きのうの話 |
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せがれが親孝行の押し売りに来たので、この小忙しいのにつき合ってきた。 今回出かけたのは雌阿寒岳。阿寒湖の近くにある標高1499メートルの活火山である。比較的登りやすい山だそうで、レベルは初級ということになっている。しかし登山口からの標高差は850メートルある。北海道へ来て20数回山に登っているが、これほど標高差のあるところに登ったことはない。標高2290メートル、最高峰の旭岳でさえロープウエーが1600メートルまで運んでくれるから、700メートル登れば頂上に立てるのである。 標準で2時間半というコースをゆっくり登って行ったら、ほぼそれくらいで頂上へ着いた。そこから同じコースを引き返したら簡単だったのだが、つい欲を出してしまった。同じ道を帰るのはつまらない、というのでちがうコースを下りてきたのだ。こちらは勾配は緩やかだが、距離が1キロばかり長くなる。そのうえ下りてきて、車を置いたところまでさらに2キロ森のなかを歩かなければならない。 この日10数組の登山客がいたが、われわれと同じコースを下った人はいなかった。またそちらから登ってくる人にも出会わなかった。いまではまったく人気がなくなっているみたいなのだ。 歩いてよくわかった。同じコースを引き返したら1時間半もあれば帰り着けるのに、たっぷり3時間半もかかってしまったのだ。倍以上である。最後は足が棒になって完全にへばってしまった。 ふだんでも下りを苦手にしている。とくに段差の大きいところがだめで、膝ががくがくになってしまう。そしてその段階をすぎると、足を踏み下ろすたび激痛が走るようになる。ストックの助けを借りて何とか下ってきたものの、悲鳴を上げっぱなしだった。 疲れすぎて、その夜は温泉で躰を休めたもののよく眠れなかった。翌日からは筋肉痛だ。ふくらはぎがこちんこちんになって、歩くのさえつらい。3日たった今日になってもまだ痛いのである。ジムで重点的に筋力アップを図ってきたつもりだが、自信がなくなった。残念だが、そろそろ白旗を上げなければならないときがきているのかもしれない。 2005.8.26 わが家をいま、ノシメマダラメイガという虫が飛び回っている。コクゾウムシと同じ米につく虫だが、こちらは主として玄米につく虫である。コクゾウムシは知っていたがノシメのほうは知らなかった。気がついたらわが家の玄米に大発生していた。 三男が信州で百姓をしている。それがつくってくれた無農薬米である。それはいいが、大量にどかっと送ってきたから処置に困った。ふたりの生活だとそんなに米はいらないのだ。わたしの場合、めしを食うのは夕飯のときだけ。それも茶碗一杯を原則としているから、ふたりで1日1合5勺あれば足りるのである。 それを一度に何10キロも送ってきたんだから持て余すだけ。紙製の米袋に入れたまま放置してあった。一応は虫除けの薬品を入れようとしたのだ。ところが札幌は180万都市。そういう需要がないのだろう、どこにも売っていなかった。それで唐辛子を混ぜ込んだだけで、ほかの手は打たなかったのである。 この玄米を月に1回くらい精米器にかけ、新米にして食っている。それがこのまえ袋を開けてみたら、虫だらけになっていたというわけ。あわてて新聞紙の上に米をひろげてみたところ、いるわいるわ体長7、8ミリの蛾が文字通り涌いてきて飛び立ちはじめた。ほかにも体長1センチくらいの蛆がのそのそ這いまわり、米を粘液状のもので綴じてそのなかに籠もろうとしている。そうやって蛾になるみたいなのである。 見慣れたコクゾウムシとは形がだいぶちがう。それで調べてみたらノシメマダラメイガだとわかった。羽の模様が熨斗目のように見えるところからついた名前だそうだが、べつに珍しくもない古くからいる虫である。食ったって害はないらしいが、かといってウジ虫でタンパク質を摂る気にはなれない。あわてて取り除きはじめた。いちいち手で取り除くしかないのである。 米のほうはステンレスの網でふるいにかけ、冷蔵庫で保管することにした。けしからんことにこのノシメ、胚芽のところだけ食い荒らしている。残っているのはいまやほとんど食い残し。いくら丁寧に精米しようが、気をつけて炊こうが、全然うまくないのである。 