Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2013年3月までの「きのうの話」目次へ

 

2018.3.31
 春爛漫。かみさんが桜大好き人間なので、だったらいっそ都内まで出かけようかということになり、欲張って1日歩いてきた。
 朝は4時半起き、5時20分の始発バスに乗ってまず東京駅へ。
 日本橋まで歩道の桜を愛でながら歩き、東西線で早稲田へ。都電荒川線に乗ったのだ。
 じつは本日が結婚51周年だった。
 その生活をはじめたのが東池袋。都電沿線にはあれこれ思い出が多いのだ。
 飛鳥山で下車して桜見物。さらに都電を乗り継ぎ、終点三ノ輪へ。

 都電に乗ったのは20年ぶりぐらいだったが、電車もすっかり様変わりしていた。
 三ノ輪からは日比谷線、中目黒まで。
 いまやメジャーになってしまった目黒川の桜見物をしたのである。

 ここ、むかしはただのどぶ川だったんだけどなあ。桜はよかったから、まあいいか。
 目黒から白金まで歩き、都の庭園美術館と国立自然教育園へ。
 自然教育園は3、4回来ている。かつての大名屋敷の自然をそのまま残したもので、森と周回路があるだけで、ほかのものはなにもない。

 途中で出会ったカメラマンスタイルのじいさんが「この先はなにもありませんよ」とご丁寧に忠告してくれた。
 特殊な公園とでも思って来たようだ。最近こういう手合いが多いんだよなあ。
 園内の一郭ではガイジンが大騒ぎしていた。何ごとだろうと思ったら、タヌキだった。

 タヌキは日本固有種なので欧米人には珍しいらしいのだ。
 隣接している庭園美術館は、まえから行ってみたかったところ。旧華族邸を公開したもので、以前は入れなかった。

 吉田茂が一時首相公邸として使っていたことは、今回はじめて知った。
 最後は都営三田線。日比谷まで行き、東京駅まで歩いた。変則的なコースながら、ほぼ1周したことになる。
 東京駅からは、かみさんが二階建てバスで1時間の桜見物に出かけた。千鳥ヶ淵など都心の桜を、途中下車なしで見て回るツアーである。

 あいにく空席がひとつしかなく、小生は乗れなかった。それで丸善へ。本を4冊買った。
 5時過ぎのバスでなんとか帰ってきたが、めちゃくちゃ疲れた。
 強行軍過ぎて、昼めしを食う間もなかったのだ。
 25000歩を越えたのは久しぶりである。


2018.3.24
 本格的に暖かくなり、やっと春が来た。
 数週間まえ、杉花粉が飛びはじめた途端、くしゃみが出るは、目がかゆくなるはで、てっきり花粉症がぶり返したかと恐怖したが、うれしいことにただの思い過ごしだった。
 あわてて目薬を買い、翌日からこわごわ暮らしていたが、その後なんともないのである。
 目薬も数回注したきり、ほかの薬は用いてないし、外出するときもマスクなしで平気なのだ。
 じゃああのときはなんだったのか、ということになるが、気温の急激な変化にさらされ、多少鼻風邪気味だったのだろう。
 とにかくなんともなかったことがわかり、あらためて花粉症から解放されたうれしさを噛みしめている。

 ろくに手入れしてやらないわが家の庭にも、春は確実にやって来た。

 モクレン。大きくなりすぎて、画面に入りきらない。


 まえの人がツバキ好きだったらしく、ツバキは何本もある。これはそのうちでいちばん大きな木。1本の木にさまざまな花が咲くのだが、花が長持ちしない上、落ちたらひたすら汚い。わるいけど好きになれない花である。


