Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2014年3月までの「きのうの話」へ




 

2014.3.29
 4月の23日、引っ越すことにした。
 家財が増えたのと、先方の道路づけがわるいのとで、車2台で運んでもらう。千葉でさらに積み替え、小型で運び込むようになるだろう。
 ここへ越してきたときもそうしたが、なにもかもやってもらう、おまかせコースというのにした。
 前日と翌日に女性部隊が来て、荷造り、荷解きをしてくれる。割高にはなるが、引越しは、年寄りにとって重労働だからやむを得ない。
 おかげで京都も、あとひと月たらず。
 未練たらたらだから、いま焦って、毎日のように出歩いている。
 これまで見てなかった嵐山には、先週3回も足を運んだ。3日間で50000歩。
 標高300メートル足らずの小倉山では、危うく遭難するところだった。
 標識が全然出ていない上、途中で道がなくなってしまったのだ。
 方角はわかっていたから、勘を頼りに突きすすんでいたら、イノシシ用だか、クマ用だかの、鉄製の罠に出っ食わしたからおどろいた。
 来週は奈良へ行くぞ。


@これは罠の写真。


A旧保津峡駅。いま観光用のトロッコ列車が通過したところ。
映画ロケでよく使われる駅なので、
行ってみようとしたところ、なぜか橋が通行止めになっていた。


B大覚寺の大沢の池。


C大覚寺で時代劇のロケが行われていた。
これが本番。後にある塔をバックにしてお芝居をやっていたが、
回りはご覧の通り。アホらしくて見てられん。


D紅葉の名所常寂光寺も、いまの季節はこんなものです。


2014.3.22
 日曜日に東京から帰ってきた。

 翌日からまた歯医者通い。半月間が空いたせいか、ガチガチガリガリ、たっぷり1時間いじられた。
 それで抜いた奥の歯を、入れてくれたのかというと大ちがい。このまえ入れた前歯を、外したりかぶせたりしただけだった。
 来週も2回行かなければならない。

 今週は東京からかみさんの従姉が来て、高槻にいる姉と女性三人で、2日間を楽しく、賑やかにお過ごしなさった。
 その間わたしはほったらかし。しめたとばかり、ときどき行く洋食屋へ晩めしを食いに出かけところ、休日だった。
 それならと、翌日の昼めしに行った。わざわざ時間を外し、2時前に行ったのだが、なんと店のなかに5、6人の先客が待っていた。
 おやじひとりがやっている小さな店である。この間から、ブログなどに取り上げられはじめたから、まずいなあと思っていたら、いきなりこの始末。これで当分行けなくなった。

 今日は嵐山からの帰り、家のすぐ近くの町家で、道路に20人からの行列ができているのを見つけた。
 ふだんと通る方向が逆だったから知らなかったが、これまでついぞ見たことがない。
 いったいなんだろうとのぞいてみたら、パンケーキの店だった。帰ってブログで調べてみると、やっぱりいま評判の店とあった。
 こんなもん、並んでまで食うものかね。

 嵐山は、観光客が多いから敬遠していた。しかし、あとわずかしかいないとなると、そんなこともいってられない。
 今日行ってみたところ、やはり観光客であふれていた。それも、甲高い声で話す外国人がじつに多い。竹林などそんなに珍しいのだろうか。


写真@
 時代劇俳優大河内伝次郎が、30年の心血を注いでつくりあげた大河内山荘から見た嵐山と保津川。


写真A
 雪化粧をしている比叡山。手前に見える五重塔は仁和寺。両者を見下ろすことができる庭は、京都でもここくらいなものだろう。


写真B
 大河内伝次郎の住まい。数多くの有名俳優女優が訪れている。本人はここで逝去した。


写真C ご存じ嵯峨野の竹林。奇跡的に、人通りが途切れたときの写真です。


写真D 清涼寺。


2014.3.15
 今週は什器の不具合に大苦戦した。エアコンとプリンターが使えなくなったのだ。
 今回は約半年、空き家にしていた。その間一度も使ってなかったから、これでは機器だって劣化するだろう。

