アメリカ横断バス旅行記 象に触ってきた 小説新潮 2008年2月号 掲載 |
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いつまでデブですませるの はじめてアメリカへ行き、二週間かけてバスで大陸を横断してきた。 ロサンゼルスに着いた途端、巨大な肉塊に前をふさがれて目が点になった。太った人間が前にいたというだけのことだが、その太り方が常軌を逸していた。背丈が百八十ぐらいある白人女性だったが、いったいどうやったら人間の躰をここまで膨らませることができるのか、その偉大な実験結果といった超肥満体だったのだ。それもふたり。 たぶん姉妹だったのだろうと思うが、ふたりが歩いたときときたら、さらに見物だった。のっしのっしではなく、風船みたいにふわふわと動くのである。上体に比べたらそれほど太くはない二本の脚と、それほど大きくはない二つの靴とが、空を踏むようなステップで上体を移動させるのだ。見ないふりをして見とれていたものの、さすがにカメラを向ける勇気はなかった。 しかしこれくらいの驚きはまだ序の口にすぎなかった。南部へ行くにつれデブの割合は増し、太っていないほうが少数派という感じになってきた。先に発表されたアメリカの肥満者が三十四パーセントという数字は、控え目というより実態を把握していないのではないかと思えたくらいだ。少なくとも南部に関していえば五十パーセント以上がデブである。 旅行中何度かカフェテリアで昼めしを食った。日本風にいえばバイキングだが、十ドル前後でバラエティ豊かなものがふんだんに食え、味もけっして悪くない。スイーツときたら二十種類くらいある。はじめのうちは物珍らしさもあっていろんなものに手を出していたが、そのうちいっさい食わなくなった。味がぜんぶ同じ。つまりやたら甘くて、しかも甘いだけなのである。それをむこうの連中はぺろぺろむしゃむしゃ食いに食っていささかも飽きる風がない。これでは太りますわな。しかも完全なエンプティカロリーだ。 アトランタ駅で向かいのベンチにやって来た黒人の母子三人も、合わせたら半トン以上ありそうな肉体をしていた。子どもふたりはまだ小学校低学年くらいの年なのである。そこで母親の取りだしたのが、座布団くらいもあるサンドイッチだった。それもスライスした肉をはさんだだけのいちばん安そうなものを二枚。これをむしゃむしゃ食いはじめたから、え? それ、ぜんぶ食うの、とばかり、あとは目を合わせないようにしてひたすら盗み見ていた。この母子は二枚の座布団をきれいに平らげた。 国民の三人に一人は肥満という数字が出て、このところさすがのアメリカもあわてているらしい。肥満を引き金とする疾病が無視できなくなってきたのだろう。しかしあからさまに言えば、こんなになるまで放置してきたほうがおかしい。一九八〇年の段階で肥満者が十五パーセントに達したという警鐘が鳴らされていたのだから。 それから三十年、アメリカ政府はなんにもしてこなかったのである。ところがこの肥満者の割合が、白人より黒人、黒人よりメキシカンのほうがより高いと聞けば、話はちがってくる。これは意識的な、政策の手抜きだったのではないかと勘ぐりたくなるのだ。太りつづける国民に健康指導やアドバイスをまったくしてこなかったということである。 その後日本に帰ってきてから、マイケル・ムーア監督の製作した映画「シッコ」を見た。その結果、これまでアメリカに抱いていた疑問の一半が氷解した。この映画はアメリカに全国民を対象とした国民皆保険制度がない理由や、民間の保険制度の矛盾、やらずぶったくりの実態を痛烈に告発した作品である。アメリカ人で保険制度の恩恵にあずかっている人間は国民の一パーセントしかいないことや、WHO(世界保険機構)の統計でアメリカの保険充実度は世界三十七位にすぎないことなど、この映画を見るまでまったく知らなかったのだった。 つまり大多数の国民は、健康を維持するための最低保障である健康保険制度から切り捨てられている。棄てられている国民、ということがわかれば、デブが棄てられる国民のいちばんの有資格者だということは簡単にうなずける。要するに太りたきゃ勝手に太るがいい、おまえたちのために国は金を使わんぞということなのだ。 ニューオリンズの近くで、百五十年ばかり前にできたプランテーションを見学した。それこそスカーレット・オハラが出てきそうな瀟洒な建物が、庭から内部まで当時そのままの状態で保存されている。