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2006.6.24 清く正しい5日間の入院生活を送ってきた。昨夜週末仮退院で帰ってきたが、日曜日の夜また出かける。1日1700キロカロリー、目、口腔、足等のケアつき、講義つき、午前午後2回運動必修、スケジュールびっしり、めまぐるしいぐらい充実した1週間だった。
自分を試す意味もあったから、文句ひとつ言わず嬉々として従ってきた。食い物も出されたもの以外なにひとつ口にしなかった。
糖尿食の基本は1日3回、バランスよく摂るということなので、米食の場合、けっこうご飯が食べられる。毎回ほぼ茶碗1杯。
ただしおかずが少ない。根がせっかちの早食いときているから、はじめのうちはあっという間に終わってしまい、なんとも物足りなかった。それでしかたなし、よく噛むようになった。
味付けはものすごい薄味。5日間それに慣らされて帰ってくると、今朝食った市販のパンの塩辛いこと。えっ、こんなに塩分が濃かったのかとびっくりした。小生血圧は高いから、塩分は控えめでなきゃならないのです。
意外だったのはけっこう果物が出たこと。昼食にキウイが1個出て、夕食にスイカが出てきたこともある。量さえセーブすれば何を食ってもいいのだそうだ。昨夜はびわが2個出た。スイカもビワも食ったのは今年はじめてである。
この間新聞も読まなければテレビも見なかった。おかげでワールドカップで敗退したことも知らないまま。それで改めて気がついたことは、いまどきの新聞やテレビは見なくて全然困らないと言うこと。むしろ精神衛生によろしい。
で、何をしていたかというと、ちゃんと仕事していた。本は3冊読めた。ただ日中はスケジュールが目白押しだったので、期待していたほどは仕事が進まなかった。完全に使えたのは夜の6時から10時まで。消灯後も1時間はがんばっていた。
当てが外れたのはインターネットができなかったこと。できるという触れ込みだったからコードを持って行ったところ、方式がちがっていて、備え付けのパソコン(みたいなもの)を使わなければならなかった。こういうときのことを考えてフリーメールのアドレスは取得してあったのだが、肝心のパスワードを控えてなかったから使えなかったのだ。
スキャンの結果、体内脂肪が多いと言われたのにはびっくりした。減量に成功して外側の脂肪は落としたものの、中の脂肪が落ちていなかったわけ。これは有酸素運動で減らすしかないのだという。
また緑内障の初期症状が見つかったのは少々ショック。糖尿病から来たものではないが、治る病気ではないから今後定期通院をしなければならなくなった。
週末退院とはいえ、無条件で帰してくれたわけではない。万歩計をつけられ、血糖値を測る器具まで持たされての仮赦免だ。昨夜も夕食のあと20分自宅でステップエクササイズをやったし、今朝は前の河川敷を30分歩いてきた。病院にもどって測ったらたちまちばれるから、手を抜くわけにいかない。何だか餌づけされた家畜になったような気がしないでもないのである。
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2006.6.17
変わりばえのしない日々を過ごしている。今週も外出したのは2回。病院とジムへ行ったきりだ。すっかり出無精になってしまって、先週開かれていた「よさこいソーラン」もとうとう見ないまま終わった。
で、何をしているかというと、あきれたことに仕事をしているのである。尻に火がついたというか、あと半年もたつと70になってしまう。世に言う古稀。ぼやぼやしてられなくなったのだ。
第一いつまで現役でいられるかという切実な問題がある。作家という商売は、使っている頭がそもそもしれたもの。しゃべることがないから、意外とぼけやすいのだ。現にそういう兆候がそろそろ出はじめている。要するに何もかもがタイムリミットにさしかかっているのである。
それなのにこれまで、ろくな仕事をしてこなかった。自分では代表作というものをまだ書いていないと思っている。いい加減に重い腰を上げないと、このままでは中途半端なままで終わってしまうぞ。というのでやっとエンジンがかかってきたというか、仕事に専念する気になったのである。
