Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2016年6月までの「きのうの話」目次へ




 

2016.6.25
 今週は多摩へ出かけていた。
 日曜日に孫のピアノ発表会があり、かみさんが行くというから、そのお伴としてくっついて行った。
 と書くとなんだか嫌々行ったみたいだが、いざはじまるとじいさんは最前列に腰かけ、どの演奏にも最後まで耳を傾けていた。
 孫の出たのは中学生から高校生の部だったから、みんな達者なもの、レベルもなかなか高かった。
 楽器には触れる機会がないまま終わってしまったじいさんとしては、こういう場に立ち合うだけで感慨無量なのである。
 わたしが入学した田舎の小学校には、オルガンがひとつあるきりで、ピアノはなかった。
 3年生のときのある放課後、担任の女先生が「星の界」という歌を口移しで教えてくれた。多分オルガンが弾けなかったのだろうと思う。元歌が賛美歌であることを知ったのは、ずっとのちのことである。
 5年生のとき、かなり大きな町の小学校に転校した。
 はじめて学校に行ったのは土曜日の放課後だったが、講堂に立派なグランドピアノがあり、先生の伴奏で男子生徒が「蛙の笛」という童謡を歌っていた。
 その歌がものすごくうまかった。
 歌詞のなかの「ころろ、ころろ、ころろころころ鳴る笛は……」という部分のボーイソプラノの澄んだ高音が、70年近くたったいまでもはっきり耳に残っている。
 要するにそれだけのことだが、ピアノというと、このふたつを反射的に思い出してしまうのである。

 都内へ出かけたのは久しぶりだったから、旧友や、編集者にも声をかけたところ、何人もが都合をつけて集まってくれ、恐縮しながらおしゃべりを楽しんできた。
 例によって手こずったのが庭の雑草だ。
 1ヶ月もたったら、目も当てられない惨状になる。まる1日かけて引っこ抜いたが、何に刺されたか、足が食われた痕だらけになり、いまでもかゆみが治まっていない。
 虫にはあまり刺されない体質だったのだが、寄る年波か、すっかり軟弱になってしまったようだ。

 多摩動物園へ向かう遊歩道も1ヶ月で雑草に埋もれてしまった。


 東京駅のステーションホテルへ久しぶりに行ったら、見違えるほどきれいになっていた。ガイジンが記念撮影をしていたから、当方もおのぼりさんらしく1枚。


 今週の蝶はいちばんありふれたアゲハチョウ。幼虫はミカンの大敵なんだよなあ。


2016.6.18
 梅雨に入るとアジサイの色が鮮やかになる。気のせいでなく、千葉のアジサイは大輪のものが多く、色もきれいで、見栄えがする。
 それでわが家にもアジサイが欲しいねということになり、このまえ鉢植えを買いに行った。鉢が手狭になったら、庭に移し替えようという算段だ。
 赤系のいい花があったから、これにしようかと話していたところ、横を通りかかったおっさんが「そんなものを買うのか」とびっくりした顔で言った。
「アジサイなら、適当に茎を切って、土に挿しておいたら、ほっといても育つが」
 と言うのだ。こんなものに、金を払うやつの気が知れんみたいな言い方だった。
 どうやったらいいか、そのときいろいろ教えてくれたが、こちらはずぶの素人だからよくわからなかった。
 とにかくそれほど楽な花なら、なにも680円出して買うこともないわけで、結局買わずに帰ってきた。
 そのあと暇を見て、そこら辺に生えているアジサイを探しに行き、花のきれいな木の枝を何本か切り取ってきた。

 それを挿したのがこの写真だ。
 上の葉を半分に切って、横の葉も落とす、というのはかみさんがネットで調べてやってみたもの。
 こんなものでいいのかなあ、と半信半疑だったが、いまのところしおれも、枯れもしないで、葉は青々としている。
 ベランダで丹精込めて育てているメロンよりはるかに元気なのだ。
 これで育ってくれたら儲けものだから、ただいま興味津々と見守っている。
 この4本、それぞれ花の色がちがうのですぞ。
 イボタノキの花は終わったが、蝶はその後も庭や畑にせっせと来ている。

