Shimizu Tatsuo Memorandum
Essay
YOSAKOI そうらん
『オール読物』 (文藝春秋社) 2003年5月号より

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 小田原に住んでいる知り合いの娘が、昨年YOSAKOIソーラン祭りに札幌へやって来た。道内のチームに踊り子として参加したのである。それなら見てやらなければなるまい、というので期間中何度か大通りまで足を運んだ。ところが彼女の所属するチームにとうとう一度も巡り合えなかった。そのはず、三百を越えるチームが参加していたのである。スケジュールを聞き、その時間と会場に合わせてこちらが出向かなければとても見られはしなかったのだった。
 札幌のYOSAKOIソーラン祭りはことしで十二回目、ごく最近はじまった新しい祭りである。旅行中に高知でたまたまよさこい祭りを見て感動した札幌の大学生が、北海道でもやろう、ということから生まれてきた祭りなのだ。第一回の参加チームは十、踊り子千人だったのが、昨年はなんと四万人を越える人が日本各地から集まってきた。それこそあっという間に札幌を代表する一大イベントになってしまったのである。
 このイベントの本家ともいえるよさこい祭りは、わたしの郷里の高知ではじまった祭りである。ことしで五十回。第一回は昭和二十九年に行なわれたとあるから、当時高校三年生だったわたしは、市内のどこかでこれを見ているはずだ。しかしまったくといっていいほど記憶がない。というのも、そもそもこの祭りが大嫌いだったからである。
 なぜならこれは、日本の代表的な夏祭りである阿波踊りに対抗してむりやりつくり出された商業的イベントにすぎなかったからだ。徳島ばかり大もてなのが面白くないほかの四国三県が、あのころみな似たような祭りをつぎつぎにつくりだしている。発想も安易なら内容もお粗末、はっきりいって当初のよさこい祭りは音楽、踊り、囃子ともひどいレベルだった。いまいましいことに二十四、五歳のとき、わたしも駆り出されて一度参加しているのだ。当時はまだ盆踊りみたいな踊りで、それを白昼の街中でやらされるのだから面白くもなんともありやしない。恥ずかしかったことだけおぼえている。
 だから高知を出てからは一度も見なかったし、帰郷するときもその時期を避けるようにしていた。何年かたって、テレビニュースで報道されたのをちらと見かけたことがある。踊りがすっかり変わり、阿波踊りそっくりになっていた。完全な猿真似である。それでますます嫌いになって、以後は見向きもしなかった。
 何十年かのち、よんどころない事情があって高知へ帰ったとき、この祭りと時期が重なってしまった。そのとき三十年ぶりかそこらでこの祭りと踊りを見た。そして呆然とした。踊りがまったく変わっていたからである。つまり鳴子を使い、どこかによさこい節のリズムかフレーズを入れさえすれば、あとは踊りも曲も自由という現在のスタイルになっていたのだ。メリハリのなかっただらだらした踊りは、エネルギッシュでパワフルな若者たちの一大パフォーマンスへと大変貌を遂げていたのだった。
 YOSAKOIソーランもこのスタイルを踏襲している。つまり北海道の代表的民謡であるソーラン節をどこかにおり込みさえすれば、あとは自由。よさこいの名は、本家への敬意のあらわれと、鳴子を使うことに残っているだけ。じつはそこに爆発的に盛りあがってきたいちばんの理由がある。制約を最低限に自由裁量部分を最大限にしたからこそ、若者たちに受け入れられ、創意と工夫とエネルギーが結集されるようになったのだ。
 この祭り、いまでは高知と北海道の専売特許とばかりいえなくなりつつある。日本全国のいたるところで、よさこいの名を冠した同じような祭りがつぎつぎに誕生しているからだ。昨年の札幌にも、佐世保や富山であらたに結成されたよさこい祭りのキャラバン隊が乗り込んできて、PRを兼ねた自分たちの歌や踊りを披露していた。
 発想そのものはきわめて安易なのである。なんでもいいから人を集めたい、過去の賑わいをとりもどしたい地方の自治体が、高知や札幌の隆盛を見て、そうか、こんな手があったのかとばかりに飛びついているだけの話なのだ。当然地域性や伝統とは無縁なイベントになってしまうわけで、こんなのお祭りじゃない、という批判の声もかなりあると聞く。しかし人さえ来てくれたら大成功、という地方自治体にしてみたら魅力のあるイベントにはちがいなく、この先まだ似たような祭りがもっと増えるにちがいない。
 わたしの家の前の豊平川の河川敷では、週末になると五月の初めあたりから、よさこいソーランに参加するグループの練習がはじまる。それはどう見ても自発的な集まりで、紐つきだったり動員されて出てきたりしているようには見えない。練習を見ていても楽しそうなのだ。そういえばYOSAKOIソーランのいちばんの魅力は、踊っている人の表情にあるのではないかと思う。踊ることをこれほど楽しんでいる祭りも、そうはなかったような気がするのだ。ひょっとするとこの祭りは、二十一世紀初頭を代表する現象のひとつになるかもしれない。時代を映す鏡として、まだどんどん変わっていくような気がするのである。



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