トップページへ 著作・新刊案内 | |
きのうの話 |
|
2012.6.30 パソコン画面の染みがだんだん大きくなり、3つに広がっていたものが、つながって2つになった。漢数字の二を逆さまにした形だ。 長い線が1・7センチ。サインペンで落書きしたみたいな太さだから、かなり目障りである。 こうなったら、いずれ買い換えなければならないだろうと思い、ネットでいまの製品のラインナップを調べてみた。 するとこのタイプは、すでに生産が終了していた。1年以上前のことらしい。 ところが後継機に当たるものが、ないのである。重量が全然ちがう。 それで気になって、ほかのメーカーの製品も調べてみた。 モバイルパソコンで、超軽量を売りものにしている製品なら、山ほどあった。しかし超軽量という割りに、重いのである。 1キロを切る製品はひとつもなかった。軽くて1・1キロなのだ。 わたしのパソコンはというと、本体が700グラム足らずしかない。その差400グラム以上だ。これは携帯性という上で、じつに大きな差と言わなければならない。 一旦700グラムに慣れてしまうと、1・1キログラムのものなど鈍重きわまりない。持てたものではないのである。 買ったのは、ほんの2年前のことだ。 あのころは同じように、1キログラムを切る製品がいくつもあった。それがいまやまったくない。 軽量化を競うあまり、ほかのスペックが犠牲にされ、思ったほど売れなかったということかもしれない。 しかしわたしのように、メールとインターネット、文書作成くらいしか使用しないものにとっては、必要十分、じつにありがたい道具だった。 そのあと電気店に行ってあれこれ聞いてみたが、いまではこのようなシンプルなマシンを、どこもつくっていないという。 あれもできる、これもできる、というオールラウンドタイプばかり。当然それだけ重くなった。 こうなると、いまのマシンを修理に出すか、中古で同じ品物を手に入れるか、ほかに対策はないようだ。 家にはもう1台、予備役となっているXP搭載のノートがある。これが重さ1・3キロ。 一時期はこれをよろこんで持ち歩いていたのだ。かといって、いまさらこの重さにもどるのは、なんともつらいなあ。 |
2012.6.23 高知に帰っていた。 93歳の叔父が危篤に陥ったからである。 耳こそ遠くなったが、この年まで病気ひとつせず、矍鑠として、毎日10キロメートルの散歩を欠かさない元気な老人だった。 それが先月、散歩からの帰り、横断歩道で、高齢者の運転する車に跳ねられたのだ。 脳挫傷のほか、胸骨が数本折れる重傷を負い、当初はICUに収容された。 知らせを受けたときは、容態次第で見舞いに帰るつもりだった。 ところが頑健だったせいか、驚異的な回復力を見せ、1ヶ月たらずでリハビリを受けはじめたというから、安心していた。 事実火曜日に、妹が見舞いに行ったときは変わりなく、ふつうに話をしたという。 翌日、リハビリから病室に帰り、しばらくして看護師が行ってみたら、呼吸が止まっていた。 なぜこんなことになったのか、いまもってわからないし、納得できない。 年が年だし、脳の損傷だからなにが起こっても不思議はないと言われていたから、覚悟はしていたが、信じられないのである。 その後蘇生はさせられたものの、意識はもどらないままだ。 危篤状態がつづき、呼びかけても反応はない。むりやり生かされているということだ。 妹がふたり残っているほか、甥姪のなかではわたしが最年長。つまりいちばん叔父をよく知っている。 だからこそ、変わり果てた姿が無残で、正視できなかった。憤りといっていいやりきれなさに責めつづけられた。 口の中へも、鼻の中へも、大小の管が突っ込まれ、外れないようにするためだろう、絆創膏でべたべた止めてある。 それが、人間に施されている措置とは思えないほど雑なのだ。口許は思いきりゆがみ、まるでフランケンシュタインである。(われわれの来訪が気になったか、翌日はもっと丁寧に貼られていた) こういう生き方を、叔父が望んでいたとはとうてい思えない。叔母とも話し、家族としては、これ以上の延命はやめてもらいたいと心から願った。 しかし現代の医療の倫理では、それができないのだという。 