 エアコンのほうは、スイッチは入るものの、それきり。いつまでたっても、うんともすんとも言わない。97年製だが、設置してすぐ札幌へ行ったから、実質2、3年しか使っていないのだ。
 プリンターは、故障を突き止めるまで、うんざりするくらい時間がかかった。
 確定申告の書類を一部忘れてきたため、それをファックスで送らせたところ、白紙しか出てこないのだ。
 こっちから送信したら、ちゃんと届く。ところが受けられない。
 あれこれ調べ回り、やっとプリンターが働いていないことを突き止めた。
 コピーもできない。ただし、機能しないのはブラックだけ。
 カラーコピーにすると、なんとかコピーできる。だがブラック抜きの色彩だから、ねぼけた色にしかならない。
 プリントヘッドのクリーニングをしたり、インクケースをいじくり回したりしたが、それでもだめ。
 挙げ句は新しいインクを買ってきて差替えてみた。インク代を損しただけだ。これも実質1、2年しか使っていない。

 また、なぜか庭の楓が枯れていた。皮がぱりんぱりんにはじけ、完全な枯れ死だった。
 昨夜はものすごい雨が降った。その間雨漏りするんじゃないかと、気が気でなかった。こっちは前科があるからだ。さいわい無事だったが。
 家というものは、使ってないと見事に劣化することを、いやというほど思い知らされている。


2014.3.9
 パソコンが不調で、ネットにアクセスできなかった。それで更新が遅れたことを、まずお詫びします。

 先週所用で、郷里の高知へ3日間帰っていた。
 この間ホテルに滞在していたのだが、はじめのホテルはLANコード方式だったので、問題なく使えた。
 3日目、ホテルを変わったら無線LANだった。できなかったので、フロントに問い合わせ、教えてもらった通りにしたらつながった。
 そのときの設定が、自宅の無線LANでは使えなかったのである。金土と2日間、もとにもどそうとしたが、どうしてもだめ。
 理屈がわかって動かしているわけではないから、どこかまちがえてしまうと、以後収拾がつかなくなる。

 昨年のヨーロッパがそうだった。
 はじめに泊まった宿ではうまくいったから、喜び勇んで日本へどんどんメールなど書いた。ところがホテルを変わった途端、つながらなくなった。
 宿のものにやってもらったが、だめ。そのうち、もとにもどすこともできなくなり、結局最後まで使えずじまいだった。

 今日東京に出てきた。ただいま多摩の家。
 こちらは旧式のADSL方式なので、コードをつないでアクセスすると、問題なくつながった。
 したがって不通そのものが解決したわけではない。京都へ帰ったら、また同じ苦しみが待っている。
 ということで、今回は高知の写真をすこし。

 写真@

 写真A
  写真@、写真Aは牧野植物園の温室。
 はじめて行ったのだが、ご覧の通り、むせ返らんばかりの蘭の花。施設といい、内容といい、その豪華絢爛には、ただただおどろいた。
 高知といえば名だたる貧乏県。このような立派な施設をのちのちまで維持できるのか、そっちのほうが心配だ。
 牧野植物園は、四国88ヶ所31番札所、竹林寺がある五台山にある。


 写真B
 写真Bは、山中にいまも残っている遍路道。竹林寺より32番札所禅師峰寺(ぜんじぶじ)まで約2里。むかしはこの遍路道がまるまる残っていた。実際に歩いてみたこともある。50年以上も前の話です。


 写真C
 写真Cは、変わり果てた厚化粧をしているが、かつての都電。いまは土電と名を変え、高知市内を走っています。


2014.3.1
 伊勢神宮へ行って来た。
 これまでなぜか縁がなく、一度も行ったことがなかった。
 昨年近鉄特急しまかぜが登場。なんとかしてそれに乗りたかったが、超人気とあって、切符が取れない。
 あとひと月でおさらばすると思うと、これ以上ぐずぐずしてられなくなった。
 一方かみさんは、熊野本宮や十津川方面には行ったことがなかったから、この際ふたつを同時に回ってきたもの。
 すなわち大和八木から新宮行きの、日本でいちばん長い路線バスに乗り、新宮から伊勢までは紀勢線をぐるっ回ってきた。
 おどろいたことに、十津川にも、伊勢にも、先日の大雪がまだ残っていた。
 たかが残雪と思って踏みつけてみると、がちんと跳ね返された。凍って、氷の塊になっていたのだ。
 昨年の台風がもたらした地滑りや山崩れの跡も、熊野川流域の至るところに残っており、予想以上の災害だったことをはじめて知らされた。
 明治22年、旧熊野本宮を押し流し、いまの山の上へ疎開させた大洪水は、1000年に一度という大災害だった。
 昨年の台風も、100年に一度クラスの被害を与えたのである。
 熊野川の流域が好きで、この線はこれまで三度通り抜けている。
 日本一の清流だと思っていたからだが、今回は暗澹とした気持ちにならざるを得なかった。かつての美しさを取りもどすのに、何十年かかることだろうか。

