Shimizu Tatsuo Memorandum

トップページへ                 著作・新刊案内
きのうの話      

Archive 2002年から2014年9月までの「きのうの話」目次へ




 

2014.9.27
 今週も栗拾いに追われている。毎日が栗を中心に動いているようなもので、ほかのことはなにもできない。

 昨夜は台風余波の風雨が吹き荒れ、朝になってもまだ残っていた。
 おかげでだいぶ栗の実が落ちたと思うが、この天気ではどうしようもない。半分はほっとしながら、時化模様の空を見上げたことだ。
 ところが10時ごろになると雨が止んだ。風は残ったが、地面が見る間に乾いてきた。昼近くには青空までのぞきはじめた。

 栗林に行ってみると、案の定、足の踏み場もないくらい落ちた毬が散乱している。
 30本を越える木があるのだ。最盛期は過ぎた古木ばかりだが、ろくに手入れしてやらないのに、秋になると律儀に実をつける。
 それもとびきり大きな実なのである。だから拾わないわけにいかない。
 人間さまのほうはもうお疲れ気味で、ほったらかしにしてしまおうかと思わないでもないのだが、黒光りしているきれいな実を見ると、せっかくの太陽の恵みを捨てるわけにいかないと、根が貧乏根性だけについ精を出してしまうのだ。
 それで麦わら帽子、長袖シャツ、長靴、軍手、蚊取り線香という完全装備で、昨日もせっせと働いた。
 強風と雨のおかげで7割方の実が落ちたと思うくらい、採れに採れた。親子三人がかりで働き、夕方やっと収穫を終えた。

 採れたはいいが、厄介なのはそれから。これほど大量となると、消化する手段がないのである。
 一応市内にある産直売店2箇所に持ち込んでいるのだが、いまはどこの農家も大量の栗を持ち込んでいるから、店じゅう栗だらけ。
 少々売れたとしても、1戸あたりにしたらわずかなもの、手間賃にもならない。
 親戚、知人にもらってもらえたらいちばんありがたいのだが、量がかさばるから送料がばかにならない。買ったほうがましという送り賃になってしまうのだ。
 というわけで、毎日栗拾いに追われ、拾ったら拾ったでそれをどう処分するかで頭を悩まさなければならず、小説なんか書いているどころではないのである。

 物をつくるということは、つくったものをどう処理するかが伴っていないと、健全とは言えない。販路を持っていない素人百姓がこんなに大変なものだとは思わなかった。


写真@ 時化の一夜が明けたあとの栗林。見ただけでうんざりする光景だ。


写真A 1日でこれだけ採れた。どう見ても50キロからある。毎日3度3度食っているが全然減りません。


2014.9.20
 実りの秋である。

 今年のわが家はメロンが大豊作。毎食後メロンを食っている。
 じつは、ひとりでに実ったメロンなのだ。
 昨年せがれが栽培したのだが、うまくいかなくて、売り物にならなかった。
 京都へも送ってきた。
 見かけは立派なマスクメロンだったが、味はイマイチに及ばないイマニメロン。どうやったらこんなメロンになるんだ、というような代物だった。

 そのとき畑で腐った実の種が、今年の春、発芽してきたという。
 見ると去年、種から大事に育てた苗よりはるかに勢いがよく、たくましい。それでものは試しと、植え替えてみたという。
 わたしが気づいたときは立派に生育し、大きな実がたくさん成っていた。
 商売用のメロンはこの段階で摘果し、1本の弦にひとつの実くらいにして、その実へ栄養を集中させる。
 わが家でもそうしようと言ったのだが、そんな実になるわけがないとせがれが言うから、それもそうだと思い、結局なにもしなかった。

 いまどきの種は一代限りで、その種からよい子孫は育たないはずなのだ。つぎつぎによい実が成ったのでは、種屋は商売にならないからだ。
 それでわが家の温室では、大きく実ったメロンが、ほったらかしにされ、ごろんごろんと地べたに転がっていた。
 この前、試しにそのひとつを食ってみたところ、立派なメロンだったのである。
 果肉がうすく、甘味がやや弱いから商品にはならないかもしれないが、自家用なら十分。以後わが家では漬物代わり、毎日せっせと食っているというわけだ。