で最近は、機会があるごとに、もう人づきあいはしない。夜遊びもしない。同居している女性とのつき合いもしない。と宣告し回っている。すべての時間を自分ひとりのものにして、ひたすら書こう、と健気な決意をしているところなのである。
その第1回の作品が、先月末に完成するようなことをこのページで書いてしまった。たしかに一応書くことは書いた。しかし気に入らない部分があって、まだ保留にしている。ひょっとすると出さないまま終わってしまうかもしれないが、それはそれで仕方がないと思っている。
後を見るのはいやだし、後戻りする時間もない。ひたすら前に進むしかないというのがいまの姿勢だ。その作品は棚上げにして、いまはつぎの仕事に取りかかっているのである。
1週間の入院をすることにしたのも、じつはこれと関連して決意したこと。ここで1回生活のリズムを作りなおしてみようと思ったのだ。糖尿病であることは前からわかっていたし、それが治らない病気であることも承知している。要するにこれからもつき合って行かなければならない病気だ。だったら日々の暮らしの中に取り込んでしまうしかないだろうということである。
さいわい食うことがいちばんの関心事だった時代は終わった。いまは余録みたいなもので、ありふれたスローフードでけっこう満足している。食いたいものが食えないということをつらく思うことはない。要は気持ちの持ち方。糖尿病と遊びながら仕事をしていこうと思っている。
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2006.6.11 昨日は来客があったので、案内がてら、久しぶりの外出をして郊外へ出かけてきた。札幌へ帰ってきて以来はじめての行楽だ。
おどろいたことに雪がまだ大量に残っていた。平地を走っていてもみどりの山と雪をかぶった山とが重なり、いつもの年と景観がちがう。標高7、800メートルまで上がると、ほとんど雪山になってしまうのである。
毎年のように行く湿原と沼がある。片道30分くらいの平坦なコースで、木道が敷き詰めてあるからだれでも歩ける。その木道が雪に埋もれ、ものの10メートルとすすめなかった。ところどころ、目印のリボンが木に結んであるから道に迷うようなことはなかったと思うが、シャーベット状になった雪の原では靴が心許ない。結局断念して、近くの温泉に入って帰ってきた。
その温泉も、春先は敬遠したほうが無難という悪名高いところだった。温泉はいいのだが、登山客や山菜採りが大勢入山してくるから、午後になるとそういう人がわっと押しかけてきて銭湯並に混むのだ。それがこの雪とあってひとりもいなかった。つまり純粋な入浴客ばかり。おかげで露天風呂にたったひとりという時間もできるなど、存分に楽しんできた。しかも雪見風呂なのである。
帰りにいつも野菜を買って帰る道の駅へ寄ったところ、期待に反して野菜はゼロ。豆か花の苗くらいしか売ってなかった。現地は早春。野菜の収穫はまだ先の話だったのである。気のせいでなく今年は春が遅れている。札幌でもこの10日あまり、気温が20度を超えたことはない。温泉地の山の中が午後4時で9度しかなかった。
今週は糖尿病の精密検査をしてもらい、黒と診断された。本人は身に覚えのない濡れ衣だと思い込んでいるが、医者は数値しか信用しないものらしい。そのあげく、糖尿病患者としての正しい食生活と、正しい日常生活とを会得するための教育入院というのを勧められた。もちろん二つ返事で承諾した。
入院というのはまだしたことがない。しかもそれがぴんぴんした躰で体験できるのだから、これは1回やってみるべきだろう。いまどきの病院だからインターネットのできる部屋まであるとか。おかげで本人はにこにこして、ホテルへ行くようなつもりでOKしたが、もらったスケジュール表を見ると、1日中びっしりとカリキュラムが組まれていた。はしゃぐような楽しさはあんまりないのかもしれない。
とにかく再来週、1週間入院してきます。
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2006.6.3 今週は2回も病院へ行ってきた。
まずアレルギー。血液検査の結果が再来週になるので最終結果ではないが、いまのところスギ花粉症しかないことがわかった。シラカバは無実だった。
