Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2015年3月までの「きのうの話」目次へ




 

2015.3.28
 とんでもないミスをして、茫然自失の1週間を過ごした。約160枚もの原稿を失ってしまったのである。
 エディタの画面から、じかにクリアして、そっくり消してしまったのだ。
 削除であれば、ゴミ箱に残るからまだ修復できる。削除でも終了でもなく、じかにクリアして、白紙にしたのだからアホにもほどがある。
 落ちついてみれば考えられないことだが、ミスするときはこんなもので、そのときはなにも考えてなかった。
 デスクトップにファイルが残っているから、エディタ上の画面は、ただの作業台くらいに思い込んでいた。だからバックアップも取っていなかった。
 パソコンもエディタも先月一新したばかり。まだ使い慣れているとは言えず、使いよい画面にするため、試行錯誤している最中だった。
 今回も設定がうまくいかず、何度起動しても画面が変になる。だからここは一旦クリアして、あらたなファイルでもう一回やり直したほうがいいと、勝手に独り決めしてクリアしてしまった。
 デスクトップにあったファイルをあらたに読み込んでみたところ、なんにもない白紙になっていたから、はじめて愕然としたのである。
 400枚ほどの下書きを再検討し、構成を立て直し、章を入れ替えたり、追加したりして、本原稿を書きはじめたのが2月の末。以後書きすすめて、370枚まできたところだった。
 3月11日に一度バックアップを取っており、それには書き直した本原稿が200枚強入っている。だからそこまでは無事だった。
 以後書き加えたものが160枚。これが消えたわけで、2週間かけた努力が無になってしまった。
 夜中の3時半すぎのことで、疲れて注意力が散漫になっていたことは否めない。まえにも一度同じようなポカをしているが、そのときも疲労困憊の極にあった。
 ショックでその夜は一睡もできなかった。翌日も仕事は手につかない。
 いろんな人や機関に相談したり、助けを求めたりしたのは、それからだ。
 その結果、そういう消し方をしたものは、復元できないということを、あらためて教えられただけだった。
 今日はプロの専門家に来てもらい、実際に操作してもらったが、やはり同じ、不可能を宣告された。
 下書きは残っているのだから、気を取り直して書き直すしかない。昨日からすこしずつ手をつけはじめたものの、今回ばかりは立ち直るのにだいぶ時間がかかりそうだ。


2015.3.21
 今週も用があって多摩へ帰っていた。
 平日の夜の8時頃といえば、通勤帰りのラッシュ時間のはずだが、新宿発の電車に楽々乗れるようになったから、複雑な気持ちだった。
 電車といえば木更津を走るJRの内房線も、15日の時刻改正から走行本数が減ってしまった。
 都内へ出る人はほとんどバスを使うから、いまやJRに乗るのは近距離通学の学生くらい。首都圏でありながら、地方の過疎地と変わらなくなってきた。
 アクアラインのバスも、夕方に引っかからなければ、首都高をほぼ時間通りに走っている。交通量が確実に減っているのである。
 今回も、いつものように新宿から木更津行きのバスに乗って帰ってきたのだが、昨日はなぜか、バスがこれまでとちがう道を通って、甲州街道へ出て行く。
 どうしたのだろうと思っていると、間もなく地下に入った。
 今週開通したばかりの、中央環状線に入ったのだった。
 トンネルのなかを走るだけだから、どこを通っているのか見当もつかないのだが、5分後に、五反田出口の表示が現れたからびっくりした。
 大井の新幹線基地の横へ出たのが、わずか10分後。
 そこからは、これまでの首都高を通って、1時間20分かかるはずところを、1時間5分で到着した。速いことは速いわ。


写真@
 団地のそばにあったゴルフ練習場が掘り返されていた。改装かと思ったら、老人ホームの建設工事だという。事業主が、徳島県鳴門市の法人だったからびっくり。ご時世なんだなあ。


写真A
 かつて団地のシンボルだった14階建ての高層棟が、被覆で囲われ、ただいま取り壊しの真っ最中。跡地は更地にするが、その後の予定はないのだとか。これもご時世です。