 芽吹いてきたフキノトウ。
 向こうに見えるのはビワ。3本植えたが2本は猪にやられ、この木だけ残った。わずかながら今年は実をつけている。


 キンカンもようやく実をつけはじめた。
 ひとつ食ってみたが、味は悪くない。しかしこんなに皮が固くて、厚いキンカンもはじめてだ。これからもっと手入れしてやろう。


2018.3.17
 昨日、今日と、猛烈に風が強かった。
 とくに昨日は、木更津へ来てはじめてではないかと思えるほどの風が吹き荒れた。
 買い物に行ったスーパーの駐車場から、怖くてすぐには車を出せなかった。止まっている車のなかにいても、車体がぐらぐら揺さぶられるのだ。
 さいわい帰ってくるころは、すこし落ち着いていたが、強風そのものは午後になっても変わらなかった。
 わが家は周囲を畑で囲まれているから、土埃がすごいのである。その土が、火山灰のような粘っこい黒土なのだ。
 昨日は二階から見える大気が黄ばんで淀んでいた。
 わが家のミカン、野菜、窓ガラス、車、あらゆるものがうす汚くて、見栄えが悪いのはそのせいだったのだ。
 われわれは毎日そういう空気を吸っているわけで、いまでは肺にべったりこびりついているのではないかと、少々薄気味悪い。
 さらにもうひとつ気になっているのは、東京湾で穫れたカタクチイワシから、マイクロプラスチックが発見されたというニュースだ。
 もう5年以上、朝食はシリアルにしている。
 大麦、裸麦、ライ麦、レーズン、クルミ、大豆、干しイチジク、ひまわりの種、干しエビ、ジャコなどに牛乳を加え、大豆やジャコが柔らかくなってからスプーンですくって食う。食後にバナナを1本。
 この出しジャコがカタクチイワシの子なのである。
 むかしから味噌汁は出しジャコまで食う習慣だったから、ジャコを食うこと自体に抵抗はなかった。
 ただ海の汚染が伝えられるにつれ、こういう小魚を食いつづけて大丈夫なのだろうか、という危惧は抱きつづけていた。
 それがとうとう、77パーセントのカタクチイワシの消化管から微粒子のプラスチックが見つかった、というのだから、ああ、やはりなあとショックだったのだ。
 この問題は今後とも追求してもらいたいけれども、それでもし否定的な結果が出たとして、すんなり発表できるものだろうか。
 日本人の食生活を根底から揺るがしてしまう問題だけにとても気になるのだ。


2018.3.11
 雨がようやく上がった今朝、向かいの藪からウグイスのさえずる声が聞こえてきた。
 今日は久しぶりに外出した。
 これまで目を楽しませてくれていた沿線の梅がほとんど散っていた。
 その点わが家の梅はどこよりも遅咲き。
 まだ真っ白い花を留めているが、それも昨日の雨から散りはじめた。
 数日前の大風では甘夏の実が大量に落ちた。
 拾い集めたら100個以上あった。
 もったいないから食っているが、実がなりすぎて小粒、味も例年になく酸っぱい。
 それにしても昨日は、3月の関東では珍しい大雨だった。
 2階からまる一日、降りしきる雨を見つめていた。
 無気力といえば無気力。
 この間にも命の火が、すこしずつ燃え尽きかけているというのに、なにも感じないのである。
 先月、親しくしていた先輩の評論家が亡くなり、その喪失感から抜け切れていない。
 見回してみたら、業界でつき合いのある年上の人がほぼいなくなっていた。
 避けられないこととはいえ、この寂しさだけは埋めようがない。
 いま生きていること自体が、もはや余禄なのである。
 申し訳ないがこの先WEBの更新が不規則になるかもしれません。


2018.3.3
 今週も用があって日野へ出かけていた。
 するとポストに不在配達証明が入っていたから、郵便局まで受け取りに行った。
 前回来たときもそうだった。
 住民登録はそのままにしてあるから、保険証の切り替えとか、カード類の更新時期が来るたび、こっちの家にもどってこなければならない。
 春先はとくにその手の用が多くなる。それで今回も仕方なく受け取りに行った。
 気温の低い、風の強い日で、それをうっかり、マフラーをし忘れて外に出た。
 しまったとは思ったが、大したことはあるまいとそのまま出かけたところ、寒くて寒くて、鼻水がずるずる流れっぱなし、という情けないことになった。
 翌日になっても鼻水は止まらない。
 どうやら鼻風邪を引いたようだが、薬を飲むほどでもないから手当てはしなかった。
 するとますますひどくなってきた。
 さらに、目がどうもおかしい。
 緑内障が出かかっている関係で、眼底血圧を下げる目薬を常用している。
 点眼後はよく洗うようにと言われている。睫毛が異様に濃くなるというのだ。
 どうもそのせいだろうが、目になにか引っかかった感じがしてならない。
 しかもだんだん痒くなってきた。
 我慢しいしい仕事をしていたのだが、一昨日の夜中、とうとう我慢できなくなって、目を強くこすった。
 その途端、はっと気がついた。
 これって、花粉症の症状そのものではないか。
 まさにピンポーンだった。
 今週に入ってからの鼻水、くしゃみ、目のかゆみ、すべての症状はまさに花粉症だったのである。
 ひょっとするとぶり返してしまったか。
 40年に及んだ責め苦から解放され、やれ治った、うれしいってんで、最近は自分が花粉症であったことすら忘れていた。
 完治はしていなかったのだ。
 あるいは今年の花粉飛散量が多すぎ、治っていたものにまでとばっちりが及んできたのか。
 あわてて家のなかを探したら、鼻孔に塗る特効薬は出てきた。目薬はなかったから、多分処分してしまったのだろう。
 有効期限はとっくに過ぎていたが、今夜はとにかくそれを塗り、効果はいかにと、固唾を呑んで見守っているところである。
 要するに治ったつもりで浮かれてしまい、もう関係ないと油断しすぎていたのがいちばんいけない。深く反省しております。