 いちばんありふれたモンシロチョウ。


 どちらもベニシジミのようだが、大きさがかなりちがう。どちらかが亜種ということだろう。
 小さな蝶はなかなか止まってくれないので、写真を撮るのは至難の業、わたしに動物写真家は勤まりそうもない。


2016.6.11
 先週は具合が悪くて更新を休んでしまった。
 なにがどうなったかは、みっともないから言わない。要するにいつも言っていることだが、老人だという自覚がなかったということに尽きる。
 とにかくやりすぎるのだ。
 それで今後は、散歩以外の運動はやらないことにした。
 ストレッチも、エクササイズも、金輪際やめる。最晩年に差しかかった年寄りとして、年齢相応に、そろそろと生きて行くことにします。
 メロン食いたさではじめたベランダ園芸が、予想外に苦戦している。これまで植えた苗はすべて枯れてしまった。
 原因はわからない。このところ強風がつづき、苗の若芽がちぎれたくらいだから、ベランダは向いていないのかもしれない。とにかく風が強いところなのだ。
 とはいえこのまま引き下がるわけにいかないから、つぎの苗を買い足してきた。
 メロンの苗はもう店頭から姿を消していたので、今度はもっとやさしそうなスイカと、ズッキーニにした。

 庭木が茂りすぎたので、このところ暇を見て、剪定をやっている。
 気がつくと、ツバキの陰で隠れるようにして、見たことのない木が見上げる高さになっていた。

 これがその花だが、まことに見栄えのしない、地味な花である。木の名前がなかなかわからなくて、ようやくイボタノキだと突き止めた。
 この木、モクセイ科なのである。花がかなり強烈な芳香を放つ。
 その匂いにつられ、蜂、蜜蜂、蝶が飛んでくる。
 大型のアゲハチョウがつぎからつぎへとやってくるから、目が離せない。

 オナガアゲハ。

 枝の先端に止まっているクロアゲハ。

 なかなか止まってくれないので、こんな写真しか撮れなかったアオスジアゲハ。
 こういう被写体をうまく撮ろうとしたら、いま使っているカメラでは無理なのだ。一眼レフが欲しくなったなあ。
 とはいうものの、蝶は柑橘類に卵を産みつけるから、農家にとっては害虫なのである。
 わが家のイボタノキも、すぐ切るには忍びないから花が終わるまで待ってやるが、来年はわからないぞ。


2016.5.28
 かみさんの使っているデスクトップパソコンが、先週勝手にWindows10へバージョンアップしてしまった。
 かみさんが画面に変なものが出たと悲鳴を上げたから見に行くと、ダウンロードしている最中だった。
 最近ネットで、この無断バージョンアップが話題になっているからおどろきはしなかったが、ひどい話である。
 ダウンロードが終わって使ってみたところ、わたしのパソコン同様、使い勝手はすこしもよくない。
 わたしのほうはこんなものかと思って使いつづけていたため、元にもどせる期間が過ぎてしまった。以来仕方なく使っている。
 それでデスクトップのほうは、すぐさま元の8・1にもどした。
 しかし画面はもどっても、使い勝手までもどったわけではない。使い慣れた設定にするまで、数時間のあがきが必要だった。
 じつは今日の夕方になって気がついたのだが、わたしのwindows10そのものが、ひどく中途半端な代物だったらしい。
 今日なにかの拍子に、この画面はもとのバージョンのままだから、さらにバージョンアップするように、という表示が出たからはじめてわかった。
 そういえば8・1とまったく同じ画面なのだ。
 7から8に変更されたとき、表示がなくなって大ブーイングだったスタートボタンが、わたしの10にはないのである。
 まさか10になっていなかったとは。
 これでは使い勝手が悪くて当然だ。
 わたしの無知と迂闊に原因があるとはいえ、このところパソコンに振り回される機会がますます増えている。
 進化するごとに使いづらくなるなんて、不愉快である。


 今年もヤモリが現れはじめた。多いときは窓1枚に5匹も張りついている。明かりに引かれてやってくる蛾を狙っているのだ。
 光って見えにくいが、真ん中のヤモリがただいま蛾を仕留めたところ。口に蛾をくわえております。
 それにしても蛾という生物は、危険察知能力が見事なまでにゼロである。蛾に同情するわけではないが、神さまは不公平だと思う。