一度呼吸が止まったとき、家族がもうこれ以上の医療は望みませんと言えば、そのときはそのまま、最期を迎えさせてやれたらしい。 だがそのとき、家族はだれもいなかった。 一度死んだものを蘇生させた以上、周りのものの勝手で、また死なせるということは、できないというのである。 だがこうまでして生かすことに、どれだけの意味があるというのか。 叔父は骨格も太い上、心臓も丈夫だろうから、自然に衰弱して心臓が止まるまで、まだ何ヶ月も生きることだろう。それが生きるという範疇に入るならばだ。 6人きょうだいの3番目に生まれ、長兄が早世したため、以後一家を支えて働き通してきた人生だった。 そのためとうとう、自分の家庭は持たないまま終わった。母はそれをいちばんすまながっていた。 母が亡くなった日も気丈に振る舞ってくれたが、夜、家まで送って行った従弟の話では、だれもいない家に帰り着いた途端、堰を切ったみたいな声で号泣したそうだ。 わたしの時代小説の最良の読者だった。 93年も生きてきた人を、このようにして見送らなければならないのが、なんともやりきれないし、無念だし、つらい。 絆創膏の貼られた顔が目の前にちらつくと、夜も眠れなくなるのである。 |
2012.6.16 火曜日に京都へ帰ってきた。約60日ぶりの帰宅だ。 出かけたときは春。帰って来たら夏。なにしろ高遠の桜を見て東京へ帰り、梅雨になって京都へ帰って来たのだ。 帰ってきた日は一日中雨で、東京から関ヶ原を越えるまで、ずっと雨が降りつづいていた。 これが新緑をじつにみずみずしく、美しく見せてくれ、都市化の進んだ新幹線沿線だが、すこしも退屈しなかった。まだ捨てたものではないなあと、初夏の風景を堪能したのだった。 帰って来た途端、生活スタイルががらっと変わった。 最大の変化は、出歩かなくなったこと。3食つきになったのだから、食いものの買い出しや、めしを食いに出かける必要がなくなったのだ。 たとえば今日は外出せず。万歩計のトータルは180。これまで出かけたのは、近くのスマートフォン屋と、地下鉄に乗っての散髪くらい。 スマートフォンは買うときいらないオプションを押しつけられたから、それを外してもらいに行ったもの。 本来なら945円を1ヶ月支払えばよかったのだが、留守にしたから3ヶ月支払わされたことになる。 散髪も乗物を使って行くから、運動にはならない。それより大きな鏡に映った自分の顔を見て、色が真っ黒だったのにびっくりした。 それほどに日に当たった覚えはないのだが、日野では外出するとき必ず1駅歩いていたから、恐らくそのせいだろう。 2ヶ月も留守にすると、郵便物がずいぶん貯まる。ところが今回は、いわゆる私信がたった一通しか来ていなかった。ある意味でひどく象徴的なことだと思っている。 暮しの方法が、まるで変わってしまったからだ。パソコンとスマートフォンで、ほぼ用が足りてしまうようになった。 東京では昨年の地デジ化のとき、手続きをしなかった。それでTVは映らない。新聞は空き家だから講読していない。このふた月、それらと完全無縁な暮しをしていた。 それでいてすこしも困らなかった。不自由も、不便も感じなかった。むしろその分時間を有効に使えたような気がする。 ただそうなると、いやでもスマートフォンを使わざるを得ない。まだお世辞にも使いこなしているとは言えないが、必要最低限のツールにはなりつつある。 いまでは外部からの連絡も、携帯のほうへしてくれるよう、機会があるごとに伝えはじめた。 固定電話のほうが不要。だが職業柄ファックスは必要なので、これはしかたなし置いている。 こういう時代になった以上、いやだいやだと、いつまでも背を向けているわけにいかなくなったということだ。 たとえ後向きでも、あとはこちらで慣れるしかないと、性根を入れ替えた。たとえ周回遅れになってしまおうが、なんとか今風の暮しにくっついて行こうと思っているのである。 気になるパソコンの染みが3つに広がった。液晶画面と、その保護膜みたいなものと2重構造になっているのか、染みも2重になり、その間隔がすこしずつ広がって、いまでは3つになってきた。 この分だといつまで使えるか。時間の問題になってしまいそうだ。 |