2018.2.17
 去年の秋あたりから、畑でつくる野菜がことごとくだめになった。
 今年は白菜が全滅した。結球するまで育たないのである。
 はじめは土が悪いのか、なんらかの病気なのかと思ったが、どうもようすがちがう。
 葉が出てくる端から摘み取られている。
 その原因がようやくわかった。
 犯人はムクドリだったのである。
 葉物がすこしでも大きくなると、集団でやって来て片っ端から食い荒らしていたのだ。
 そういえば最近、ムクドリが多くなったなあと思っていた。
 庭でときどき見かけはじめた。ヒヨドリも来るが、この鳥は群れでは来ない。
 それがこのごろは、外出するとき道路まで車で出て行くと、何十羽ものムクドリが林から一斉に飛び立ちはじめた。
 ムクドリというのは基本的に群れる鳥なので、見かける機会が増えたということは、近くで営巣していると考えてよいのである。
 しかもその原因はどうやらわたしだったのだ。
 この鳥を呼び寄せた張本人だったのである。
 木更津に来てからずっと、2階ベランダに餌を撒いてスズメを呼び寄せていた。
 せがれからは文句を言われたが、こちらが耳を貸さないので最近はなにも言わなくなった。
 しかし快く思っていないことはたしかなので、こちらとしても遠慮しいしい、こっそり餌を買ってきて、こっそり撒いていた。
 その結果、ムクドリを呼び寄せてしまったのだ。
 多摩にいたときも同じような経験があり、そのときはカワラヒワが何十羽も集まってきた。後にも先にもあれほどのカワラヒワは見たことがないほど来た。
 スズメというのは、ほかの鳥にとっては、そこが安全かどうかをはかるバロメーターなのである。
 スズメが安心して餌をついばんでいると、ほかの鳥もだんだんやって来るようになる。
 今回はそれでムクドリがやって来たということだ。
 かみさんからはもうスズメに餌をやるのはやめたらと言われた。
 丸裸になってしまった畑を見ると、さすがに返すことばがない。
 いまの餌がなくなったら、しばらく休まざるを得ないだろう。


2018.2.10
 資料として古い本を読まなければならなくなり、ネットで取り寄せた。
 1冊は平成7年刊の岩波文庫、もう1冊は昭和27年の角川文庫である。
 覚悟はしていたが文字が小さすぎて、まるで読めない。かつてはこういう本を寝っ転がって読んでいたのかと思うと、なんとも情けなかった。
 ひどい近眼でありながら、本だけは、数年まえまで、眼鏡なしで楽に読むことができた。
 それがこの1、2年ひどい落ち込みようで、小さい文字がまるで読めなくなった。ピントが合わないばかりか、像が二重になってしまうのである。
 目は大事な商売道具だから、眼鏡は合わなくなったと感じたらすぐつくり直していた。
 ところが年取るにつれ、つくりなおした眼鏡のよく見える期間が短くなってきた。せいぜい半年しか持たないのだ。
 それで業を煮やし、一昨年からあたらしい眼鏡をつくることはやめた。
 大きくして見るほうへ方針を変えたのだ。
 活字を読みやすくするためいろんな拡大鏡をそろえているのだが、どれも一長一短、短時間ならともかく、読書向きとは言えない。
 今回はしようがないから、手許にある拡大鏡、レンズ、ルーペなど、ありったけのものを引っ張り出して使ってみた。
 その結果、どれがいちばん読みやすかったかというと、いまの眼鏡の上に、老眼鏡をかける方法だった。
 乱視があるから、ただ大きくすればいい、というものでもなかったのだ。
 いまこの方法で2冊を読んでいるところである。