 庭のツツジに来たモンキアゲハ。羽を広げると10センチ以上になる大型の蝶で、ひらひらと舞うように飛ぶ姿が優美である。
 紋黄揚羽の名の通り、黒羽に白い紋様があるからすぐわかる。大きくなるとこの紋が黄色になるそうだ。
 ツツジに混じって咲いているのはドクダミ。今年は至るところでのさばり、本格的に退治しないと庭中がこの草で占領されてしまいそうだ。


 ドクダミの足下で可憐に咲いている金平糖のような花はカタバミ。



 庭の隅で見つけたコモチマンネングサ。こんな野草のあることをいままで知らなかった。
 子持ちの名があるのは、脇芽のところにムカゴがつくからで、この芽を落として繁茂するとか。
 雑草の繁殖手段もなかなか多彩である。


2016.5.21
 かみさんが伊藤若冲展に行けなくて、毎日ため息をついている。
 大変な人気だとかで、入場するのに3時間、4時間待ちがつづいている。腰痛持ちのばあさんが、おいそれと出かけられる状況ではないのだ。
 じつをいうと4月の末に、一度ひとりで出かけている。
 そのときは80分待ちで、それを30分並んで、あきらめているのだ。日を改め、空いているときに出直して来るつもりだったという。
 いまになってみると、80分待ちなんて夢のような数字だ。あと50分なんだから、我慢して並んでいたらよかったと、ぼやくことしきりなのである。
 わたしが先に行って、並んでてやろうかと考えたこともあるのだが、3時間はやはりきつい。
 それで先週の山梨からの帰途、多摩で1泊して翌日行こうとした。しかしネットで調べてみると、依然3時間半待ちだった。
 結局若冲はあきらめ、青山の根津美術館へ尾形光琳の燕子花図を見に行った。
 根津美術館はざっと30年ぶり、いまでは展示館が建て直され、近代的で、瀟洒な施設に生まれ変わっていた。
 なんといっても、並ばなくて入れたのがいちばんありがたかった。
 山梨に行ったとき、山梨市内にある根津記念館を訪ねているのだ。
 40年くらいまえ、仕事でこの界隈へ行ったとき、たまたまこの家の前を通った。
 ああ、ここが東武鉄道の創始者根津嘉一郎の生家かと思ったのだが、そのときは時間がなくて寄れなかった。
 それが頭に残っていたから、今回所望してコースに加えてもらった。
 邸内は撮影禁止なので、残念ながら内部の写真はない。
 庭のイロハモミジを挿し木の苗にして、どうぞご自由にお持ちください、と置いてあったから2本もらってきた。
 庭に紅葉の木が欲しいと、かみさんがまえから言っていたからだ。


 記念館の庭の写真。降ったり止んだりの天気だったから眺望はなかったが、晴れていたら向こうに富士山が見えるそうだ。


 こちらは根津美術館の庭にあるカキツバタの池。残念ながら花は最盛期を過ぎていた。


 縁あってわが家の庭で育つことになった根津記念館のイロハモミジ。


 夏になると、2階ベランダの照り返しがきつい。その暑さしのぎとして、ベランダを緑のカーテンで覆ってしまおうと考えた。
 とはいえわたしのことだから、ヘチマなど植えるわけはない。一石二鳥とばかりメロンを育てることにした。果たしてどうなるかは、以後適宜ご報告しよう。
 若冲展は24日まで。買った前売り券はどうやらむだになってしまいそうだ。


2016.5.14
 友人夫婦と山梨へ1泊旅行に出かけていた。一昨年ドイツ・オーストリアへ一緒に出かけた同年・同郷のコンビである。
 当日は山梨で落ち合うことにし、千葉発は1本しかない特急あずさの切符を買ってあった。
 ところが当日は前日からの大雨と強風で大変な荒れ模様。早朝の列車に乗るつもりで木更津駅まで行ったところ、内房線の列車が動いていなかった。
 一瞬パニックになりかけたが、新宿行きのバスがあったから、それに飛び乗った。
 そのバスも、アクアラインを通過中に「強風のため通行禁止」令が出るありさまで、紙一重の差で渡れたのだった。
 バスが7時に新宿へ着いたところ、6時38分の定刻に千葉を出発した特急あずさは、まだ到着していなかった。
 新宿までの切符を払い戻してもらい、当の特急にも、悠々間に合ったのだ。
 つまりJRだと、千葉乗り換えで新宿まで2時間近くかかるが、バスだと1時間そこそこ、内房線のJRは、アクアラインに完全に負けてしまった。
 今回は富士川の支流早川を、かなり奥のほうまで遡った。
 北岳の麓から発し、間ノ岳、西農鳥岳等の水を集めて、身延から富士川に合流する川である。
 その日は午後になっても降ったり止んだりの天気がつづき、早川の濁流が、岸から見ていても恐怖を覚えるくらいものすごかった。