ベッドはすべてヨーロッパからの直輸入。天蓋やフリルつきで、当時の成功者にヨーロッパへのあこがれがいかに強かったかわかってほほえましかった。 ところがそのベッドが意外と小さいのである。わたしなどが使ってちょうどよいくらいの大きさ。その疑問にガイドの女性がこう答えた。 「そのころのアメリカ人はいまよりだいぶ小さくて、平均身長は百六十センチくらいしかありませんでした」 びっくりするような話だが、これはアメリカ人だけがそうだったわけではなく、同じ時期、つまり幕末期の日本人の平均身長だって五尺一寸、百五十三センチしかなかった。その躰がどうしていまほど大きくなったかというと、ひたすら多く食うことで獲得してきたのである。 とくに日本人がこれほど大きくなったのは、経済が復興して食いものが豊かになった近々この五十年ぐらいのことにすぎない。わたしなどはその豊かさがくる前に成長し終えたため、ちびで終わるしかなかった。たしかそのころの警察官の採用試験の応募資格が身長百六十三、四センチだったと記憶している。それくらいあれば標準以上と見られていたのである。 この数十年、アメリカは世界でいちばん平均身長が高い国だった。それが最近ヨーロッパ人に抜かれ、九位までランクを落としたそうだ。原因のひとつが、食い過ぎによる肥満。つまり縦にではなく横にひろがりすぎて、体型が変わってきたせいらしい。肥満度では文句なしの断トツなのだ。 ひるがえって日本はどうか。八年前に東京から札幌へ住まいを移したとき、最初に感じたのが「デブが多いなあ」ということだった。食いもの屋に行ってすぐわかった。量が多いのだ。麺類の量、めしの盛り、おかずの量、東京とレベルがちがっていた。鯖の味噌煮定食を頼んだら、大きな皿にぶつ切りの鯖が三つ、つまりまるまる一本出てきて仰天したこともある。ふだんいちばん困ったのが、小腹を足すところがないということだった。 ところが昨今は東京へ帰ってくるたび、デブが増えてきたことを痛感するようになった。食いもの屋で出される食いものの量が、以前より確実に増えている。不況が長くつづいたため、せめて腹一杯ということで増えたのではないかと思うが、いまやめし屋の最低条件が量という時代になってしまった。 アメリカがまた、量の多さを外食の最低条件としている国なのだ。ファーストフードのカロリーはこの四、五年さらに増えているそうだし、量も増加しているという。日本は明らかにそれに追従している。日本の肥満度はいまのところ一桁代にとどまっているが、この分だと十パーセントを超すのは時間の問題だろうと思う。 一方食って躰についた脂肪はこうやって落とせとばかり、いまのアメリカではエクササイズやシェイプアップが一大産業になっている。肉体を動かすこと、即健康という思考が、これほど無条件に受け入れられている国もほかにないと思うが、食って苦労するくらいならはじめから食わなきゃいいのに、という声はあまり出てこないみたいなのだ。すべてが現実肯定、その上で対処療法をというのがアメリカ流のやり方なのだろう。食わないことを強いるより、食っても太らないほうへ軸をぶらせるほうが、あらたな需要、あらたなビジネスを発生させられるからだ。 肥満防止のキャンペーンや運動などを見ていると、それ自体紐つきであることが多い。アメリカで社会を変えようということは、変えることによって儲かる社会を発展させるということなのだ。食っても太らない薬、脂肪を燃焼させるサプリメント、夢のような薬品がいずれ開発されるみたいな楽観主義がアメリカ人の根底にある気がする。もっと少なく食おう、という方向にはどうにも関心が向かいそうにないのである。 一方でデブに対する風当たりはだんだん強くなっている。交通機関が肥満者から割増料金を取るという動きも、出たり消えたりしながらもより具体化しはじめている。禁酒法を成立させたことがあり、喫煙習慣を表社会から葬り去った国だから、突破口さえ開いたらあとは雪崩現象を起こす可能性もないとはいえない。ただこれは肥満抑制の引き金にはけっしてならない。そういう差別を受けるとデブはますます出て行かなくなり、その鬱憤をさらに食うことで晴らそうとするからだ。 いずれ近い将来、アメリカは肥満問題で大鉈をふるわなければならなくなるだろう。このつけはアメリカにけっこう大きなダメージを与えるのではないかと思うが、アメリカはそれをどうやって乗りこえていくのだろうか。