2012.6.9 今日は生ゴミを出しそびれた。 用意していたのに、朝の5時まで仕事していた。それから寝たのだが、このごろは1回の睡眠時間が短いから、8時すぎには目が覚めるはずだった。 ところがこういうときに限って、、熟睡してしまうのだ。ごみ収集車の音に気がつき、あわてて飛び起きたときは遅かった。 つぎの収集日は来週火曜日。それまで冷凍庫に預かってもらうほかない。 わが家の冷蔵庫には冷凍庫がふたつあるが、ひとつはおおむね、生ごみの一時保管場所になっている。 先週は庭木の剪定をしてもらった。枯れたアンズとハクモクレンの木は、かわいそうだが伐ってもらった。 あとになにを植えようかということになり、あれこれ考えていたら、植木屋がジューンベリーをすすめてくれた。 最近人気が出ているという。 ネットで調べてみると、桜の数日まえに白い花をつけ、6月には実を収穫でき、秋には紅葉まで楽しめる。1も2もなく賛成して、この木を植えてもらうことにした。 OAチェア用のカーペットも買った。 先週組み立てた椅子はおおむね満足できるのだが、キャスターが5つもついているから、フローリングの床では滑りすぎる。 そのための、滑り止め用カーペットである。 3軒見て歩いたが、欲しい大きさのものがない。こちらとしては、1・5メートル四方くらいを望んでいたのだ。 ところが売られているのは、規格ものばかり。大きかったり小さかったり、なかなか妥協できるものがない。 散々迷ったが、ないのだから仕方ない。1・1×1・4メートルというサイズのものを買った。 いま使っているが、実用には困らない大きさだ。お陰で今週は仕事がはかどった。 それはいいとして、パソコンの画面に、先週から染みが現れはじめた。 はじめはごく小さな点で、汚れかと思って拭いたくらいだ。ところが取れない。 どうやら液晶画面に発生した染みのようだが、1週間たってみると、ふたつに拡大していた。 どうしたとき広がったか、その瞬間の記憶がなく、気がついたら大きくなっていた。 画面のほぼ真ん中。文字と重なると読めなくなる。 画面をずらせば問題ないものの、かなり煩わしいことはたしか。これからがちょっと心配である。 |
2012.6.2 今週は3日間取材に出かけていた。 といっても行き先は都内とその近郊。 ただ多摩からだと東京を縦断しなければならず、往復の時間ロスが大きい。そのため下町にホテルを取った。 初日は移動距離が長かったため、電車にばかり乗っていた。 2日目は月曜。各地の公共施設が休みなので、江東区をひたすら歩いて回った。 ホテルにもどって万歩計を見たら28000歩になっていた。さすがに疲れたが、距離にしたらせいぜい20キロ。当初はもっと歩けるつもりだった。 だが翌日になると、ばてばて。リュックにいろんな資料を買い込んでいたから、それが重いのなんの。昼すぎには尻尾を巻いて家に帰ってきた。 3日間の総計が45000歩。最近にしてはよく歩いたほうだ。 昨日は注文してあったチェアーが届いた。リクライニング装置がついた仕事用の椅子である。 1階の居間で使っていたテーブルと椅子を、この春せがれにやった。家を整理するつもりだったから、いらないと思ったのだ。 そのため1階には座卓しかなくなった。腰を下ろすものがない暮しはどんなに不便か、思い知らされた。 2階に書斎用デスクと椅子が残っていたから、それを下ろして使おうと思った。 ところが階段の幅が狭くて下ろせない。こうなると、人手がそろうのを待つしかない。 5月の連休にようやく全員がそろった。それで孫まで動員し、2階のベランダから吊り下げて1階へ下ろした。 これで椅子とテーブルの生活にもどれたのだが、この椅子がまことに坐り心地の悪い代物だった。フローリングの床だから、キャスターだけはやたら動く。 下手に腰かけようとすると、すっと後へ逃げる。これは危ないぞと思っていたら、案の定やってしまった。 腰かけ損ね、どすんと尻餅をついたのだ。尾骨と、腱鞘炎で痛めている右手首を、いやというほど打ってしまった。 こうなったら新しい椅子を買うほかない。 とはいえ多摩は仮住まいのようなものだから、それほど金をかけるわけにいかない。 これならぎりぎり我慢できるという、中級クラスの椅子を注文した。 ところがこの手の椅子は、完成品ではこないのだ。部品で送られてくるから、あとは自分で組み立てるしかないのである。 ばかに小さい段ボール箱が届いたからびっくりしたのだ。 これ組立てるのに四苦八苦させられた。しかもかなり重量がある。 説明書を見たら、必ずふたり以上で組み立ててくださいと書いてある。そんなこと、買ったときはひと言もいわれなかった。 2時間近くかかってなんとか組み立てた。おっかなびっくり腰を下ろしているが、いまのところ無事に使えている。 これですこしは仕事がはかどるだろう。 |
