Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2018年6月までの「きのうの話」目次へ

 

2018.6.24
 わが家に棲みついているアシダカグモが今年も出てきた。

 世間でつけられている愛称が軍曹。
 同じ個体かどうかわからないが、毎年初夏になるとたいてい出てくる。
 ごらんのように、手足を拡げると10センチ以上、CD並の大きさになる。
 これがれっきとした益虫。
 ゴキブリの天敵だそうだ。
 とはいえゴキブリを実際につかまえたところは、まだ見たことがない。
 軍曹が2、3匹もいると、その家のゴキブリは絶滅してしまうとかで、言われてみるとじつに雄々しい、たくましい姿格好である。
 ただし、かみさんの前にはあまり出てきてもらいたくない。
 だから見かけるたび「2階でうろちょろするのはかまわないが、下へ降りて行ってかみさんの前には出るなよ」と言い聞かせていた。
 ところがこのまえ 下からときならぬ悲鳴が聞こえてきたからあわてて降りて行くと、かみさんが廊下でひっくり返っていた。
 軍曹がいたのでおどろき、廊下を足でどんと踏み鳴らして追い払おうとしたところ、あわてたものだから足がもつれ、ひっくり返ったのだという。
 さいわい捻挫まではしなかったが、軍曹は悪びれもしない顔で知らん顔をしていた。
 以後ときどき出てきて、かみさんを震え上がらせている。
 こんなものにうろうろされるくらいなら、まだゴキブリのほうがいいそうだ。
 数日前は外の玄関脇に片づけてあった植木鉢のあたりで、ごそごそと妙な音がする。
 何かいるのかと思って鉢を動かしてみると、なんとガマが這いだしてきた。
 置物みたいな大きなガマだった。
 あわててカメラを取りに行ったが、もどって来たときはいなくなっていた。
 かみさんにはとりあえず、蟇も棲みついているぞと教えたが、現実に目の前へ出てきたらどういう反応が起きるか。
 自然は人間のものだけではないのである。


2018.6.18
 あたらしい車を買った。
 もちろん軽である。
 これまで乗ってきた車の走行距離が10万キロになり、ブレーキにがたがきて、修理代がだいぶかかりそうだった。
 しかも秋には車検が切れる。
 ならいっそ買い換えようかということになり、先月から検討していた。
 その結果、今度の車は、わたしが乗る最後の車になるだろうから、この際新車にしようということになったのだ。
 早速買いに行った。
 いまのわたしにとって、車はただの道具。
 目的地に行って、帰って来られたらそれでよい。思い入れも、こだわりもない。
 だからいちばん安い車で十分と、はじめからはモチベーションは低かった。
 軽なら最廉価の新車が80万円そこそこで買える。
 じゃあそれにしよう、ということになったのだが、話を聞いていると、それでは不具合が多すぎ、まともな車にならないことがわかった。
 たとえばいちばん安いタイプだと、オーディオ装置もなければ、後部座席の窓もはめ殺しで開閉できないという。
 オーディオ装置なんかなくてけっこうというと、それを取り払った穴ぼこのまま、内部の配線が剥き出しになった状態での引き渡しになるという。
 蓋もついていないらしいのだ。
 枠さえあれば物入れに使えるのだが、そういうものはすべてオプション。結局いちばん安いラジオを入れてもらうしかなかった。
 後の窓を開閉可能タイプに、また紫外線カットのフィルムを窓ガラスに貼ってもらったりしたら、総額はやはり100万をいくらか超えた。
 その新車が今日わが家にやって来た。
 早速かみさんを乗せて買い物に行ってきたが、安物でも新車は新車、音が静かで、加速性能が格段にちがった。
 昨今の体力の衰え、注意力の散漫化は、自分がいちばんよく知っている。できたら車にはもう乗るべきでないのだ。
 乗らないと暮らしが維持できないから乗る。
 その代わり、自戒としてつぎの事項を自ら課している。
 買物、通院、かみさんの送り迎え、それ以外は原則として乗らない。
 夜は乗らない。
 雨の日は乗らない。
 知らないところへは出かけない。
 願っていることはただひとつ、最後まで事故を起こさず、人生をまっとうすることである。