写真B
 お年寄りがひとりでテニスの練習をしていた。向こうに見える箱がボールの射出機。こんなものがあるんですねえ。つくづくご時世だと思いました。


2015.3.14
 躰のメリハリが効かなくなったというか、仕事をしながら寝てしまうことが、最近目立って増えてきた。
 膝の上にパソコンを抱え、仕事をしている最中に、ことんと眠りに落ちてしまうのだ。
 長い時間ではないと思う。せいぜい5分か10分くらい。
 ところがこの間も手が動いているのか、われに返ったときは、画面がとんでもないことになっている。
 200ページくらいのところを書いていたはずが、1500ページにもなっているのだ。
 なぜそうなったかわからない。カーソルを勝手に動かして、ページを飛ばしているのだろう。
 なにも書かれていない1000ページもの空白を、元のかたちにもどすのはけっこう手間がかかる。
 またカーソルを動かして、1ページずつ取り消して行くほかないからだ。
 今日の午後も眠りに落ち、それをやってしまった。気がついたときは1500ページにもなっていた。
 仕方がないからまた消しはじめたが、早く終わらせようと焦って、まちがった終了をしてしまった。今日4時間もかけて書いてきた文を、そっくり削除してしまったのである。
 寝惚けていたとしか思えない。がっかりして、今日はもう仕事をつづける気がしなくなった。
 気分転換に外を歩いてきた。周辺の山をまだ歩いてなかったから、ちょっとうろついてみたのだ。
 すべて里山である。それがいまでは荒れ果てて、車の通れる道以外、人を寄せつけなくなっている。
 椎や樫が多かったから森は暗かったが、下生えがないから、どこでも歩くことのできた京都の山のほうがはるかに楽しかった。


写真@ わが家の前を100メートルも行くと、最後の家がなくなって、こういう道になる。この道、往年の街道だそうだが、この雰囲気を見ると、まんざら嘘とも思えない。近く調べてみようと思っている。


写真A イノシシを見かけたはずだ。こんな罠まで設置してあった。「害獣駆除のため罠を仕掛けてあることがあります」と注意をうながす市の標識も立っていた。


写真B だれも見てくれない道端で桜が満開になっていた。


2015.3.7
 多摩に用があったのと、出版社のパーティがあったのとで、昨夜都内へ出てきた。
 パーティがあるたび、どういう服装で出かけて行ったらよいか、いつも困る。
 自由業のせめてもの見栄、ジャケットはあまり着たくないのである。
 かといって、年からいっても、ラフすぎる格好はしにくくなった。
 今回も迷った末、ブルゾンで行くことにした。
 ところが着るのを忘れて出てきたのだ。
 このところ日ましに暖かくなり、気分としては春だったから、マフラーさえしたらそれで十分な気になり、上はコートだけ着て、そのまま出てきた。
 都内に着いたのは夕方。
 ラッシュがはじまっており、見ると、通勤者の服装は真っ黒だ。
 風も冷たく、まだ冬であることを、あらためて思い知らされた。
 おかげでパーティへは、シャツにベストという春っぽい格好で出席してしまい、独りだけ浮いているみたいで、ばつのわるい思いをした。

 富津岬へ行ってきた。東京湾に突き出した砂嘴で、こういう茫洋としたところもなかなかいい。
 もやっていたから三浦半島は見えなかった。春になったらまた行ってみよう。


写真@
 岬の先端にある展望台から陸のほうを振り返ったもの。先っぽの2キロぐらいは人家がない。


写真A
 これが展望台。
 このあと駐車場で、海藻を採っていたじいさんから「ワカメみたいでおいしいよ」と言ってビニール袋にいっぱい、ワカメみたいなものをもらった。
 茹でたらさっと青くなり、味噌汁に入れたら磯の香がして、なかなかおいしかった。名はわからない。かみさんによると、地元のスーパーに同じものが出ていたそうだ。


写真B
 干潮時にできていた干潟。半島のようなものが100メートル以上できていたから、のんびり歩いていたら潮が満ちてきはじめ、けっこう早いのにびっくりした。モンサンミッシェルに興味はないが、あそこの潮の満ち引きだけは見てみたいなあ。


