Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2018年9月までの「きのうの話」目次へ

 

2018.9.24
 暑かった夏が終わり、ようやく秋が来た。
 今年お世話になった家庭菜園も一区切りつき、今日ミニトマトの株を処分した。
 3本植えたが、いずれも大豊作。毎日数十個の実が1ヶ月以上食卓に登場してくれた。
 皮が厚いので歯触りはよくないが、糖度が高く、ここまで甘くする必要はないんじゃないかと思うくらい甘かった。気のせいでなく、毎年甘くなっているのだ。
 ナスとキュウリは、植えたところの土が合わなかったか、それほどでもなかった。
 それで秋植えのキュウリ苗を買ってきてプランターで育てはじめたところ、これまた大当たり。
 2本植えたのがもう収穫期を迎え、毎日取らないと追いつかないくらい育っている。
 失敗だったのがメロン。
 2本植えて途中までは順調だったが、実がなりはじめたころから台風と長雨で根腐れを起こし、成長が止まった。
 とりあえず収穫して追熟させてみたが、もとが未熟だったせいか全然甘くならなかった。
 一方で2本しかない鉢植えのブルーベリーが大豊作。これも1ヶ月以上楽しんだ。
 実をたくさんつけるほうの木は、去年まですこしも甘くなかったのだ。
 それでせっせと有機肥料(要するに生ゴミ)を与えていたら、粒が大きくなり、実も甘くなった。
 それに味をしめ、日野のジューンベリーを挿し木で移した。
 ネットに挿し木でつくと書いてあったからやってみたのだが、いまのところ根づいた形跡はないようだ。
 柿は今年が不成り。味もいまいちなので、秋からこっちの根元にも、生ごみを埋めてやろうと思っている。
 栗林は猪の出没がひどく、今年は絶望だとせがれに言われていた。
 行ってみるとたしかにいたるところ掘り返され、食い散らした皮の滓が散乱している。
 畑のほうはもはや猪の餌場。
 根菜類はもうつくれなくなっている。今年は里芋が全滅した。
 猪はますます増長、傍若無人になって人を恐れる気配もない。
 先日もまだ明るい時分に、買物から帰って来たら隣の畑で小さいのがうろうろしていた。
 このまま泣き寝入りするのは口惜しいから、やつらが出てこない真っ昼間、前夜のうちに落ちてきた実だけ拾ってみようとした。
 たった1時間で2キロ以上拾えた。
 いまは収穫の最盛期、夜のうちにかなり実が落ちる。それを猪に食われる前に、人間さまが拾ってしまおうというわけである。
 情けないけどそれくらいしか、対抗策がない。


2018.9.17
 一昨日雨上がりのスーパーで転んだ。よくあることだが、床が濡れていて、つい足を滑らせてしまったのだ。
 若いときだったらなんともなかった。
 少々滑ったくらいだと
「お!」
 という声すら出ないくらい、一瞬で体を立て直すことができた。
「おッ!」
 と声の出るのが50代くらいだろうか。
「おッと!」
 でようやく60代。瞬間体勢が崩れはするものの、まだ平気である。
「おっとっと!」
 で70代か。数歩よろめきはするものの、転ぶほどではない。
 それが今回は
「おッとっとっとっと!」
 となって、止まらなかったのだ。
 あわてず、冷静であったことはまちがいなく、なんとか踏ん張って体を立て直そうとしたが、それができなかった。
「えッえっえっ!」
 と、そんなはずはない、そんなはずはないと思いながら、そのままつんのめって、最後は膝を突き、なんとかそれ以上倒れることは防げた。
 ただそのとき、無意識に躰を庇おうとしたのだろう。掌で地面を突き、そのとき手首に受けた衝撃の痛みが昨日まで残っていた。
 はじめてのことだったとはいえ、ものすごいショックだった。
 年寄りが家のなかで転び、躰を庇おうとして手首を骨折する、という典型的な事故だったのである。それをあろうことか、自分がやってしまったということだ。
 老いはだれにも均等、自分もそこらのお年寄りとすこしもちがいはしないのだ、とはからずも教えてくれたことになり、今回の事実は重く受け止めようと思っている。
 早速、絶対に滑らない老人用の靴はないものか、ネットで調べはじめた。
 それであらためて気づいたのだが、ウォーキング用シューズなんてのは掃いて捨てるほどあるのに、年寄り専用絶対転ばない靴というのはありそうでない。
 宣伝ならいろいろしているが、いずれも売れさえすればなんでもいいみたいな、ついで気分のものばかり。
 こういう靴の需要は、周知さえすれば最大の市場となるはずなのに、真剣に考えているメーカーはどれくらいあるのか疑問だ。
 わたしが知らないだけかもしれないので、どなたかごぞんじの方があれば教えてください。


