Essay 紅葉狩りと初雪と 日本経済新聞 2003年10月5日 朝刊掲載 |
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日本の秋の色紅葉はごぞんじのように北海道の大雪山からはじまる。四年前から札幌に住み、シーズンになると毎年のように見物に出かけているのだが、これがなかなか思うようにならない。なぜかというと紅葉の移動速度がべらぼうに速いからだ。タイミングを合わせるのがすごくむずかしいのである。 ことしの紅葉も山頂部ではじまったときテレビが紹介した。近年ではいちばんきれいだという。すぐにも飛んで行きたかったが、あいにく台風が来たり天候がくずれたりしてどうにもならない。その回復を待ちきれず、とうとう強引に出かけた。すると一日中雨と風というさんざんなお天気になってしまった。翌日晴れてくれるのを期待するだけである。 翌朝、願いが通じたか快晴になった。ただし気温がめっきり低くなり、旭岳ロープウエーの山頂駅でマイナス一度だという。もちろんそれくらいの覚悟はしてきた。軽登山靴にスパッツ、レインウエア、防寒着、手袋と、紅葉狩りにしてはものものしい格好で来ているのだ。同行者はかみさん。 前日の強い雨が影響してか、意外に人が少なかった。それも旭岳を目指す登山者が大半で、紅葉見物を目的に裾合平方面へ向かったのはちらほらしかいない。裾合平までは高原状のなだらかな地形がつづき標高差も百メートルくらい、ゆっくり歩いても往復四時間のごく一般的なハイキングコースである。 お天気はいいし気温も上がってきたしで快適なことこの上ない。もちろん紅葉もみごと。ハイマツの青とウラシマツツジの赤の対比がじつに鮮明だ。しかしその一方で、こんなものだったかなあという疑問もおぼえないではなかった。もっと鮮烈な色彩があっていいように思うのだ。国立公園のレンジャーに出会ったから聞いてみた。「残念ですがここらの最盛期はもう終わりました」。やっぱり遅かったのだ。大雪山の紅葉の主役であるウラジロナナカマドの葉が先日の台風で全部落ちてしまったとか。そういえば丸坊主になり、赤い実だけ残っているウラジロナナカマドの群生がそこらじゅうひろがっている。ちなみに来週は? 「来週はモノクロの世界になります」。それくらい微妙なところなのである。 あっという間に裾合平へ着いてしまい、これで引き返すのはものたりなさすぎる。あと一時間ぐらい登ると中岳温泉という天然温泉がある。設備はなにもないが登山者が足湯でしばしの疲れを癒やす場として親しまれている。さほど急な登りではないから、ついでにそこまで行ってみようということになった。 行ってみると先客が三人いた。なんとふたりは入浴中だ。うちひとりは女性。もちろん水着をつけている。「ここのお湯に入りたくて来たんです」。標高千八百メートルの天然露天風呂、わたしたちもすすめられたが辞退した。入浴していた女性と連れの男性はこれから層雲峡側の黒岳まで縦走するという。あと三時間ですよ、というから考えこんでしまった。いま来た道を引き返しても同じくらい時間がかかってしまうのだ。 大雪山へはこの四年間で五、六回は来ている。しかしいずれも登山口へ下りたものばかりで縦走は考えたことがなかった。所要時間七、八時間の健脚コースだからである。自分たちにはむりだろうとあきらめていた。 しかしきょうは紅葉見物だったから荷物も少なかったし、疲れてもいなかった。この先まだ登りがあるとしてもせいぜい三百メートル。それでつい、ここまで来たんだから、じゃわれわれも行ってみようかという気になってしまった。とにかくもうすこし行って、疲れたら引き返せばいいと思ったのだ。 それでまた小一時間かけて中岳分岐というところまで登った。大雪の巨大な噴火口を取り巻いている尾根に出たのである。静まり返っているその御鉢平を眼下に、前方はるかに黒岳が見えている。直線距離にして三キロぐらい、登山地図では行程二時間とある。多少アップダウンはあるものの基本的には尾根歩きでしかない。 ここまで来たらもう行くしかないだろう、ということになった。しかしこのころからガスがかかりはじめ風が強くなってきた。それでセーターとレインウエアをしっかり着込み、フードの紐も締めて完全装備を整えた。歩きはじめると間もなく、ぱらぱらっときた。あられである。それもみるみる強くなってきた。十分としない間に粉雪へ変わり、三十分たったときはそこらじゅう真っ白になっていた。完全な吹雪である。ガスは濃いし人は少ないし、道まで消えかけている。しかもはじめてたどるコース。口にこそ出さなかったが心細さといったらなかった。唯一さいわいだったのは雪や風が後から吹きつけていたこと。向かいから来る人を見ると前こごみになって雪まみれになっていたのである。 一時間ぐらいで雪はやみ、なんとか黒岳へたどり着くことができた。しかしその先にまだ下りがあることを忘れていた。この最後の一時間の急坂下りがきつかったのなんの。終点の黒岳リフト駅に到着したときはかみさんと思わず感激の握手を交わしたくらいだ。雪に追われてろくろく休まなかったせいもあるが、七時間四十分のコースを六時間半で走破したことになる。これにはふたりともおどろいた。じつをいうとかみさんは医師から登山禁止を言い渡されている身だったのである。 大雪山系の旭岳に初冠雪というニュースが報じられたのは翌日のこと、平年より三日早かったそうである。 |
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