それにしても鼻液の検査をするから鼻をかめ、といわれたのに、こういうときに限って一滴の鼻水も出ないのはどういうわけだ。とうとう検査できるほど採集できなかった。それでいながら、いざ病院から帰りはじめたらずるずると出てくるのだ。宿主が宿主だから鼻水までへそ曲がりにできているのだろうか。
もう1回は糖尿病の検査。以前べつの検査を受けたら糖尿病を持っていることがわかり、本人ははなはだ不満だった。こんな正しい食生活をしている人間が、糖尿病になるはずがないと確信していたからである。したがってあれは絶対検査が間違っているといまでも固く信じている。
しかし家にはひとり、わたしより病院の数値を信じる人間がいて、いろいろうるさかった。それで今回無実の証拠を獲得するため、自分から検査を受けに出かけた。血液と尿の検査をしただけだが、結果は黒に近いグレイ。明白な無実の獲得とまでいかなかった。
こちらも来週精密検査を受ける。ことによったら同居人を勢いづかせ、ますます干渉されるようになるかもしれない。それにしても病院へ行くのは大変な手間だ。片道20分しかかからないところにいながら、完全に半日つぶれてしまう。
病院へ行ったのは数年ぶりだ。2、3年前だったか、声がかすれてしゃがれ声になったことがある。そのときは心配だったから自発的に行って診てもらった。結果は異常なしとわかったが、声のかすれはいまでもつづいている。
今回あらためて気がついたのは、来院者がずいぶん減っていることだ。以前はマーケットに来たのかと思えるくらいごった返していた。それが閑散としている。
支払いをしてよくわかった。アレルギーのときの自己負担額が6500円あまり。3割負担でこれだけの金額だ。血液検査からレントゲン撮影まで含むとはいえ、ずいぶん高くなった。とくに初診料2000円あまりというのが効いている。病院へ行く人が減ったのは、おそらくそれがいちばん影響しているだろう。
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2006.5.27
緑したたる新緑の季節だというのに、今週はとうとうただの1回も外出をしなかった。外に行けばくしゃみが出るからということもある。しかしずっと仕事をしていたのだ。それこそ寝ても覚めても仕事、仕事、仕事。おかげでジムへ行く間もなかった。アレルギーの検診も持ち越しだ。
どんな忙しいときでもジムには週1、2回行っていた。健康増進という建前もあるが、頭や体を洗うという本当の目的があったからだ。サウナで汗も流したい。マンションの狭い風呂というのが大嫌いなのだ。小さいときから銭湯に親しんできたせいで、大きな浴槽と洗い場がなければ体を洗う気がしないのである。
ジムへ行くようになるまでは、札幌に来てからもしばらく銭湯へ行っていた。ありがたいことに札幌の銭湯はたいていサウナを備えつけている。サウナ好きの人間としては、350円でサウナに入れるのは感激ものだった。それで一時は車であっちの銭湯、こっちの銭湯と市内の銭湯を渡り歩いていた。
家では烏の行水、石けんを使ったことはまずない。しかし今週はさすがにそうもいかなかった。1週間も体を洗わずにいると、頭がふけだらけになって、かゆくなるのである。それで今週は2回、わが家の風呂で頭や体を洗った。体を洗う目的だけで入浴したのは久しぶりだ。
仕事は今週がいちばん苦しかった。午前午後にそれぞれ2、3時間。夜は日によるが4時間から6時間仕事、という繰り返しだったからだ。こういうときは神経が高ぶっているから、いざ休もうとしても眠れないのである。
しかしどうやら山を越して、昨日3回目の書き直しというか、チェックが終わった。これで9割方上がったことになる。これをもう1回はじめから読み直し、細部の手直しをしたら完了だ。あと3、4日もあればすべて終わるだろう。つまり来週後半は完全に解放されているはずだ。
おりもよし。6月は北海道がいちばん輝いている時節である。さあ遊ぶぞと、いまから手ぐすね引いている。
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2006.5.20
あっという間に暖かくなり、今週は札幌の気温がついに25度を越した。週のうち3日は東京より気温が高くなった。街路樹が芽吹きはじめたと思ったら、いきなりライラックの花が咲いた。それこそいきなり、出し抜けに咲いた。桜の満開宣言のあったのが、今週の初めだったのだ。何ともあわただしくて、人間の感覚のほうがついて行けない北国の春である。