2018.5.23
 50年来の友人が急逝した。先週のことである。
 先週の14、15日が、恒例の箱根旅行に出かける日だった。
 かれも来ることになっていた。
 それが数日まえになって具合が悪くなり、入院しなければならなくなった。
 幹事のところに、残念ながら今回は出席できないとメールしてきたのは、10日のことである。
 今回の旅行には、いつもより多い12名が参加した。翌日さらに1名。
 闘病生活に入ったかれを励まそうと、だれもが思っていたのだと思う。
 その主賓が出てこられなかった。
 それで宴のあと、参加者全員の写真を撮って、入院中のかれのスマホへ送信した。
 よろこんですぐ返事をしてくるぞ、と待っていたが返信はなかった。
 夜遅かったから、もう寝てしまったんだろうと勝手に納得した。
 だが翌日になっても返信はなかった。
 1日では遊び足りず、この旅行ではいつも4、5人がちがう宿へ行き、もう1泊していた。
 今回も5名が連泊したのだが、かれがいないとあってはなんとも物足りなく、その日は盛り上がることなく早々に就寝した。
 翌日散会して家へ帰ったところへ、訃報がもたらされたのだった。

 オリンピックのまえの年、昭和38年(1963年)に上京したわたしは、さる出版社に拾ってもらい、そこで働くようになった。
 そのとき同じ部署にいたのがかれだった。
 この年一緒に入社した4名と知り合って、以後55年にわたって交友をつづけてきた。
 同じ職場にいたのはせいぜい3、4年、その後は田舎に帰ったり、転職したり、フリーとして独立したりして、環境はばらばらになったが、交際は途絶えることなくつづいてきた。
 箱根旅行にやって来るメンバーのほとんどが、このときの職場で知り合ったもの同士なのである。
 かれが亡くなった日のちょうど1年まえ、われわれ4名は瀬戸内海の直島というところにいた。
 直島、豊島、犬島を舞台に開かれた現代アートフェスティバルみたいなものを見に行ったもので、つごう4泊して3つの島を遊び歩いた。
 正直言ってアートのほうは、それほど感銘を受けなかった。われわれの感受性が、それに釣り合うほど高尚ではなかったということだ。
 それより電動自転車でふたつの島を走り回ったことのほうが、はるかに刺激的で面白かった。はじめて乗った電動自転車が、こんなに楽しいとは思ってもみなかったのだ。
 3つの島はいまでこそ寂れているが、かつては海上交通の要衝として、また銅の精錬所の建設によって、繁栄した歴史を持っている。その痕跡が島内の至るところに残っているのだ。
 島だから道はアップダウンだらけ。こういうところの移動手段として電動自転車くらい適した乗り物はなく、1回で30キロぐらい走れるから、島巡りとしては十分なのである。
 標高300メートルを越える山上の展望台まで駆け上がれたし、車が一般的でなかったころ掘られた小さなトンネルを走り抜けた。
 草むらを掻き分けているといきなり足下が切れ、真っ青な水をたたえた深閑とした池が現れる。石切場の跡に水が溜まっているのだ。
 お宮には島特産の石で築いた鎌倉時代の鳥居が立っていた。ずんぐりと太く、高さが低い。お大師さんと呼ぶ石造りの龕灯は、これまで見たことがないものだった。
 極めつけは、山奥で眠っていたバーミヤンの石窟みたいな石切場跡の洞窟だ。ただし行くまで、荒れ果てた廃道を30分以上藪漕ぎしなければならなかった。
 足腰に自信がなかったひとりは、藪を見ただけでおれは行けない、ここで待っているよと、ギブアップ宣言をした。
 わたしと岡山出身の男とはもとが田舎もの、しかも山育ちだからこういう道におどろきはしない。
 だがかれは東京生まれの東京育ち、ガンの摘出手術を受けてそれほど間がたっていなかった。
 病後の身にはちょっと過酷すぎるんじゃないかと心配したのだが、一言も音を上げることなく、ふたりのあとからついてきた。
 残念ながら足場が悪かったので、洞窟の入口が見えるところまで行きながら、それ以上は近づくことができなかった。
 しかしいまの時代とは思えない、非現実的な洞窟が垣間見られただけで満足して、引き揚げてきた。
 あとでかれが、あのときの洞窟探しがいちばん楽しかったと言っていたと聞き、よかったなあと心底うれしく思った。
 あれこそ子供時代さながらの、童心に返っての冒険ごっこであり、探検ごっこであり、宝探しだった。
 80にもなってそういう体験のできたこと自体、奇跡だったとしか思えないのである。
 振り返ってみると、半世紀を超えるつき合いのほとんどが、釣りやスキーや温泉など、遊びを通してであった。人生の余剰をともに楽しんでこられたことが、自分の人生をどれだけ有意義なものにしてくれたか計り知れない。
 まだまだ遊び足りていなかった。
 まだまだ遊べると思っていた。
 その楽しみがこうして突然終わらされてしまったことは、無念でならない。
 最近のいちばんの楽しみとなっていた年2回の箱根旅行も、この先つづけられるかどうか、怪しくなってきた。
 かれがいなくなったというだけで、魅力が半減してしまった気がしてならないのだ。
 人間にとって友だちくらいありがたく、大事なものはない。
 よい友に巡り合えたことで、自分の人生はなんと恵まれた、仕合わせなものであったか、いまさらのように噛みしめているところである。