経済問題みたいに世界を巻きこんでうやむやにしてしまうというすり替えができないから、悪いけれどこれまた見物なのである。 自分の土地という理論 アメリカの砂漠地帯は今回の旅行でどこよりも刺激的だった。非日常と非寛容の極地。日本みたいな湿潤な国で培かわれてきたイマジネーションが通用しない突き抜けた乾き方に、外国旅行の醍醐味を感じたのだった。 五十年ばかり前、グレイハウンドバスでアメリカ大陸を横断する友人を見送ったときの羨望の念を、いまだに忘れていない。以来ずっとトラウマになっていた。それがこの乾いた大地に立つことでようやく消えた。というよりなにかあたらしい確信みたいなものに変わったのだった。 おかげで四十度をはるかに超す気温も心地よい感覚となったし、単調で変わり映えのしない風景も発見と変化に満ち満ちてすこしも退屈しなかった。道中はできるだけバスの最後部座席に陣取り、右へ行ったり左へ行ったり、はじめて新幹線に乗った子どもみたいにハイになっていた。 ところがしばらくすると、予想もしなかった当惑を手に入れた。なにかというと、砂漠の土地のことごとくに、もれなくフェンスが張られていたことだ。はじめはその土地がなにかとくべつな意味を持っているのかと思った。しかしどこも同じ、人工物のまったくない乾いた土地がどこまでもひろがっているばかりである。 その土地がことごとく区画化され、その境界のすべてにフェンスが張り巡らされているのだ。どういう理由でこんなフェンスが張られているのか。現地在住の日本人ガイドに聞いてみたが納得できる答えは得られなかった。むしろなぜそんなことに疑問をおぼえるのか、という顔をされた。結局わからないままだった。 しかしそうなると気になって仕方がない。二週間かけて横断している間中、目を皿のようにしてフェンスばかり見つめていた。この州もそう、この州もそう、とその確認ばかりしていた。そして自分の見た範囲では、フェンスで囲われていない土地は見とどけることができなかった。 フェンスといってもきわめて簡単な柵である。高さがせいぜい一メートルか、それ以下。たいていはスチールの杭を打ち込み、それにワイヤーを一本か二本わたしてあるだけ。足の速い動物なら簡単に上を飛びこえられるし、小さな動物なら下を潜って自由に行き来することができる。 つまりこのフェンスは、動物の侵入や往来を防ぐためのものではないのだ。自他のちがいを峻別するための標識、という以外の意味は持っていないのである。 「いまおまえの目の前にある土地は、おまえのものではない」 という宣言だ。 これが家の周りだとか、農場の周囲とかであればまだわかる。しかし行けども行けども人っ子ひとりいない荒野や砂漠の土地をこれほど明確に仕切り、しかもフェンスで囲わなければならない精神というのは、いったいどこからきているのだろうか。 アメリカに対するわたしの知識は、映画や本から得たものがほとんどで、それはごく大ざっぱに言えば広い大地がどこまでもひろがり、だれもが自由に好きなところへ行ける、といったイメージで代表されていた。どっちへ行っても必ずフェンスに突きあたるなんて、想像のうちに入ってなかったのである。 数々の西部劇が撮影されたモニュメントバレーというところへ行った。ジョン・フォードの名作をはじめ、名のある西部劇の多くが奇岩、奇山の林立するここを舞台に撮られている。西部というと、どこへ行ってもあのような岩山風景がひろがっているとばかり思っていたから、それがここだけの風景で、しかもごく限られた範囲でしかないとわかってびっくりしたのだが、このモニュメントバレーとて例外ではなかった。数キロも車を走らせるとたちまちフェンスに出っくわすのだった。 広大な穀倉地帯に入り、家の一軒すら見えない大平原でもフェンスは消えなかった。そういうところの国道筋には、中のほうへ入ってゆく進入路の入口に、何キロも先にある家が郵便受けを国道脇に取りつけている。ときにはそれが十個近く並んでいるところもあるのだが、そんなところでも畑そのものはしっかりフェンスで囲われていた。 今回通過したのは十数州にすぎなかったし、大方がハイウェイや一級国道のような道路ばかりだったから、自分の見たものがきわめて限定された風景だったことはたしかである。したがってその印象を元にああだこうだと言うのは、それこそ目をつむって象に触るようなもので、とんでもない思い違いをしている可能性もある。