 宿の近くで見つけた吊り橋。山で働く人たちのための橋だろうが、人家は1軒もないところである。



 吊り橋の中程から撮った上流と下流の濁流。翌日天気が回復してから撮ったもので、雨がやんで20時間くらいたっている。
 前日だったら、強風でとても渡れなかっただろうし、濁流の勢いももっと恐ろしかったはずだ。
 それより濁流の色におどろいた。銀鼠色なのだ。国内の川で、このような色の濁流を見たのははじめてである。
 ヨーロッパアルプスの氷河が溶けて流れる川の水が、このような色をしていた。早川の濁流も、氷河と同じように、岩を削り取ってできた色なのだろうと勝手に解釈した。
 翌日は、前日の荒天が信じられないような、おだやかな快晴になった。風もなく、午後遅くなっても雲ひとつ現れない、まれに見る好天気になったのだ。


 この日は韮崎にある大村美術館を訪ねた。
 ノーベル賞を受賞した大村智博士の設立した美術館である。今回の旅行を思い立ったのも、ここに行ってみたいと思ったからだ。
 美術館は標高400メートル余りの、風光明媚な高台にある。主に女流作家の作品が集められており、小ぶりだが品のよい美術館だ。


 2階展望室からの眺めが天下一品だった。前方に見えているのが茅が岳と八ヶ岳で、じつは右方にも窓があって、こちらには富士が見えているのだ。


 窓を開けて茅が岳と八ヶ岳を撮影したもの。山の隅々まで鮮明に見える。


2016.5.7
 今週も風が強かった。雨が降ったからまだよかったが、風だけだったら土埃でひどいことになっていただろう。
 5日の子供の日に、次男が下の孫ふたりを連れてやって来た。
 それでおじいさんが大喜び。孫娘をことば巧みに誘惑してイオンのフードコートに連れて行き、一緒にモスバーガーを食い、食後のアイスクリームまで楽しんできた。
 孫が帰るときは虚心に「おじいちゃん孝行に来てくれてありがとう」と礼を言った。
 こういうことができるのも小学生くらいまでだろうから、するとあと数回か。これからも腕によりをかけて楽しませてもらおう。
 今日はかみさんを美容院に送り届け、帰りを待っている間、近くにある小櫃堰(おびつぜき)公園というところを歩いてきた。
 小櫃川というのは全長88キロの短い川だが、千葉県内を流れる川では、利根川に次いで2番目に長い川なのだ。

 動きを感じさせないゆったりした流れは、大河の風格十分である。
 じつはこの川、礫がない。つまり石ころや川原のない川なのだ。
 河川敷という余分な遊びがないから、大雨が降ると、たちまち洪水を起こしてしまう暴れ川でもある。


 昭和45年の大洪水をきっかけに大規模な治水工事が行われ、この堰ができた。堰の向こうに見える緑地が小櫃公園。河口から10キロ近い上流だが、標高は10メートルない。
 皮肉なことにこの堰ができたあとも、何回か洪水は起こっている。


 園内にあるマテバシイの木が花をつけていた。垂れ下がっているのは雄花。
 京都の東山がいま、ほとんどの木がシイに取って替わられようとしており、5月になると花が一斉に咲いて、全山が真黄に染まる。
 それが1週間もすると、雄花がことごとく落ち、嘘みたいに黄色が消えてしまうのだ。