 できたら知り合いにも送ってやりたいのだが、人にはちょっと差し上げられない。
 当たり外れが大きいからだ。
 市販のメロンに負けない味もあれば、瓜に毛の生えたような大味なものもあって、個体差が大きいのだ。
 しかもそれは、食ってみるまでわからない。ネットの張り具合、形、大きさ、関係なし。外見からは、いかようにも判別できないのである。
 先週多摩へ行ったおり、向こうで食おうと、とびきりよさそうなのをひとつ持って行ったが、これがまるっきりだめ瓜だった。

 というわけで、このメロンは、わが家でひたすら食うしかないのである。
 来年また、この種から新たな芽が出てきて、自家用なら差し支えない実が成ってくれるのだろうか。少々気になるところだ。


 写真@ 蚊除けの長袖を着て、腰に蚊取り線香をぶら下げ、栗を拾っているのはわたしであります。


写真A これが本日の栗とメロンの収穫。栗は矢那栗、千葉ではブランドものだから、これは商品になってます。



2014.9.13
 多摩に帰ってきた。まる2ヶ月ぶりの帰宅だった。

 今回は間隔が開きすぎ、家のキーを持ち歩く習慣までなくしていた。
 バスでアクアラインを新宿に向かっているとき、キーを忘れて来たことに気がついた。
 取りに帰ろうかとも思ったが、そのために1550円のバス代を往復払うのはばからしい。
 それで新宿から2番目のせがれのところへ電話し、最寄り駅までキーを持って来てもらって、それを借りて家に入った。

 夜遅く着いたからわからなかったが、翌朝庭を見てびっくり。いまだ見たことがないほど、草ぼうぼうだったのだ。
 丈の高い草になると、わたしの膝以上もある。よく見るとほとんどが、カヤツリグサやエノコログサだった。
 線香花火のような形や、猫じゃらしと呼ぶ穂に特徴のある、いちばんありふれた雑草だ。
 これまで見たことがなかった。とはいえ、生えなかったということではなさそうだ。
 月に1回は草引きをしていたから、穂が出るところまで成長できなかった、だから目立たなかった、ということだろう。
 それが2ヶ月放ったらかしだったのだから、のび放題にもなるわけだ。
 反面、地面にぺったり張りついて生えてくる雑草は、日当たりがわるくなって成長できなかったか、今回はそれほどでもなかった。

 このところ雨つづきで地面が湿っていたため、丈の高い草を引っこ抜くのは楽だった。これからも大きくして引き抜いたほうが、労力は少なくてすむかもしれない。

 厄介なのは裏庭。笹とフェンスを乗り越えてきた蔦が大繁茂していた。
 笹は引き抜けないから、剪定鋏で根元から刈り取るか、ピッケル型の片手鍬で根切りして取り除く。
 片手鍬を振るう体力がなくなってきたから、このごろは鋏でちょん切るだけ。それでも一通り終るのに2日かかった。

 こんな家、もう使わないんだったら処分したほうが、と周囲からは言われるのだが、わたしはうんと言ってない。
 別宅があるというのは、わたしにとって得がたい救いであり、息抜きだから、草引きくらいで文句は言わないのである。
 毎回用があるから仕方なく、という顔をして家を出てくるが、内心はいつもいそいそ、にこにこしている。
 どんなあばら屋になろうが手放す気はさらさらないと、今回もあらためて再認識したのだった。


裏庭の惨状。この草を全部退治するのかと思うと、毎回戦意喪失する。


庭の外の通路。人が通らないところだから、放っておくと1年でジャングルになる。


AFTERの風景。わたしにとってはなによりの別荘なのである。


2014.9.6
 所用で市内へ出かけていたときのこと。赤信号で止まった途端、バイクのエンジンがすとんと止まった。
 コンビニがあったからそこの駐車場に入り、あれこれやってみたが、どうしてもエンジンがかからない。
 メカ音痴だから、なぜ動かなくなったかわからないのだが、キックスタートをかけても手応えがないところをみると、バッテリーが上がったのだろう。

 淋しいところだったから、バイクを置いて帰ろうとしても足がない。
 せがれに相談しようにも、前日から出かけており、しかも通話圏外にいたから、電話も通じないのだ。
 途方に暮れかけて、思いついたのが、困ったときのネット頼み。
 かみさんに電話して、ネットでバイクサービスがないか、探してもらった。
 そしたら市内にあった。
 すぐさま電話したが、あいにく忙しくて、係員が出払っているという。
 こちらとしては待つしかない。とにかく帰ってきたら来てくれということにして、電話を切った。