 写真は左から拡大鏡、レンズ、ルーペ、遠近両用眼鏡、老眼鏡。老眼鏡は1000円前後の、そこらで売っている安物だ。


2018.2.3
 先週につづき本日も雪が降った。
 前回ほどではなかったが、朝起きてみたら一面の雪景色。
 前回とちがっていたところは、日中の気温が上がらなかったため、午後になってもほとんど残っていたことだ。
 TVなどで見た限りだと、都内の雪は昼までにほとんど消えていた。 
 こちらは午後遅く、買い物に行くため車で出かけたところ、山から下りた途端、雪がまったくなくなったからびっくりした。
 ふつうなら北斜面とか、屋根の雪とかがすこし残っているものだが、目を皿にして見たけどどこにも見えなかった。
 ボンネットに雪をこびりつかせて走っていたのはわが家の車だけ。これはすこし恥ずかしかった。
 わが家って、そんなに雪深い山里だったのか。
 山といっても、平地から10メートルかそこら高くなっている丘陵地なのである。
 それだけのちがいだが、一旦降ったらなかなか消えない。
 そういえば庭の隅に残っていた前回の雪が、ようやく消えたのは一昨日だった。
 この分では今回の雪も、だいぶ先まで残りそうだ。
 今夜もわが家は、屋根から畑、まだ真っ白な雪に包まれて眠りについている。
 今週ようやく義歯を入れてもらい、なんとかふつうにものが食えるようになった。
 来週ほかの歯の掃除をしてもらい、それで今回の治療は終わり。これが最後の歯医者になってくれるといいのだが。
 仕事の関係で古い映画を見なければならなくなり、DVDを買うほどのことでもないから、借りてすませようと、生まれてはじめてTSUTAYAへ行った。
 TSUTAYAってビデオ屋だとばかり思っていたら、本や文房具なども扱っている総合文化センターだったんだね。
 全国津々浦々にあるから、ビデオの借り手ってそんなにいるのかしらと首をひねっていたのだ。
 木更津クラスの中都市では、市内最大の書店だったのである。
 ざっと見て回ったが、イオンの本屋よりましなようだ。多くを望むのは無理だとしても、ふだんの用くらいには使えるだろう。
 世のなかからどんどん取り残されているせいか、こういう発見をしただけでも、すごく得したような気分になる。


2018.1.27
 今回の大雪と寒波、記録的な出来事を体験したことになるかもしれない。
 今朝の浦和の最低気温がマイナス9・8度だなんて、たしかに異常だ。関東平野では考えられない気温である。
 札幌に8年いたけれども、マイナス10度になったことは数回しかなかったのだ。
 大雪が降った日、多摩に行かなければならない用があり、はじめは雪になる前に出かけようと思っていた。
 しかしみんなが大雪になると騒いでいるからだんだんびびってしまい、しばらくようすを見ようと思った。
 行ったはいいが雪に閉じ込められ、数日帰ってこられないようだと、こちらにも歯医者やほかの用があったからより困るのだ。
 午前中は弱い小雨。やはり行けばよかったかなと思っていると、午後からみぞれになり、4時すぎから雪になった。
 それからはあれよあれよという間。1時間後には辺り一面真っ白に雪化粧していた。
 あとはTVなどで報じられた通りの大騒動だ。
 東京の積雪量は23センチだったそうだが、木更津はその半分ぐらい。それでも場所によっては20センチくらいあった。
 まず翌朝の光景をお目にかけよう。

 庭の甘夏の木。枝もしなるほどの雪である。
 昼すぎには解けてしまったが、冷やしたり温めたり、すこしは甘みが増しただろうか。
 今年は強風が吹き荒れたから、それで落ちた実の数がばかにならなかった。