 それにしても、神々の里の地名の読めないこと。つぎの地名、なんと読むかわかりますか。
 生子 頓登 棒原
 おぶす、とんど、すぎはらと読みます。宇治山田だって、宇治山田神社になると「うじようだ」となる。
 こういう読みのほうが正しくて、われわれがふだん使っているのは、東夷のことばにすぎなかった、という気がしてくるのである。


写真@ 十津川にある日本一高い谷瀬の吊橋。橋の上で両手をひろげているのは、わたしのかみさんです。


写真A 旧熊野本宮。水害後山の上へ引っ越したので、こちらには基壇しか残っていない。手前に立っている日本一高い大鳥居は、3年まえにつくられたもの。


写真B 旧熊野本宮の模型。ご覧のように熊野川の中洲に造られていた。


写真C 至るところ残っている山崩れの跡。バスが止まらなかったので写真を撮れなかったが、発電所が根こそぎなくなっているところもあった。


写真D 伊勢神宮というのは、125のお宮から成り立っていると、知ってましたか。
 正宮の下に14の別宮があり、こちらも正宮と同じように、20年ごとに社殿を建て替えている。
 写真は正宮から40キロ離れた山中にある別宮の滝原宮。今年が遷宮の年にあたり、ただいま新しい社殿を建設中。右奥に見えている被覆のある仮屋が、その建設現場。


2014.2.22
 ようやく前歯が入った。
 型を取り、それに合わせてセラミックの歯をつくってもらったのだが、修正するのにずいぶん手間取り、まる2時間かかった。
 その間口を開けたり閉じたり、こつこつやられたり、がりがりやられたり、終ったときは消耗しきって、帰るなり寝てしまった。
 まだ上の奥歯が残っているが、これは来週。
 このところ、足に負荷のかかることをまったくしていないので、久しぶりに12000歩あるいたら、足がもつれて、よれよれになった。

 今日はいちばんお気に入りの喫茶店をご紹介する。
 写真を見れば一目瞭然。
 ビニールシートの床、セピア色の壁。白熱電球の明かり。ひと昔も、ふた昔もまえの店なのである。



 わたしのような年代のものには、ほかのどんなところより落ち着ける。居心地がよい。いつまでも坐っていたくなる。
 気がついたら、あれこれ、物思いにふけっている。
 昭和の記憶が詰まっているというか、過ぎし思い出に引き込まれてしまう店なのだ。
 都心から離れているのが、唯一の難点。
 ときどき、無性に来たくなる。


 カウンターの後にかかっているのは、フランスの名優ジャン・ギャバンのポスター。
 これを持ってきたのは高倉健。




 そういう店です。


2014.2.15
 今週も歯医者へ3回。
 まだあたらしい歯は1本も入ってないのだが、行くたびに、自分の歯ではないような感覚が強くなる。
 欠けているところや、虫歯になっているところを補修して埋めてくれたのだが、その噛み合わせが、なんとも不快なのである。
 きーっという音がするようなことさえあり、噛むことが嫌になってくる。これで果たして、満足できる歯になるのだろうか。

 ということで、今週も出かける気分ではなかった。
 すると昨夜から雪。
 今回は気温が高く、湿った雪になって、雪見向きの風景にはならなかった。ただ昼すぎまで降りつづいたから、ちょっと出歩いてはきましたけど。
 しかし雪の写真は、もう食傷しているでしょうから、今回は1枚だけ。


 本日の知恩院の大鐘楼です。

 こちらは懐かしい印度りんご。

 りんごというと、われわれの子供のころは、紅玉、国光、印度の3つしかなかった。
 印度が高級。酸味も甘味もなかったが、ほのかな香りがあって、わたしは好きだった。
 品種改良がすすみ、あたらしいりんごがつぎつぎに生み出されると、旧来のりんごはすべて姿を消した。紅玉は菓子用として復活したが、国光と印度は完全になくなった。
 いまのりんごが、わたしは大嫌い。甘さを追求するあまり、食感が犠牲になり、噛んで不愉快な、すかすかしたりんごばかりになってしまったからだ。
 果物には目のない人間だが、りんごだけは、なくてもかまわない果物になった。
 辛うじて、王林だけはときどき食う。印度とほかの品種との掛け合わせから生まれたので、かすかに香りが残っているからだ。