 さあそれからの長かったこと。
 腹が減ったからとりあえずコンビニのコーヒーとパンで飢えはしのいだが、あとはすることがない。腰を下ろすところとてない場所で、ひたすら待ちつづけた。

 そのうち、以前せがれが、このバイクはバッテリーが、もう長く持たないと言っていたのを思い出した。
 それでもしやとシートボックスを開けてみると、予備のバッテリーが入っているではないか。工具のドライバーまでついている。
 とはいえ、バッテリーがどこに取りつけてあるのか、それすら知らないのだ。
 探してみると、足元のパネルが取り外せるようになっている。それをドライバーで外すと、たしかにバッテリーボックスが現れた。
 だがバッテリーの交換はしたことがない。そこでまたまたネット頼み。
 今度はかみさんに「バイクのバッテリーの交換」方法を調べてもらい、手順を電話口で読み上げてもらった。
 必ずマイナスの電極から外す、取りつけるときは逆、といったことを復誦して覚え、それから自分でやってみた。
 あいにくドライバーがちゃちで、頭がつぶれ、ナットもろくに回せない代物だったが、なんとかつけ替えることができた。

 ようやく終ったところへ、バイクサービスのおっちゃんが来てくれた。
 気のいいおっちゃんで、見てくれと言ったら「これ、わたしが触ったら出張サービス料が発生するんですけど」と言ってくれた。
 それでもいいよ、ということにして、この際ほかのところもチェックしてもらおうと、車に載せて店まで行って調べてもらった。
 わたしの取りつけたバッテリーは、プラスマイナスは合っていたが、ナットのつけ方をまちがえていたそうだ。
 結局修理が終るまで4時間かかり、真っ暗になって家へ帰りついたが、あれこれ教えてもらったから、わたしとしては得がたい体験になった。

 しかし今週はかみさんの携帯の液晶がだめになり、せがれのコンバインが故障しと、えらい出費になった。


2014.8.30
 今週は新橋まで出かけた。

 都心へ出たのは2ヶ月ぶり。ついでに多摩へも帰って来たかったが、今週はせがれが出かけていない。
 だから山の中にかみさんひとりを置いておくわけにいかず、滞在3時間で帰ってきた。
 バスも今回はじめて東京行きに乗った。乗車時間は1時間、品川と変わらないのだ。
 走行距離は東京のほうが長いのだが、品川行きは、首都高を出てからだいぶ下を走るので時間がかかる。
 東京行きはアクアラインのあと、ずっと首都高を走る。京橋で地上へ出たら、もう八重洲なのである。
 羽田から銀座を通り、代々木へ向かう首都高のこのコースは、かつてのオリンピック道路にほかならない。前の年の昭和38年に開通した。

 西暦でいうと1963年。わたしが東京暮らしをはじめたのが、まさにこの年だった。50年前のことである。
 振り出しが駆け出し編集者だったので、原稿の受け取りなど外回りを盛んにやらされた。急ぎのときはタクシーを使っていいということで、この首都高にはよく乗った。
 開通当時は交通量も少なく、大森から銀座までたった10分しかかからなかったから、その速さに驚嘆したものだ。
 外堀通りに車を止め、喫茶店で仕事をしていた絵描きもいた時代の話だ。
 その道路を、今回は行きも帰りも通った。この半世紀のすさまじい変貌ぶりがつぶさに見られたわけで、東京を離れて15年になるお上りさんとしては、ただただ目をみはっていた。

 用をすませたあと、電車に乗るほどの距離でもなかったから、新橋から八重洲まで外堀通りを歩いた。
 数寄屋橋交差点まで来たところ、角にあった数寄屋橋阪急が、影も形もなくなっていたからびっくりした。
 このビルにあった旭屋書店が、いちばんご贔屓だったのである。
 銀座で本屋巡りをするときは、博品館からはじまり、福家書店、近藤書店、山下書店ときて、この旭屋書店を最後に、地下鉄で帰ったものだった。

 一時は生意気にも、外堀通りにあった知人の会社に居候させてもらい、自分のデスクを置いていたこともある。銀座が舞台というほどでもなかったが、精一杯背伸びして生きていた。
 だから人生のかなりの思い出が、この界隈には詰まっているのだが、これほどまで徹底的な変化を見せつけられると、感傷の余地がなく、むしろ納得させられた。