2015.2.28
 このところ、暖かい日と寒い日が交互につづいている。
 今日は暖かい日。それでかみさんを連れ、ダムへ歩きに行ってきた。
 1月は1度も出かけなかった。気温の低い日がつづいたからで、かみさんの腰痛が出たこともあって、それどころではなかった。
 気温と腰痛には密接な関連があるらしく、2月に入って最高気温が10度を超える日が出はじめると、目に見えてよくなった。
 わたしのほうは、糖尿病の数値が今月はあまりよくなかった。
 医師からはもっと運動するようにと言われ、自分でももっと歩きたいのだが、気温の低い日や、風の強い日は、やはり気がすすまない。
 家でのステップ運動も、土間だとものすごく冷たいのである。
 だからといって、2階でこっそりやっていると、たちまち下から苦情が出た。
 音を立てないよう、できるだけ静かにやっているつもりだが、そこは木造家屋の悲しさ、6キロもの重りをつけていると、やはりドタバタするみたいで、下のものはたまらんという。
 それでせめて天気のよいときぐらいということで、暖かい日はできるだけ歩きに行っているのだ。
 今年は特筆すべきことがひとつある。
 いまのところ、目立った花粉症の症状が出ていないのだ。
 ときどき目のかゆいときはあるが、くしゃみ、鼻水とも、まず出ない。
 その兆候は昨年から出はじめていて、目薬、鼻孔に塗る薬、マスクと、3種の神器をおさおさ用意していたにもかかわらず、ほとんど使わなかった。
 昨年は花粉の飛散量が少なかったというから、それで軽くすんだのだろうと思っていた。
 しかしこの分だと、20年以上悩まされてきた花粉症から、突然解放されたということも考えられる。
 ほんとうにそうだったらうれしいなあと、期待をこめて、毎日の花粉情報を見ているところだ。


写真@
 ダムの周回コースにある地蔵さん。


写真A
 初詣に行った高倉観音へお参りに行く人や、巡礼のために立てられた道標。220年まえのもの。もとは河畔にあったが、ダムがつくられたとき、この場所に移された。


写真B
 「東北方ちばてら道」と書いてある。小さいほうの碑の側面にも「きさらづみち」と彫ってあった。


2015.2.21
 新しいパソコンを買った。
 古いのがだめになったわけではないが、使いづらくなって、いらいらすることが多くなってきたのだ。それで年が明け、新しい機種が出てきたら買い換えようと考えていた。
 使いにくくなったいちばんの原因は、キーボードの文字がすり切れ、UとNがほとんど読めなくなってきたこと。
 前の機種もそうだったが、なぜか、UとNの文字が薄れてしまうのである。
 さらにSキーがばかになってきて、気をつけないと、サシスセソがアイウエオになってしまう。これは困る。
 それでそろそろ、買い換えどきかなと思っていたのである。
 これまではいつも、新しいのが出て、旧型が安くなったのを狙って買っていた。
 最新型など一度も買ったことがない。しょせんその程度の人生だったのだ。
 ひょっとすると、これが最後のパソコンになるかもしれないぞ、と思うと急に悔しくなってきた。
 この際自分のためにも、見栄を張ってやるべきだ。と思ったから、目をつぶって最新型の機種を買うことにした。
 サイズは11・6型から13・3型へ。
 CPUはi7のいちばんあたらしいやつ、メモリも張り込んで12GB、HDDは起動が圧倒的に速いというSSDと、大盤振る舞いしたのである。
 効果覿面。ネットへの接続がものすごく早くなった。
 どんな画面だろうがぱっとつながるし、写真もさっと出て、切り替えも早い。遅いというストレスから解放されたのだ。
 ただし問題は仕事だ。使い慣れたWindows7にしておけばよかったのに、8・1にしたのが大失敗。
 システムがまるでちがうらしく、7で使えたソフトが使えなかったり、やり方がちがったり、大誤算の連続になったのだ。
 プロに2回も来てもらって設定を頼んだから、ずいぶん高いものについた。
 文章を書くためのエディターも一新したが、使いやすい様式にカスタマイズするまで10日以上かかった。この間ほとんど仕事はできなかった。
 やっと使えるようになったが、まだ完璧とはいえない。キーボードの配置を変えられないからである。
 文章を打つだけだから、いらない機能はできるだけそぎ落としてしまいたい。
 もっとも頻繁に使うCtrlキーは、CapsLockキーと入れ替えたい。
 Tabキーも不要だから、これはescと入れ替える。
 Windowsキーや、Altキーはむしろ邪魔。うっかり触れても画面に影響しないよう無効にしたい。
 そういうキーチェンジをしてくれるフリーソフトを、これまで使っていた。7までは問題なく使えたのに、8・1では使えなくなったのだ。
 プロに替わるものを見つけてもらおうとしたが、うまくいかなかった。需要がないので、ソフトも少ないみたいなのである。
 8・1でも使えるこのようなソフトを、どなたか、ごぞんじだったら教えてください。


