てるようになるのではないか。
 ということで、この稿はカナ入力で打ってみた。
 これで1時間ちょっとかかったかな。


2018.11.26
 パソコンの調子がときどきおかしくなる。いつもローマ字入力をしているのだが、それが突然カナになったり数字になったりして、全然打てなくなる。
 だいたいは、再起動したらもとにもどる。それが今回は、いくら再起動しても回復しない。ありとあらゆる手段を講じてみたが、それでもだめだ。
 最後の手段としては、ソフトメーカーに電話するという手がある。するとこちらのパソコンを向こうで遠隔操作してくれ、すぐ直る。
 じつに簡単に直るのである。
 ちょっとした操作ミス、ちょっとした勘違いから起こること(だろう)から、ほんの1操作で終わるのだ。
 こういう突発事が起こるのは、たいてい夜中なのである。今回もまさにそれ、金曜夜半のことだった。月曜日までメーカーは休み、すると自分でやるしかない。
 おかげで一晩中苦闘していた。
 いまは予備役になっている古いWindows7を引っ張りだし、横に並べてネットにつなぎ、画面を見ながら首っ引きで回復手段を試してみる。
 金曜日はそれでも回復しなかった。
 あきらめて寝についたものの、横になってもすぐなにか思い浮かぶ。そのたびに起きてまたパソコンに向かうで、ろくに眠れなかった。
 土曜日も朝からやり直し。めしもそこそこ、パソコン漬けになっていた。そしたら昼すぎに、突然直った。
 要するに単なるひとつの操作ミスだったのだろう。
 まことにやれやれだが、同じことはしょっちゅう起こっている。そのたびに費やされる時間を考えると、無性に腹が立ってくる。
 いまのWindows10だってけっして使いよいとは言えない。システムが新しくなればなるほど使いよくなるはずが、実際は逆、使いにくくなっている。
 ひと月ほど前には、起動したあと、PC画面にするためのパスワードが突然使えなくなり、なぜだかしらないがPINと称するものに変更させられた。しかも先週またそれが使えなくなり、あたらしい方式に変更させられた。
 それで元通りになったかというと、なぜか辞書がかなり古いものにもどっていた。最近のあたらしいことばが全然出てこないから、またあらたに入れ直さなければならなかった。
 わたしにとってパソコンはただの筆記具なのである。こちらの希望する通りに文章が出てくればいいのであって、あとはメールと、ネットと、写真等の収納ができれば、ほかに望むものはない。
 そういう機能が、年々使いにくくなってくるのはどうしたわけか。これまで使ってきたWindowsのなかではXPがいちばんよかった。
 ハードも頑丈だったから、この夏まで予備として使いつづけていた。それがとうとう寿命が尽きたか、あるときふっつりと画面が暗くなって、それきりになった。多分液晶画面がだめになっただけだろうと思うが、さすがそこまでの予備はないからあきらめた。
 ありがとうWindowsXP。おまえは最強のパソコンだった。


2018.11.22
 入れ歯がなんの前触れなしにぽろっと取れた。
 今年の春にひとつ取れ、それを放置していたら、今度はそれと隣り合っていた歯が取れたというわけである。
 そのため、この2本に掛けてあった差し歯まで使えなくなり、これで左上の奥歯4本がまったくない状態になった。
 奥歯が4本もないと、さすがに噛むことに支障が出る。食いにくくってしようがない。
 右半分でしか噛めないということは、左半分の歯はないも同じことなのだ。
 もう躰のメンテナンスはしないつもりだったが、どこまで我慢できるか、自信がなくなってきた。

 かみさんは今日から岐阜、滋賀へ紅葉見物に出かけた。
 せがれの休みがあったからで、わたしもぜひ行ってこいと勧め、むりやり行かせた。
 かみさんの足腰を考えたら、出歩けるのも今年が最後になるかもしれないからだ。
 だから心配で、わたしもついて行きたかったが、今回は断念せざるを得なかった。
 年内に上げるつもりだった原稿が遅れに遅れ、いまやまったく余裕がなくなっているからだ。
 そのくせ先週編集者と話したことでまた考えが変わり、自発的に申し出て、もう1回書き直しをすることに決めた。
 これで4回目の書き直しだ。
 こうなったら好きにさせてもらうなんて、いままでだって好き勝手にやって来たじゃないかと言われそうだけど。
 というわけで、いまは毎日、寸暇を惜しんで仕事をしているところであります。


