WEEKLY日誌 『毎日新聞』掲載 |
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2004.11.26 掲載 11月16日(火) 小春日和の東京から雪の舞う札幌へ、かみさんが一足先に帰る。 すると留守中に生ものの宅配便がふたつ届き、 不在だったため送り返されたことが判明。 郷里の叔母が送り主のひとりだったから電話したところ、 高知名産の新高梨と水晶文旦を送ってくれたのだった。 結局「うちで食べた」と言われ、申しわけないやら残念やら。 二重生活をするとこういう行きちがいがときどき起こる。 11月17日(水) 今度出た新刊「約束の地」の著者インタビューを受ける。 メディアは東販の「新刊ニュース」、インタビュアーは元マガジンハウスのO氏。 夜は旧友10人と新宿で歓談。わが最良の悪友たちで、 40年のつき合いになる友人もふたりいる。 うちひとりは今回娘を連れてきた。 それがもう27歳、わたしが東京へ出てきた年である。 今回はスペインから一時帰国してきたK嬢とも10数年ぶりに再会。 ほとんど小津安二郎の世界であるが、 こういう気のおけない友だちとの集まりがいちばんくつろげる。 11月18日(木) 夕方から降り出した雨のなかを帝国ホテルの柴田錬三郎賞授賞式に出席。 札幌にいるとこういうつき合いは大っぴらに不義理できるが、 東京に滞在中で、しかも今回の受賞者が大沢在昌とあっては出ないわけにいかない。 2次会、3次会と最後までつき合い、自宅へ帰りついたのは朝の5時。 おかげで生ゴミを出しそびれてしまい、 フリーザーに放り込んで週末をすごさせる羽目になった。 11月21日(日) きのうから3連休。いっさい外出せず、ひたすら仕事をする。 この間の食いものは買い置きのパンと麺類。 仕方がない。 たまに帰ってくるとやたら忙しく、このところまるで仕事をしていなかったのである。 東京から距離を置き、マイペースで仕事のできる北海道のほうが、 この年になってみるとやはりありがたい。 |
2004.11.19 掲載 11月10日(水) 18日に双葉社から発行される「約束の地」の見本刷りが送られてくる。 じつはこれが、先週行われた100冊記念パーティの正真正銘の100冊目だった。 小生の刊行本のリストに、文庫化されたとき改題したものを2冊とカウントしていたものがあって、ほんとは99冊だったのである。 遅ればせながら、これでなんとかつじつまが合ったことになる。 11月11日(木) 東京にいたころカルチュアーセンターの講師を2回つとめたことがある。 そのときの生徒とはいまも交流がつづいていて、 その人たちが一席設けてくれたので出席した。 しかし10年たってしまうと、歳々年々人同じからず、 なかにはすでに他界した人もいて、メンバーを取りまく環境の変化もいちじるしい。 時の流れをあらためて痛感する一夜となった。 11月13日(土) 長男と次男がそれぞれ子どもを連れてやってきた。 孫が4人。 三男のみ不在だったが、合わせて10人の家族が久しぶりに顔を合わせた。 年に1、2回のわが家のセレモニーである。 11月15日(月) 23日から岡山地方へ取材に出かけるため、 今回は現地から千歳へ帰ることにして、26日の航空券を予約。 午後は新宿のジュンク堂へ出かける。 東京にいる必要がなくなったから北海道へ行ってしまったが、 住むのに手ごろという意味では札幌の街が気に入っている。 ただし泣きどころがひとつある。 仕事の資料となる地味な本が手に入らないことだ。 買うだけだったらインターネットで用はたりる。 しかし実際に手にとってみる機会のない本は、地方にいると存在しないも同じ。 したがって東京へもどってくるたび、なにはともあれ書店巡りをすることになる。 今度新宿にジュンク堂が進出してきたから本屋巡りの楽しみがひとつふえた。 当面必要なもの6冊を選び、札幌へ送ってもらうことにする。 |