 綿帽子で化粧したこの木、じつは春告げ花のロウバイである。
 つぎの写真が解けたときのもの。
 順調に咲きはじめていたのだが、この雪で以後の開花が狂うかもしれない。

 家の取りつけ道路から、一般道へ出たところの光景。
 竹混じりの混交林となっている両側から、雪の重みで傾いた竹が通せんぼをしてしまった。
 竹はけっこう雪に弱く、ここまで倒れるともう元にもどれない。それでこうなった竹は、地域の人の手で切り取られた。
 おかげで多摩へ行くのは2日遅れの水曜日午後になった。
 こちは八王子で30数センチと、都内でも有数の積雪。わが家は丘陵地帯にあるから、八王子以下ということはないのである。

 電車の駅を下りて、住宅街へ向かう道がまだこのありさまだった。
 午前中だったら、年寄りにはかなりつらい道になっていたと思う。
 それより府中や八王子の最低気温が、マイナス8度まで下がったというのがもっと脅威だった。
 水道管が凍結しないよう、あれこれ神経を使わなければならなかったからだ。

 さらに翌日午後、帰る前のわが家の裏庭。
 寒波はまだ数日つづくというから、居残って万全を期したほうがよかったかもしれないが、多摩の家は2階が吹き抜けになっているから寒いのである。
 エアコンとガスヒーターを併用して20度にならない。
 その点木更津の家は、2階の東南2方向に窓があるから、日が差す限りサンルームと化して昼間は23度まで気温が上がる。
 木更津の温かさ恋しさのあまり、多摩は一晩かぎり、尻尾を巻いて帰ってきた。
 この寒波でひとつよかったのは、3週間もつづいた頭痛がけろりと治ったことだ。
 自然の猛威に翻弄され、頭痛どころではなかったということだろう。


2018.1.20
 今週も医者通いに明け暮れた。
 内科、歯科、眼科と、3日も出かけた。
 歯は前週からの治療のつづき。内科と眼科は定期検診である。
 眼のほうは順調で問題なかった。
 内科つまり糖尿病検診が最悪、これまででいちばん悪い数値が出た。
 とはいえこうなることは、ある程度わかっていた。
 歯が痛みだしたのと、きびしい寒さがつづきだしたのとで、この2か月まったくウォーキングをしていなかったのだ。
 その上偏頭痛まで起こりはじめたから、家にいても半病人、ろくに躰を動かせなかった。
 この2年、欠かさずやってきたストレッチと筋トレも中止したままである。
 で、なにをしていたかというと、安楽椅子に寝そべってパソコンをつついていた。
 飲み食いは当たり前に、というよりこの間正月があったから、ふだんとは全然ちがう食生活になっていた。
 間食や甘いものがずいぶん増えていたのだ。
 これではいい数値の出るはずがない。覚悟していたとはいえ、予想以上の悪い結果だった。
 おかげで2か月に1回だった定期検診が、次回は5週間後に短縮されてしまった。
 それでもHbA1cが好転しないようだと、薬の量を増やすと通告された。
 これはさすがにこたえた。
 以来心を入れ替え、とりあえず食いものに気をつけ、とくに間食を控るようになった。
 一方で偏頭痛がまだ治っていない。 
 糖尿検診のとき、ついでに薬をもらって来たのだが、飲んだときは効くけれど、翌日はもとの木阿弥、完治にはほど遠い状態だ。
 頭痛があると躰を動かせないから、運動することができない。
 昨日は珍しいぽかぽか陽気になったから、久しぶりにダムを1周してきた。これがこの2か月で初めてのウォーキングだった。
 考えてみると頭、歯、目、内臓、どれもが故障してそれぞれ手当てが必要になってきたことになる。
 これではあっちが悪いこっちが悪いと、病気自慢しかすることがないそこらの老人と変わりないではないか。
 満足に機能しているのは、胃袋と足腰くらいなのだ。
 とくに胃腸は故障知らず、なんでも食うし、消化するし、食欲はますます旺盛になりつつある。
 足と胃の丈夫な年寄りは長生きする。
 しかしこれって、見方を変えたらいちばん始末の悪い年寄りでもあるんだよなあ。
 世のなかから憎まれないよう、かわいらしい年寄りになろう。