しかし見たものは見たもの。わたしはもうこのフェンスなしには今後のアメリカを考えることができなくなったのだった。 それにしてもアメリカ全土が、もしこのようなフェンスで囲われているとしたら、その執念は尋常なものではない。それはたとえば、日本のような狭しくてせせこましい国土に置き換えてみたらわかる。日本のどこへ行ったら、自分と他人との土地を、これほど厳密に仕分けようとするものがいるだろうか。片田舎へ行くと「この山はうちの山です。山菜を取らないでください」と書いた札が、簡単な縄張りとともにぶら下がっているのを見ることがあるが、それとはまったく意味がちがう。こちらはうっかり立ち入ったら銃を持った人間が「フリーズ!」と飛びだしてきかねないのである。 わたしはアメリカ人を基本的に農民ではないかと思っていた。西部劇に例を借りると、汗水垂らして切りひらいてきた農場を、災害や、猛禽や、外敵から守ろうと苦闘している農民だ。そのメンタリティはいまでもそれほど変わっていないと思う。 素朴、単純、保守、敬虔、いくつか特徴は挙げられるが、自分たちの安全を脅かすものに対して敢然と立ち向かう姿勢は同じだ。だが本来これは守りの姿勢である。その守りの姿勢が、自分たちの家族、家、土地、国へと拡大解釈されてゆき、国の安全を守るためによその国へ行って戦うということになれば、そこにものすごい飛躍があるように思う。国民のメンタリティにつけこんだすり替え論理という気がしてならないのだが、アメリカはそれを既成事実化させてしまった国なのだ。 アーリントンへ至る道 ワシントンくらい退屈でつまらない街はなかった。ダウンタウンで遊ばせてもらったらまだしも印象はちがったと思うが、巨大なモニュメントばかり見せられた。それこそ絵に描いたような美しいところばかり。サンドイッチでもひろげるならともかく、通りすがりの観光客には五分もしたら飽きてしまう単調な風景でしかない。これでもかこれでもかの連続に驚嘆こそすれ、感銘する義理はないからだった。 ただもともとこういうモニュメントは、自国民に訴えるための装置なのである。愛国心、誇り、団結、勇気、賛歌、国が必要とするものすべてを寄せ集め、それを見える形にしたのがこれらの記念館やホールやタワーなどだ。アメリカと縁もゆかりもないツアー客に見せるのが無理なのである。 歴史の浅い国だし、いろいろな民族が寄り集まっているわけだから、国民感情をひとつにまとめようとすれば、なんらかの舞台ないし装置が必要なことはよくわかる。アラモの砦跡に残っている小さな教会だとか、ヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センターとかも見せられたが、これらもいまではアメリカの聖地として立派にその機能を果たしていた。アメリカじゅうからやって来た善男善女が、巡礼みたいな生真面目な顔で引きも切らず押しかけているのだった。 その装置の最大にして最強のものがアーリントンの国立墓地だろう。ここには二十六万人の戦死者戦没者が祀られているそうだが、駆け足観光の常としてほんの一端と、ケネディ大統領の墓くらいしか見せてもらえなかった。たった数十分しか時間をくれなかったのだ。 ここでは年間数千回の葬儀が行われているそうだから、できたらその実際を見てみたかった。死者がこれくらい威厳と敬意を払われ、厳粛に、最大級の礼を尽くして葬られる国はほかにないと思うからだ。ショーといったら怒られるかもしれないが、それくらい徹底的に視覚化され、そのパフォーマンスは最高度に完成されている。 アメリカについての情報源というと、わたしはインターネットでのぞいてみる「USA TODAY」くらいがせいぜいなのだが、この絵入り新聞にはほとんど毎日のように、異国から無言の帰国をしてきた兵士の葬送風景が掲載されている。棺に納まって荒涼とした異国を出発するところから、星条旗につつまれた棺が威儀を正した儀仗兵に守られて粛々とアーリントンへ向かっている光景まで、場面はさまざまだが死者のためにあてられる報道量はほかの分野よりはるかに多い。 こういう写真を見ていると、たとえば自分が死んだとき、こんな立派な葬儀を出してもらえるならそれも悪くないなと思えるほどだ。おそらくアメリカ国民に、アーリントンに祀られることは国民として誇らしいことですかという質問をしたら、大多数がイエスと答えるのではないだろうか。 