 半世紀という歳月は、やはり半端なものではなかった。まだ現役のつもりでいるが、年寄りがこれ以上のさばることはないな、となんだか達観しながら帰ってきたのだった。


2014.8.23
 連日35度を超える猛暑がつづいているが、一方で秋の気配がそこまでやって来た。

 まずわが家の庭。というより草ぼうぼうの空き地にすぎないのだが、赤トンボをはじめ何種類ものトンボが飛びはじめた。
 歩くと足元から、ばったばったと昆虫が飛ぶ。トノサマバッタやショウリョウバッタを見かけたからびっくりした。
 子供のころは至るところにいたバッタで、そういうバッタがいたことすら忘れていたのである。

 林ではツクツクボウシやヒグラシが鳴きはじめたし、外の水場では、女郎蜘蛛が壊されても壊されても巣を張りはじめた。水を目当に集まってくる昆虫を狙っているのだ。

 田園地帯に出ると、シラサギがずいぶん目につく。小川に小魚がいるはずはないから、イナゴやバッタなど、稲穂につく昆虫を餌にしているのである。

 自然がだいぶもどってきた反面、水辺の風景は絶望的だ。フナやメダカなどもう絶滅危惧種以上になってしまった。
 子供のころは、鶏のカルシウム補給によくドジョウ取りに出かけたものだし、ウナギの稚魚など幼児でもたやすく掬えるくらいたくさんいた。
 それと、カニをまったく見かけなくなった。かつては海のあるところなら、かなり内陸に入った町中でも、アカテガニという赤いカニがうじゃうじゃというくらいいたものだ。それをまったく見かけなくなった。

 わが家では、トマトがそろそろお終いで、代わってサラダ菜が食卓へ上がるようになった。あとからあとからできるから、このごろは一品料理が、何重にも敷いたサラダ菜の上に載っかって出てくる。ヤギになったような気分である。
 もとからあった柿の木は、今年は生り年で実をいっぱいつけた。ただしあまり食えそうな柿ではない。
 一方でユズは今年が不作年。去年は山ほど採れたのに、今年はひとつも実をつけていない。

 それはともかく、わが家の稲田はどうやらイノシシの出没圏だったらしく、田のひとつがなぎ倒されて収穫不能になった。
 周りの田が、シシ除けのネットを張っていたから、うちもやらなければいかんかなあ、と思っていたらやられた。素人百姓の悲しさ、考え方が甘いのである。
----------------------------------------------------------------
 先週見損ねた花火の会場を見に行ってきた。木更津の花火は有名らしく、毎年12万人の市民を越える観客が集まってくるとか。それで来年のための下見である。
 とはいえ、それこそあとの祭り。いまごろ行ったって、どこが会場か、わかるものか。
 だが広さからいっても、マリーナや潮干狩り場がある中の島公園だろうと見当はついた。写真の赤い橋が、その公園へ渡るための唯一の橋。高さ27メートル、日本一高い歩道橋だそうだ。



 近くまで行ってみたが、この日は猛烈に風の強い日で、とてもじゃないが、こんなものを渡って向こう岸まで行く勇気はとてもなかった。


2014.8.16
 今日は用があって、千葉へ出かけていた。
 車で出かけたことはあるが、電車に乗って行ったのははじめて。外出らしい外出が、40日ぶりのことだった。
 電車の所要時間は40分。
 とはいえ内房から、東京湾をぐるっと回って三浦半島まで走り抜ける電車だから、長距離列車みたいなところもある。なんとなく旅行気分をかき立てられて楽しかった。

 電車の中吊り広告を久しぶりに見た。
 新聞を取っていないから、昨今は出版物の広告を見る機会がない。それで雑誌の広告がすごく新鮮に見えたのだ。

 はじめにデパートの本屋をのぞいた。
 大手の書店だし、フロア面積も広いから、じつは期待していた。
 しかしやはり、デパートの書店。コミック、学参もの、ハウツーものに比べると、人文書はのぞいて見るまでもなかった。