 だいぶまえのことになるが、青森のさるりんご農家が、唯一いまでもこの印度りんごを作っている、と報道されたことがある。
 ほかの農家は、すべて木を伐ってしまったのだそうだ。
 それですぐさま電話したのだが、同様な電話がたくさんあり、もう注文には応じられないという返事だった。
 そうだろうなと思い、以後はあきらめていた。
 すると数年前、京都のデパートに、突然この印度りんごが出てきた。
 早速買ったが、これであらたにつくりはじめたのだなと思ったから、1個しか買わなかった。ところがそれっきり、再び店頭には出てこなかった。

 それが2、3年ぶりに、また出てきたのである。今度はスーパー。1個158円。
 早速2個買ってきた。
 いまのりんごに比べると、まったく甘くない。ほのかな香りがあるだけ。かみさんは、いまのりんごのほうがよっぽどうまいと言う。
 しかしがたがたになった歯で噛むと、歯触りがやさしく、噛んで気持ちよく、ああ、これがほんとのりんごの味だったんだなあとしみじみ思う。
 その日のうちに3個買い増した。


2014.2.8
 今週は東京から、かみさんの友人ふたりが遊びに来たので、久しぶりに賑やかだった。
 いずれも同郷の友人。わたしが知り合ってからでも50年になる。
 とはいえ毎日元気に遊び回っていたのは、女性たちのほう。
 わたしは連日歯医者通い。今週は4日も行ったのだ。これではなにも、することができない。
 いままで4本の歯を抜いた。前は仮歯、奥は抜きっぱなし。おかげで食う楽しみは当分お預けだ。
 それで今週の外出は、京都御苑を散歩したくらい。今回はそのときの写真から。あまり知られていないものをご紹介する。


@ ネットでものものしく保護されているのは、ナラの木。
 秋でもないのに全山紅葉している光景を、西日本ではよく見かける。この正体がナラ枯れだ。
 カシノナガキクイムシという害虫の食害で、ナラ類だけ枯れてしまう困った現象である。
 京都御苑のナラまで枯らしては一大事。というので、守るほうも必死なのだろう。いま園内のすべてのナラが、こういう厚着で守られている。


A こちらは一切手を加えず、自然のままに放置してある地域。人も立ち入れないよう、柵で囲ってある。


B 堺町御門の近くにある旧九条邸のなかにある厳島神社の唐破風鳥居。平清盛の建立と伝えられ、重要文化財になっている。


C 九条邸と向い合ったところにある閑院宮邸の中庭。かつての公家の住まいを修復したもので、内部は資料展示室になっており、無料で入場できる。


D 梅林の紅梅が咲きはじめていた。


2014.2.1
 風邪を引いた。
 歯医者に週3回も行き、そのたびに2時間から3時間、口を開きっぱなしにしていたせいではないかと、自分では疑っている。
 来週は客が来るので、今回は必死に治した。
 すぐさま薬を飲み、部屋を温め、暖かい毛布を出してもらい、食欲がないのをむりやり食った。
 そのためか思いのほか軽くすみそうで、もう快方に向かったような気がする。油断せず、慎重に来週を乗り切ろう。

 今週も歯医者に2回。
 まず上の歯茎が痩せ細っているのでそれを治すと言われ、なにをしているのかわからなかったが、終ってみたら歯の見栄えがよくなって、歯周りも太くなっていた。
 今日は麻酔をかけられ、2時間もの間なにかされていたが、終ってみたら右下の奥歯が立派になっていた。

 来週は左の奥歯を一本抜く。
 こうなったら俎板の鯉。気がすむまで、やってもらおうじゃないかと、悟りの心境に入っている。

 おかげで自分からはどこへも行けなかったが、かみさんが孫娘になにか買うというので、くっついて、大阪まで行って来た。
 久しぶりに見た梅田駅の貨物操車場跡が、あまりにも変貌していたので、お上りさんは茫然とするばかり。写真@