2012.5.26 今週もやたら右往左往させられた。 まず、金環日食の起こった日に、メールが使えなくなった。 もちろん理由はわからない。急ぎの連絡がいくつかあったから、懸命になって修復を試みたがみんなだめ。 万策尽きてプロバイダに電話した。 「すみません。ただいま通信障害が起こっておりまして」 なんだよ。プロバイダがパンクしてたのか。 結局その日は、まったく使えなかった。 夜になってかみさんが「画面に変な表示が出て、メールが送れないんだけど」と言ってきた。 「画面をつつくな。プロバイダの故障だから、そのまま待ってろ」 と命じたら、かみさんのほうはおとなしくなにもせずに待っていた。 すると夜半には使えるようになった。 こちらはそうならない。 なにしろなにが原因だろうと思って、ありったけの知恵を総動員して、いじくり回したのだ。 元のシステムをすっかりだめにしたみたいで、翌日になっても通じない。 プロバイダのホームページをのぞいてみたら、どうもご迷惑をおかけしました。完全に復旧しましたとある。 嘘つけ。こちらは復旧してねえんだ。と怒りまくったが、どうにもならない。 だいたいわたしがいじって、よくなった試しがないのである。 この日も最後は刀尽き、矢折れてギブアップ。またまたプロバイダに電話した。 同じような人の電話が殺到しているのか、こういうときはなかなか通じない。受話器を握ったまま、15分は待った。 やっと通じて、ホームページの画面から、先方の言う通りに操作すると、あーら不思議、たちどころに直った。 しかしこういうトラブル、がっくりするほど疲れるんだよなあ。 その翌日は、NTTが光フレッツの再調査に来てくれた。 どうしたら引けるかという、前向きの調査だから、こちらとしても大いに期待した。 だが、またしても結果はOUT。がっかりである。 いまやすごいあばら屋だが、40数年まえは、これでも時代の最先端を行くモダン住宅だった。 電線も電話線も地下に潜っていたなんて、うかつにも今回はじめて知った。 そういえば衛星テレビがはじまったとき、専用回線をあとから引いた。裏庭の外を走っている1本のコードがそれで、わが家で唯一目につく電線だった。 今回もそのコードに便乗させれば、なんとか引けるだろうということだったが、コードからわが家へ引くための、工事の足場がつくれないという。 電線が1本空を走っているだけだから、これに梯子をかけるわけにいかないというのだ。 挙げ句はまたしても工事不能の結論。NTTまでが尻尾を巻いて退散した。 こちらも憮然だ。 じつはこの家、持て余していたから、今回こそ処分しようと思って帰って来た。 ところが家が古いから、売るとしても土地代の評価にしかならない。 それであほらしくなって、だったら仕事場にしようと気を取り直し、庭の手入れなど頼んで、環境の整備をはじめたところだった。 光フレッツが使えないとなると、その考えがまたぐらつかざるを得ない。 現在のADSLは、局から遠いせいもあって、遅いのだ。動画などは数秒おきに途切れる。 このまま我慢するしかないのかなあと、いまいたく気落ちしているのである。 |