 めしを食いに行ったら、2時近かったにもかかわらず、どこも長蛇の列。子供連れが多いから、やかましいのなんの。
 それでようやく、今日が8月15日で、お盆で、夏休みだったことに気づいた。混むわけである。
 並ばずに食えるものというと、ラーメンしかなかったのだ。
 今日はうまいものを食ってやろうと意気込んで出かけたのに、それがラーメン。気分的にも、あんまりうまくなかった。

 帰りは帰りで、電車が朝の通勤時間帯並の混雑になった。
 今日の夜、木更津港で花火大会があったからだ。それで夕方から、車で、電車で、大勢の見物客がぞくぞく詰めかけていた。

 写真は駅前の光景。ふだんはここ、まったく人通りがないのです。
 左に見えているビルは、かつてのデパート。それが撤退してからは、テナントが集まらず、2Fから上はいまでもがらんどう。

 駅から花火大会会場まで1キロ以上あるはずだが、それが今日はこのありさま。
 ちょっとのぞいて見たかったけど、バイクですら行けそうになかったから断念した。
 わが家の2階から、林越しに、高いところで炸裂した花火だけ見えました。


2014.8.9
 あたらしい中華鍋を買った。

 夫婦ふたりのときはフライパンで用が足りたが、3人になると、もうひと回り大きな鍋が欲しい。それでむかしながらの、中華鍋を買ったのだ。
 鉄鍋ははじめに空焚きをして、錆止めに塗ってある塗膜を焼いてしまわなければならない。
 それで早速こんろにかけ、空焚きしはじめたところ、思わぬ障碍が起こった。昨今のガスこんろでは、空焚きができないのである。
 はじめは勢いよく燃えていた火が、ある段階からいきなり小さくなる。あまつさえその火まで、消えてしまうのだ。
 空焚き防止装置なるものがついているからで、強火で使いつづけることができない。かといって勝手に消した火が、また自動的につくかというと、そうはならないのだ。

 じつはオーブントースターも、途中でスイッチが切れる。
 厚切りパンにチーズなど載せて焼くと、チーズが溶けないうちに切れてしまう。
 もっともこっちは、すこし冷めたらまたスイッチが入るから、焼けることは焼ける。しかし以前よりもっと時間がかかるようになったことはたしかである。

 それで中華鍋だが、やむなく携帯こんろで空焚きをつづけた。こちらは余計な装置がついてないから、ボンベのガスがある限り燃えつづける。
 ところが携帯こんろは、火力がそんなに強くないのである。そこそこ熱が上がり、鍋の底3分の1くらいまで、色が変わるくらい焼けたが、そこから先が進展しない。
 まる1時間焚きつづけたものの、これ以上は効果がなさそうとわかって、中止した。あとは実際に使いながら、慣してゆくほかないだろう。

 しかしクーラーといい、ガスこんろといい、新しい機種ほど瑣末になり、それを進化や進歩とする思考が蔓延するのは、どういうものか。こういう現象は文明の末期的症状にほかならないと、年寄りは声を大にして言いたいのである。
-----------------------------------------------------------------
 自宅周辺に歩くところがないので、お隣の袖ヶ浦公園というところへ行ってきた。
 農業用水の池を公園にしたもので、1周約2キロ。遊歩道が整備され、いい散歩コースになっている。自宅の近くなら毎日でも歩きたいが、あいにく隣町。行くのに車で20分かかる。
 平地にある池だから地形の面白味はないが、木や草花が豊富だから、ときどきは出かけてみよう。



2014.8.2
 毎日暑い暑いと言っていたら、あっという間に8月。
 このところ家からほとんど出ていない。決まりきったものを食い、決まり切った暮しをしている。

 朝が遅いので1日たいてい2食だが、いまめしのたびに食っているのがトマトと胡瓜。
 つぎからつぎに実ってくるから、食っても食ってもなくならない。いまのわが家は、ひとり1日4、5個のトマトを食っているのではないだろうか。
 野菜は律儀な作物なので、一旦できはじめたら、タンマと止めるわけにいかない。毎日食ってやらなければ、成ったまま腐ってしまう。胡瓜など朝夕2回収穫しないと、間に合わないのである。

 こっちへきたときは、春だったから、まだ野菜が少なかった。栗林に自生してきた蕗がなにより新鮮で、しかも柔らかかったから、これは思わぬ拾いものをしたとよろこんだものだ。
 むかしから蕗は大好物だったので、常備菜にしてもらい、毎日のように食った。
 先週食ったのが多分最後。だいぶ固くなってきたし、風味も落ちてきたから、これで今年はお終いだねと話したことだ。