 大阪駅の裏というと、早朝に着いた夜行列車で上阪するたび、駅裏にある食堂へ朝めしを食いに行ったものだった。
 丼いっぱいのほかほかめしと、丼いっぱいのあつあつの豚汁。
 それに沢庵がつくだけのシンプルな朝めしだが、その豚汁のうまかったこと。いまどきのトン汁とはまったくちがう、正真正銘の豚汁だった。
 あのうまさは、50年以上たったいまでも忘れられない。大阪駅というと、その記憶が、パブロフの犬みたいに甦ってくるのである。要はそれくらい貧しかった。と、そこまで言うな。
 かみさんは数日まえ、45分待ちして、いま話題の近大マグロを食ってきた。むろん昼すぎにのこのこ行ったって、とっくに閉まっている。後学のため場所だけ教えてもらった。写真A


 同じビルの中には、野菜工場もあった。実際に出荷もしているそうだが、それをやってるのが、ロート製薬というんだから、年寄りはもう、なにおかいわんやである。写真B


 めしを食おうと思ったが、どこも満員。写真C


 やっと空いている店を見つけたのは、デパート戦争大阪の陣でひとり負けした伊勢丹の食堂街。かわいそうだから写真は勘弁してやろうって、すげえ嫌味。


2014.1.25
 本日下の前歯を2本抜いた。初めての抜歯。
 親からもらった大切な歯を、この年になって抜いてしまうのかと、心おだやかでなかったが、手術のほうは、そんな感傷の入る余地がないまま淡々とすすんだ。
 2時間ほどのち、もらった鏡でのぞいてみると、もう仮歯まで入っていて、え、いつこんなことをしたんだ、という感じだった。
 鏡で見る限り、きれいな歯がそろっている。なんだ、これでもういいじゃないかという気もするんだが、長くは持たないのかなあ。
 とにかくこれで、あきらめがついた。次週からはあんまりうじうじせず、前向きに生きて行こう。

 今週の日曜日、近来珍しい大雪が降った。
 それでまた、朝いちの地下鉄に乗り、雪見に行ってきた。


 写真@ 東山にあるインクライン。琵琶湖からやって来た船を、鴨川まで下ろすための船用ケーブルカーの遺跡。真ん中の2本がレールみたいに見えるが、右と左にもう1本ずつある。つまりカメラの立っている位置がレールの真ん中。上りと下りの複線になっているのだ。


写真A 南禅寺境内。


写真B 金戒光明寺のなかにある会津藩墓地。1000名の会津藩士が赴任してきて、文久2年からわずか6年の間に、400名近くが死んだ。致死率4割近い異様な数字だ。
 孝明天皇の親任もっとも厚かった会津藩が、朝敵の汚名を着せられ、さらに多くの犠牲者を出したことは、みなさんもご存じの通り。ここの墓地を通りかかるたび、粛然とした思いにとらわれる。


写真C 金戒光明寺の山門。


写真D 腹ぺこで帰ってきて、わが家近くの珈琲店でやっとありつけたモーニング。この店には何十回も行っているのに、朝は7時からやってて、モーニングサービスまであったことを、ほんのこないだまで知らなかった。


2014.1.18
 連日のように歯医者へ通っている。1回に1時間から1時間半。
 4月に引越すので、3月中には治療を終えなければならない。過密スケジュールになるわけである。
 いまはまだ、歯を抜くための準備段階。毎回がりがりやられているから、口の中が自分のものではないような感触になってしまう。
 ものを食いづらいのがいちばん困る。数日まえから粥をつくってもらっている。
 それで今日、ちりめん山椒、しそ昆布、梅干しを買ってきた。粥のための常備菜だ。
 じつは、梅干しはもらいものがたくさんある。ただしこれが、蜂蜜漬け。
 梅干しは酸っぱいのがいいのであって、妙に甘い梅干しなど食いたくもない。それでむかしながらの、紫蘇の葉だけで漬けた梅干しを買ってきたのだ。
 当分食う楽しみはお預け。これでは意気も上がりません。
 
 しばらく出かけられそうにないから、手近なところより、お気に入りのカフェをご紹介する。


写真@
 まず、京都ならではといった趣のブックカフェ。


写真A
 ごらんのように本屋と見まがうような店内だが、れっきとした喫茶店である。
 ただし、備えつけの本はアクセサリーのようなもの。自分の本を持っていって、読むところなのだ。