写真@
 これがマイ画面。絵はがきを貼りつけたように思われるかもしれませんが、自分で撮ってきた写真です。


写真A
 ようやくスタイルができた執筆画面。縦書きで、20字、23行表示にしてあります。


写真B
 UとNのキーがすり切れて、NはIになってしまった。


2015.2.14
 今週も3日ほど多摩へ帰っていた。来客があるので、ごみを片づけに行ったのだ。
 ごみの99パーセントまでは紙くずである。送られてくるダイレクトメールや雑誌、ポストに投げ込まれるちらし、ビラの類だ。
 雑誌のほとんどは文芸誌である。
 わるいけど、資源の無駄としか思えない何百ページもある分厚い紙くずだ。だから2、3ヶ月も溜まると大量のごみになる。
 紙は資源だから回収してくれるのだが、月に2回しかその日がない。運よくそのときいないと、いつまでたっても出せないのである。
 市の資源センターへ持ち込むと、いつでも引き取ってくれるのだが、あいにく車がない。
 それで仕方なく、今回は木更津から軽に乗ってこようとした。車の運転もだいぶ慣れてきたし、夜中に発てば、道路も空いているから、大丈夫だと思った。
 ところがせがれが、とんでもないと言って許してくれない。挙げ句はおれが運転して行くよ、ということになったのだが、今週は都合がつかなかった。
 それでわたしがひとりで来て、とりあえずごみを片づけ、いつでもセンターへ持ちこめる態勢をつくっておくことにした。
  封筒から出しもせず積み上げてあった雑誌をすべて出し、何冊かまとめて束ねる。ちらしやビラ類は、紙袋に詰めて縛る。
 これだけのことをするのにまる2日かかった。軽作業だが、けっこう疲れるのだ。
 なお1月いっぱいで、50年近く使ってきた固定電話を廃止した。
 仕事上の電話はすべて携帯になってしまったし、ネットへの接続もWi・Fiに切り替えたから、ますます固定電話は用がなくなっていたのだ。
 26歳のとき東京へ出てきて、29歳になってようやく電話が引けたのだが、あのころは電話を引くこと自体が大仕事だったなんて、いまの人に言ったってわからないだろうなあ。


写真1
 久しぶりにすっきりした本棚。右の和室に積み上げてあるのが、束ねたごみ。


写真2
 裏庭に残っているこのまえの雪。五、六センチも積もると、まず1ヶ月は消えない。


写真3
 冬枯れの多摩川。多摩市と日野市の境目辺り。河口から36キロ上流であることを示す標識が見えている。


2015.2.7
 イノシシが出てきた。家から目と鼻の先の、いつも通る道路で、前を横切ったのだ。
 スーパーへ買物に行った帰りのことだった。夕方だったが、まだ暗くはなっていなかった。
 左の山から犬のようなものが出て来て、右手の田圃のなかへ入って行った。
「あら、イノシシよ」
 かみさんのことばにびっくり。あわてて車を止め、カメラを取り出そうとしたが、上着のポケットに入ってて、シートベルトをしているから、すぐには取り出せないのだ。
 もがいている間に、イノシシはとこ、とこ、とこと田圃を横切り、右手の山のなかへ姿を消した。
 あわてて逃げている感じではなかった。こちらがうろたえて、おたおたして、とっさの反応ができなかったのである。
 口惜しいのなんの。真っ黒い色をした、成長したイノシシだった。
 出てきた場所は、まえに山火事が起こりかけた辺り。わが家から最短で200メートルくらいしか離れていない。
 それほど山深いところでも、大きな山に連なっているところでもないのだ。
 人家が点々とある里山で、丘陵程度の小山が、島みたいに、離れ離れに存在しているところなのである。
 これでキジ、ウサギ、ハクビシン、タヌキといった野生動物を見かけたことになる。せがれはシカを見たこともあるそうだ。
 それで外出するときは、必ずカメラを持って行くのだが、まさかイノシシに出くわすとは思わなかった。このつぎはなんとか写真に収めます。