 蕗のつぎはほうれん草だった。これまた嫌いな野菜ではないから、せっせ、せっせと、1ヶ月以上食いつづけた。
 そのつぎがニンジン。ニンジンも好物。とくに生で囓るのが好きだ。
 ニンジンと胡瓜をスティックにし、さらにセロリでもあれば、あとはなんにもいらない人間なのである。
 そのニンジンが終わって、いまはトマトになっているわけ。
 畑で完熟したトマトだから、まずいわけはないのだが、せがれが素人百姓のせいか、味にかなりばらつきがある。

 これまでイチゴ、茄子、枝豆、絹さや、オクラ、大根、じゃが芋、ネギ、大葉などの自家製が食卓に上がった。
 すべて無農薬。ものすごい贅沢をしているみたいだが、味はというと、いまいち、というものが多かった。
 つくってはみたけれど、売り物になるものができなかったので、仕方なく家族が食わされている、というのが実情なのである。
 トマトはまだ1ヶ月くらい食えそうだから、この分だと秋には、顔色まで赤くなっているんじゃないかと心配したくなる。
------------------------------------------------------
 木更津へ来て、いい喫茶店がないと嘆いていたら、鄙にはまれな、なかなかの店を見つけた。
 コーヒーが1杯800円だから、田舎にしてはけっこうな値段だが、出てきたものを見て納得。フルーツがつく上、ポットで出されたコーヒーは冷めないよう、キャンドルの火で温めるサービスまでついている。


 写真@がそれ。市外から来たと思われる若い女性客が多いところを見ると、ガイドブックに載っているのかもしれない。


 写真Aは窓から外を見たところ。京都の町屋風の、穏やかな風景が心地よい。


2014.7.26
 猛烈に暑くなってきた。先週までは比較的涼しく、夜は寒いくらいだったのだ。
 それが一転、いきなり34度になった。
 一昨日はじめてクーラーを使った。今年取りつけたばかりのエアコンである。
 ところが妙に涼しくない。リモコンの設定が、真夏向きになっていなかったようなのだ。
 それでマニュアルを引っ張り出し、あれこれいじってみたが、よくわからない。
 多機能すぎるのである。
 プラズマクラスターイオンボタンだとか、エコ運転だとか、わけのわからん機能がいっぱいついている。
 なんとか使えるようになるまで小1時間かかった。
 腹を立ててもしようがないが、年寄りが使えないようなクーラーなんかつくるんじゃねえ。

 今週は山の中の温泉へ日帰りで行ってきた。
 温泉と銘打たれていたが、実体はただの銭湯。また行きたくなるような湯ではなかった。
 北海道にいるときはいい温泉がたくさんあって、名湯と言われる湯を訪ねて行くのが楽しみだった。
 本州へもどってきて熱が冷めてしまい、いまでは行く気もしなくなった。
 偽の温泉だらけだからだ。
 先日も東京の丸の内で温泉が出たと話題になったが、あんなものがなんで温泉か。地下深く掘ったら、地熱で温められた湯が出てくるに決まっているのだ。
 地下1500メートルも掘って、まだ冷たい水がわいてきたら、それこそ名湯の資格がある水といっていい。

 とにかく温泉の有難味はうすれるばかり。
 房総も温泉に恵まれた土地ではないはずが、温泉だらけである。
 それくらいなら、設備のよいスーパー銭湯がまだまし。いい湯だったら、行きつけの風呂屋にしようと、いま探しているところなのである。
 これまで木更津で2箇所、袖ヶ浦で1箇所、今回が君津市で、4箇所行った。
 市外まで出ると選択肢は増えるが、バイクではちとつらい。遠いところだと30分から40分かかるのだ。
 いまの季節はよいとして、冬はとても使えない。京都はジムが近くにあってよかったなあ。

 今週は木更津市に保存されている古民家をご紹介する。


写真@ 組頭を勤めた江戸時代後期の豪農の家。先週紹介した袖ヶ浦の民家に比べると、こちらはもっと質朴だ。


写真A 玄関から中の間と奥の間を見たところ。奥の間の畳には薄縁がついているが、中の間の畳にはない。この家で畳があるのはこの2部屋だけである。


写真B 家族の居住部分である広間は24畳大の板の間。ボランティアの女性が毎日雑巾がけしているそうで、つやつや、しっとり黒光りしていた。右に見えている板壁の奥が寝室用の納戸。もちろん板の間だ。