 シロツメクサやアカツメクサのなかに、この植物を見かける機会が多くなった。なにかの変異だろうかと思って調べてみたところ、びっくりしたことに、ヤセウツボという寄生植物だった。
 根を絡めて相手の養分をもらい、生きている植物なのだ。
 地上に出ている部分はすべて茎とつぼみ、葉は下のほうに退化したものがついているだけ。葉緑素を持たないから、花が咲いても色はほとんど変わらない。
 牧草、農作物に寄生して成長を阻害するから、要注意外来生物に指定されている。現在本州、四国まで分布範囲を広げているとか。
 ウツボの名は、矢筒のウツボに形が似ていることからつけられたもの。海のウツボとは関係なかった。
 シロツメグサやアカツメクサの群落のなかで、黒ずんだこの草が何10本もぬっと頭を持ち上げているのは、なんとなく不気味である。


 可憐な花も咲いていた。マツヨイグサ科のユウゲショウ。観賞用に持ち込まれたものが野生化したものだそうだ。


 こちらはアヤメ科のニワゼキショウ。わが家の庭で咲いています。


2016.4.30
 年2度の箱根旅行に行ってきた。
 最近は2泊するのが恒例になっており、今回も湯本で1泊、翌日は湖尻まで上がってもう1泊と、2泊3日の行程。いつものコース、いつもの宿である。
 今回の参加者は8名。翌日は6名になって、美術館巡りをするグループと、芦ノ湖を歩くグループの、3名ずつ2組に分かれた。
 芦ノ湖は1周20・6キロ、今回は半周しようということで箱根町までバスで行き、そこから対岸を湖尻まで13キロ歩いた。
 人家のまったくない湖畔の道なので、高低差はそれほどないものの多少のアップダウンはある。
 遊歩道としてはよく整備されておらず、とくに湖尻側へ行くほど木の根っこがはびこって道はわるくなる。3時間半の行程中、向かいから来た人は4組しかいなかった。

 出発点は箱根駅伝の往路ゴール地点。
 テレビでは見ているが、実際に訪れたのははじめて。ごらんのような記念標識まで立っているが、拍子抜けするような印象の薄いところだった。


 友人が撮ってくれた出発時のわたし。富士がくっきり見えているように快晴、視界も良好だ。
 ただしウォーキングには、似つかわしくない格好をしている。パソコンの機器一式と、出発前日に出版社が送ってきたゲラ1冊分がまるまる入っているからだ。
 6月にようやく出る本のゲラである。出版社が連休前に返して欲しいというものだから、やむを得ず持って来た。
 できたら宿に預けておきたかったが、その日泊まる宿が、午後2時を過ぎないとだれもいない合理的きわまりないチェーン店なので(だから安い)持ち回るしかなかった。


 対岸から見る駒ヶ岳(左の小枝に隠れている)と双子山。くっきり見えるのだが、木立が多くて、すべてがきれいに写せるところは1箇所もなかった。


 江戸時代に掘削された箱根用水(深良用水)の取水口。芦ノ湖の水を御殿場側へ1200メートルもの隧道を掘って引いたもの。
 出発点から9・5キロ。
 ふだんだとなんでもない距離だが、この日はばてばて。ここへ着いたころは平衡感覚までおかしくなって、真っ直ぐ立っていられないほど疲れていた。
 荷も重かったが、それより寝不足のつづいていたのがいちばんの原因だろう。前の晩も11時すぎに就寝したが、1時半から3時まで廊下のソファでパソコンに向かっていた。
 このあとの3キロあまりがじつにつらかった。同行のふたりが気遣って、荷物を持ちましょうかと言ってくれたが、なんとか断ってとにかく宿までたどり着いた。
 歩数はたった22000歩。能力的には適正範囲のはずなのに、これほど疲れたことはないというくらい疲労困憊していた。
 札幌から京都へ越してきたとき、70をすぎてからの体力は、60代とまったくちがうことを思い知らされて大ショックだったが、今回もそのときに負けないほどのダメージを受けた。
 自分の年齢や体力が、つぎの段階へ差しかかってきたということである。なんだか引導を渡されたようで、すっかり意気阻喪してしまった。
 翌日は宿で散会し、思い思いに散った。
 フリー切符を買っていたから夕方までコースを選べたのだが、とてもそんな元気はなく、最短コースを通ってまっすぐ帰ってきた。