このノシメ、日中はどこかへ飛んでいっていなくなるのに、夕方になるとひろげてある米の上へ一斉にもどって来る。 「こいつら、晩めしを食いに来てるんじゃないか」 はじめは笑っていたものの、調べてみたらとんでもない。卵を産みつけに来ていたのだ。 さあそれからは目の敵。見つけ次第小型掃除機で吸い取るというジェノサイドを開始した。掃除機片手に家の中をぐるぐる回り、天井から壁から段ボール箱から、隠れているのを片っ端から追い出しては吸い取った。残っていた米も大急ぎで片づけ、冷蔵庫に入れた。それでとりあえず目につかなくなったのだが、それでも夕方になるとどこからともなく姿を現してくる。いまでも毎日3、40匹は吸い取っているのである。 しかしそれよりも何よりも、今年いっぱいはこのノシメが食い荒らした米を食わなきゃならんのかと思うと、そっちのほうがはるかに憂鬱である。 2005.8.20 暑い夏がようやく終ろうとしている。真夏日こそ10日足らずだったものの、今年は蒸し暑い日が多かった。しかもそういうときに限って風がまったく吹かない。冷房のない暮らしだからこういう状況で仕事をするのはつらい。加えてお盆にはせがれが子どもを連れてやって来た。滞在は3日間だったが、むろんその間仕事はできず。ペースを取りもどすのにさらに数日かかった。 一昨日あたりからやっとしのぎやすい気温になった。夕方になると一気に涼しくなり、夜風はもう肌寒さすらおぼえる。おかげで仕事がはかどりはじめた。どこへも出かけず、パソコン漬けの日々をこんなに長くつづけているのははじめて。週のうち5日は家から一歩も出ない。この欄のことも気にはしているのだが、なんせ書くことがないのである。 そのせいで今年は高校野球も全然見なかった。昨日、駒大苫小牧が甲子園で57年ぶりという連覇を遂げたところだが、それすらまったく見ずじまい。そう、今年も勝ったの、よかったね、でお終いだ。去年はだれも予想しなかった北海道のチームが優勝したから快哉を叫んだのであって、高校野球そのものはわたしの好みじゃない。とくにマスコミ報道が大嫌いだ。今日の朝日新聞ときたら見られたざまではなかった。どこもかしこも駒大記事だらけ。数えてみたら臨時ページをふくめて17ページもあった。この新聞には出版広告しか期待していないのである。 それで仕事の進行状況だが、遅々とした歩みに変わりはない。平均すれば1日10枚前後。1日10枚なら1ヶ月で300枚のはずだが、実際はその半分がいいところだろう。しかもこれは下書きだから、完成原稿となるとさらに倍の時間がかかる。つくずく辛気くさい商売だと、それを考えはじめると何もかもいやになってしまうのだが、いまさらやめるわけにいかない。自分にはほかに何か向いていた商売があったんじゃないか、という懐疑につきまとわれながらきょうもキーボードを叩いている。 2005.8.5 日帰りで北海道の屋根旭岳へ行ってきた。といっても頂上まで登る元気はない。ロープウェイが1600メートルまで運んでくれるから、標高1800メートルくらいの裾野を4時間ほどうろついてきただけである。この日、札幌の気温が30度。現地は14度。風がなくて日差しが頃合い、山歩きにはまことに気持ちのよいお天気だった。 びっくりしたのは雪がまだかなり残っていたこと。旭岳の裾にはいくつか池があるけれど、数日前まで、そのうちのひとつは雪で完全に埋もれていたとか。裾合平というところまでチングルマの群落を見に行ったときも、大小5本か6本かの雪渓を横切った。全長1キロはあろうかという大雪渓も2本。今年はたしかに雪が多かったとはいえ、こんなに残っているとは思わなかった。だったら6月か7月に来るべきだった、といつもながらの後の祭りである。 チングルマは見映えのしない小さな花だが、一面の群落となるとなかなかの壮観だ。とはいえ、本当のことをいうとわたしは花にそれほど興味がない。連れ合いが見たいと言うからついて来た。連れ合いがきれいだと言うから調子を合せていただけのこと。花よりは実、それも食べられる実だったら目の色が変わってしまうのだが。 それにしても山へ行くたび気になるのは、笹の進出がすさまじいことである。高山植物の領域をどんどん浸食し、いまにも取って代わろうかという勢いを見せている。