国のために死ぬことができることや、状況次第では生命の危険を顧みず敢然と死に立ち向かうことができるという点でも、アメリカ人は世界で図抜けている国民だと思う。そういう姿勢は生まれながらにして身につくものではないだろうから、それが国民感情となるまでには、教育や、環境や、先人の手本など、長い時間と積み重ねが必要だっただろう。アメリカはそれを世界のどこの国よりも熱心にやってきた。だからこれから先もアメリカ人は世界のいたるところへ出かけて行き、血を流し、死んでゆくだろう。よその国民をもっとも多く殺しているのがアメリカ人なら、もっとも多く死んでいるのもアメリカ人なのだ。 こうしてアメリカの平和や、安全や、利益や、権利は守られる。兵士が血を流して守っているのは、生き残っているものたちの平和や、安全や、利益や、権利なのだ。もっと身も蓋もない言い方をすれば、それは自らは血を流さないものたちための平和であり、安全であり、利益であり、権利である。いつでも生き残る側にいるものが、自分たちの立場を正当化してもらうために血を流してくれる兵士が必要なのだ。生き残るものと死んで行くものとは、けっして同じではないのである。 「死んだインディアン、みないいインディアン」 という侮辱に満ちた言い方があるそうだが、だれであれ死ねば必ず賛美されるのである。死ぬことによって満腔の敬意を払われ、栄誉は永遠にたたえられる。雄々しさが語り継がれ、あらたな伝説が生まれ、アメリカ人みなが共有する国民感情となって拡大再生産される。アメリカが戦死者の遺体収容にあれほどこだわるのも、アーリントンに安置しなければ国の義務が果たせないからだ。死者がたたえられるためにはアーリントンで眠らなければならないのである。 たしかにアメリカはすばらしい国だ。ニューヨークはエネルギッシュでダイナミックで、この都市に住む満足度のほどが想像できた。旅行中に出会ったアメリカ人はみな人なつっこく、純朴で、ホスピタリティにあふれていた。善意と人間性が信じられた。いまの日本で得られないものをいくつ発見したかしれない。 その一方で前々からアメリカに感じつづけていた危惧や胡散臭さは、減るどころかかえって大きくなった。それは一言でいってしまえば、個人と国との間に乖離がありすぎるのではないかということだ。個人の領域はいくらでも見えてしまうのに、国となると途端に輪郭がかすみ、深い靄の中へ没してしまう。なかなか見えてこないというより、見えないように隠されている気がしてならないのだった。 それをもっとも象徴しているイベントが、四年に一回行われる大統領選挙だろう。他国民にはどうにも理解できない衆愚社会の極みみたいなお祭り。そこで選び出されるのは、理想でも、英知でも、能力でもないことは、歴代大統領の顔触れを見れば明らかだろう。その国の最高権力者で軍の最高司令官でもある大統領に、国民が結果として求めてしまうのはDADであり、FELLOWであり、GUYになってしまうのだ。 完全なガス抜きである。だれが考えだしたのか知らないが、巧妙きわまりないシステムだと思う。ひと頃、日本はお神輿社会だとよくいわれた。組織の指導者には個性や指導力より、みなから担がれる声望のある人物を据えたほうがうまくいくという考えだ。その伝で言えば、アメリカのほうがはるかにお神輿社会である。適当な人物を頭に据え、あとはよってたかってみなで政権を維持してゆけばよいからである。 近く形が与えられるであろうグランドゼロは見に行かなかった。これこそアメリカの国威の見せどころ。建国以来最大の動機、あらゆるエネルギーを集中させ、人知の限りを尽くしたモニュメントができあがることはまちがいないだろう。それがわたしにはなんとも悲痛きわまりないものに思えてならないのである。 アメリカ人がアメリカ人であることはしんどいことだと思う。自分に与えられた役割を、国で、社会で、会社で、家庭で、終生演じつづけなければならない。いちばん忠実でありたいはずの自己が、いちばん遠回しにされてしまう国なのだ。次回の大統領選では、国民健康保険制度の完全実施を公約として掲げているヒラリー・クリントンがどうやってつぶされるか、それだけを注目して見守ろうと思っている。 |
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