 帰ってくると、下界は桜の季節が終わり、ハナミズキのシーズンに入っていた。翌日の立川で。


2016.4.24
 桜の季節は終わったが、八重桜はいまが旬、ウォーキングによく行く矢那ダムが見ごろを迎えている。

葉桜と八重桜のコントラストがなんとも色鮮やかで気持ちがよい。
 ここ、ふだんはまったくといっていいほど人が来ないのだが、いまの時期は平日でもそこそこ行楽客が来ている。
 咲いているのは里桜という園芸用につくり出された八重の品種で、ピンク色が鮮やかだ。




 鎌足桜という八重桜。
 木更津市に編入されるまで、わたしの住んでいる地区は鎌足村といった。鎌足桜の原産地なのである。
 桜としては変異種らしく、めしべが鎌の形をしていることからこの名がついたとか。
 その後藤原鎌足と結びつけられ、伝承では鎌足が、まえに紹介した高蔵寺へ来たことになっている。
 今回はじめて知ったのだが、鎌足桜は大坂造幣局の通り抜けにあるそうだ。
 色は薄いが、清楚で、美しい花である。
 ただ栽培がむずかしいとかで、クローン技術が確立されるまで普及がむずかしかった。したがっていまある木はほとんど若木だ。
 市が力を入れ、ダム周辺にずいぶん植えられているから、あと10年もすると、桜の名所として知られるようになるだろう。

 湖畔のいつもの木に、今年も鵜がもどってきた。




 ダム湖の遊歩道を歩いていたら、ヘビに出くわした。珍しく交尾中だったから、気持ちがいいものではないがご紹介しておく。
 わたしも見たのは子供のとき以来である。
 ヘビはそれほど動きが速くないと思われているかもしれないが、交尾するときのヘビはものすごく敏捷だ。
 組んずほぐれつ、ぎりぎりとからまったまま、あっという間に姿を消した。


2016.4.16
 都心へ出る用があったので、できたばかりの新宿バスターミナルからバスに乗って帰ってきた。

 新装なったバスタの外観。JRの改札口とあたらしくできた左側の高層ビルとが一体になっており、こちらは7Fまでが商業施設、上はオフィスビルとなっている。
 キャパがだいぶ大きくなったから、これで人の流れがいくらか変わってくるかもしれない。


 バス乗り場は4F。(3Fはタクシー乗り場)。
 昼間は空港連絡のリムジンや近距離便が中心のようで、けっこうがらんとしていた。
 各地への夜行バスが出る夜の出発時間帯はさぞかし壮観だろうと思う。
 真ん中にぼっかり口を開けているのがバスの出口、前の甲州街道へ出て行く。


 待合室。一見空港風だが、思ったほど広くなかった。いまのところ売店やファーストフード等もなく、殺風景である。


 屋上からJR代々木方面を望み見たところ。これまでなかった新しい景観だ。


 何層にもなっている屋上はすべてガーデンになっている。しかしこんなところに芝を張ったのは、理解しかねる。たった数日でこんなになっているのだ。


 6Fの屋上にあったおしゃれなテラス。レモンみたいな木が何本もあるが、すべて本物です。
 付属しているビルはNEWoManとかいう名がついており、なんと読むのだろうと思ったらニュウマンだって。
「あたらしい時代を生きるすべてのあたらしい女性のために」というのがコンセプトらしく、店の名もふくめ、日本語の表示はほとんどなかった。
 カフェやレストランも超モダン。年寄りがくつろげる雰囲気ではない。
 しかしこういうところでお茶を飲んだりおしゃべりをしたりしている女性を見ると、見事にさまになっているから感心した。
 関西だったら1年でこけてしまうと思うが、東京はたしかにレベルがちがうのである。


2016.4.9
 千鳥ヶ淵へ桜を見に行ってきた。
 あまりにも有名なところなのでいまさらの感はあるが、いろいろな思い出があるから、現在の風景を見てみたかったのだ。


 かつてはここの道を頻繁に行き来していた。ざっと45年まえのことである。
 その後1回だけ通り抜けたことがあるが、それからでさえ20年以上になる。
 当時より木がさらに大きくなっていたのが、より感慨深かった。もはや古木といっていい貫禄で、風格さえ漂わせ、桜をいっそう見応えのあるものにしていた。
 ただソメイヨシノの木はそれほど寿命が長くないから、つぎの世代への切り替えが大事だろう。その手当てはできているのだろうか。ちょっと気になった。