2018.9.9
 夏ばてでだいぶ休みました。おかげでこの間にいろいなことが起こり、書くことがすこしは溜まってしまった。
 まず北海道で起こった地震。今回いちばん被害のひどかった厚真町は、懇意にしている作家の故郷で、よく知っているところでもあったからびっくりして、すぐ問い合わせのメールを出した。
 札幌にいたころは、日高方面へ行くとき必ず横切っていたから、町の大方は知っている。
 丘のようななだらかな里山がどこまでもつづき、雪も少なく、道内でも天候・地勢に恵まれた、牧歌的なところなのだ。
 通るたびに、こんなところで余生を過ごせたらいいなあと、だれでも思うようなところなのである。
 すくなくとも自然災害には、もっとも縁遠いところだとばかり思っていた。
 それがこれほどまで無残に変わり果ててしまうとは。いかなる想像力を駆使したとしても、今回のような光景になることは思いつかなかったはずなのだ。
 試みにグーグルのストリートビューで、厚真町吉野というところを通り抜けてみてください。人間がいかにちっぽけな存在で、自然がいかに畏怖すべき恐ろしいものか、痛切に思い知ることができます。

 その数日前には、史上最強の風を伴った台風が関西を走り抜けた。強風の記録が各地で塗り替えられたというのが、あっけなさすぎて逆に信じられなかった。
 わたしの子供のころは、今回と同じコースを通った室戸台風が、大災害をもたらした台風として繰り返し取り上げられていた。
 予報性能が格段に向上し、警戒情報も万全に行き渡って、なおかついつもこのような被害が出てしまう。
 人間というものは、どれほどひどい目に遭おうが、時間さえたてば過去の教訓が役に立たなくなる、悲しいかなそれが人間の性というものだろう。

 台風は去ったが、その後いっこうに強風の収まらないのが房総だ。
 連日大風が吹きつのり、ただの1日も吹き止まない。天気予報の風の表示が連日赤印なのだ。
 一方で雨はさほど降らなかった。東京が集中豪雨に襲われているときも、こちらはお湿り程度。東京で豪雨を降らせている雲が、東京湾を渡ると嘘みたいに消えてしまうのである。
 先週も所用があって多摩へ行ったが、帰りの新宿バスターミナルまでは無風だった。バスがアクアラインを渡った途端、広告の幟が引きちぎられんばかりにはためいていた。
 今日の夕方、久しぶりに風がいくらか凪いだ。このときとばかり、溜まっていたごみを庭で燃やした。

 このところ仕事に身を入れているせいで、時間帯がめちゃめちゃになっている。
 朝3時か4時ごろまで仕事をしていると、頭のなかに残像がこびりついて眠れなくなる。
 仕方なくこの2日、睡眠導入剤のお世話になった。たった半錠しか飲まないが、ふだん飲まないせいか、よく効く。
 それはいいが、翌日まで眠気が残るから困る。二度寝すると、びっくりするぐらい熟睡してしまうのである。
 今日も10時から寝たら14時まで眠りこけていた。午前5時から4時間近く寝た上でのことである。
 それから1日をはじめるのだから、これでは時間がますますずれる。まる1日分ずれて、やっと正常にもどるのである。

 短編小説を一本書いた。とくに執筆理由というものはない。一応作家だから、ときには書かないと格好がつかないというだけだ。
 年取ることで、はじめて気がつくこともあるなあと、去年からときどき思うようになり、気の向くまま書きはじめていた。
 それがなんとか、ひとつの作品に仕上がったということだ。
 書いてはみたものの、発表するところがなかった。市場価値があるような小説ではないから、ふつうの小説誌は相手にしてくれないだろう。
 そこで思い出したのがある編集者だ。新入社員のときわたしの担当をしたことがあり、その後順調に出世して編集長になっていた。ただし純文芸誌である。
 それでいい迷惑だろうとは思ったが、むかしの縁をかさに原稿を送りつけ、このたび掲載してもらったのだ。
 日常断片を書き連ねたようなもので、野心作といったものでは断じてない。
 今月発行の文芸誌『すばる』10月号を手に取る機会があったら、ぱらぱらとでもめくってみたください。100枚ほどの現代ものです。