2015.1.31
 今週は多摩に来ている。そしたらなんと、雪になった。
 降る降ると、さかんに言われていたし、今日は出かける用があったから、気になって、朝の9時ごろ、外をのぞいてびっくり。
 庭木はもちろん、電線までびっしり綿帽子をかぶっている。その段階でもう5センチくらい積もっていた。
 電車は大丈夫かな、とすぐ2階に上がってみた。2階からはモノレールと、京王線の電車が見えるのである。
 電車も、モノレールも、おっかなびっくり、そろそろと走っていた。
 そのモノレールに乗って立川へ行ったのだが、乗った途端「いつ止まるかわかりませんので、その点ご了承願います」というアナウンス。思わず、おいおいと言いたくなった。
 何年かまえの大雪のとき、わが家から見えるところでストップして、新聞種になったことがあるのだ。さいわい始発の試運転列車だったから客はいなかったようだが、空中で勝手に止まられたら、客はなすすべがないのである。
 傘を差して駅へ向かっていたところ、傘を揺るがしてどすんと、雪の固まりが2回も落ちてきた。電線に積もっていた雪が落ちてきたものだ。
 同じ多摩でも、立川はそれほどでもなかった。せいぜい3センチ。うちの周りとは5センチぐらいちがう。わが家近辺は、都内でも多雪地帯なのである。
 ただ昼からは小雨になり、帰るときはかなり溶けていた。わが家の辺りはそれでも、直前までみぞれだったらしい。雪かきをしている人が何人もいた。
 ちなみに千葉はまったく降らなかったそうだ。

写真1
 わが家の前を走っているモノレール。このころがいちばん強かったかもしれない。ふだんモノレールは、かすかなモーター音を響かせて通って行くのだが、今日はがりがりと、凍りついた雪を踏みしだいて走っていた。

写真2
 雪に閉じこめられ、静まり返っている多摩動物公園。これでも営業中。いったい今日は、どれくらい客が来たことだろう。出かける用がなかったら、なかへ入ってみたかった。


2015.1.24
 今週は書くことがない。
 何回か買物に出かけたくらい。
 そのとき掛け具合を直してもらうため、眼鏡屋に寄ったくらい。
 今回つくりかえた眼鏡は、なかなかよい。これまでになくはっきり見えるのだ。
 斜視が判明したからで、通り一遍の、眼鏡屋での検眼ではわからなかった。
 処方箋料を払い、眼科医で、きっちり調べてもらったのがよかったのだと思う。

 
 コーヒーの木が枯れた。 
 コーヒー店でもらった1粒の種からここまで育ってくれたのだが、千葉の寒さには耐えられなかった。
 温室のようなマンション暮らしから、屋内とはいえ土間暮らしでは、温度がだいぶちがう。気の毒なことをした。


 台風で折れた栗林の木を、チェーンソーを借りてきて、片づけた。大きなものは、椎茸のほだ木にするつもり。


 栗林の端っこから見える夕焼け富士。冬だからなんとか見えるが、葉の茂る夏はまったく見えなくなる。


2015.1.17
 睡眠不足からやっと解放された。睡眠薬の力を借り、強制的に直したのだ。
 3日つづけて飲み、宵のうちから寝た。それでも夜中には目が覚めてしまうのだが、おかげで睡眠のリズムが、だいぶ前のほうへもどされた。
 この数日は夕めしを食ったら眠くなり、早めに寝て、夜中に起きている。薬なしでそれができ、体調ももとにもどった。
 今週はあたらしい眼鏡をつくった。
 だいたい2、3年でつくり直しているわけだが、商売道具だからやむを得ない。そのかわり高額なものは買わなくなった。
 要はパソコンの文字が見えやすく、ストレスにならなければよいということ。
 おかげで現在、使える眼鏡が5つある。うち頻繁に使うのは2つ。パソコン用と、中距離用だ。
 いまは必ず、紐をつけて使っている。外しても首に引っかかっているわけだから、なくすことがないし、置き忘れることもない。
 眼鏡をどこに置いたか忘れ、それを探すことくらいストレスになるものはないのである。
 見栄えはけっしてよくない。友人が紐をつけて使っているのを見たときは、なんともじじむさい恰好だと思ったものだ。
 ところが自分が、眼鏡をかけていながら、眼鏡がないと言って大騒ぎしはじめたから、そんなことはいってられなくなった。
 それで紐をつけはじめたのだが、やってみると、まことに便利。
 とくに仕事をするときは、しょっちゅう掛けたり外したりするから、外しても置き忘れすることがないというのは、なんともありがたい。
 パソコンは距離を一定にして使うから、眼鏡のあったほうが楽。本や資料は、活字の大きさがさまざまだから、裸眼で、本を読みやすいところまで近づけたほうが楽。
 外した眼鏡の置場を気にせず、それができるようになったというのは、目から鱗の、画期的な大発見だった。いったいいままで、なにをしていたのだろう。