2012.5.19 今週も雑用に追われた。 今日は市内の表具店に来てもらい、障子を張り替えた。もう何年もほったらかしだったから黄色く変色し、かみさんの頭痛の種だったのだ。 こうなったら業者に頼むしかないと、やっと電話した。 すると依頼が殺到しているとかで、かみさんがいる間は来てもらえなかった。 やっと今日、来てくれたのである。 障子の張り替えというと、むかしは一家総掛かりの家事だったものだ。 子どもらに障子を破らせると、面白いからよろこんで手伝った。それを庭で洗い、乾いてから張る作業にかかる。 この家事がなくなって、どれくらいになるだろう。子どものいなくなった老人所帯は、こういう家事まで成り立たなくなるのである。 朝取りに来た障子が、夕方には張り替えられて帰って来た。 開け閉てに難のあった障子も調節され、まことに見ちがえるばかり。代金は障子1枚が2500円から3000円。 老人所帯にとって、多少の金で済むことなら、こんなありがたいことはない。 きれいになった旨かみさんに伝えると、こんなことならもっと早くやればよかったと、京都で盛んに悔しがった。 庭木の手入れも、今週見積もりに来てくれた。これは毎年同じ業者に頼んでいる。 そのとき指摘されて、はじめて気がついた。アンズの木が完全に枯れていた。 またモクレンも、半分枯れて葉がわずかしかついていなかった。カミキリムシのせいだという。 小さな庭にモクレンなど植えたのは間違いだったと思うが、春先には律儀に花をつけて目を楽しませてくれた。 隣の家にも一本あるのだが、うちのほうが1、2日早い。この差が絶対変わらないのが、不思議でならなかった。 こうなったら、気の毒だが2本とも伐るしかない。あとになにか、べつの花木を植えてもらおうと思う。 フレッツ光の工事は、来てくれたけど実施できなかった。 線をわが家まで引っぱることができなかったのだ。 これも言われてはじめて気がついたのだが、わが家の前には電柱がなかった。 最寄りの電柱から引こうとすると、よその家の庭をまたがざるを得ないのだ。 40数年前の家なので、建築当時はこのようなIT工事など予測していなかったのだろう。 なにか方法はないか、来週もう一回NTTが調査してくれることになっている。 |
2012.5.12 今日はがっくりするほど疲れた。 昨日かみさんが京都へ帰ってくれ、今日からは天国の日々がはじまるはずだった。 ただそのまえに、いくつか片づけておかなければならない雑用があった。 ADSLを光フレッツに変更する工事が、来週行われる。 プロバイダに通知しておくようにと言われたから、今日電話したのだ。 するとお宅の配線は、当社に登録されていないと言われた。 びっくりである。これまでずっとBIGLOBEを使ってきたから、日野もてっきりそうだと思っていた。 京都はそうなっているが、日野はなっていないという。んなこと言われたって、こっちにはまったく心当たりがない。 それから必死になって、プロバイダ探しがはじまった。 あいにくIDだとかパスワードだとかを記載したノートが手元にない。 旅行するときは必ずその手のノートを持ち回っているが、これは京都へ行ってから作成したもの、つまりかなり新しい。 それ以前のものを書き込んだ古いノートがどこかにあるはずだが、東京にいたのではどうにもならない。電話してかみさんに探させたが、むろん出てくるわけはなかった。 NTTに相談したらクレジットカードから引き落とされていませんかという。それでカードの支払い明細をチェックしてみたところ、YAHOOに毎月1480円払っていた。 これだ、というので問い合せたら、うちではありませんと言われた。 それでつらつら考えてみると、ネットに加入したのはたしか札幌にいたときだ。 そのときのパソコンはゲートウェイだったから、その系列の回線に加入したような覚えがある。 ゲートウェイが日本を撤退したとき、どこかの会社が引き継いだはずだが、それが思い出せない。 いまあるプロバイダの一覧ものぞいてみたが、その後整理統合されたのか、心当たりのある名前はなかった。 八方塞がりである。 しかもクレジットの支払い明細をチェックしていたとき、おどろくべき記載を見つけた。 2月にロンドンのホテルを予約して、4万余り支払っていたのだ。数日後にキャンセルしているものの、キャンセル料らしいものを12080円差し引かれていた。 おどろいて日誌を調べてみると、内藤陳の葬儀に出席するため、急遽上京した日だった。 日野まで帰るのは面倒だから、東京駅近くのホテルをネットで予約したのだが、このごろの予約システムはやたら込み入ってわからないことだらけ。いくつか失敗したり、取り消したりして、最後は電話で予約した。 