2018.11.12
 先週の旅行の写真をまとめてアップします。
 場所があっちこっちめまぐるしく飛びますが、たどった道順になっています。

 鳳来寺山の参道。
 飯田線本長篠から数キロ入ったところにある鳳来寺山。山上に東照宮があり、かつては大勢の参詣客で賑わい、そのための電車まで引かれていた。
 この石段は頂上まで1425段あるそうだが、むかしながらの無骨な石段、しかも段差が大きい。
 ためしに数十段上ってみたが、もう無理だとわかった。
 2年まえ、羽黒山の石段2400余段を1時間余りかけて登ったのが夢のようだ。

 麓の門前町にあった小学校。
 閉校になって50年たっているが、往年の雰囲気がよく保たれている。

 いまは豊田市になっている足助の香嵐渓。
 紅葉の名所だというから寄ってみたが、だいぶ早かった。
 足助は山のなかにある宿場町。かつては信州へ塩を運ぶ中馬街道の出発地だった。

 岩村城。
 岡山の備中松山城、奈良の高取城(京都にいたころ紹介した)と並び称される日本三大山城のひとつ。
 名前は知っていたが、これまで行く機会がなかった。
 それがこのまえ、TVドラマ『半分青い』で一躍有名になったと、ネットで紹介されていた。
 ドラマは全然見ていないのである。舞台が岩村町とあったから、ひょっとして岩村城のあるところではないかと思って調べてみたら、果たしてそうだった。
 それで急に行きたくなり、せがれにつぎはどこへ行きたいか聞かれたとき、迷わず岩村と言って、今回の旅行が実現したのだった。

 岩村の街並み。
 宿場町の面影、町割りがよく残っている。急激に人気が出たので受け入れ側の態勢が追いつかず、変にこじゃれた今風の店などないのがなによりも好ましい。
 TVの起こしたブームなど数年で消え去り、あとに惨めな形骸だけが残るものだが、この町は観光客が来なくなっても、いまの暮らしを変わりなくつづけられるだろうと、これからも応援したい気持ちになった。

 中津川の苗木城址。
 木曽川を挟んで中津川市の対岸にある城址。
 わずか一万石ながら幕末まで天守閣が存続した。
 標高はそれほど高くないが、巨岩だらけの山をうまく利用して石垣を組んでいる。
 天守閣そのものが岩の上に建てられていたのである。

 苗木城遠望。
 この写真からでもわかると思うが、360度見渡せる頂上からの眺望がすばらしい。わざわざ行って、絶対よかったと思う名城です。

 標高1200メートル、九蔵峠というところから見た御嶽山。天気はよかったが、あいにくの逆光だ。
 それにしてもわたしは写真が下手だと、今回つくづく思い知らされた。

 ごぞんじ松本城。水鏡つき。

 松本市内から槍ヶ岳の頂上が見えた。なんだか得をしたような気分になったので。


2018.11.3
 2泊3日の行程で紅葉見物に出かけていた。
 今回もせがれが運転手を買って出てくれたので、わたしはただのお客さん、親の特権を最大限に享受させてもらった。
 今週は寒くなる、という予報だったので、ちょっと大袈裟かなとは思ったが、ダウンコートを着用して行ったのは正解だった。
 標高の高いところへ行くと、真昼でも気温は10度以下に下がったからだ。
 お天気そのものは2日間とも快晴だった。
 雲ひとつない青空と、くっきり澄み切った視界、無風。人に分けてあげたいくらい、気分のよい旅をさせてもらった。
 一方で肉体の衰えを痛感させられた。
 まさか足腰が、これほど弱っているとは思いもしなかった。
 今回は古城址をふたつ訪ねたのだが、石段が予想以上に難渋だったのだ。
 登りはまだよい。下りが怖かった。
 足を踏み下ろすたび、そのまま腰砕けになって、前へ転びそうになる。
 関節の軟骨が磨り減ってしまい、膝の柔軟性がまったくなくなっている。
 とくに段差が大きくなるとだめ。
 一歩ずつ足下をたしかめながら、こわごわ下りるなんて経験、これまでなかったことである。
 筋力が衰えないよう、スクワットは毎日やってきたのにこのありさまだ。
 足腰だけは、最後の最後までなんとか自力で動かしたいと思っているが、状況はだんだん厳しくなってきている。
 いまの筋トレやストレッチを、全面的に見直してみるべきかもしれない。
 パソコンの調子が悪いので、今回は写真の処理ができなかった。
 来週まとめて発表します。