そう遠くない将来、裾野すべてがただの笹っ原ということになってしまうのではないか。それまでに高山植物がもっと高い山の上へ、逃げて行くことができるとはとても思えない。それくらい笹の進出スピードが早いのである。 パトロールのレンジャーに出会ったから聞いてみた。35年前まで、ここらに笹はなかったという。困ったものです、とは言うものの、何らかの対策が講じられているという話は聞かなかった。地球温暖化によって山の気温が上がっているということだろう。笹にしてみたらきわめて自然な現象ということになるのだろうが、高山植物が咲き乱れる風景を、われわれは子孫に残してやることができないのではないか。現地への往復に車を使い、化石燃料を燃やして温暖化の進行を助長している身としては、あまり大きなことが言えないのである。 2005.7.27 月末に取材で近畿へ行くつもりをしていた。それが都合で延期になった。困ったのは、帰りに東京へ寄るつもりをしていた予定が流れたこと。このところだいたい2ヶ月おきに帰っている。それが流れたことで、リズムが狂ってしまった。つぎは当分帰京する予定がないのである。 東京では2、3日かけて本屋巡りをしようと思っていた。いますぐ探したい本がいくつかあるのだ。といって、具体的な書名があげられるわけではない。こういうことが書いてある本はないかな、というきわめて漠然とした欲求だ。書店なり古本屋なりに行って、あれこれ手にとってみないと見つけようがない。札幌では、この手の本を見つけることがまず不可能なのである。 札幌にも大きな書店はある。近年旭屋や紀伊国屋がリニューアルし、蔵書数80万冊を豪語する大型書店になった。しかしそれはコミックやジュニアもの、ハウツーものまでふくめての総数であって、人文書の棚となると、途端に東京の中規模書店の棚より貧弱になってしまう。最近はあきらめて書店へ行く回数まで減ってしまった。東京で探すほうが楽だと割り切ったのだ。消費生活ではなにひとつ不自由しない札幌だが、こと出版物となると、中小の地方都市とまったく変わりがないのである。 本を買うだけならインターネットで間に合う。しかしそれは内容や書名がわかっている場合であって、思いがけない本をひょっこり手に入れる、といった貴重な出会いは望めない。書店になく、パンフレットや広告で知る機会のない本というのは、この世に存在しないも同然なのだ。地方にいると、この種の存在しない本というのがじつに多いのである。 札幌に来た当初、北海道新聞を購読していた。しかし出版広告が少ないのに悲鳴をあげ、朝日新聞に切り替えたという話は、まえにこの欄でしたと思うが、北海道ではその朝日新聞がまことに頼りないのである。朝日に限らない。読売、毎日など、東京の中央紙が北海道ではすべて弱小紙、メンツがあるから引き揚げるわけにいかないのだろうが、おそらく採算は取れていないはずだ。新聞を開いてみたらわかる。ろくに広告が入っていないのだ。 朝日にしても、一面の下の出版広告くらい全国同じだろうと思うのだが、ほかのページとなると目もあてられない。出版広告は大手出版社のものくらい。代わっていちばん目につくのが自社広告だ。毎日毎日、海外旅行や安売り航空券、カルチュアセンター、花火大会から各種イベント、CD・DVDから健康食品の販売まで、よくまあこんなにも系列会社があるものだとあきれるくらい自社広告が並んでいる。 天下の朝日新聞だから週刊誌の広告ぐらい全部載ってるだろうと思うでしょう。どうしてどうして。新聞社系の週刊誌は載らないのだ。そればかりか、週刊ポストの広告さえ載ってないのである。掲載を拒否しているとは思えない。広告媒体としての効果がないから出稿してくれないのだ。したがって北海道で朝日新聞しか読んでない人には、週刊ポストという雑誌は存在しないも同然なのである。そういえば、小学館の出版広告も見たことがないなあ。今度気をつけて見てみよう。 というわけで、書店も、新聞も、本探しにはそれほど役に立たなくなった。しかもこの傾向はますます強まりつつある。これでは東京の一部書店をたよりにするほかないではないか。 2005.7.19 本州は梅雨が明けたようだが、北海道の天気はどうもぴりっとしない。ぐずぐずした空模様がつづき、まるで梅雨みたいな感じなのだ。この1、2年の実感でいうと、東北あたりの天候とひとつながりになってしまったような感じがする。