2018.5.12
 ツツジが終わり、アジサイがぼつぼつ咲きはじめた。
 挿し木をしたわが家のアジサイも、2本が根づいて、それなりに成長している。
 この分だと梅雨時には、いくつか花が咲いてくれるかもしれない。
 一方植えて4年目を迎えた小夏も、今年はたくさん花をつけた。
 柑橘系特有の香りが、家のなかまでぷんぷん匂ってくる。

 またこれまで、頑として成長を拒んできた文旦が、今年はじめて少数の花を咲かせた。
 千葉での栽培は無理だったかと、半ばあきらめかけていたから、これであらたな希望が芽生えた。
 ただし、食えるほどの実がなるかどうかは疑問。
 小夏も今年は30個ほど収穫したのだ。
 だが食えないことはないにしても、実がすかすかで、とても売りものになるようなできではなかった。
 果樹の栽培がこれほどむずかしいとは知らなかったのだ。

 近在の森ではシイやコナラなど、いわゆるどんぐりをつけるクヌギ系の木が、ただいま開花の真っ盛りである。
 梢の先端で黄色い花がむくむく盛り上がっているさまは、初夏の木々に相応しい光景ではないかと思う。
 この花、実物はブラシのような長い毛や、フジのような垂れ下がった房で、とても花とは思えない代物だ。
 しかも1、2週間たつと、一斉に落ちてしまう。
 すると梢は、たちまちもとの、冴えない葉の色にもどってしまうのである。

 花が咲いているときと、花が落ちたあとの、同じ木立。なんという落差だよ。



2018.5.5
 かみさんが高尾山にもう一度登りたいと、まえまえから言っていた。
 ゴールデンウイークに多摩へ帰ったので、この際と思い、つき添って一緒に登ってきた。
 わたしは40数年ぶりの高尾山。
 子供が小学生のとき、連れて行ったのが最後になる。
 当時でも大変な人出だったが、昨今はミシュランのお墨付きまでもらったとかでさらに知名度が上がり、ものすごいことになっているらしい。
 山に行って大勢の人に出会うことぐらいうんざりするものはない。
 だから早めに行って早めに帰ってくることにし、6時過ぎに出かけて7時にはもう山へ入っていた。
 それでも早すぎはしなかった。帰って来る人と何人も出会った。
 新緑の森を歩くのはたしかに気持ちいいが、はっきり言って、これくらいの山ならいくらでもある。
 それほど見晴らしがいいわけでもないのに、年間260万もの人が押しかけてくるほどの山だとは、どうにも思えないのである。行くたびに思うのだ。
 久しぶりの山歩きだったせいか思っていた以上に疲れ、帰りはリフトで下りて来た。
 麓まで帰ってきたのは10時半。
 まだまだ押しかけてくる人とすれ違いながら帰ってきた。
 万歩計は15000歩、歩幅の小さいかみさんで18000歩だった。