写真C 土間と、竈と、奥にある下男部屋。竈では毎日火が燃やされ、見に行ったときは煙が垂れ込めててけむかった。梁や桁に煤を付着させ、家を長持ちさせているのである。


2014.7.19
 今週は眼科に行った。
 8年まえ、糖尿病が見つかったとき、緑内障の初期症状もあるとわかったので、眼底血圧を下げる点眼薬をもらい、以後その薬を注していた。
 それが京都へ行って面倒くさくなり、薬までやめてしまった。
 先週診てもらった糖尿病の医師から、必ず目の検査をしてもらうよう念押しされた。糖尿病と緑内障とは、密接なつながりがあるからである。

 それで市内にある眼科医を選び、行ってみたもの。
 眼圧の測定から、涙の量の測定、視野検査等、一通りの検査をした結果、緑内障がやはり進行していると判明した。
 視野検査をしているとき、あれ、まえのときと感じがちがうぞ。悪くなっているみたいだ、という感触はたしかにあった。
 京都でかかっていた病院は眼科の設備が貧弱で、手動の視野検査機しかなかった。
 それもはじめに1回やったきり。
 あとは医者が目をのぞいて見るだけ。機械的に薬は出してくれるが、だんだん張り合いがなくなってしまい、そのうち行かなくなった。

 だから同じ検査を、今回6年ぶりにやったわけだ。
 その間放置していたのだから、報いはてきめん。確実に悪くなっていたのだった。
 おかげでこれから1日1度の点眼薬が、欠かせなくなった。緑内障は治らないから、薬は進行を遅らせるだけ。一生薬が手放せなくなったことになる。
 とはいえそれほど深刻には受け取っていない。
 この間も箱根で友だちと朝めしを食ったとき、終ると、そこにいた4、5人がいっせいに薬を飲みはじめたから、なんだ、おまえもか、と笑ったことだった。

 年を取れば、いろんな症状が出てきて当たり前。この躰、あと何年使えるかわからないが、それまで、だましだまし使って行くしかないのである。

 今週はお隣の袖ヶ浦市で見つけた江戸時代の民家をご紹介する。


写真@ ただの農家だが、地方代官を務めた旧家なので、重厚さがまったくちがう。170年まえの建築。


写真A 知行主の旗本をお迎えするときの表玄関。移築保存されて25年。そろそろ屋根を葺き替えなければならないが、市にその金がないらしくてと、留守番のおじさんが気をもんでいた。


写真B お殿さま用の奥座敷。家人用の畳には薄縁のないのがふつう。


写真C 家族がふだんいるところは板の間。


2014.7.12
 台風8号は過去最大級という触れ込みだったにしては、予想が外れ、被害はまったくなかった。
 昨日は万一のときを考え、ものが飛んだり壊れたりしないよう、物干し台まで倒して備えたくらいだ。
 夜は雨戸もすべて閉めた。
 雨戸を閉めたのは、十数年ぶりのことだった。札幌、京都ともマンションだったから、雨戸がなかったのである。

 一夜明けると快晴、しかも猛烈な暑さになった。
 そのなか、市内の糖尿病専門医のところへ行ってきた。
 4月に京都で行ったのが最後。これで当分行かないつもりだったが、家族がうるさいのである。
 しかもいまは、かみさんばかりか、せがれまで口をそろえて、やいのやいの言う。
 それで、薬だけでももらってこようと、出かけたもの。

 診断結果は上々吉だった。
 糖尿病の目安であるHbA1cの数値が、4月は8・7だったのが6・8と、一昨年のレベルまで下がっていた。
 4月に35日分の薬をもらい、3ヶ月かけて飲んだから、その薬功も大きかったと思うが、それより生活習慣の一変したのが、いちばん大きかったのではないだろうか。
 いまや、清く正しい食生活を送っている。
 第一に外食をしなくなった。
 なにか食おうと思ったらいちいち出かけなければならないし、行きたい店も、いまのところまだ見つかっていない。