 千鳥ヶ淵の真ん中辺にあるマンション。かつてフェヤーモントホテルだったところだ。
 静かで、落ち着いた、じつに居心地のよいホテルだった。
 ライター時代、しょっちゅうここで仕事をしていた。
 週刊誌が全盛だったころの話で、編集部が手狭だったから、ここでてんでに部屋を取って執筆していた。
 2、3日居つづけることはざらだったし、もう1週間いるという豪の者もいた。そういうことが許された時代だった。
 だから廃業すると聞いたときは、ひとつの時代の終焉という気がしたものだ。跡地がマンションになるというからなおさらだった。
 そういえば最後にここを通ったのは、ホテルの跡がどうなったかを見たくて、足を向けたのだった。
 味も素っ気もないマンションになっていたのを見て、以来来てなかったのだ。


 ついでに靖国神社へも足を延ばしてきた。これは歩道橋の上から靖国通りを見下ろしたところ。


 地元多摩動物園通りの桜。
 ここの道路にも、かつては千鳥ヶ淵に負けない桜並木があって、1キロもつづく見事な桜のトンネルができたものだった。
 多摩モノレールが建設されることになり、桜は1本残らず撤去された。
 地元で反対の声が上がったせいか、どこかに移植して、工事が終わったらまた元にもどしますということだった。
 もどってはこなかったし、その説明もなかったと記憶している。
 その後あたらしい木が植えられ、桜並木は復活したが、かつての面影とは比べものにならない。
 この道路状況では、いまの木だって、そう大きくは枝を伸ばせてもらえないはずだ。


 もうひとつの地元、木更津は矢那川の桜。
 だいぶ散ってしまったが、ここだって捨てたものではありません。


2016.4.2
 週はじめに2日間多摩へ出かけていた。
 東京では桜がだいぶ咲いていたので、多摩もそろそろだろうと楽しみにして行ったところ、全然だった。考えてみれば当然、木更津のほうがまだ暖かいのだった。
 それより夜になると、くしゃみと鼻水が出はじめたからあわてた。1週間前に大反省したことを忘れ、花粉の最盛期だったことをころっと忘れていたのである。
 東京行きのバスに乗るときは、いつも木更津駅まで原チャリで行く。スピードは30キロがせいぜいだし。信号や交差点も多いから、駅までたっぷり30分かかる。
 春風に吹かれ、鼻歌気分だった。その間いやというほど花粉を吸い、浴びていたことになる。
 おかげでその夜から大恐慌。
 翌日は外に出るのが怖く、用足しにも行かず、一日家に閉じこもって、食いものも冷凍もので間に合わせた。
 つぎの日は帰らなければならない。市役所へ行く用もあったから、外へ出ないわけにいかなかった。
 それで家のなかからマスクを探し出し、ジャンパーを表地がつるつるしたものに替え、帽子を深くかぶって、脇目も振らず用を足し、脇目も振らず帰ってきた。
 家に入るときは外で衣類を念入りにはたき、入ったらすぐに目と顔を洗った。
 そのせいか、多少くしゃみも出たし、目もかゆかったが、それ以上はひどくならずにすんでくれた。
 以後出かけるたび、細心の注意を払い、帰ってきたらこれでもかとばかり衣服をはたきまくっている。
 なんとかこの程度ですませるぞ。

 それから3日。気がついたらもう桜が満開になっていた。
 わが家の周りにも自生の桜の木がずいぶんあり、これも数日前からぱっと咲いた。
 里山の桜だからソメイヨシノはない。それだけ地味だが、いろいろな桜があって、素朴だが、おだやかで、ほっとするようなやさしい景色をつくりだしている。
 ひとつ残念なのは、林のなかでほかの木に混じって育ってきたため、大きくなりすぎて、花を間近で眺められないことだ。
 桜の分際でほかの木に負けまいと、背丈ばっかり延ばしてきたから、花のほうはお留守になっているのだ。


写真1
 わが家の納屋の横にある自生の桜。ごらんのように電柱より背が高い。


写真2
 2階のベランダから見える春景色。


写真3
 里山のさくらもただいま花盛り。


写真4
 日本の農村の原風景。水を張り、苗代づくりをはじめた田。



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