 昨日の冷たくて強い雨から、今日は一転、春のような陽気になった。
 朝の散歩をしていたら、田圃から、ものすごい勢いで霧が立ち昇っていた。

 あわててカメラを引っ張りだし、なんとか撮ったのがこれ。そのときはもう、半分以下に減っていた。
 こあと数秒で、消えてしまったのである。


2015.1.10
 今日は午後から微熱と悪寒が出たので、横になっていた。体調が悪いということではなく、疲れと睡眠不足が原因だろうと思っている。
 このところずっと、根を詰めて仕事をしていた。それで起きている時間がだんだんずれ、なかなか眠れないようになっていた。
 昨夜、睡眠障害を起こしている児童が増え、不登校児が増えているという特集をテレビがやっていた。
 部活や塾、習い事が増えることで子どもの睡眠時間が削られ、睡眠のピークがそれだけ後へずれてしまい、起きるべき時間に起きられなくなる、というのが大元の原因だった。
 わたしの場合も似たようなもので、朝5時6時まで起きているから、さて寝ようとしても、脳はまだ起きているから、なかなか眠くならないのである。
 それで家族が起きてくるのを待って、一緒に朝めしを食い、ようやく安心して寝るということが、このところつづいていた。それが年が明けたころからもっとずれてきて、昼すぎになってやっと寝られる、という風になっていた。
 今回の場合も、昨夜宵のうちに2時間ほど寝て、夜半から仕事。朝5時にやめたのだが、眠れないから、あきらめて6時に起き、それからまた仕事にもどっていた。
 すると昼すぎあたりから、悪寒と微熱が出しはじめたのである。
 横にはなったが、すこしも眠くならない。気分もよくならない。夕食を待ちかねて軽く食い、そのあと睡眠薬を一錠飲んで寝た。
 久しぶりの睡眠薬だ。さすがによく効いて、夜中の1時までぐっすり眠れた。しかしそれで目が覚めると、あとはいつも通り。寒気と微熱は去ったから、こうして仕事にもどっている。
 要するに肉体の融通性が、だんだん効かなくなっているということではないかと思う。病気ではありませんので、どうかご心配なく。


2015.1.3
 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。
 平穏で、気持ちのよい新年を迎えることができました。
 わが家では、朝日は向かいの家の奥の林から上がってくるのだが、あいにく今年は、荒れ模様の天候ということで、初日の出は見ることができなかった。
 昼ごろになると雪が舞い、周りの林や木立がうっすらと雪化粧、これはいい雪景色になるかなと期待したのだが、それ以上は強くならず、雪もすぐさま消えた。
 せっかくだから、初詣に行こうということになったのだが、わが家の周辺には、これというお宮がない。
 それで思い出したのは、ダムの近くにある高倉観音というお寺だ。
 寺の名は高蔵寺というのだが、板東33箇所のひとつとして、かつてはかなり巡礼がやって来た寺なのである。
 一度、門の前まで行ったことはあるが、なかへは入らなかった。こんもりとした森のなかにあって、雰囲気はとてもいいのだ。
 ところが、なんたら、かんたら、いろんなものが飾ってあって、装飾過剰もいいところ、古刹の面影にはほど遠いありさまになっている。自分の好みにはとても合いそうもないから、敬遠したのだった。
 正月ぐらいは、お参り客も来ているだろうということで、今回あえて行ってみることにした。
 さすが正月、お参り客が引きも切らず、境内には露店まで出ていたからびっくりした。
 むろん、近在から来たと思われる人ばかり、森のなかに設けられた臨時駐車場の車は、ほとんど袖ヶ浦ナンバーだった。
 建物は、屋根と基礎に近年の修理が施されているものの、本堂は16世紀の建造。高床式という珍しい構造だ。
 甘酒の無料ご接待もやっていて、雰囲気は悪くなく、すこし見直した。
 落ち着いたときもう一度、じっくり見に来ようと思いながら帰ってきた。


写真@ 門の下から見上げたところ。

写真A ごらんの通り、そこそこお客さんが来ている。表側は床がコンクリ。高床式は、裏に回らないとわからない。

写真B 内陣の周囲を廊下が一周。質朴な、趣のある建築なのである。



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