2018.8.19
 ここ数日湿度が低く、しのぎやすくなったせいか、わが家のクモの活動が活発になってきた。
 まえに紹介したアシダカグモである。
 以前は一匹しかいなかったが、その後数が増え、女房ではないかと思われるやや小ぶりなのから、ふたりの子供かもしれないもっと小ぶりなのまで、このごろは4、5匹見かける。
 夜行性だから、夜になるとどこからともなく現れてくるわけで、かみさんの前に出てきてはそのつど大変な騒ぎが起こる。
 なんとかしろと言われたって、罪もない生きものを殺すわけにいかないから、前方の戸障子を開け放し、どこかに行ってもらうしかないのだ。
 このクモは安全で、病菌を媒介する怖れはないし、たとえ手足に這い上がってきたとしても、羽で撫でられたような感触しかない。
 むかしムカデに腕を這われたことがあるが、このときの感触は、いま思い出しても鳥肌が立つくらいおぞましかった。
 それに比べたら、クモぐらい大目に見てやって欲しいって、比べるのが無理か。

 畑で自分のつくったミニトマトを採り入れていたら、足下を赤い紐のようなものが這っていた。
 ミミズかと思ったが、目や口がある。
 よく見たらヘビだった。はじめて見るヘビである。
 調べてみるとヒバカリだった。
 噛まれたら命は「その日ばかり」ということからついた名というが、実際は無毒である。
 ヘビは苦手なわたしだが、ヒバカリは見た目もおだやかで、むしろかわいらしかった。
 今度見つけたらつかまえて飼ってみようと思っているが、わが家のどこかに棲息している大ガマに見つかったら、即座に食われてしまうだろうなあ。


2018.7.29
 台風のおかげで殺人的な暑さが和らぎ、ほっとしている。
 今週も多摩へ帰ってきた。
 市役所へ行く用があったからだが、台風と重なったおかげで、今日は雨も降った。
 久しぶりのお湿りである。
 よろこんでいたら、午後から風雨が強くなり、一時は土砂降りの大雨になった。
 閉め切った部屋の中でパソコンに向かっていたところ、妙な水音がしはじめ、水しぶきが降りかかってきた。
 はじめはわけがわからなかった。
 見ると、天井から水滴が落ちている。
 なんと雨漏りしはじめたのだった。
 それでようやく思い出した。
 北海道へ行くまえだからもう20年くらいになるが、家の改築をして内装を大幅に変えた。
 そのときついでに1階の部屋を、後へいくらか出した。
 4畳半くらい部屋を大きくしたのである。
 あるとき大雨の日に、1階の天井から水がぼたぼたと落ちてきはじめた。
 2階はなんともない。
 1階の窓際から2メートルほど入った天井から、なぜか水滴が湧いてきて、したたり落ちる。
 そのときもたしか台風が来ていて、叩きつけるような大雨が、横殴りに降っていた。
 下手な改築は、しばしば雨漏りの原因になるが、自分の家がまさにそれだったのだ。
 あわてて業者を呼び、見てもらったけど、正確な原因はわからなかった。
 ただそのとき施した手当てが有効だったのか、その後は1回か2回くらいしか水漏れはなかったと記憶している。
 叩きつけてくるような横殴りの雨、という条件でないと漏らないのだ。
 この十数年なんともなかったということは、同じような雨が降らなかったということだろうが、間が空きすぎてまったく忘れていた。
 雨漏りは1時間ぐらいつづいておさまった。
 バケツに100CCぐらい水が溜まっていた。


2018.7.16
 大事に育てたトマトをカラスに食われた。
 今年は2種類、ミニトマトとピンポン球くらいの実をつけるのと、2本ずつ植えた。
 ミニトマトは成長が早く、これまで何回も収穫している。
 大きいほうの実は、ようやく色づきはじめたところ、成長がずいぶん遅いのだ。
 できたら完熟したものを食いたいから、辛抱強く熟れるのを待っていた。
 いい色になってきて、ようやく取り時だと思い、畑に行ってみると、その実だけない。
 かみさんに聞いてみたが、知らないという。せがれも知らない。
 調べてみたが、原因がわからない。熟した実は、簡単に取れることがわかっただけだ。
 きょろきょろしていて、はっと気がついた。
 電柱の上にカラスがいたのだ。
 カラスは毎日家の上を飛び回っている。
 まさか、とは思ったが、とにかくネットで調べてみた。
 そしたらあるわあるわ、カラスにトマトを食われたという話や写真、動画が山ほどあった。
 カラスの食害を防ぐには、ネットを張るのが効果的といった対策まで紹介されている。
 カラスがトマトを食うとは思わなかった。
 雑食性だから、それならトマトを食ったって不思議はないのだが、カラスとトマトではイメージが合わなさすぎ、結びつけて考えなかった。単なる思い込みだ。
 ピンポン球くらいの実なら、あのくちばしでがっぷりくわえ、悠々持ち去れたことだろう。
 これから対策を考えなければならない。