 この日は標高599メートルの山頂から富士がくっきり見えた。
 けちをつけるわけではないが、富士の見えるところはそれほどない。

 9時過ぎの山上の賑わい。まだ増えるばかりである。




 前の日に寄った府中の森。
 足を踏み入れたのは今回がはじめてだ。
 多摩へ越してきたのは、ちょうど50年まえになる。
 当時ここは米軍基地で、北府中駅から鉄道の引き込み線が延びており、一種の異界であったことをいまでもよく覚えている。
 それがこんな緑豊かな公園に生まれ変わり、水場では子供らが思いきり声を張り上げていた。


2018.4.21
 今日の気温は26度、あっという間に夏が来た。
 先週は東北にいたから、季節変化がはげしすぎてなんだか信じられない。
 ちょっと山のなかに入ると、まだ大量の雪が残っていたのだ。
 道路脇の気温表示が、3時を過ぎるともう6度から7度になった。
 うっかり薄着で出かけたから寒くてたまらず、あわててアンダーウエアを買って重ね着をした。


 里山の風景はだいたいこんな感じ。

 こちらは羽黒山の五重塔。
 ここへ行くまでの石段も途中は雪に埋もれていた。
 それが、木更津へ帰ってみたらツツジが満開になっていた。





 これ全部わが家のツツジです。
 といって、わたしはなんにもしていないのだけど。


2018.4.16
 桜見物を目的とした小旅行で、東北へ出かけていた。
 ご承知のように今年は桜の開花が異様に早く、旅行日が迫ってきたときは、もう遅いんじゃないかというありさまになっていた。
 一時はやめようかとも思ったのだが、宿の予約をしてあったから、半分仕方なしに出かけた。
 しかし心配は杞憂だった。
 さすが南北に長い日本列島。散った桜もあればまだこれからの木もあり、十分堪能してくることができた。

 見事な古木であるが、残念ながら花は終わっていた。栃木県のどこか。

 こちらも盛りは過ぎていた。福島県に入ってのどこか。
 この桜をご覧になればわかると思うが、福島県には、お堂とセットになった一本桜がじつに多い。
 観光客にまったく知られていないこのような巨木が、至るところにある。
 地域の人に見守られ、毎年きちんと花を咲かせている桜を見るくらいうれしいものはない。

 こちらはみなさまごぞんじ三春の滝桜。
 ただいま7分咲きくらい。そのせいだろう、観光客は少なかった。

 郡山の近く。

 これもまだ2分咲き。日当たりの悪い後ろのほうはまったく咲いていない。

 天気がよかったら、安達太良山が背景に写るはずの桜。コマーシャルでよく使われるとか。
 わたしより年上みたいなよぼよぼのばあさんが、大きなカメラを二つもぶら下げてうろついていたからびっくりした。ご時勢だなあ。

 今回見た桜の中で、白眉だったのがこの花。二本松にあり、合戦場の桜というが、これまで全然知らなかった。
 ただしこの桜、1本ではなく、2本の木が並んでいるもの。

 岩手県に飛んで、こちらは雫石にある小岩井農場の一本桜。
 後の山は岩木山。雨が降った日の翌朝だったので、雲ひとつない姿を見せてくれた。花はまだまだ先だろう。
 こうやって何枚かの写真を並べてみただけで、日本の桜文化の豊かさがよくわかる。
 まだ知られていない一本桜が各地にあり、毎年律儀に咲いてくれていることだろうと、大いに気をよくして帰ってきた。




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