月曜日に、郊外へエゾエンゴサクという花を見に行った。そのときは朝だったとはいえ、寒くてふるえあがった。1時間ばかり外にいて車にもどったときは、体中が冷え凍り、暖房を目一杯かけた車のなかでしばらく動けなかった。
春はいいとして、もうひとつ困った問題が持ち上がっている。帰ってきて10日たつというのに、いっこうくしゃみが治まらないのだ。くしゃみと鼻水だけ。しかも鼻水ときたら、完全な水っぱな。油断すると、ところかまわず落ちてしまう。
いくら何でもおかしい、と思ってインターネットの天気予報をのぞいてみた。花粉情報の欄を開いてみると、道央がオレンジ印になっている。なんと、飛んでいるのはシラカバの花粉、しかも「非常に多い」となっているではないか。
青天の霹靂とはこのこと。いつの間にか、シラカバ花粉のアレルギーまで背負い込んでいたのだろうか。シラカバの花粉が、数年前から飛びはじめていることは知っていた。しかし自分には関係ないと思っていた。事実これまではなんともなかった。
それがいきなり、このくしゃみと鼻水である。東京にいたときのスギ花粉とは、明らかに症状がちがう。どう考えてもこの鼻水はおかしい。ほんとに心配になってきた。この分だと北海道にも住めなくなるかもしれない。来週は思い切って医者に行ってこようと思っている。
仕事の上ではわが家のプリンターに泣かされっぱなし。具合が悪いから捨ててしまいたいのだ。しかしどこも悪くない、と本人は主張する。使い方が悪いだけだと。事実機嫌のいいときは、いとも軽やかに動いてくれるのだ。まるで気まぐれ◎(1字伏せ字)みたいである。
先日は100弱枚印刷するのに3時間かかった。紙を130枚使い、手は墨で真っ黒になった。手を抜くと一度に5、6枚の紙を引き込んでしまうから、1枚1枚手差し、それでもしょっちゅう紙詰まりを起こす、勝手にノンブルをまちがえて、いらないところまで印刷する、こんな性悪◎(男)にいつまで辛抱しなきゃならないんだろう。
故障さえしてくれたら、即新しいのに買い換えるのだが、HP製は故障しないのである。以前使ったプリンターがHP製で、これは名機といっていい働き者だった。最後は人に進呈したが、一度として不具合を起こしたことがなかった。それで札幌へ来て新たに98を買ったとき、迷わずプリンターはHPにした。それからもう8年目、いまだに故障だけはしないのである。
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2006.5.13
春たけなわの東北を北上して早春の北海道へ帰ってきた。フェリーで帰るほうが楽は楽なのだが、この時期の東北は北へ行くほど緑が若くなり、さまざまな新緑が楽しめて何度往来しても飽きない。今回もそれを満喫したくて青森まで走りに走った。おかげで全走行距離950キロ、札幌へ帰り着いたときはげっそり疲れていた。
今年はどこもかしこも大量の雪が残っていた。そのせいで春の到来もだいぶ遅れていたようで、角館のしだれ桜は終わっていたが、弘前城公園の桜はまだ十分楽しめた。雪にいたっては、八幡平や八甲田の沿線の雪の壁が5メートルから10メートルもあって、これほどの雪を見たのは今回が初めてだ。この分だと6月になってもまだ雪見が楽しめることだろう。
おかげで夜になるとかなり気温が下がった。寒くてさかんにくしゃみが出る。風邪の引きはじめかと思って下着を余分に着たこともある。そしたら青森の天気予報が花粉情報をやっていて、明日の花粉は「やや多い」と出たからびっくり。あ、まだ終わってなかったんだ、とようやく納得した。
今回は特筆すべき出来事がひとつあった。子グマに出っくわしたのだ。もちろんはじめてのことである。
場所は岩手の北上から秋田の横手へ抜ける国道107号線。人家のない山のなかを通り抜ける路線とはいえ、けっこうトラックの往来がはげしい道路である。そのときも大型トラックが前にいて、ずっと排ガスを吸わされてはたまらないから100メートルぐらい距離を開けて追走していた。すると右の道路脇を真っ黒いものが転がるみたいにこっちへ走って来る。