 多摩へ帰ったとき以外、ラーメンも食ったことがないのである。
 いわばあてがいぶちで、出されるものを食っているだけ。これでは悪くなるわけがない。
 だが小声で本音をいえば、糖尿病によい食生活など、ありがたくも、うれしくもない。
 この年まで生きてきたのだから、元は取ったようなもの。あとは好きなものを、好きなように食いたいのだが、いまの日々では、なかなかその隙がありそうもない。
 あたしゃ身体によくないものを食いたいのだ。


 写真@は、わが家の田圃の畦に生みつけられた鳥の卵。
 せがれが草を刈っていたら、おどろいた親鳥があわてて逃げ出したそうで、残念ながら鳥がなんであったかは、わからなかったという。
 卵のようすから見るとカルガモのようだが、正確なことはわからない。
 もうちょっと、周囲をよく見てから生めよ、と鳥には言いたくなるのだが、気の毒なことに、親鳥はもどってこなかったらしい。
 数日後に行ってみると、烏か、蛇にやられたのか、巣は空っぽで、壊れた殻がひとつ残っていたそうだ。
 わからなかったとはいえ、鳥には悪いことをした。


 写真Aは、わが家の家守くん。
 毎日夕方になると、台所の窓に現れ、集まってくる蛾をせっせと食ってくれる。
 つがいか、きょうだいか、いまのところ2匹出てくる。そのうち名前をつけてやろうと思っている。


2014.7.5
 またまた、ボケの進行が疑われそうな大失敗をやらかした。
 毎年恒例の、仲間たちとの箱根旅行の日時を、まちがえてしまったのだ。
 はじめにいつなら都合がいいか、電話で尋ねられたとき、6月は苦しいから、できたら7月にしてもらえないか、と答えたのは覚えている。
 月末は? というから、7月の末なら大丈夫だと答えた。その段階で、7月の末だと思い込んでしまったようなのだ。
 29日の夜、のんびり夕めしを食って、9時ごろ部屋に引き上げてくると、携帯に何通もの伝言が入っていた。
「いまどの辺りですか。みんな、待ってます。先にはじめてますから」
 と言うからびっくり。
 あわてて電話をかけてみると、わたしをのぞいた12人が全員そろい、なごやかにめしを食っている最中だった。
「来月の29日じゃなかったの」
 間抜けにもほどがある。まる1ヶ月まちがえていた。
 その数日まえ、たまたまそのうちのひとりが電話してきて、そのとき「明後日はいらっしゃいますか」と言ったら「行くよ」とわたしが答えたという。
 明後日とは言わなかった、とわたしは言い返した。
 箱根にはいらっしゃいますかと言うから、うん、行くと答えたのであって、そのとき明後日と言われていたら、えっ、明後日なの? と絶句して必ず気がついたはずだ。
 と言い張ったのだが、多勢に無勢、だれも認めてくれなかった。
 これから行こうかとも思ったが、9時すぎからでは、いくらなんでも遅すぎる。
 というので翌朝4時半に起床。
 5時50分の始発バスに乗って品川まで行き、そこから新幹線、小田急、タクシーを乗り継いで、8時からはじまる朝食の時間に、なんとか駆けつけることができた。
 平謝りだが、けちょんけちょん。
 この手の前科ならいくらでもあるから、こうなったら、話の肴にされても仕方がないのである。
 当日来るはずが来なかったのだから、料金は100パーセント取られる。
 わたしが行かなかったら、その分をみんながかぶらなければならない。
 だからみなに迷惑をかけないよう、せめて金を払いに行ったもので、身から出た錆とはいえ、ベラボーに高い朝めしについた。
 根がそそっかしい上、思い込みが強いから、この年になってもまだ、同じ失敗を繰り返している。これで家族、友人間の信用を、ますます失ってしまった。
 当日は散会してから、いつもの居残り3人組でもう1泊、仙石原へ足を延ばしてきた。


 写真@はそのとき行ったポーラ美術館。企業イメージに恥じないモダンな美術館だ。モジリアニをやっていたせいか、山の中にしてはお客さんも多かった。


 写真Aは美術館の外にある遊歩道。手入れの行き届いた気持ちのいい道だった。


 写真Bは仙石原にあるラリック美術館。アールヌーボー全盛期のガラス製品が収蔵され、見応えも十分。こちらも森を生かしたロケーションがすばらしかった。



「きのうの話」目次へ



志水辰夫公式ホームページ