地球温暖化による気候変動が予想以上に速いのではないか。いずれ間もなく、それもそう遠くない時期に、北海道も入梅宣言をするようになるのではないかという気がする。 そういえば今年は、夜、窓から入ってくる虫が増えた。これまでは窓を開け放しておいても、虫の心配はそれほどしなくてよかった。12階という高さもあるだろうが、虫の絶対数が少ないのである。本州から来た人間には、こういうことも北海道の快適さのひとつになっていた。それが、今年は明らかにようすがおかしい。何もかもがなしくずしに本州と同じになりつつあるみたいで、気に入らないのである。 このところどこへも行かず仕事に専念している。札幌へ帰って来て40日。この間郊外まで出かけたのは来客があったときだけ。車も、先週プランターに入れる土や苔を買いに行ったとき使ったきり。ジムと本屋、食料の買出し、行動範囲が1、2キロの範囲ですべておさまっている。 大好きな温泉へも行っていないのである。どうしてかというと、亭主に相手をしてもらえないかみさんが習い事やウオーキングにせっせと出かけはじめたため、そうなったら何もこちらがわざわざ家から逃げ出すこともないということだ。この連休は2日とも朝早くから出かけてくれた。ありがたいのなんの。大きな声では言えないが、かみさんがいないとそれだけでゆったりした気分になり、心おだやかに仕事ができる。それに温泉はいいとして、そこで仕事をしようとすると、資料から湯沸しから座布団からマグカップまで、身の回りのもの一切を持って行かなくてはならない。けっこうエネルギーがいるのだ。それがだんだん面倒くさくなってきた。 日常生活でもそう。これまで飲み物といえばコーヒー一辺倒、豆から挽き方からフィルターの穴の数にいたるまで、かなりこだわってきた。挽いた粉など買ったことがない。それが最近はどうでもよくなってきた。面倒くさいから挽いてくれ、といって買いはじめた。そればかりか、ネスカフェでも平気になってしまった。これ、いったい進歩だろうか、退歩だろうか、あんまりいい兆候ではないような気がするのだが。 2005.7.7 また風邪気味である。このところ日々の気温変動が大きく、寄る年波か、体温調節がうまくいかない。もちろん油断もある。毎日暑さ寒さががらっと変わるため、きりきり舞いさせられているのだ。 先週は暑かった。日曜日に散髪へ行ったところ、気温27度、快晴だったが湿度が高く、これが北海道かというぐらいむし暑かった。散髪を終えて大通りにさしかかると、いつになく人が出ている。札幌国際ハーフマラソンが行なわれた日だったのだ。ついでだから10分ほど待って、往路を駆け抜けて行く選手を見送ってきた。男性選手は展開がばらばらだったためだれがどこにいるのかさっぱりわからなかったが、女性選手は日本の野口みずき、ケニアのヌレデバ選手などが集団をつくっていたからはっきり見届けられた。それにしても彼らの速さときたら尋常なものではない。しかしお天気のほうは、マラソン競技には暑すぎて気の毒だった。おかげでいい記録は出なかったようである。 翌日から一転、涼しくなったから皮肉なもの。札幌には珍しく2日つづけて雨が降り、気温も15、6度まで下がって、5月の陽気に逆戻りした。うっかり半袖シャツで外へ出てゆくと身震いするぐらい寒かった。きのうから家にいるので安心してTシャツで過ごしていたところ、今朝になって扁桃腺が腫れてきた。寒くてたまらず、あわてて長袖シャツを引っぱり出してきて、靴下まではいた。さっきからは仕事部屋の暖房も入れている。いまぬくぬくという状態でキーボードを叩いているところ。きょう函館の知り合いから暑中見舞いをもらったが、函館も寒くてストーブを入れているそうだ。 肝心の仕事は、例によって予定通りにすすんでいない。怠けているのではありません。一昨年の暮に最後の短編集を出したが、あれに収録できなかった作品がまだいくつか残っていた。そのなかから厳選してもう1冊出してくれるというので、いまそれに収録する作品の一部を手直ししているところである。おかげでもし長編が間に合わなかったとしても、短編集は年内に1冊出ることになった。 |
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