Shimizu Tatsuo Memorandum
Essay
されどふるさと
『青春と読書』 (集英社) 2003年3月号より

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 北海道にきて四回目の冬をすごしている。こんなに長く住み着こうとは予想もしていなかった。はじめはほんの一、二年のつもりだったのである。糸の切れた凧みたいにいろんなところで住んでみよう、というノーテンキな発想で、その最初の地として北海道をえらんだにすぎない。それが四年たってもまだぐずぐずしている。ことしこそつぎのところへ移りますと、年賀状には毎年そう書いて自分を追いこんでいるのだが、果たしてほんとうにそうなるかどうか。意外と来年も、五年メェー、などとしゃあしゃあと居残っているかもしれないのだ。
 なんといっても住みやすいのである。この感覚は、やはり北海道を知っている人でないとわからないのではないかと思う。きょうなどこの冬いちばんという寒波がきて、札幌の最低気温はマイナス十四度だった。四時ごろ大通り公園まで買物にでかけたとき、ビルの屋上にある気温計がマイナス十・二度を示していた。東京にいるときは想像もできなかった気温だ。しかし一旦住んでしまうと、零度だろうがマイナス十度だろうがたいしたちがいはない。家のなかがしっかり暖かければ、シベリアにだって住めるということがわかっただけである。
 だいたいわたしの小説は題材や舞台を地方に求めることが多い。主人公もたいていの場合地方出身者である。自分がそうだからだし、読者の多くもそうだろうと勝手に決めている。本人はちがっても、親が地方の出身という人ならもっと多いだろう。当然親の出身地はほかのところより愛着があるはずだ。つまりほとんどの人に故郷というものがあることになる。百人いれば百人の、千人いれば千人の、故郷のイメージというものがそれぞれにあるのである。
 だから書く側の立場でいうと、農村とか地方とかを舞台にすれば、読者のほうで自分の持っている故郷のイメージにダブらせて読んでくれるだろうという期待がある。わたしが田舎の風景を丹念に書くのは、読者の共感を得るにはそれがいちばん手っ取り早いのではないか(ちょっとイージーすぎるかなあ)という思いがあるからだ。今度でる短編集『生きいそぎ』も例外ではない。わたしの小説の多くは最大公約数的なふるさと小説なのである。
 現実には、いまの日本に地方差というものはない。全国どこへいっても同じ風景、同じ暮しが展開されている。ことば、生活習慣、ものの考え方にいたるまで大同小異である。そのなかで、ほかよりまだ特異性を失っていないところがひとつだけある。ほかならぬ北海道である。動物や植物ばかりでなく、津軽海峡によって隔てられているものが厳然とある。北海道が好きになるということは、そういうちがいに惹かれることではないかと、最近ひそかに思いはじめている。
 その北海道がこのごろ元気がないのだ。札幌こそ人口でいえば全国五番目の大都市になっているが、内容ははっきりいってお寒いかぎり。札幌なら食えるだろうというので、道内のほかの地域からでてきた人たちでふくれあがっただけという事情が根底にあるからだ。その分ほかの地域が衰退しているのである。東京のひとり勝ちで、地方はさびれるばかりの日本各地と同じようなものだが、先行きのなさという点では北海道のほうがもっと深刻ではないかと思う。
 車で三十分、四十分と走りながら一軒の人家にすら出会えないところがざらにある。もとからなかったのではない。原野とばかり思っていると、突然サイロの廃物が横たわっていて、ここがかつて農地であったことをはじめて知るのである。ヒグマに注意という警告板におっかなびっくり山中を走っていると、行く手に忽然と煙突が現れたり巨大なコンクリートの遺構が残っていたりする。平地にはもとここに○○小学校があったという碑。つまり経済構造の変化により、用済みとなって使い捨てられた鉱山町の跡なのである。道内いたるところ、そういう廃墟だらけなのだ。
 北海道の悔しいところは、明治からはじまった百数十年間に国を挙げての草刈場にされ、早い者勝ちの収奪の場となったあげく、奪いつくされて捨てられたことである。百年といえば三代から四代の人が入れ替わっている。初代はどこから来たにせよ、二代目以後はそこで生まれ育ち、そこがかけがえのないふるさとになっているはずなのだ。それがなんの痕跡もとどめないほど完璧に消えうせてしまうというのは、当事者にとっていったいどんな気持ちがすることだろうか。
 なんとなくぐずぐずして、いまにいたるまで北海道からでていけない大本の原因は、そういう人たちの後ろ髪を引かれるような思いが、ゆきずりのわたしにいつも語りかけてくるからではないかという気がしないでもないのだ。


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