どうやらそのとき、まちがえてロンドンのホテルを予約したみたいなのである。無知の犯したミスとはいえ、12080円はひどい。 朝から夕方近くまであれこれやり、結局目的は達成できないまま。疲れ果て、最後はふて寝をしてしまった。 それにしても、最近のネットシステムの複雑怪奇なこと。 金を支払うときはいとも簡単だが、いざ取り消したり内容を問い合せようとしたりすると、堂々巡りをさせられて、いつまでたっても肝心の場面にたどり着けない。 だいたい大手ほど、電話番号も、メールの宛先も、明確にされていない。意図的に隠しているのかと勘ぐりたくなる。 YAHOOに支払っている1480円も、いまだになんの金かわからないままなのだ。 スマートフォンなんか持つんじゃなかったと、つくづく後悔している。 |
2012.5.5 まる1週間東京にいるが、いちばん遠くへ出かけたのが立川、まだ都心には1回も行っていない。 ご承知のように、天気が悪いのだ。 とくに一昨日からの大雨は、久しぶりによく降った。 昨日の朝、1階へ下りてみたところ、床がべったり濡れていた。あきれたことに雨が漏ったのだ。 2階はなんともない。横の壁から水が入ってきて、居間へ1メートルもはいったところから、たらたらたらーと流れ落ちたのである。 これで二度目。十数年前の台風が来たときも漏った。 そういえば今回の雨は、北から吹きつけてきた。 夜中にようすを見たときは、網戸の内側まで雨がびっしり吹き込んでいた。南側のベランダは、ほとんど濡れなかったのである。 前回の台風がまさにそうだった。その後台風は何回か来たが、北からの風雨ではなかったから、漏れなかったのだ。それですっかり忘れていた。 どこから雨が入ってくるのか、そのとき業者に見てもらったがわからなかった。 それでも適当な、処理らしいものはしてくれた。これでもう大丈夫だと思いますと言うし、たしかにその後は漏れなかったから、直ったとばかり思っていた。 漏るような雨が降らなかっただけなのだ。 以後は大雨が降るたび心配になり、盥を持ってきては床に置いた。今回も京都へ帰るとき、同じことをしなければならないだろう。 今日はようやく晴れ。多摩動物園に大勢の家族連れが押しかけた。 そしたら昼すぎから雲行きが怪しくなり、一転土砂降りの大雨になった。 それが1時間以上つづいたから、行楽どころか、みな逃げまどい、3時すぎには大方の客が帰ってしまった。 こちらもおかげで、今週はろくに出歩かず。スマートフォンの万歩計が、1日数百歩という日が何日もあった。 それでも雨の晴れ間に、自宅から程久保川、多摩川の河畔を歩き、聖蹟桜ヶ丘まで買物に行ったことがある。だいぶ歩いたつもりだったが、たった8000歩だったのにはがっかりした。 わたしが買ったスマートフォンのHOW TO本を、立川の本屋で見つけたから買ってきた。1620円、高いなあ。 それと首っ引きになって2日ほどいじくり回してみたが、わかったような、わからんような、期待外れに終わった。 要するにわかったことしか、書いてないのだ。 なんかのときこういう画面が出て、それがなにを意味するか、どうすれば元にもどるか、といったことには全然触れてくれない。 中高年はそういうことで苦労していると思うのだが、わかってないなあ。 それとも無知なものが手を出すべきものではなかったということか。 持つのが10年早かったことはたしかである。 |
2012.4.28 昨日東京へ帰ってきた。 ゴールデンウイークに家族全員が集まるというから、おじいさんとしては、腰を上げざるを得なかったのだ。 ところが着いた昨夜は、くしゃみと鼻水が一晩中止まらず、大いに悩まされた。 昨日は終日雨模様だったから、花粉はほとんど飛ばなかったはずなのだ。 その証拠に、来る途中はなにも感じなかった。帰り着いてからというのが、不可解でならない。 今年は寒かったせいか、花粉症が軽くすんでありがたかった。 毎年この季節になると、当ブログでも花粉症のことばかり書いていた。今年はろくに書かなかったが、それほど軽かったからだ。 これはあるお医者さんのブログに触発されたことが大きい。 その方は、花粉症をマスクで防ごうとするのはやめたほうがいいのではないか、みたいな言い方をされていた。 