写真B
 今回頼んだスープとパン。スープはニンジンのコンソメ。


写真C カウンター。いろんなパンが置いてある。


2014.1.11
 歯の具合がわるい。新年どころの気分ではなくなっている。
 歯医者に行くまでは、前歯がぐらつきはじめたものの、機能は損なわれていなかった。気をつけさえすれば、飲み食いに支障はなかったのである。
 それが検査したり、いじられたりしたため、悪かったところが一挙に顕在化。染みるは、噛み合わせは悪くなるは、なにもかもがたがたになってしまった。
 これから神経を抜いたり、削ったり、本格的な治療がはじまる。それが何ヶ月もつづくかと思うと、憂鬱にならざるを得ない。
 こんなことなら、我慢してだましだまし使っていたほうが、まだよかったんじゃないかと、後悔しているのである。

 おかげで今週は外出もほとんどなし。
 やっと昨日、平安神宮の前にある京都国立近代美術館へ『皇室の名品展』を見に行ってきた。
 この展覧会、じつは11月からやっていた。そのうち行こうと思っていたが、ついずるずる延ばしにしていた。
 そしたら先週、テレビで紹介された。期間もあと1週間。それであわてて行ったのだ。
 そしたら朝10時だったにもかかわらず、大変な人。これまでいろんな催しや展覧会に行ったが、京都でこれほど人が多かったのははじめてだ。
 1時間もしたらだいぶ空いてきたから、みんながわっと押しかけてくる時間帯に、のこのこ出かけたということだったようだ。

 展覧会には、戦災で焼失した明治宮殿の調度として飾られた日本画、洋画、彫刻、工芸など、日本を代表する作家の作品180点が集められていた。
 明治以降の、国の勃興期ともいうべき時代のエネルギーが満ちあふれていて、それが一堂に会したのだからなかなか見応えがあった。

 そのあと、すぐ近くにある細見美術館へ足を延ばした。
 日本女性の頭を飾ってきた櫛や簪、笄などの展覧会をやっていたからだ。同じ日にふたつの美術館を利用すると、料金が割引になるのである。
 ただし残念ながらどちらも撮影禁止。


 写真は京都国立近代美術館4階ロビーからの眺め。こういうアングルは、ここでしか得られない。
 前の建物が京都市美術館。
 鳥居の左側に見えている山が比叡山。その下にある大きな建物群は、金戒光明寺。幕末の京都守護代会津藩が駐在していたところ。
 鳥居上の右端には大文字山がのぞいている。
 もう1枚は細見美術館の地下2階から上を見上げたところ。1階に入口があり、展示室がそこから下へおりてゆく独特の構造になっている。これは外観。



2014.1.4
 明けましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いいたします。
 おだやかで、気持ちのよい新年を迎えました。

 元日の朝、どこかへ初詣に行こうという話になり、上賀茂神社へ行くことにした。
 京都の正月もこれが最後。上賀茂神社には、初詣でまだ行ったことがなかったからだ。
 昼前に出かけた。
 初詣をすませると、かみさんがおみくじを引きたいと言いはじめた。いつも引いているのである。
 おみくじ売り場に行くと、馬のおみくじというのがあった。
 干支とは関係ない。上賀茂神社は馬の神事と係わりがあるところなので、ふだんでもこのおみくじを売っているのだ。
 おみくじをくわえた木彫りの馬を買う。500円。
 ところが売り場に並んでいたかみさんが、間際になって妙なことを言い出した。
 たしか、これと同じ木彫りが自宅にあるというのだ。
 いつ、どこで買ったか覚えてないが、馬のかたちから、おみくじをくわえているところまで、そっくりだという。
 それでようやく思い出した。なんのことはない。ここで買ったおみくじだったのだ。
 つまり去年初詣に上賀茂神社へやって来て、このおみくじを買っていたのである。
 それを帰りがけ、おみくじを買おうとするまで、ふたりともまったく忘れていたのだった。
 調べてみたらまちがいなく、1月2日に来ていた。
 新年早々、笑うしかない、恥ずかしい話となった。


写真@ 境内を流れている清流。元日でもすこしコースを外れるとこの通り、静寂が保たれている。


写真A 鴨川の川原から五山送り火の「舟形万灯籠」。


写真B 元日の鴨川をゆうゆうと泳いでいたヌートリア。たしか去年から駆除されはじめたはずだが……。

写真C これが去年のおみくじでした。






志水辰夫公式ホームページ