 トマトに大きなイモムシがついた。
 わが家にはいろんな蝶も飛んでくるから、このイモムシだってそのうち、きれいな蝶になるのだろう、とはじめは寛大な目で見ていた。
 ところがこやつ、けっこう大食漢なのである。つぎからつぎへと、じつにうまそうに、葉をむさぼり食う。
 そこでまたまた、待てよと思い直した。
 写真に撮ってネットで調べてみたのだ。たちまち正体がわかった。
 蝶どころか、見るからにおぞましい、醜悪な毒蛾の幼虫だった。
 即、火箸でつまんで捨てました。
 困ったときのネット頼み、助かるなあ。


2018.7.8
 数十年に一度という大雨が、各地に大変な被害をもたらしている。
 関東はそれまで10日以上、真夏日のかんかん照りがつづいていた。
 房総はそれに加え、大風が吹きまくっていた。強風を示す天気予報の赤マークが連日つづき、昼夜を分かたず吹き荒れた。
 おかげで今年は本気になって育てていた家庭菜園が、ことごとく薙ぎ倒された。支柱ごと倒された。
 今年はじめて咲いたアジサイも1本が倒れ、1本は折れた。茎の真ん中からぼっきり折れたのである。
 そんな天気が、今度は打って変わっての大雨。房総はいまのところお湿り程度しか降っていないが、これからのことはわからない。
 毎年のように繰り返されている災害。
 日本人にはその心構えや知識が十分あるはずなのに、その都度、いままでの経験が役に立たない被害が持ち上がっている。
 夜になって、岡山の友人に安否うかがいのメールを出していたら、今度はいきなり躰がぐいと持ち上げられた。
 一瞬遅れて鳴りはじめたのが、緊急地震警報。
 房総沖を震源とする震度5弱の地震が起こったのだ。
 縦揺れはすぐさま大きな横揺れに変わり、これが30秒ぐらいつづいた。
 木更津は震度4。最近ではいちばん大きな地震だった。
 そのとき仕事をしていて、斜め後に本棚があった。転倒防止の突っ支い棒が有効だったのだろう。本は1冊も落ちなかった。
 しかし本の前に並べてあった小物はほとんど落ちた。
 このところ有感地震が毎日のように起きていたから、意識としては慣れていたのだ。
 だが実際にはなにもできなかった。
 火や、水は、と反射的に思い浮かべながら躰が動かない焦燥感と、足が地に着いていない不安感、何度味わってもこの気色悪さは半端でない。
 いまでもまだ、小さな余震がつづいている。
 この国に安全なところはどこにもないと、あらためて思い知らされているのである。


2018.7.2
 一昨日から多摩へ来ている。
 今回は2ヶ月間が空いた。
 郵便物と庭の雑草が気になっていながら、なかなか腰を上げられなかった。
 その始末をするためわざわざ来るのが、だんだん面倒くさくなってきたのだ。
 はっきり言って多摩の家は役目を終え、もういらなくなっている。
 自分の最後の城であり、いざというときの避難所だと思っていたのだが、そういうことまでどうでもよくなってきた。
 これぞ老いというものだろうが、この先、以前のような活力や気力を取りもどし、必要度まで回復してくるとは思えないのである。
 もっと早く処分すべきだった、と後悔しきりだ。
 いまとなっては時期を失し、処分したくても簡単にはいかないらしい。売りたくても売れないである。
 郊外の、さほど高級でもない分譲地で、しかも全面坂になっている。
 わが家は坂のいちばん下だが、それでも電車を降りて5分、だらだら坂を上がらなければならない。
 この坂が年々つらくなっているのだ。
 気がついてみると、周りに空き家がずいぶん増えていた。
 とくに坂の上の人は多く逃げ出したとかで、平地の、もっと都心に近いマンションへ移って行ったという。
 今回も草むしりに3日かかった。
 日中は暑くてできないから、日が陰った6時過ぎから働いた。
 表庭は1日ですんだが、笹と蔦が茂り放題の裏庭は、1時間半もしたら暗くなって1日で終わらなかった。

 動物園行きの電車が、また模様替えしていた。
 かわいいつもりか、ピンク色である。むかしだったらこんなの、色キチ×イいと言われたと思うが。




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