むしろ外では口呼吸をして、花粉を体内に取り入れたほうが、免疫をこしらえる上で有効ではないかと。 これは治療法としてではなく、あくまでもひとつの考えとして述べられたものだ。 しかし言われてみると、なるほどと思うことが少なからずある。 マスクが大嫌いで、できればしたくない人間は、こういう意見に力づけられる。 すべきことをせずにすませ、しかも金がかからないのだから、なおさらだ。早速飛びついた。 以後は外に出るたび口呼吸をし、がしがしと花粉を喰ってきた。今年はマスクを1回もしなかったのである。 その報いか、反動か、一晩中くしゃみと鼻水が止まらず、往生したことがこれまで2回、昨夜を入れたら3回あった。 マスクなしで快適に過ごしたことを考えると、これくらいは仕方ないと納得している。 結局今年は、去年の薬が残っていたこともあって、花粉症対策として1銭の金も使わなかった。 むろん来年もマスクなしで過ごしてみるつもりだ。 |
2012.4.21 このところ足の具合、というより歩き方がおかしい。よたよたとしか歩けないのである。 いつの間にか股関節の具合が悪くなって、足がスムーズに前へ出なくなった。 歩幅が小さいばかりか、歩くたびにぎくしゃくして、心と動きとがまったく合わないのだ。 ジムへ行きはじめてから、重点的にそれを直すようにしてきた。 ストレッチを入念にやり、ウォーキングで修正する。それが効いてきたのか、股関節の異常感は、かなりのところまで消えた。 しかし歩幅はまだ大きくならないし、しかもしょっちゅうつまずく。 平坦なところを歩いていて、腹立たしいくらいつんのめってしまう。 ふだん歩いていないからだ、とかみさんに言われた。 そうかもしれない。いまの家に越してきてから鴨川が遠くなり、めっきり出不精になった。 このごろは、いちばん遠くへ出かけたときで河原町の本屋ぐらい。1万歩に遠く及ばない。 ジムのウォーキングも、まだ自重している段階なので、長いときで40分に抑えている。これでは3キロぐらいしか歩かないことになる。 かといって、近くに歩けるところがないのである。 鴨川まで出るのに、だいたい30分かかる。信号が多い市街地のなかを横切って行くから、この時間はそう縮められない。 1度早朝に出かけたことがある。けっこう多くの人がウォーキングをやっているし、朝は信号を無視できる。鴨川まで十数分もあれば行けるのではないだろうか。 ところが根っからの夜型で、朝になって寝る躰になっているから、朝型がいいとわかっていても、おいそれとは切り替えられないのである。 しかしこのままだと、足の具合がよくなることはあり得ない。 もっと頻繁に出歩くべきなのだ。それにはどうしたらよいか、いま真剣に考えているところである。 スマートフォンの万歩計が、意外に正確だとわかった。 500歩数えて調べてみたら、503歩になっていた。こちらの数え間違いもあることを考えると、ほぼ正確と見ていいのではないだろうか。 というのでスマートフォンをすこし見直している。 しかし考えてみたら、今週はスマートフォンを万歩計として使っただけだった。これも情けない。 |
2012.4.14 桜が一気に咲いた。 この間まで堅かったつぼみが、嘘みたい。街を歩いていても、思わぬところで満開の花を見つけてびっくりする。 この時期になると、わが家ではかみさんが躁病にかかったみたいに落ち着かなくなる。 桜見たさに、毎日あっちこっち出かけなければと、浮き足立ってしまうのだ。 最近はネットでリアルタイムに開花状況を知ることができるから、京都にいると、行くところが無数にあるのである。 わたしのほうは花より団子。わざわざ人混みに足を運ぶほど風流は解さないのだが、連れ合いである手前、しようがないから1回ぐらいはつき合っている。 今回は嵯峨にある「桜守の家」という造園業者の庭を見に行った。 主にしだれ桜を扱っている造園業者で、この時期だけ広い邸内を一般開放する。 いろんな種類の桜が植えられているが、開花時期が微妙に異なるため、百花繚乱というわけにいかなかったのが、やや残念だった。 帰途、広沢の池に立ち寄った。ここも60年ぶりだ。 ただの池である。ほかにはなにもない。 