見ると子グマではないか。親にはぐれたのかどうか知らないが、うっかり国道まで迷い出てきたところ、大型トラックが轟音を上げて突っ込んできたから肝をつぶしたのだろう。あわてふためいて側壁の隙間へ潜り込み、山のほうへ駆け上ろうとした。ところがコンクリートの壁が急すぎて登ることができない。それでまた道路へ飛び出し、ブレーキを踏んで止まったわたしの車の前を横切り、反対側のガードレールの隙間から下の茂みへ飛び込んで逃げてしまった。
「カメラ、カメラ」と叫んだもののわたしだって車を止めるのに精一杯。おまけにこういうときのデジカメときたら、レンズの出るのが遅くて腹立たしいほどとろ臭いのである。結局1枚だけ撮るには撮ったが、あとで見てみたらガードレールしか写ってなかった。くやしいのなんの。千載一遇のチャンスを逃がしてしまった。しかしあわてふためいた子グマの格好を思い出すたび、いまでもおかしくなってくる。
ところがその日、札幌でも迷い子グマが保護されていた。こちらは相当衰弱していたそうだが、母グマのいる森へ帰してやるのがいちばんいいということで、そのまま放してやったとか。そしたら翌日、衰弱死しているのを発見された。
その日の晩、室蘭でフェリーを下りて陸路を運転しながら帰ってきたのだが、冷たい雨の降りつづいた夜で、外気温はずっと8度しかなかった。山のなかはもっと冷たかったことだろう。衰弱していたというのは腹が減って弱っていたからで、自力で餌をとることのできない子グマにとっては過酷すぎる夜となったのだ。
しかし子グマがあっちこっちで目撃されるというのも、どういうものか。クマの世界でも家庭崩壊みたいなものが起こりはじめているのだろうか、妙に気になる。
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2006.5.7
今年も平穏にゴールデンウイークが終わった。ふつうは子どもがこの機会に親の元へ帰るようだが、わが家は逆、親のほうが子どものいる東京へ帰ってくる。子どもが3人、孫が4人、全員がそろうのは年に1回、このときくらいしかないのである。
今年はそれが3日になって、夕飯をみんなで囲んだ。総勢11人、これだけ大人数のめしを最近つくったことがないから、かみさんが量をまちがえ、腹一杯というにはややものたりなかった。孫ふたりが小学生になったこともあり、けっこう食べはじめたのだ。
3、4、5と天気に恵まれ、ようやく暖かくなった。これまでも日中の気温が高くなることはあったが、多摩は夜になると気温が下がるから、仕事をするときは暖房が欠かせなかった。夜も暖房なしで過ごせるようになったのは、やっと一昨日からである。
しかしエアコンの暖房は、風が吹きつけてくるから好きでない。パネルヒーターの自然な温もりと比べたら、快適度に雲泥の差がある。寒冷地仕様の北海道の家に慣れてしまうと、東京の家やマンションはろくなものじゃないなと思えてならない。
また季節の変わり目に帰ってくると、着るものを合わせられなくて苦労する。毎年同じ時期に帰っていながら、いざとなるとふだん何を着ていたらいいのか、わからなくなってしまうのだ。今回もTシャツを何枚も持って帰ったが、1度も着ないまま終わった。一方であったらいちばん重宝したはずのチョッキは、持って帰ることすら思いつかなかった。
この20日間、ろくに外出もせず仕事に専念していた。1ヶ月近く東京にいながら、書店へも行かなければ、本も買わずにすごしたのははじめて。これほど根を詰めて仕事をしたのもはじめてである。
3月までに480枚書いてあったものを4月に入って再構成し、全面的に書き直した。章単位で削除したり、書き加えたり、前後を入れ替えたりして、もう1回はじめから見直したのだ。それが昨夜、全550枚となってやっと完結した。
といってもこれは下書き。骨格だけが決まったようなもので、小説としての体裁はこれから整える。これがあと1ヶ月はかかるだろう。何とかして5月じゅうには完成させたいと思っている。
2、3日後には新緑の東北を駆け抜け、北海道へ帰ります。
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2006.4.29
ようやくADSLが開通した。しかし思っていたほど早くない。とくに最初、ホームページの画面が出るまで30秒くらいかかるのはがっかりだ。これでは電話回線のときとあまり変わらない。電話局から距離があるので、それほど著しい効果はないかもしれないと思っていたが、ちょっとかかりすぎる。ただし最初だけで、以後の画面転換は早いから、設定の仕方でも悪かったのだろうか。ちなみに回線速度は100Mbpsとなっている。