2018.10.20
 先日家の畑でイノシシを見かけた。それが大型犬くらいある成獣だった。
 よそで犬に吠えられたのか、まっしぐらに駆けてきて、わが家の畑を横切った。わたしから4、50メートル離れたところだった。
 時刻は午後の4時過ぎ。曇天でやや薄暗かったが、まだまだ日の暮れる時間ではなかった。
 とにかくあっという間だったから、なすすべもなく見送った。
 畑に出るときは用心して、いつも鉄棒を持って行くことにしている。
 農業用の鉄棒だからそれほど太くはないが、木の棒よりはるかに心強い。
 万一イノシシに出くわしたら、叩きのめすのは無理としても、槍代わりにして渡り合うつもりだった。
 これまで見かけたイノシシがいずれも小さかったから、あれなら対等に戦えると思っていたのである。
 その自信が木っ端微塵に砕けた。
 とても、とても、そんな生兵法が通用するような相手ではなかった。
 あの大きさと勢いを見たら、突進してくるサイに素手で立ち向かうようなものだ。
 あとになるほど怖さがじわじわ込み上げてきて、いまでは触らぬ神に祟りなし、ひたすら出っくわさないように念じている。

 このまえスーパーで足をすべらせ、転んでしまったことを書いた。
 そしたらある読者の方が、こんな滑りにくい靴がありますよと、メールで教えてくださった。
 働く人のウエアや履き物を専門に商っているワークマンという会社の製品だ。
 最近ネットで評判になっているらしく、若いファンがふえて、ワークマンプラスという会社まで登場してきた。
 早速行って買ってきましたよ。
 正体は厨房で働いている人のための靴、早くいえばズックだった。
 1900円と安いのがありがたく、これなら気軽にはきつぶせる。
 以来雨の日を楽しみにしていたが、なぜかそれから全然降らないのである。
 今日は久しぶりに雨という予報だったから当てにしていたところ、ほんのお湿り程度だった。
 なかなか思うようにいかないものだ。
 そのほかには、つまずかないためのストレッチというのをあたらしくはじめている。


2018.10.4
 今回の台風、各地で最高風速が出たようだが、千葉でもこれまでの最強と思える強風が吹いた。
 一晩中起きていたけれども、ときどき家が持ち上げられるような突風が吹き荒れたのだ。
 一夜明けてみたら家庭菜園がずたずた。
 あたらしく植えたキュウリとトマトの鉢は支柱ごと吹き飛ばされ、両方だめになってしまった。
 キュウリはともかく、トマトは実をつけはじめたところ。とうとう収穫なしで終わったことになる。

 今日はかみさんのお伴で日帰り旅行に出かけた。
 ところが成田で飛行機に乗り遅れてしまい、すごすごと帰って来ざるを得なかった。
 予定通りだったら、瀬戸内海をフェリーで横断していたのだ。
 朝は4時半に起き、成田行き1番バスに乗って第3ターミナルまで行き、搭乗手続きも終えた。
 そのあとめしを食って、15分前に搭乗口へ行ったら、もう乗り遅れになっていた。
 フライト時間前であったにもかかわらず、最後の連絡バスが発車したあととかで、間に合わなかったのだ。
 受付締切時間が7時50分となっていたのは知っていたが、その時間までに、搭乗口へ集まっていなければならなかったとは思わなかった。
 フライト時間は8時20分だったから安心していたのだ。
 ふつうの便だとフライト10分前、5分前に駆けつけてくるものはざら。
 乗り遅れたものが、独りバスで送られてくる、といったことがよくある。
 格安航空だとそこまでしてくれないのだ。
 結局往復の搭乗券を買っていたにもかかわらず、わたしはその段階でやめざるを得なかった。もちろん払い戻しはなし。
 かみさんは前日から出かけているせがれと目的地の空港で落ち合い、以後レンタカーで数日旅行することになっていた。すでに宿の手配もしてある。
 こうなったらよその航空会社の便で追わせようとしたところ、JALもANAも成田からは出ていないのである。
 仕方なく5000円の追加料金を払い、夕方の便で行くことにした。
 それまで8時間も暇をつぶさなければならない。
 ろくなベンチもない第3ターミナルに、かみさんひとりを残して帰るわけにいかない。
 それで佐倉の歴史博物館まで行き、昼すぎまで時間を潰していた。
 ずいぶん高い1日についた。
 なによりも疲れ果てた。




「きのうの話」目次へ



志水辰夫公式ホームページ