基本的には、平安の風景とそれほど変わっていないのが、すごいといえばすごいのである。 そのあと嵐電に乗って妙心寺へ行き、退蔵院の庭園というのを見て帰ってきた。 慣れない観桜紀行だったからけっこう疲れた。歩き方がちがうのだ。 スマートフォンに万歩計がついていたことを、帰ってからはじめて知った。 この日の歩数は11000歩。かみさんの万歩計とは2000も数字がちがっていた。 スマートフォンを手にして1週間。なんとかアウトラインがわかってきた。 腹が立ったのは、簡単なマニュアルしかついていなかったので、200ページもある詳細なものをダウンロードし、印刷しなければならなかったことだ。 つくるのにひと晩かかったのである。 この手間と費用は、すべてユーザーの負担だ。メーカーがますます横着になって、このごろは何100ページもあるマニュアルなど見たことがない。 まだマスターしたというにはほど遠いが、いまの段階では、スマートフォンはきわめて高価なおもちゃだと思っている。 山ほど機能は詰めこまれているが、わたしのような老人には、ゲームで暇をつぶしている時間などない。 テレビまで映るのには唖然としたが、こんなものを見なければならない機会がそんなにあるとは思えない。 いまのところ必要なものは、メールと携帯をのぞけば、インターネットやGOOGLEの検索、地図、翻訳くらい。 年寄りには高い買物だったことはまちがいないのである。 |
2012.4.7 スマートフォンを買った。 夏までには買うつもりをしていた。いま使っている機種が、7月いっぱいで使えなくなるからだ。 だったら今度はスマートフォンにしようと、早くから決めていた。 編集者がこともなげに操っているのを見ると、画面はきれいだし、小生意気に動くし、憎たらしいような、うらやましいような気がして、ひそかに対抗意識を燃やしていたのだ。 だが、買い換えるのは簡単でも使い方がわからない。マニュアルではだめ。ずぶの素人にもわかるような、じかに手に取って教えてくれるシステムがないからである。 と慨嘆していたら、とうとう最近「中高年のための楽しいスマートフォン講座」というのが登場してきた。 実物を手にして、使い方の1から10まで、5時間かけて教えてくれるという。これだこれだと、有料だったけどすぐ申し込んだ。 その講座が昨日開かれたのである。 集まったのは20数名の中高年。うち男は6名。 すでにスマートフォンを持っている者が何人かいて、あとは携帯。さすがに携帯も持っていないという人はいなかった。 電話販売店の応援が来ているから、受講生3人に1人くらいの割合でインストラクターがつく。 これが半日かけて教えてくれるのだから、わからないわけがない。 メールやネットのやり方はもちろん、アプリの取り込み方、利用法まで一通り習い、気分としては完全にマスターしたつもりになった。 それで今日、勇躍買いに行ったのだ。 店頭であれこれ機種を見ているうち、はたと気がついたことがある。 昨日われわれが使っていたのは、同じスマートフォンでもきわめて基本的な、それこそ中高年用の入門製品だったのである。 それでよせばいいのにまた見栄を張り「もっといいやつが欲しい」などとほざきはじめた。そして画面のひと回り大きい、昨年の秋冬モデルという最新型を選んだ。 昨日習ったのとはちょっとやり方が違うようだが、なにそんなのはすぐ慣れる、と高をくくったのだ。 基本的な設定と、アドレス帳を移してもらい、あとは自分でやるつもり。 最敬礼する店員に送り出され、近くの喫茶店に入ると早速、かみさんにメールをした。 そしたら、どうやっていいのかさっぱりわからない。自分のいる場所を検索しようとしたけど、これもできない。 インターネット使い放題の、パケットなんとかという契約にしたのだが、つなぐことすらできなかったのだ。 これはパソコンとまるっきりちがう、とようやく気がつき、愕然としたけどもう遅い。しゅんとなって帰ってきた。 夜数時間いじってみたが、メールと電話まではなんとか使えるとしても、ほかはとても手におえない。 この分では使いこなせるところまで到達できるかどうか、自信がなくなってきた。下手をするととんでもない、高い買物をしたかもしれない。 |
「きのうの話」目次へ |