それともうひとつ、終了画面で障害が出はじめた。スタンバイ処理をすると、フリーズして、そのまま凍りついてしまうことが多くなった。強制終了にしてスイッチを入れ直せばすむことだが、度重なると面倒くさい。ほかの障害まで出てきたら困るので、以後1日の仕事を終えるたび、USBメモリーにバックアップを取るようにしている。
花粉症も終わっていない。週初めにスーパーへ買い物に行ったところ、1時間ばかりの外出だったのに、帰ると鼻水がずるずる出はじめた。火曜日の大雨で洗い流されたのか、以後はかなりよくなっている。
それにしてもシャワーのような激しい雨だったのに、晴れてみたら庭の車が泥だらけになっていたのにはおどろいた。大気が黄砂だらけだったのだ。それとも花粉アレルギーのほかに、黄砂アレルギーまで背負っていたのだろうか。
昨夜は荻窪在住の某作家が、シシ鍋パーティをやるというから出かけていた。猪はむかしよく食った。伊豆の湯ヶ野温泉あたりへ冬に行くと、シシ鍋しか出なかったものである。それ以来だから、30年ぶりぐらいになる。猪ばかりか、サクラ肉まで用意してあって、とても食いきれなかった。6人で4キロも用意してあったのだ。サクラ肉はポーランド産だという。こんな国から輸入されているなんて知らなかった。
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2006.4.22
何をやってもうまくいかないときがある。今週がそうだった。
花粉症も終わりだろうと思って帰ってきたら、全然そうじゃなかった。はじめの2日間ぐらいは何ともなかったのだ。
今回は北方謙三の司馬遼太郎賞受賞記念パーティがあったのでそれに合わせて帰ってきたのだが、当日夜、2次会の会場へ行ったあたりから鼻水が出はじめた。完全な水っ洟である。
万一に備えてティッシュは多めに持っていた。しかし出るは、出るは、出はじめたらどうにも止まらなくなった。それで結局中座して帰って来ざるを得なかった。翌日からまた家のなかに閉じこもっている。家にいる限り大丈夫なのだが、それにしてもしつこいなあ。
日野ではインターネットに電話回線を使っている。ADSLも一時考えたが、電話局から距離があるため、それほど効果はありそうもない。それで不便を忍びながら電話回線で我慢していた。
しかしひと月おきくらいに東京へ帰っていると、これではやはり不便だ。それで今回、札幌で手続きして、こっちへ帰ってきている間に、ADSL回線へ切り替えてもらうことにした。
帰ってきて3日目、モデムが送られてきた。翌日からADSLが使えるという。やれうれしやと設定をはじめてみたら、添付されているCDで、接続ツールをインストールしなければならないとある。
ところが小生のノートパソコンはCDドライブが外付けなのである。そんなものが必要だとは思いもしなかったから、持ってこなかった。あわてて札幌から送らせることに。結局開通は来週へ持ち越してしまった。
今週はひそかに温泉へ行こうと思っていた。行き先も決めてあった。ところが来週東京へ帰ってくるはずだったかみさんが、急に予定を早め、明日帰ってくることになった。おかげでせっかくの温泉つき自主カンヅメも中止。うまくいかないときはこんなものである。
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2006.4.15 この間帰ってきたばかりなのに、今夜また東京へ出かける。行けば行ったで、今回も1ヶ月。帰ってくるころの東京は、もう初夏の陽気になっていることだろう。
この時期の移動でいちばん困るのは服装だ。路地に雪が残っている札幌の感覚では、東京の季節感がなかなかわからないからだ。前回も東京に長くいすぎ、その間どんどん春になって、着るものがなくなって困った。
昨夜、さて何を着て帰ろうかということになり、クローク(と呼べるようなしゃれた代物ではない、ただの戸棚)をごそごそやっていたら、見たこともないジャケットが出てきた。クリーニングの袋に入ったまま。奥の方で見つけたから、だいぶ長いことお蔵に入っていたみたい。
この上着に、まったく記憶がなかった。かみさんに見せても同じ。見たことがないという。ふたりしてあれこれ考えたが、身に覚えがない。あげく、クリーニング屋がまちがえて持ってきたのを、たしかめもせずそのまま放り込んでいたんじゃないか、ということになった。