2018.1.13
 年が明けて、ただの1日も快活な気分を味わっていない。歯痛につづいて、偏頭痛まで起こりはじめた。
 歯のほうは、医者で神経を抜いてもらったにしてはその後も痛く、ろくに噛めない日がつづいた。
 外から頬を押さえただけでも痛い。腫れていたのである。
 3日目だったか、朝食のあとバナナを食っていたら、突然、痛ッ! と飛び上がって、ガリッという音がした。
 指を入れて探ってみると、米粒大の歯のかけらが出てきた。割れていた歯の一部が取れたのだ。
 同じ日の夕食後、今度はおそるおそるリンゴを食っていた。
 リンゴというのは柔らかいから歯の負担は少ないのだが、噛めば小さくなるけれども、解けはしないから、それ以上はくずれない。
 最後は奥歯で磨りつぶさないと、嚥下できないのである。
 そのときもリンゴを細かく噛み砕き、最後に奥歯で磨りつぶしていたら、また飛び上がるような痛さに襲われた。
 朝よりもっと大きな音がした。
 口のなかが空っぽになってから、こわごわ指を入れてみた。
 歯の半分くらいもの大きなかけらが出てきた。
 素人目にもそのときは、割れた歯が、これで全部出てきたなと思った。
 事実以後は傷みがなくなり、翌日になると歯茎の腫れまで引いてきた。
 固いものでなければ、なんとかふつうに噛めるようになった。
 昨日2回目の治療に行ったのだが、若い歯科医は、そのような結果になることは予測していなかったらしい。
 今回の手当てはもうしようがないが、治療が終わったら、もうここへは来ないつもりである。
 頭痛は先週からはじまったもので、疲れたときや寝不足がつづいたときに起こる、半分持病となっている偏頭痛だ。
 年末からの歯痛で眠れなかったり、浅かったりで、それが2週間以上つづいているせいだろう。
 ときどき頭の片方がずきんずきんと猛烈に痛くなる。
 おかげでふだん通りの暮らしができない。
 そんなこんなで、半病人のような毎日を過ごしているところである。


2018.1.6
 明けましておめでとうございます。
 本年も変わりませずご贔屓にお願いいたします。
 当方、全然いい正月ではありませんでした。
 年末から歯が痛くなり、それがずっとつづいていたのだ。
 1月2日はせがれが孫を引き連れて年賀に来てくれたが、ゆで卵とバナナくらいしか食えないのだから、楽しいわけがない。
 半年ほどまえ、入れ歯を支えていた詰めものが取れたので、以後面倒くさくなってほとんど外したままにしていた。
 自然咀嚼には右の奥歯ばかり使う羽目となり、この酷使が悪かったらしい。
 躰のメンテナンスはもうしないつもりだったが、歯の痛いのはどうしようもない。
 それで正月明けを待ちかねて、今日歯医者へ行ってきた。
 右上の奥から2番目の歯が割れていた。これでは染みるし、噛むと痛いのも当然だ。
 問題はこの歯をどうするかだった。
 抜いて入れ歯に取り替えるのがいちばん簡単だそうだが、できたらそれはもうやりたくない。
 その旨医者に伝えると、それがいいでしょうと言われた。神経を取って上にかぶせものをしたら、まだ十分使えるという。
 それで麻酔をして、神経を取ってもらった。
 帰って夕方頃になってから、麻酔が切れたらしく、ずきずき痛みはじめた。
 うっかりして痛み止めをもらってこなかったのだ。医者のほうもあげましょうと言わなかった。
 おかげで夕食もろくに食えなかった。
 かみさんが家のなかに痛み止めがないか探してくれたが、見つからない。
 それでわたしもふと、待てよ、京都で歯を抜いたときもらった痛み止めがあったはずだと思い出し、引き出しのなかを掻き回してみたところ、その鎮痛剤がまるまる出てきた。
 ただしもらったのは平成25年、5年まえである。
 薬には有効期限があるそうだが、痛み止めのような薬ならそれほど効能が減退することもないだろう、と1錠飲んでみた。
 なかなか効かなくて、さっきまでずっと痛みがつづいていた。
 これは有効成分がもうなくなっているんだなと思っていたところ、服用後3時間以上たったいまになって、ようやく痛みが和らいできた。
 あと5錠残っているから、明日もこれを飲むつもりだ。
 しかし歯が痛いというのはなんとも憂鬱なものである。




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