2004.11.12 掲載 【はじめ吉、のち凶】 11月2日(金) ひとりで100冊もの本を出せる力のない作家3人が集まって一計をめぐらした。 合わせて100冊の記念パーティをやろうじゃないか。 そんなのは大儀名分に欠ける? だったらこの際、古希に達した評論家も巻き込んで 「3人100冊刊行・古希記念祝賀会」ならどうだ。 ということでついに実現した、というか実現させた大パーティが開かれた。 喜色満面ホストにおさまったのは井家上隆幸、逢坂剛、船戸与一、志水辰夫の4人。 小生このために北海道から帰ってきたのだ。 当日強制的に掻き集められたのは編集者。 さらにふたりで230冊もの本を書いていながら、 一回もお祝いをしてもらったことがない北方謙三、大沢在昌の不人望作家も召集。 みなに尊敬の念おくあたわざる祝辞を言わしめ、大満足の一夜だった。 11月7日(日) 夜半、多摩を出発して新潟へ。 取材とはいえ中越地震とは関係ありません。 ところが現地は小雨と曇天。山道は崩落で通行不能。 反対側から回ったが同じ。 はるばる訪ねて行った民俗資料館は雪囲いの真っ最中。 「ことしの展示は3日で終わりました」 口惜しいから温泉に入って帰ってきた。 そしたら大月-八王子間で30キロの渋滞。 この区間を通り抜けるだけで2時間半もかかった。 11月8日(月) 3日のパーティで事務局をやってくれた文春の編集者B嬢が、 日本冒険作家クラブ主催の 「第3回日本赤ペン大賞」を受賞した(小生も会員だがどんな賞か知りません)ので、 その受賞パーティに出席。 ところが会場に着いてみるとシーン。 「そのような予約は入っておりません」 あらためてもらった招待状を見てみると、なんと5日、もう終わっていた。 人がみな、われより偉く見える思いをしながらすごすごと帰宅。 |
2004.11.5 掲載 10月28日(木) 来週からしばらく通えなくなるので、ジムに行って2時間汗を流す。 だが体重は1キロ増。 節食してやっと減量したのに、気がゆるんでこのところリバウンド気味だ。 そういえば心持ちからだが重く感じられる。 10月30日(土) 夜、苫小牧よりフェリーで秋田へ。 ここ5年札幌に住んでいるが、冬の北海道で車を乗り回す度胸や腕はないから、 毎年11月になると東京へ持って帰っている。 今回は2日に小生も主役のひとりであるパーティが開かれるので、 それに出席するため予定を早めて帰るもの。 海がおだやかで快適な船旅。しかし船室にこびりついたたばこのヤニ臭が強烈で、 いまひとつ楽しめなかった。 10月31日(日) 秋田港より男鹿半島へ。 晩秋なのにいたるところ新緑だらけというけったいな風景にあぜん。 北海道でも積丹半島がそうだった。 たび重なる台風と塩害で葉を落としてしまった木が、 その後の陽気で春と勘ちがいしていっせいに芽吹いたもの。 男鹿半島ではイタドリやギシギシの類まで生えかわっていた。 こんなのはじめて、と地元の人もあきれていた。 夜は乳頭温泉泊まり。 隣室に泊まっていた若い男のふたり連れが、 夜中になっても無神経な声で会話をやめず。 たまりかねて怒鳴ったらやっと静かになった。 11月1日(月) 東北の紅葉はもう終わっているだろうと思っていたところ、なんの、まだまだ。 おかげであっちへ行ったりこっちへ行ったり浮かれすぎてしまい、 午後の5時になってもまだ栗駒山中をうろついていた。 できたらもう1日泊まりたかったが、あすはどうしても東京にいなければならない。 泣き泣き東北道を強行走破、 午前2時にやっと都内へ入ったら首都高が工事で渋滞。 多摩の自宅へ帰り着いたのはなんと午前3時。 |
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