というといかにも衣装持ちみたいだが、ろくな衣類を持っていないのだ。そろいのスーツというものを買ったことがない。必要に迫られたときだけ上着を買い、ズボンを買い、シャツを買いして、その場しのぎでやってきた。ネクタイに至っては1本、やむをえないとき締めるものを持っているきり。そんな衣装感覚だから、身に覚えのない上着などあるわけがないのである。
と、結局はクリーニング屋のせいにしてしまったが、そのうちかみさんが、ひとりで東京へ帰っているとき、必要に迫られて買ったんじゃありませんか、と言いはじめた。出なければならないパーティか、会合があって、着るものがないからあわててデパートへ飛び込む。あり得ない話ではない。というよりほとんどの場合、そういう切羽詰まった事情があって買っているのだ。
急に自信がなくなってきた。
そういえば材質は麻、色は黒。改まったところへ出るのに、一応失礼にならない程度の、軽く引っかけられるタイプ。サイズも合っている。とくれば、わたしがジャケットを買うときの圧倒的なパターンではないか。
要するに脳の記憶細胞がいかれてしまっただけではないのか、という気がしてますますいやな気分になった。とりあえず今回は持って帰るのを見合わせることにしたが、となると、今回東京へ帰る目的、18日に開かれるパーティへ着て行くものがないんだよなあ。
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2006.4.7
札幌に積雪ゼロ宣言が出された途端、冬に逆戻りしてしまった。まず月曜日に一面の降雪。水曜日にはとけたものの、木曜日にまた降った。しかも今度は14センチ積もる大雪。今日も1日粉雪がちらついた。降ってはとけ、降ってはとけ、北海道の春はこうやってすこしずつやってくる。
その雪で運転を誤ったのか、いつも使っている地下鉄の出入り口が、車にぶっつけられて閉鎖されている。見に行くと、地上に出ているコンクリートの四角い壁が大破し、上に立っている駅名表示のポールが斜めになっていた。大型トラックがかなりのスピードでぶっつかりでもしないと、これほどのダメージは受けないと思う。しかしこれでは、乗っていた人間だって無事ではすまなかったことだろう。
今週は結婚何十何周年とかだったので、それを記念してというか、かこつけて、この20日で廃止となる「ふるさと銀河線」に乗ってきた。道東の北見と池田間を走る旧国鉄時代の池北線で、全長140キロ、第3セクターのなかではもっとも距離の長い鉄道路線だ。
発足当初から、早晩廃止は免れないだろうと見られていた。この沿線、道内でももっとも人口の少ないところのひとつなのだ。走らせれば走らせるほど赤字が嵩むのはわかりきったこと、あとはどれくらい持ちこたえられるかという問題でしかなかった。
わたし自身は鉄道が大好きだし、路線の存在意義は経済効率だけで図るべきではないという考えも持っている。しかしそれでも、この路線の存続にははじめからむりがあったように思う。当の住民が交通機関としてまったく当てにしていなかったのだ。また観光路線として生き残るには、あまりにも遠隔地すぎた。沿線の町村が懸命の努力をしたものの、ついに万策尽きたのである。
皮肉なことに廃止間近ということで、いまになって客が増えている。われわれもそれを身をもって体験してきた。1両で走っているのである。そのため始発駅から満員。10人からの客が、気の毒なことに最後まで立ちっぱなしだった。
乗客同士の話を聞いていると、ほとんど本州からの客だったようだ。それも鉄道マニアとか、学生とかではなく、われわれと同年配の、老人夫婦が半分以上を占めていた。この人たちはけっこうあけすけにしゃべるから、居ながらにしてお里が知れてしまうのである。面白かったといえば面白かったが、なんだか複雑な気分の4時間でありました。
これで北海道のさびしさがまたひとつ増える。鉄道があれば、それに乗って通過するだけでも、まだしも旅人がそこにいることになる。鉄道がなくなってしまうと、99.9パーセントの人は、訪れることのない地になってしまうのである。
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